◆愚か者 1◆
 
――なぜ、こんな事になったのだろう――。
 
ロストールの町中、そうたしか、待ち合わせ場所に向かう途中。
スラムの入り口近くで、老婆に助けを求められた。
 
『大変なのです、ああ、どうか、どなたか、助けて――』
泣きながらすがりつく老婆を放っておけるほど、リュミエは冷酷ではなく、ましてや最初から疑いを持つような
性格でもなかった。
老婆に案内されてたどり着いた廃屋を調べに行って、そして。
 
あとの記憶ははっきりしない。
何か、濃い香のようなものが立ちこめていた。
その香りに酔ったようにふらっとなり、気が付いたら――。
物陰からの気配に、瞬時にリュミエは物思いから現実に戻った。
ぴしゃっと水音をたてて襲いかかってきたのは、巨大な狼形のモンスター。
とっさにはなった呪文が、そのモンスターを炎に包む。
肉の焼ける匂いをあとに、リュミエはまた暗い通路の先に走り出した。
光もささない暗い迷宮の中、出口を求めて。
 
◆◆
 
「遅いなぁ…」
スラムの酒場で、ゼネテスが頭をかきながら外をうかがっている。
「ゼネさん、リュミエと待ち合わせなのかい?」
酒場の主がカウンターの中から声をかける。
「そうなんだがなぁ、いつもなら、時間に遅れるってこたぁ、ないのに」
ゼネテスはそわそわと出たり入ったりを繰り返してる。
主は可笑しそうに笑った。
「意外とゼネさんも心配性なんだね。リュミエほどの人に簡単に何かあるわけないじゃないか」
「そりゃ、そうなんだがな」
カウンター前に戻ってきたゼネテスに、主はくすくす笑いながらグラスに注いだ酒をさしだした。
「ほら、これでも飲んで落ち着きな。途中で何か用事でも思い出したんだろ」
そう言われ、ゼネテスは照れくさそうにグラスを受け取った。
「ありがとうよ。いや、なんだかなぁ」
「…やっぱり心配かい?」
苦笑いをするゼネテスに、主は「やっぱりねぇ」と呟いた。
 
「…早いもんだねぇ。リュミエが始めてうちにきたのは、何年前だっけ?いかにも子供子供して、
ここでお茶を飲んでいったんだよねぇ。今もまあ、子供っぽいのはかわらんけどねぇ」
「そう言うなって。あれでも気にしてるらしいぜ?」
かたんとグラスをおいて笑いながら言うゼネテスに、主も微笑ましげな顔で笑った。
「それがいつの間にやら、竜字将軍だの、竜殺しだの、おっかない通り名が幾つもついちまって。
エンシャントじゃ、世界の破滅を願って、化け物を山盛り召還したヤツも倒しちまったって話じゃないか。
不思議だね。ここに顔を出すあの子は、いつまでたっても子供っぽくて可愛くて、とてもそんな腕利きには
見えないってのに」
主はそうしみじみと言う。この数年間を思い返すように。
 
「一番最初にあったときは、それこそ本当にガキだったなぁ。剣の持ち方を覚えた程度で…」
フリントの娘。
顔なじみの密偵の死ぬ間際の願いを聞き、ゼネテスはリュミエに一人でも生きていけるようにと、
冒険者にさせた。
慣れるまでのつもりで一時期だけ行動を共にして――それが一生のつき合いになるとは、
あの時点ではゼネテスは考えてもいなかったのだが。
ゼネテスはまた酒場の入り口の方に目をやった。
リュミエは時間には神経質で、待ち合わせをするといつも早めに来る方だ。
妙な胸騒ぎがする。
 
「ゼネさん、落ち着きなって。すぐにくるよ」
「ああ、だと俺も思うんだがね」
デートをすっぽかされたような風情で、ゼネテスは戸口に出て辺りを見回す。
数人の駆け出し風の冒険者が、入り口に突っ立っている大男を怪訝そうに見上げながら、中に入っていった。
ゼネテスはいつにない焦燥に駆られた。
(何でこんなに気になるんだろう)
 
ゼネテスはいかめしい顔つきで店の中に戻ると、何となく呆れ気味の主に声をかける。
「ちょっくら、その辺を見てくるわ。あいつが来たら、待たせておいてくれ」
「あいよ、ちゃんと待たせておくさ。『あんたがあんまりじらすと、ゼネさんは子供とはぐれた母猫みたいに
落ち着かなくなる』っ言ってな」
「メス猫かい、俺は」
にやにやとしている主に拗ねたように答え、ゼネテスは視線を逸らした。
日暮れ前の中途半端な時間帯で、中にいるのはゼネテスとさっき入ってきた数人の冒険者しかいない。
その彼らのテーブルで、何かチカリと光るものがある。
何気なく目をやり、そしてゼネテスは息を飲んだ。
 
「親父、酒、1本くれ…」
脇見をしたままのゼネテスが、妙に抑揚のない声でそう言った。
主は眉を潜める。ゼネテスはいつものにやけ顔から、酷く緊張した顔つきになっていた。
だまって主が酒の瓶を渡すと、ゼネテスは作り物めいた笑みを浮かべ、冒険者たちのテーブルに近づき陽気に声をかけた。
 
「よう、兄さんたち、見かけない顔だな。どこから来たんだい?」
飄々と言って酒ビンをテーブルに置くゼネテスに、最初男たちは驚いたようだった。
だがゼネテス得意の人好きのする笑顔と、その磊落な口調に、徐々に男たちは気を許し始める。
しばらく当たり前の世間話をしたあと、ゼネテスはついでのように、男たちの手元に目をやった。
「ずいぶん、良い物を持ってるじゃないか?そりゃ、どこで手に入れたんだ?」
男たちが持っていたのは、銀で精緻な竜をかたどった首飾りだった。
 
 
 
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