◆ 終わりと始まり ◆ 

静まりかえった森で何かが目を覚ます気配がする。
何かが来る。
何かを変える何かが。

「お前、笑ってるぞ」
猫の姿をした魔人が嘲笑混じりに言う。

「笑ってましたか?」
微笑みながら賢者が言う。今更何を言っているのかと、嘲るように。

「待っていた奴が来るのか?」
少しだけ首を伸ばし、魔人が言う。

「ええ、来ますよ。何も知らず、運命に流されて」
賢者が言う。壁の向こうを透かし見るような目で。

「お前はいつもそうだ、面白そうだ。運命に選ばれた連中がじたばたとしてるのを、運命の輪の外側から気まぐれに手を出して、一番見やすい場所で観客気取って楽しんでいる」
「ショーの見物料は自分の命です。負けたら私も死にます。承知で手を出しています。楽しんでどこが悪いのです?」
「悪いなんて言わないさ。でも、あんたは事態を難しい方に導くだろう?わざと大げさにするだろう?主役は右往左往、それでも自分の意志だと信じて動いてる」
「その方がマシでしょう?自分が運命の手駒に過ぎないと知って空しく足掻くより、自分の意志に従って動いていると信じていた方がやる気もでるでしょう?」
エルフの長にして賢者オルファウスは嫣然と微笑んだ。
その笑みの美しさに猫に封印された魔人ネモはぞくりと毛を逆立てる。
その笑顔は透明で賢しい。
何かを知り、そして何かを背負っている、とそう見るものに思わせる。
その裏側にあるのは、ただの傍観者の無責任だとも気が付かずに。


「いつまで続ける気だ?」
魔人の問いに賢者は答える。
「全てが変換し終えるまでですよ。長い長い時をかけて、未だに終わらないこの中途半端な時代。神々が去った後も番人は残り、そして変質した信仰は人々を迷信で包む。古く賢い種族は物わかりの良い顔で自ら滅亡の道を選び、残るのは蛮勇だけで知恵を持たない種族だけ。すべては停滞し、前に進むこともない。すべては――この淀んだ時代ゆえに」

「自分が飽きただけだろ?もっともらしい屁理屈が得意だな」
部屋の隅に蹲り、ネモは影と同化したまま笑う。
「お前はもう終わりの時を迎えているのです。一生影に潜んでいればいい」
オルファウスは立ち上がり、猫を見下ろす。
「そう、私はもう飽きました。ちっとも変わらない、変わろうとする意志を持たない人々しか住まないこの地に。でも私では時代を動かすことは出来ない。今から変革をもたらすには、私は長く生きすぎた。私はすでにこの時代の一部となっている。私が動いても時代は動かない。新しい存在が必要なのです」
「そいつがネメアか?」
「そう思いました、一時は。でも駄目です、あれも魔人の血――古い生き物の血を引く者。ネメアは自ら運命に捕らわれた。運命に抗う、という名目でそれを目的に生きているという事は、つまりは運命に捕らわれていることに他ならない。定めを意識することなく、その行く末を憂いる事もない、若くて、そして思慮に欠けた道化が必要なのですよ」
「ひどい言い方だ。自分の待ち人に」
「私が待っているのはそういう存在です。強い自我を持ち考える前に行動する、自分の行動の結果を考える事もしない、そういう愚か者こそが、今の時代を動かすのですよ」
「そう、しむけるんだろ?」
オルファウスは微笑みを消すことなく答える。

「そうです。時代を動かす者は愚か者でなくてはいけない。先行きを見通す知恵者であってはいけない。目の前の事だけに精一杯力を尽くす、そんな者でなくてはならない。でも、愚か者ゆえに方向を示してやらなくては、どこを暴走するか判らない。私はほんの少しだけ、進むべき道に向けて背を押してやるだけです」
「全てを操って運命の輪を回す操縦者のつもりか?」
ネモは辛辣に言う。
「そうですよ」
オルファウスは悪びれなく答える。
「さっきも言いましたね。そうして関わるための代償は私の命です。手を出して何が悪いんです?都合よく動いてくれる賢い愚か者が現れるのなど待つのも疲れた。もう飽きました」

森の結界が侵入者を伝えてくる。オルファウスは待ち人の予感に恍惚とした表情を見せた。

「待っていなさい、ネモ。もうすぐ、ここに来ます。何も知らずに、この森を抜けてここに来ます。ここから全てが始まります、いいえ、私が始めるのです。何も知らない子供はここへ来て自分に「使命がある」と知るでしょう。人と関わり、旅をすることに何か「意味がある」とそう信じるでしょう。そして時は転がり始める。ここへたどり着いたというその事に意義を見いだした者達が、あとは勝手に加速をつけてくれる」
「で、お前はその転がっていく先の結果を楽しみに待ってるって訳か」

「気に入らなければ、自分の気に入る結果が出るように自分の神に祈りなさい」
「止めとくさ、俺の神様は一途で健気な破壊神様だ。お前みたいなやつの方がよっぽどおっかない」
「だったら大人しく蹲っていなさい」
オルファウスはぴしゃりと言うと、冷たい微笑みでネモを見つめる。

「黙ってそこにいて、見ていなさい。退屈しない時間を上げますよ」
「お前に会ってから退屈した事なんてさいさ。お前はおっかないヤツだよ。にっこり笑って優しい顔で自分を慕う者達もみんな騙してる。みんな気が付かない。お前がただ――暇つぶしで関わって、人間の必死さを楽しんでるだけだってな」
「人聞きの悪い事を言いますね」
「間違ってるか?」
「いいえ」
「はっきりそう答える、お前はやっぱ、怖いヤツだよ」
笑ってネモは完全に影と同化した。気配すらも感じ取れなくなり、オルファウスはくすりと笑う。
「今の時代は長く、そしてしぶとくなりすぎた。まるで古木に張り付くコケのように、びっしりとこびりついて離れない。宿主にした木が枯れるまで、それは変わらない。だから、元を切り倒してやるしかないのです。かつて古代文明が滅びたとき、ネメアが魔王を倒したときに少しずつ入った切れ目に、今度こそ最後の一撃が入るかも知れない。そして後には新しい木が生える。それがどんなものなのか、今は誰も知らない。だからこそ、楽しいのですよ」

くすくすと笑いながら、オルファウスは森が伝えてくる気配に耳を澄ます。

「もうじきここへ来ます。運命を動かす者が」

「お前に操られる者が――の間違いだろう?」

影から聞こえる声に返事もせず、オルファウスは期待に瞳を輝かせる。

(早くおいで――私に新しい娯楽を与える者)

森を抜け、そして無限のソウルを持つ者が賢者の館の前に立つ。
オルファウスは扉を開ける。
不安そうな目の奥に強い光を持つ若い人間を招き入れるために。

(さあ、おいでなさい――私に、新しい時代を見せてくれる者)

オルファウスは招き、そして旅立たせる。知らぬうちに彼の意志を自らの意志と思い込んだ可愛い道化を。


(そして、新たな戦いを、破壊を、全ての終わりと始まりを私に見せてください。すべては――私を楽しませるためだけに)

自由な旅を――その旅の最後に行き着く道を選ぶのは、賢者だという事も知らず。



 
 
TOP