◆愚か者 11◆
 
 
「ゼネテス、このような時間に何のようだ?」
執務を終えゆったりとくつろいでいた時間に訪れた客に、エリスは呆れかけの眼差しを送る。
「そなたはいつも突拍子もないときに現れるものだ」
それでもそう言って笑う顔に悪意はない。気に入りの甥っ子なのだ。
「いつも思いつきできちまって、申し訳ないな」
頭をかきながら言うゼネテスに、エリスはふっと微笑んだ。
 
「まあ、良い。そなたが気まぐれなのは、いつもの事だ。今、茶の支度をさせよう…
ティアナとも少し話していくがいい」
「叔母貴にちょっと込み入った話が合ってきたんだ。ティアナは遠慮してもらった方がいいな」
「あれも世間について知っておいた方がいい頃とは思うが…。難しい話か?」
上機嫌で問うエリスに、ゼネテスは何気ない調子で続ける。
「ツェラシェルに頼んでたあれ、どうなったか報告は来てるのかい?」
瞬間、エリスがぴくりとこわばった。
数日前から、彼だけでなく双子も音信不通になっていたのだ。
 
「…いや、まだだ。フリントの子は、もうこの国を離れてしまったのではないか?」
慎重に答えるエリスに、ゼネテスはまた何気なく言う。
「そうか、いや、あれはもういいんだ。リュミエは見つかったんでな」
エリスの全身がこわばるのが、傍目にもはっきりと分かった。
「だから、連中にも面倒をかけたが、もう調査はいいと伝えてくれ」
「…そうか…。人騒がせだったな…、それでフリントの娘は今どこにいるのだ?」
エリスは動揺を抑え、いつもの仮面じみた微笑を取り戻した。
「ちっとばかり怪我をしててな、休ませてる」
「そうか…、見舞いの品を送りたいが、どこにいるのか教えてはくれまいか?それでなければ、怪我が治ってから
でも顔を見せてもらえれば、安心なのだが…」
ゼネテスは、哀れむような笑みを浮かべた。
 
「リュミエは今、エンシャントで皇帝の保護下にいる。…もう手出しは出来ないぜ?」
エリスの顔が青ざめた。
「何を物騒なことを…、私が何をすると…??」
それでも、さも心外と言わんばかりに吐き捨てるエリスに、ゼネテスは近寄ると彼女が座っている椅子の
肘掛けに両手をついた。
エリスは、体格のいい甥に椅子に閉じこめられたような格好になる。
 
「あの3人、戻ってきてないだろ?これからも戻ってくることはない。言っている意味は分かるだろうな、叔母貴」
「知らぬ」
エリスははねつけた。
「嘘泣きで誤魔化す小娘みたいな真似はよしてくれ。リュミエは生きている。そしてあの3人は来ない。
その理由が分からない叔母貴じゃないだろう?」
「そなたが始末をつけた、という訳か」
エリスは憎々しげに言った。
「それで何しに、ここに戻ってきた。わざわざ繰り言を言いにきたのか?」
「ツェラシェルが言ってたよ。『あんたがもっと早くにはっきりさせてりゃ、こんな事にならなかった』とな。
だから、ケリを付けにきたのさ」
 
エリスは能面を思わせる顔で、甥の顔を見つめた。
「どうケリを付ける?あの娘と別れるのか?」
「…いや、別れを言いたいのは別な人物だ」
次の瞬間、ゼネテスの頬が張られる。
エリスが怒りの形相でひっぱたいたのだ。
 
「まだ分からぬのか!この愚か者!」
エリスは一喝した。
「そなたは己の立場をなんと心得ているのだ!そなたはこのロストール随一の家の当主。
そして、王女ティアナの婚約者だ。いずれはこの国を背負わねばならぬ者なのだぞ!それを…、
悪ふざけも度が過ぎては笑えぬ!」
エリスは甥を追い払うように体を起こした。
「あの娘がこの国を出た、というのであれば、これ以上の追求はするまい。見逃してやろう。
そしてそなたは近いうちに正式にティアナと結婚し、国のために力を尽くすのだ。よいな!」
決めつけたエリスに、ゼネテスは苦笑を浮かべたまま、首を横に振った。
「俺はティアナとは結婚しない。国の中枢に入る気もない。俺はこの国を出る…。お別れだよ、叔母貴」
「私は認めぬ!そう言っているのだ!」
エリスが取り乱したように叫んだ。荒い息をつきながら、ゼネテスを見据える。
 
「ティアナのどこが不満なのだ?あれはこの世の誰よりも美しく、聡明で、気高い、私の大切な宝だ。
あれ以上に美しい娘など、どこを探してもいるまい。そして口ではなんと言おうとも、あれはそなたを慕っておる。私には分かるのだ、あれの心の奥底が。その美しい王女と、輝きに満ちた玉座をすてても、そなたはあの密偵の娘ごときを選ぶというのか?あのような下賤な…」
常の冷静な仮面が剥がれ落ち、そこにいるのは娘可愛さに眼の眩んだただの母親。
人前には決してさらせなかった、これこそが叔母の本質なのだろうと、ゼネテスは寂しく思った。
 
「叔母貴…、しんどいだろうな」
「何がだ」
エリスが吐き捨てる。
「敵を葬っても葬っても、次から次に現れる。そりゃ、いい加減に疲れるよな。手助けが欲しいって気持ちもよく分かる…、けどな…」
同情するように告げたゼネテスが、不意に口調を変えた。
「リュミエは叔母貴の言うとおり、密偵の子だ。ティアナに比べりゃ、そりゃ、身分や血筋は比べものにならない。
親もない、後ろ盾もない、家もない。ないないづくしだ…、でも、あいつには味方がいる。あいつのために身体はって何かしたい、そう考えるやつが、おそらく大陸中に散らばっている。何でだろうな?」
「私が知るわけが無かろう」
エリスは甥の問いを、下らぬ、と一言で吐き捨てた。
「それが分からないうちは、叔母貴の敵はいなくならない…、増え続けるんだろうな…」
 
その甥の言葉にエリスは哀れみを感じ取り、ぎりっと唇を噛みしめた。
「それで、そなたも敵に回るというわけか…、あの娘のために、この私の」
「叔母貴の敵には回りたくなかったよ。人に指摘されるまでもない、俺と叔母貴はよく似てる。
大事な人間を守るためなら、血まみれ泥まみれになっても後悔しない、…そんなところがさ」
すでに別れを決意しているせいか、ゼネテスの声は穏やかだ。
 
「そんな叔母貴の力になりたいとも思ったが、やっぱり人間、分ってものがあるんだ。
俺はあいつを切り捨ててまで、家のため、王家のためなんて御託を並べちゃいられねぇ」
「大馬鹿者が…、そなたはもっと賢いと思っていたぞ」
失望に心が煮えくりかえっているのか、エリスの声は妙にしわがれていた。
「力ずくでもそなたをここに留まらせる、と言ったらどうする。
その手腕を振るうのに、必ずしも5体が必要とは言うまい」
ゼネテスは肩を竦ませた。
 
「けしかけたきゃ、けしかけてもいいんだぜ?この部屋の扉の向こうには、衛兵達が集まってきてるんだろう?
隣に控えていた女官の知らせでさ。それでも俺は、自分の意志で、自分の足で、ここを出ていく。
そう約束したんでな」
そう言ってゼネテスはエリスに背を向けると、扉の前に立つ。
突然に開いた扉に、廊下に詰めていた衛兵達がびくっと後ずさった。
 
兵達の姿を一瞥したゼネテスが、立ちすくむエリスに向き直った。
「なあ、叔母貴。賢く立ち回って、そしてどうする?胸に風穴開けたまま、一生むなしさを抱えて生きていくのか?
悪いが俺はそんな生き方は耐えられそうにない」
ゼネテスは長い長い息を吐いた後、顔を上げてにっと笑った。
 
「愚か者でも、俺は満足して死にたいんだ」
 
エリスの返事を待たず廊下に出てきたゼネテスに、兵達は槍や剣を構えたまま、どうすればいいのか分からずに
もたもたとしていた。
命令が出ないため、しきりに顔を見合わせ、何かとんでもない間違いをしているかのではと、
怯えた表情をしている。
フラフラと椅子に崩れるように座ったエリスは、大勢の兵の中にあっても、まるで恐れた様子のない甥の後ろ姿を睨み付けた。
そして――叫んだ。
 
「愚か者が!」
兵と、そしてゼネテスが王妃の様子に注目する。
「そなたのような愚か者が、私の血筋であるはずがない!汚らわしい下層民の間に浸りすぎたようだな!
どこへなりと去れ!そなたのような愚か者の言など、私には必要ない!!」
悲鳴のようにそう言うと、エリスは両手で顔をおおってしまった。
その傷ついた様子にゼネテスはその側に戻りそうになり、そして、踏みとどまる。
今戻っては全てが繰り返し。何も変わらず、そして何も守れないのだと、ゼネテスは気が付いていた。
「…お別れだな、叔母貴。…あばよ」
 
まっすぐに顔を上げて歩き出すゼネテスに、集まっていた兵達が道をあける。
騒ぎを聞きつけたティアナが、その場に姿を見せた。
「…ゼネテス様」
その声に気が付かなかったのか、ゼネテスは兵の背後に立つティアナに気が付く素振りも見せずに通り過ぎる。
ティアナは何事かと、母の部屋へと急いで足を踏み入れた。
そこで見たものは、打ちひしがれ、顔を両手で覆ってすすり泣く母の姿。
「…お母様、どうなされたのですか?」
おそるおそる近付いて問う娘に、エリスは気が付きもしない。
 
――胸の風穴。その吹き抜ける寂しさと痛みは、誰よりもエリスは知っている。
それを埋める何かが欲しかった。欲しくて欲しくて――求め続けて、結局何も残らなかった。
夢見たものはなんだったのか?甥を婿に招くことで、全てが叶うと信じた己が愚かだったのか。
 
泣き続ける母の傍らに膝をつき、思わずティアナはその肩を抱きしめていた。
「…お母様、泣かないで…」
エリスの泣き声が途切れることはない。
「泣かないで…お母様…」
ティアナは母を抱きしめた。幼子を守るように――。
 
◆◆
 
ロストール王宮。篝火に浮き上がる城門前。
ゼネテスはたった今自分が出てきたその場所を振り返った。
「…いろいろ、あったよなぁ…、今となっちゃ、何もかも懐かしいだけだが」
わずかばかり感傷を込めてそう呟くと、ゼネテスは肩を竦め、いつもの不敵な表情を取り戻す。
そして挨拶するように片手をあげた。
「あばよ!ロストール!」
 
闇の中を振り返ることなく歩いていく彼に、後悔はなかった。
 
 
 
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疲れ果てた言い訳――はい、愚か者~~これで完結です。長かったですねって、自分でいってんじゃないって。(^^;;)
その人の立場、物の見方、価値観、そんな物によって、同じ事柄であってもまったく違う評価が与えられます。
貴族という物を至高と考える人にとっては、ゼネテスの選択は愚かでしょう。逆にまったく第3者のザギヴから見たら、
得がたい人材を自分から投げ捨てたようなエリスの行動は、愚かにしか見えないと思います。
彼等の選択が正しかったのか、本当に愚かだったのか、それは全てこれからの行動にかかってくるのです。
って、ま~~真面目に語っちゃった~~あう、舌がつったわ、ゼネさん~~(笑)
後日談は、原案者のポコポコさんからぶんどる事が決まっております。それでは(^^)/