リベルダムから南に下った山中に、盗賊の砦がある。
もともとは食い詰めた冒険者もどきで、市内を荒らしていたならず者集団だったのだが、リベルダムの自警団に追われ、街道に出没するようになった一派である。
本来、数頼みのような半端物集団。
それが、真っ当な商売人である織物問屋の若主人を誘拐し、店の権利の一切合切を要求してきたのである。
「いい家のぼんぼんなら、親が何か手段を講じるんじゃないのか?」
「冒険者とか、10人くらい雇って救出に向かわせたみたい。半分が向こうに寝返って、残り半分は
ぼこぼこにされて伝言持ってきたわ。『次にこんな前をしたら、指を一本ずつ切り離す』ってね。びびっちゃって、
取引に応じたらしいの。明後日には、店や商業権を全部明け渡すって――それじゃ遅いの。すっからかんに
なってから戻ってきたって、どうにもならないのよ」
マージは眉をしかめて怒るように言った。
「入れ込んでるんだな。あんたの男か?」
ついからかうような口振りになったゼネテスに、マージは眉を逆立てる。
「ふざけたこと、言ってるんじゃないよ!」
「ああ、そうだな。あの商人に聞かれたらまずいか。あいつの愛人なんだろ、あんた」
一本取ったつもりで言ったイヤミに、マージの目がつり上がった。
「詮索してるんじゃないよ!依頼に関係ない所まで首突っ込むのは、ルール違反じゃないのかい?」
さんざん人を小馬鹿にして笑っていた女のムキになった顔に、ゼネテスは呆気にとられた。
「おい、落ち着けよ、姐さん。そんなに怒ることかい?冗談だよ」
思わず宥めにかかったゼネテスに、マージはばつが悪い表情でそっぽを向く。
「ガキがいっちょ前の口を利くからだ」
別によくある類の冗談だと思ったが、ことのほか気に障ったらしいマージの忌々しげな顔つきに、
ゼネテスは頭をかいた。
「はいはい、俺が悪うございました。そんじゃ、話の続きを始めましょ」
軽く言ったゼネテスをマージは睨み付ける。だがそれ以上文句を言うこともなく、マージは説明を続けた。
「砦ったって、洞窟をちょいといじった程度さ。前に行った連中は、計画も立てずにぼやぼやと真っ正面から行っちまうような、連中と大差ないようなトーシロが殆どだったんだ。だから、今度は二人で忍び込む。さっと行って、
さっと男を担ぎ出す。その力仕事はあたしじゃ無理だからね」
「さっとってな、簡単に言うが…」
バカかこいつ、とふっと思ったとき、それを察したのかマージが面倒くさそうに付け加えた。
「あたしがおとりになるよ。ここの頭目とは、顔見知りなんだ。あたしが注意を引いてるうちに、あんたが忍び
こんでくれればいい。…数を頼りのならず者連中だから、あんたの相手をまともにできるヤツはいないはずだ」
「それは、推測かい?事実かい?」
「事実さ。ちょいと前まで、あたしはそいつ等の仲間だった」
あんぐりと口を開けたゼネテスの目の前で、マージは自嘲気味に笑った。
取引が始まる前に仕事を片付けなければ無いため、直接関係ない部分まで説明を求めるのは、
時間がなさ過ぎた。食料と水、ロープや薬といった必要な道具を揃え、ゼネテスとマージは早々と町を出る。
言わなくて良いことまで話したと思ったのか、マージの表情はふてくされ気味に見える。
なんとかフォローを入れようと思ったが、適当な言葉も見つからずに、ゼネテスも結局口を閉ざしたままだ。
正直、あまり深く入れ込む気もなかった。
盗賊の仲間云々を抜きにしても、あまり関わりになりたくない部類の女だ。
自分の言いなりになる男に、慣れきっている。
しかめた眉1つで、相手が機嫌を取ることを当然と思ってるような女。
苦手だ。自分が逃げてきた場所に山のようにいた女達を思い出させる。
早朝に砦に着くように、日暮れ前に野宿の場所を決めた。
小さめの洞穴は、昔は何か動物が巣にしていたのか、奥の方に枯れ草が集めてある。
そこで休むことにして、ゼネテスは火を熾した。
余計なことを何一つ言わず黙々と作業をこなすゼネテスに、マージが焦れたようにつっかかる。
「あんた、あたしにいう事があるんじゃないの?」
「何が」
「あたしが連中の仲間だったって言ったら、目を剥いてたじゃない。なんで仲間を抜けたのか、とか、聞きたいことがあるんじゃないの?」
「きくなって言っただろ?」
「気になるって顔に書いてあるじゃないか。こっちが、落ち着きゃしない」
言い訳なのは判っている。落ち着かないのは、本人のせいだ。ゼネテスはため息をついた。
「はいはい、それじゃ、事情の程を教えていただけますか?雇い主殿?」
面倒くさそうなゼネテスに、マージはむっとすると口を閉ざした。
感情的な扱いづらい女の態度に、ゼネテスもうんざりとした顔で一言も発しない。
しばらくの重い沈黙の後、マージはぽつんと言った。
「ゴメン…こういう態度が良くないんだ…判ってるけどさ」
今までの印象とまるっきり逆の声音に、ゼネテスは少しだけ興味を持った。
マージは自分でもうんざり、といった風で髪をかき回した。
栗色の髪がぱらぱらとほどけて肩に落ちる。そうしてみると、第一印象ほどきつくは見えない。
「あんたに当たったってしょうがないんだよね。判ってる。ゴメン」
1つため息をついてマージは毛布にくるまった。
ゼネテスは、彼女の苛立ちの理由を聞いてみようかと思ったが、躊躇っている間にマージはすうすうと寝息を立て始めていた。
狸寝入りかも知れない、そう思ったが、結局ゼネテスは声をかけずに自分も毛布を被る。
『ゴメン』
そう言ったときの彼女の表情は、興味本位で立ち入るには重すぎるように、若いゼネテスには思えたのだった。
砦はすぐに分かった。
早朝のせいか、入り口に立つ見張りは居眠りをしている。
マージはゼネテスに目配せをすると、身を潜めていた場所から立ち上がり、
科を作るような足取りで見張りの元へ近付いていった。
そして、寝ている男を蹴飛ばし、寝ぼけ眼を向けた相手に、権高に言いつけた。
「見張りが寝ていられるなんて、随分と気楽そうだね。ディノはいる?」
男が慌てて立ち上がる。
「お、お前…だ、誰だ、頭目になんのようか…」
気圧されたようにどもりながら言う男に、マージは癇癪を起こしたように怒鳴りつけた。
「あたしを知らない?どこのもぐりだ、あんた!ここの頭はディノでいいのかい?だったら、さっさとあたしを
案内しな!言ってる意味が分からないのかい?だったら、その寝ぼけた頭かち割って、中身を水で
洗ってやろうか?」
その剣幕に、男はぺこぺこと卑屈そうな態度で、彼女を砦の中へ連れて行った。
門も何もない砦の入り口はがらんと開けっ放し。
ゼネテスがそうっと中を窺うと、マージが大声で喚き散らしている声と、辺りをうろうろと走り回ってるような
足音が聞こえる。
高飛車で、人の話を聞かない女らしく、目に付く連中を片っ端から怒鳴りつけて注意を引いているらしい。
(お上手…というか、ありゃ、地かもな)
半ば呆れながら、ゼネテスは足音を立てないように砦の中に忍び込んだ。
マージの予想では、おそらくは、昔の地下倉庫部分の部屋だろうということだ。
居住部分とは逆の荒れた通路の先に、地下への縄ばしごがおろしてある穴がある。
そこを下りると、薄暗い湿っぽい通路。申し訳程度の灯りが漏れている通路の先の部屋の扉の前に、
座り込んで居眠りしている男を見つけた。
足音を忍ばせて傍らに立つが、それでも起きる様子はなさそうだ。
当て身を食らわせると、あっさりと男は目を覚ます暇もなく気絶する。
気絶した見張りを通路の隅に運び、その辺のボロ布をかぶせてから、ゼネテスは誰が来ないかと梯子の方を
伺った。誰も様子を見に来る気配はない。
マージが上手くやっているのだろうか――ふと考えたあと、ゼネテスは地下倉庫の扉を開けた。
かび臭い匂いが中からあふれてくる。
むき出しの土の床に、ボロの木箱に入ったイモやら酒やらが乱雑に置かれている中、男が1人、ぐるぐる巻で
転がっていた。
一目でこれが「誘拐された織物問屋の息子」だと判る、仕立てのいい服に、育ちの良さそうな顔だ。
歩けないほど痛めつけられてなければいいな、と考えながら、ゼネテスは傍らに膝をついて男の身体を戒めていたロープを切ってやると、動かない男の頬を2,3発軽く叩く。
マージと同年代くらいだろうか?
取り立てて美男子とは言えないものの、それなりに穏やかで優しそうな顔をしている。
男が小さくうめき声を上げた。
意識があることを確認し、ゼネテスはざっと体の状態を調べる。
かすり傷や痣はあるが、骨が折れている様子もないし、ひどい出血もない。
パニックを起こして騒ぎ出さなきゃいいなと思いながら、ゼネテスは男が完全に気がつくのを見守った。
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