◆愚か者 4◆
 
陽が落ちたロストール王宮の正門前は、鮮やかな飾りの女物の馬車が集まっていた。
ゼネテスは通用口に回ると、つまらなそうな顔で立っている兵に気軽に声をかける。
 
「よう、お疲れ!」
あくびをかみ殺していた若い門衛二人が、突如現れた英雄を前に反っくり返りそうな勢いで敬礼をする。
「は!ファーロス総司令官閣下殿!何も異常はございません!!」
「あはは、そう緊張するこたぁないさ。俺ぁべつに抜き打ち検査に来たわけじゃなし。それに、総司令なんてのは
戦時下での称号だ。普段にそう呼ばれると、あんまり偉そうで顔が赤くなっちまう」
気さくなゼネテスの態度と口調に、若い門衛二人はぴしっと背筋を伸ばしたままではあるが、
嬉しそうな顔になった。
ゼネテスは普段同様の人好きのする笑顔のまま、正門の方に顔を向けた。
 
「馬車寄せが一杯だな。今日は何か催し物でもあるのか?」
「はい、ティアナ様主催の音楽会とかで、七竜家の奥方様や姫君方がおいでになっております」
「ティアナ主催ねぇ。んじゃ、真面目に王女様業に精を出し始めたんだ」
まるっきり人事みたいな言い方に、門衛は困り顔で愛想笑いをするだけだ。
 
「中は賑やかだってのに、お前さん達は立ちんぼでご苦労なこった。そういや、今日の昼過ぎに
酒樽を運ばせたんだが届いてるかい?」
門衛達は顔を見合わせた。
「酒樽…、ですか?」
「ああ、仕事のあいまにちょっとくらい命の洗濯をしてもかまわんだろ?って事で、酒場から酒樽を運ばせたんだが、ひょっとして届いてないのかな?」
怪訝そうなゼネテスの言葉に、門衛は顔を見合わせ、それから1人が舌打ちしそうな声で言った。
「その時間の当番の奴ら、自分達だけで独り占めしやがったな。なんにも聞いてないや」
ゼネテスは宥め顔でその兵にいう。
 
「ああ、おいおい。そう短絡するなって。ひょっとして、酒を運ぶように俺が頼んだ相手が、途中でくすねちまったのかもしれないしな。昼過ぎから夕方頃までの当番の奴らに確かめたいんだが、もう帰っちまったのかな?」
門の内側を覗き込みながら言うゼネテスに、門衛の1人が「まだ詰め所にいるはずです」と言いざま、
呼びに走っていった。
数分後、事情を聞いたのか、これまた若い兵士が二人走ってやってくる。
4人の門衛が角突き合わせ、「酒をどうした」「届いてない」と押し問答になる。
 
ゼネテスは飄々と仲裁に入ったふりで、あとから来た兵達に質問した。
「つまり、今日は樽を積んだ馬車なんてのは、ここに来てないって事なんだな?」
「い…、いえ。一台、樽を積んだ馬車は入っていきましたが、それは王妃様の手配された薬草が入った樽ということでして…。ゼネテス様からの酒を持ってきたというものは、ここには参っておりません。本当です!」
必死の形相の兵に、ゼネテスは苦笑いをする。
「分かってるって。やっぱり、俺が頼んだ連中が途中でちょろまかしたんだろう。ぬれぎぬ着せて悪かったな。
詫びにあとでもう一度樽を送らせとくわ。…で、叔母貴はまた薬草を取り寄せたのか。
程々にしときゃいいのにな。どんな薬草か、お前さんら、見たのかい??」
兵達は首を振った。
 
「いえ、王妃様のお側仕えの者が、取り扱いが難しいからと、自分達で地下に運び込んだようです」
「…叔母貴の調合室だな」
探るような言い方にも、彼等の英雄と親しく話をしていると舞い上がっている兵達は気が付かなかった。
直立不動で律儀に返事をする彼等に礼を言い、ひらひらと手を振ってゼネテスは戻り出す。
「…あの、王妃様と王女様にはお会いにならないのですか?」
1人が引き留めようとした。
 
「女連中の騒ぎに俺が入っていってどうするってんだい。叔母貴も参加してるのか?」
「…だと思いますが。先ほど、その側仕えの方々が広間に行くのを見ましたから」
「いつも侍ってる双子の側仕えだな」
「そうです」
それだけ聞くと、ゼネテスは今度こそ王宮をあとにした。
途中の木立に入り、そこで門を見張っていたらしいスラムの連中と合流する。
 
若い男が妙に張り切った風に「ゼネさん!連中、なんだって?」とさっそく聞いてくる。
この男も、リュミエがあの界隈に顔を出すまでは、身分の壁に押しつぶされ、脱力感に日々悶々としていた筈だ。
黙って頑張る少女の姿に、愚痴を言っているだけの自分を変えようと動き始めた。
「俺は中の様子をこっそり探ってくる」
ゼネテスが声を潜めていうと、その場にいたスラムの住人数人が真剣な顔で頷く。
「その間、妙なそれっぽい奴らとか、馬車とかが出ていかないか、ここで見張っていてくれ。もし出ていったようなら、方向だけでも調べておいてもらえると助かる」
若い男は大きく頷くと、積極的に「行き先を確かめておく」と誓った。
「頼むぞ」
ゼネテスはそう言い置くと、門衛達の目から逃れるように城壁付近に舞い戻り、銀竜の首飾りをつかって
地下の抜け道へと入っていった。
 
◆◆
 
つっと腕を伝わる生暖かい感触に、リュミエはぎゅっと眉をしかめた。
「失敗しちゃったな…。薬も余分な布もなんにもないや。魔法で…、ってできるだけ温存したいしなぁ」
血が流れている左肩を右手で押さえ、リュミエはそうぼやいた。
「ああ、もう。ゼネテスにまたからかわれるなぁ…、もうちょっと体術の訓練をしておけ、ってよく言ってたものなぁ。
そのくせ、訓練の相手をしてって頼むと、適当にしか相手してくれないし…。
そりゃ、ゼネテスから見たら、私の体捌きなんて、幼児のお遊戯みたいに見えるのかも知れないけど、
けっこう真剣だったんだから…」
そう言えば魔法や弓を駆使して後衛から戦うのが主だったリュミエは、実際の戦闘中はあまり怪我とかは
したことがなかった。
前衛のゼネテス達が強くて、後ろまで敵の攻撃が届くことはまれだったから。
 
「守られてたんだなぁ…、私って…」
ぽつんと言って苦笑いを浮かべる。
「ここから出たら、今度こそ、本当にもう少し体を鍛えようっと。もう少し、ううん、もっともっと。
強くなって、ゼネテスを素手でぶっ飛ばせるくらいに強くならなきゃ。
こんなに軟弱じゃ、本当にいざって言うときに役に立たないかも知れないものね。
うん、こんな時にこんな事を考えてるなんて、私って、けっこう健気じゃない」
おどけたように明るく言った自分の声が、地下水道の中に吸い込まれて消える。
戻ってくるのは誰の相づちでもなく、おそらくこっちに近づいてくるモンスターの動く音。
 
リュミエはきっと目を上げると、もう一度傷に触れた。
毒などは入ってはいない。
痛みがあるのは当然だが、耐えられないほどでもない。
 
「まだまだ!駆け出しの頃はこの程度の傷なんて日常茶飯事だった。人に頼るなんて事もなかった。
私は平気。あの当時よりは強くなってるはずだもの。負けたりなんて、するものか」
自分を鼓舞しながら、先に向かって歩き出す。
この迷宮からの出口を求めて。
 
◆◆
 
地下の抜け道に入ったゼネテスは、まず入ってすぐの場所にあった小さなカンテラに明かりを入れた。
石造りの暗い通路が、何方向かに別れて伸びている。
ゼネテス自身はこの抜け道を使ったのは初めてだ。
「あいつの話では、この先は姫さん達の部屋に続いてるって事だが、王家の抜け道の出入り口が、
姫さんの部屋だけってこたぁないよな」
1人ごちながら、ゼネテスは瓦礫の小山を避けながら先をあるく。
 
行き止まりの場所にぶつかったところで、ゼネテスは慎重にその辺りの壁や、瓦礫を足場に天井を探った。
かちっと手に触れるものがある。
「当たり!」
壁が一回転し、その先に階段が見えた。
階段を上り、頭上にあった仕掛けをはずし、わずかに上に押し上げる。
頭だけ地上に出して辺りを見回すと、そこはどうやら中庭のすみだったらしい。
音楽会をやっているという広間が、わずかに見える。
ゼネテスはそっとそこから外にでると、闇に紛れるようにして広間の様子をうかがった。
中では中央に座した叔母と王女の前で、着飾った各貴族の姫君達が楽器の腕前を披露している。
そして広間の扉周辺に、例の双子が警備についているのも見えた。
 
ゼネテスはまた抜け道の入り口に戻ると、地下に潜って扉を元通りにする。
「予想通り、城の内部何ヶ所かに出口はあるようだな。しかし、こっから叔母貴の薬草室にいくには、
ちょい遠いし目立ちすぎる。…、叔母貴のことだ。自分の隠れ家は、脱出口の近くに造ってあるはずだ」
 
ゼネテスは再び別の抜け道を探り出した。
そして、何ヶ所めかの隠し扉を開けたとき。
「大当たり!」
ゼネテスは自分が出た場所を見回し、にやりと笑った。
 
天井からぶら下がる乾燥した草の束。
大壺や鍋。竈に大きな調理台。
一見台所のように見えるが、壁際に置かれた戸棚のたくさんの小さな引き出しに貼られたラベルには、
ちょっと物騒な薬草の名前も見える。
 
「今度こそ間違いないな。ここが叔母貴の薬の調合室だ」
ゼネテスは室内に入り込むと、周辺を調べ始めた。
 
 
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