ゼロになる、ゼロになる――何もかも消えてしまえばいい。
アトレイアは暗闇の中で呟く。
ゼロになる――何もかも、無くなってしまえばいい。
暗闇の中からすくい上げられた瞳。光り輝く世界が目に映る。
でもそんなのは全部嘘。私に光は似合わない。私のために光は輝かない。
ゼロになれ。
何も知らない頃に、光を夢見ていた頃に戻れ。
アトレイアはそう念じ続ける。
厚いカーテンを下ろし、思い扉が閉ざされたままの室内で、1人アトレイアは目をふさいで呟く。
ゼロになれ――世界などすべて消えろ――。
誰も私に微笑まない。誰も私を必要としない。
私の悲しみも痛みも、誰も知らない、気にもとめない。
此処にいるのに、誰も私など相手にしない。
一人きり。たった一人きり。
光の王女。
貴方だけが愛される。あなた1人が必要とされる。
あなたの光が私を覆い尽くす。
あなたの光で私は消える――私は影。
光などいらない。光など消えてしまえ。
世界のすべてが闇に堕ちてしまえばいい――私と同じ、闇だけに染まればいい。
アトレイアは顔を上げた。
暗闇の中に少年の姿が浮かぶ。
「シャリ……」
掠れた声で呟く王女に、東方の博士は慈愛に満ちた声を掛ける。
「君の声は僕に届いていたよ」
シャリは王女の両手をとり、優しげに撫でさすった。
「僕を呼んだのでしょう?アトレイア。望みを言って、君の望みを」
アトレイアは少しの間ぼんやりとシャリを見つめた。
辛抱強くシャリはアトレイアが言葉を発するのを待つ。
じいっと、彼女の姿だけを見つめて。
アトレイアは掠れ声で呟いた。
「目などいらない…こんな光はいらないの…」
光を取り戻しながらもすでに何一つ世界を写さない瞳を見開き、アトレイアは熱っぽくうなされたように独白する。
「シャリ、光を返すわ。こんな光は私には必要がないの。私が欲しかった光は、もっと別の物……シャリ。私の望みを叶えて……」
無表情に自分を見下ろし呪文を唱えるように繰り返されるアトレイアの願いを、シャリは微笑みながら聞き、そして頷いた。
「わかったよ、アトレイア王女。君の望みは僕が叶えてあげるよ」
◆◆
「こんにちは…熱を出してたって訊いたんだけど」
侍女の案内を受けて寝室を訪れた客人に、ティアナは白く透き通るような色合いの瞼を開け、ベッドの上に身体を起こした。
「兄の名代でお見舞いに伺ったのですけれど、お加減は如何ですか?」
両手に花束を抱え、菓子の入ったバスケットをぶら下げたのはエリエナイ公の妹にして自らもノーブル伯の称号を持つ少女、セリア。
腕利きの冒険者でもある彼女は、兄の名代だと言うだけあって今日は清楚な長いスカートを纏い、動きづらそうな裾捌きでベッドサイドにやってきた。
兄であるレムオンか、軍の上司であるゼネテスと一緒でなければティアナの部屋など訪れない少女は、居心地悪そうに硬い表情をしている。
ティアナは繊細な顔に嬉しそうな笑みを浮かべた。
「ようこそ、セリア様。来てくださって、嬉しいですわ」
その声音にセリアは少し驚いきの表情になる。
(あれ?ティアナ王女って、こんな人なつこい顔で笑ったっけ?)
セリアの印象の中で、ティアナは常に仮面のような作り笑いを浮かべているか、さもなければ芝居のヒロインじみた言動を繰り返す鬱陶しい世間知らずの王女様だった。
当然セリアに対しても一見親しげではあるが、そこには自分より身分の下の者へ慈悲を与える生まれながらの傲慢さが見え隠れしていたものだ。
(今日は女同士だけだから、かな?)
セリアはティアナに勧められるままに椅子に腰を下ろすと、王女の笑顔を見直す。
王女はにこにこと全身で客の到来を喜んでいるようだった。
(なんか可愛いかも)
そう思い、セリアは侍女が運んできたお茶をティアナと共に飲み、聞かれるままに冒険の話をした。セリアの語る一言一言にティアナは楽しそうに目を輝かせ、もっともっとと子供のように話をねだる。
「よかったら今度町の外にピクニックに行こうか?私がついていってもいいし、ゼネテスだったらちょうどいい場所知ってるんじゃないかな」
そう口にしてから、セリアはティアナの逆鱗に触れたかと口を押さえる。ティアナはゼネテスの事になるといつも過剰なほどの反応を示す。
だが今日は違った。
ティアナは両手を口の前であわせると、さも嬉しそうに笑ったのだ。
「まあ、セリア様とゼネテス様がご一緒してくださるなら安心だわ。ぜひ連れて行ってくださいましね」
一瞬惚けたセリアは、ややあって吹きだした。
「まあセリア様、私、何か変なことを申しました?」
頬に手を当てて心配そうに聞くティアナの表情が幼くて可愛い。
すっかり保護欲の出てきたセリアは、お姉さんぶった口調で言う。
「ううん、全然変じゃないわ。ああ、だったらいっそのことレムオンも誘ってみようか?ティアナ王女の頼みなら、きっと苦虫噛みつぶしたような顔しながら承知するわよ」
「私がお願いしたら、レムオン様もご一緒してくださるでしょうか?」
「もちろんよ、レムオンとゼネテスを仲良くさせるいい機会かも!あの二人が角つき合わせてると、正直間に入って私も困るし」
「私にセリア様のお手伝いが出来るなら光栄ですわ。それなら、今度いい日を選んでくださいます?」
無邪気に頬を染めて言うティアナに、セリアは悪戯っぽい顔で笑った。
「まかせて」
手を叩いてコロコロと笑うティアナが幼くて可愛らしかった。
くつろいだ時間を過ごしそろそろ退室の挨拶を、と思ったところで、セリアはずっと気がかりだったことを思い出した。
もう1人の王女、アトレイアのこと。
「ティアナ王女、アトレイア王女に最近お会いしました?」
ティアナは首を傾げた。
「いいえ…最近、何かひどく狂乱しているらしく、お母様から会ってはいけないと言われておりますの」
反目している筈の母エリスに対する素直な物言いに、セリアは好感を持った。
なんだかんだ言っても、セリアはエリスの決断力や度胸を高く評価している。
人の上に立つというのは綺麗事ではつとまらない。そういう意味では尊敬していると言ってもいい。セリアは目を細めた。
「この間会ってきたんだけど、言ってることが支離滅裂で侍女達も困ってるみたい。アトレイア王女も熱を出したとかで、また目も見えなくなっちゃったらしいし…気の毒だわ…」
そう言ってため息と共に首を振る。
彼女の目に光を取り戻すために闇の神器を手に入れに迷宮に潜ったのは自分だ。
彼女の目に宿った光は、結局彼女の幸福のためには何一つ役に立たなかった。
中途半端に苦しめよりいっそうの暗闇に心を落としてしまったと思うと、強い罪悪感がこみ上げてくる。
「とことん運が無い人っているのね。……王女様だって言うのに…本当に可哀想」
「出来る限り、精一杯お世話させていただきますわ。大切な私の従姉妹ですもの」
ティアナの言葉に、セリアは救われた思いで頷いた。
大きく開け放たれた窓から、気持ちのいい風が吹き込み、純白のカーテンをゆらす。
チチッという甲高い鳴き声と共に、外から小鳥が1羽舞い降りた。
「あれ、この鳥…」
セリアは窓の側に置いてある鳥かごを見た。扉が開きっぱなしになっているそれに小鳥は自ら入ると、止まり木に止まって羽根を整え始める。
「逃がしたんじゃなかったっけ?」
「戻って参りましたの。やはり、外を知らない小鳥ですから、此処が一番いいのですわ」
ティアナは白いガウンを羽織ると、扉が開きっぱなしの鳥かごに近付き、中の小鳥を愛おしそうに見た。
「普段は窓も開けて自由に出入りできるようにしてますのよ」
「贅沢小鳥め。好きなだけ空を飛んだら、此処へ戻ってきて餌食べて休んでるのね」
笑いながら言うセリアに、ティアナもくすくすと笑う。
「セリア様も冒険にお疲れになったら、いつでも此処へいらしてくださいね。私、精一杯お持てなしをいたしますわ」
「ありがとう。それじゃ」
「ピクニックのお約束、必ずですわよ」
「判ってるって」
名残惜しげに見送ってくれるティアナと別れ、城の外に出たところでセリアは背伸びをする。
「うーん、…王女様、なんかいつもと違う感じがしたけど…熱を出したせいかな。でも、ずっと今のままならそのままの方がいいな」
そう言ってから、すっかり面変わりしていたアトレイアを思い出し、セリアは辛そうな顔になる。
「可哀想だけど、私に出来ることはないね…」
呟いて、セリアはゼネテスとレムオンとどちらを先に訪問しようかと考えた。
「やーっぱ、ゼネテスかな。口を合わせていっそレムオンとティアナがくっつくように画策してみるか。今のティアナだったら話が通じそう」
ティアナとレムオンをくっつける。
悪い事じゃないよね、国にとっても王家にとってもリューガ家にとってもゼネテスにしても。
ファーロス家だけが繁栄して他の貴族に反感もたれ続けるよりも、リューガ家と縁を持った方が長い目で見たら絶対国のためだと思う。
それでもしも私とゼネテスが結婚したら――トップの家の絆が強固になるだけ。
「絶対、これがいいよね」
セリアは上機嫌で笑いながら、ゼネテスがいるスラムへと足取り軽く歩き出した。
◆◆
暗い、暗い――真っ暗。
此処はどこなの?どうして真っ暗なの?
手探りで壁を伝い、窓を開け放ってアトレイアは首を大きく振った。
「暗いわ!どうして?今は夜なの?ああ、どうして暗いの?お母様!」
アトレイアは顔を覆って身を捩って泣きだした。
「…此処はどこなの…」
その様子を痛ましげに見る年のいった女官が、若い侍女に耳打ちをする。
「おかわいそうなアトレイア様…目がどうやら治った、という話だったけど…やっぱり駄目だったようね。お母様をあんなに呼ばれて…」
「本当におかわいそう…ショックですっかり正気を無くしてしまわれたのですね」
アトレイアは涙に濡れた顔を上げると叫んだ。
「いいえ、違う、違うわ!私はティアナよ!此処はどこなの?どうしてこんなに暗いの?どうしてお母様もお父様も来てくださらないの?」
女官はそれを聞くと、すっかり同情した顔で涙を滲ませた。
「本当におかわいそうなアトレイア様、すっかりご自分をティアナ様だと思い込まれて」
若い侍女も頷く。
「ティアナ様がくれぐれもよく世話をしてやってくれ、と仰ってました。病気のせいで変なことを口走るのだから、逆らわずに、興奮させないようにと」
「そうだね…精一杯お世話をして差し上げましょう」
訳知り顔で頷きあう二人の言葉に、アトレイアはまた激しく首を振ると言い募る。
「違うわ、私はティアナよ!ティアナなの」
「おかわいそうなアトレイア様…万が一があってはいけない。窓も扉も、勝手に開けられないように鍵を閉めておきましょう」
「そうですね、もしも外に出てケガなどなさっては大変ですから」
窓際によった侍女が窓を閉め、きっちりと閂を差す。
空気の流れが止まったことを感じたアトレイアは、いやいやするように床を叩いた。
「駄目よ、扉を閉めては駄目!わたくしを此処に閉じこめないで!」
あまりの興奮に1人にして置いた方がいいと判断したのか、女官と侍女は目配せするとそうっと室外に出た。
外から鍵が掛けられ、その小さい音を耳にしたアトレイアはまた大きな声を出す。
「どうして鍵を閉めるの?どうしてわたくしを閉じこめるの?わたくしはティアナよ、外に出して!」
手探りで探り当てた扉の取っ手を握り、アトレイアは扉を開けようとする。
「開けて、開けて!わたくしを外に出して!」
扉の外で侍女と女官は哀れな王女を思い、そっと涙を拭う。
「お気の毒な王女様…」
開けて、わたくしを外に出して。
わたくしはティアナ。ロストールの第一王女、ティアナ。
ここから出して、わたくしを出して。
光の王女と呼ばれたわたくしを、光の中に解き放って。
泣き叫ぶアトレイアの言葉を聞く者は居ない。
扉は閉ざされたまま。
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