人の気配に振り向いたゼネテスの目に飛び込んできたのは、手になぜかほうきだの、めん棒だの持っている
酒場の親父や、常連達だった。
「おいおい、物騒な出で立ちだな。どうしたんだい?」
思わず頓狂な声を出すゼネテスに、親父は気色ばった。
「何いってんだい。うちにいる奴らを締め上げたのさ。それでどうやら、リュミエをどうにかしたらしいってのが
分かったんで、助っ人に来たんだ」
その後ろからハンナの母親も現れる。その手には大きな鉄鍋が握られていた。
「全くとんでもない抜けさくどもだよ!金欲しさにリュミエちゃんをどうにかしようなんて、情けなくて泣けてくる。
あの子はなんの得にもならないのがわかってて、あたしらのために貴族に立ち向かってくれた子だよ?」
ハンナの母親は悔しさのあまり涙がにじんできたようだ。エプロンの裾で拭いながら、なおも続ける。
「そんな子が今危機に会ってるっていうのに、黙ってなんかいられるかい。何か手伝いしたくてきたのさ。
当然、他のみんなも一緒。あの子のために、今度はあたし達が何かしたいの」
その言葉に、他の者達も一斉に頷く。
ゼネテスはしばらく思案したあと、思い切ったようにその好意に甘えることにした。
◆◆
――昼寝の邪魔だ…ってそう言ったのが、第一声だよね。
でかいおじさん、っていうのが第一印象だったけど、意外と若かったんだよね。
父さんのどういう知り合いかと思ったけど、でも親身になってくれた。
一緒にいてくれて、心強かったなぁ。
こういうのって、すり込みっていうのかな?
…変な話、一緒にいると、すごく安心する…。
父さんみたいだね、っていうと、わざとらしいほど嫌な顔をするけど。
…父さんとは違うってくらい、私だってちゃんと分かってるもの。
わかってるんだってば…。
水の跳ねる音でリュミエは目を覚ました。
瞬時に身体の神経が全て音のする方に集中する。
聞こえてくるのは、獣の唸り声。
…私は生きて帰るんだから…。
リュミエはきゅっと唇をかんで立ち上がった。
◆◆
「落ち着きなって、ゼネさん、大丈夫、ここら辺りのことはスラムの連中が一番詳しいんだから」
スラムの酒場で、うろうろとしているゼネテスに主が声をかける。
ここで情報待ちをしているのだが、その待っているだけというのが、ゼネテスは性に合わない。
「報告がすれ違うから」
「ゼネさんが動くと目立つから」
そんな風に説得されて酒場で待っているものの、気が焦ってどうしようもないのだ。
ゼネテスはついに待ちきれなくなった。
「親父さん、俺もちょっくらその辺回ってくるわ」
腰を落ち着かせかけて、また立ち上がる。
主が引き留めようとしたとき、ハンナを含めた子供達が数人駆け込んできた。
「ゼネテス、見つけたよ!!あのお屋敷にリュミエを連れて行ったおばあちゃん!!」
ハンナの案内でゼネテスが連れて行かれたのは、スラムとは違うものの、比較的下層近くの市民が
住む通りだった。
老婆はそのうちの一軒に一人暮らしをしているらしい。
ゼネテスがそこに行くと、すでにスラムの青年が何人かおり、老婆は何が何やら分からずに怯えていたようだ。
室内にいた全員が、ゼネテスに目を向けた。
ゼネテスは椅子に縮こまるようにして座っている老婆の前に膝をつくと、にかっと人好きのする笑顔を浮かべた。
「怖がらせて悪かったなぁ、婆ちゃん。俺ぁ、ちょっくら婆ちゃんに教えて欲しいことがあって探してたんだ」
ニコニコしながらそういうゼネテスに、老婆は警戒心を解いたようだ。
「私なんかで、何が教えられるんだね?」
「婆ちゃん、今日、女の子をどっかのお屋敷に案内しただろ?誰に頼まれたんだっけ?」
「あれ?なんでそれを知ってるんだい?」
老婆は首を傾げる。
「俺ぁ、あそこの屋敷の管理人なんだ。女連れこんだろうって持ち主にどやされてさ。
逢い引きに使った奴らを見つけなきゃ、俺が女連れ込んだって事になって首だとさ。俺を助けると思って、
教えてくれよ。その女を案内するように頼んだヤツのことをさ」
ゼネテスは下手に出た風で両手を併せた。
老婆はその哀れっぽい様子に、同情した様子で何度も頷いた。
「あれあれ、それは気の毒だったねぇ。でもね、逢い引きなんかじゃないんだよ?
あたしに「竜字将軍リュミエ様」を連れてきてくれって頼んだのは、ノトゥーンの神官様だから。
なんか困ったことがあって助けがいるから、どうしても、リュミエ様を連れてきてくれって言われてね。
あそこで待ってれば来るから、そうしたら連れてきてくれって頼まれたのさ。
すぐに分かったよ、言われたとおり、髪を短くして、動きやすい服装をした若い女の子。
あたしが声をかけて、助けてくれって言ったら、すぐに来てくれたんだ。本当にいい人だよね」
老婆は屈託なく言ってにこっと笑った。
その笑顔に笑い返しながら、ゼネテスは内心で煮えくりかえるような思いがしていた。
「最後に確認させてくれ婆ちゃん。そのノトゥーンの神官って、金髪を長くして、後ろでまとめてるやつかい?」
「そうだよ?お兄さん、知り合いなのかい?」
「…ああ、よく知っている…、ありがとうよ、婆ちゃん」
にこっと最後に笑いかけ、ゼネテスはその家をあとにした。
外に出たところで、ゼネテスは憤怒のあまり足が止まる。
おそるおそる傍らに寄ったスラムの青年の耳に、呪詛とも取れるような響きの声が届く。
「…全く、あいつらしいぜ。あいつは、年寄りや子供に頼られると、疑う前に信じてしまう。
ああ、よく分かってるぜ、あいつらは。リュミエのそんなところをな」
疑問が確信に変わった。
リュミエを誘い出した男はツェラシェル。
という事は、女二人とは当然彼の妹たちだ。
「…誰の命で動いてやがる…、あいつら…」
呟きながら、自分はその答えを知っているような気がした。
いまはまだ、それを考えたくないという気持ちの方が勝ったが。
しかし、そういうわずかばかりの抵抗も、リュミエが入れられたとおぼしき樽を積んだ馬車の行き先が
分かるまでだった。
馬車は王宮裏手の通用門から、間違いなくロストール王宮に入っていったのだった。
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