ゼネテスはまずは、リュミエが詰め込まれていたはずの樽を探した。
王宮から今のところ連れ出された様子はない。
だが、並みの娘ならともかく、リュミエを閉じこめておくのは至難の業だ。
武器を外したところで、リュミエは魔法のプロだ。
どんな迷宮の奥深くからでも脱出できる。
その彼女の行動を封じようと思ったら、薬で意識を無くしておくか、声が出ないようにするか。
最悪の場合は、今は考えないことにした
叔母がどういう意図で、彼女を攫ったのかが分からない。
だが、悪意がなくただの演出であったのならば、とっくにリュミエは解放されているはずだ。
今頃は笑いながらゼネテスにこう話しているに違いない。
『今日ね、ちょっと驚いたことがあったんだよ。あのね…』
屈託なく笑う顔と声の調子を思い出し、ゼネテスは頭をふった。
リュミエはともかく、叔母はそんな冗談をやるような性格ではない。
ツェラシェルとその妹たちを使ったのであれば、なんであれ、それがまともな招きであるはずがない。
ゼネテスは叔母に直接問いだだしたい衝動を必死で押さえ、機械的に室内を探し回った。
隅から隅まで、それこそ棚から机から動かし、その後ろに隠し扉がないかまでチェックした。
その結果見つかったのは――結局空の樽だけ。
ゼネテスはその内側の木肌に、覚えのある香の香りをかぎ取った。
「…間違いないな。あそこで見つかった、燃え残りの香と同じ匂いだ。叔母貴特製品かね、これは」
ゼネテスは空っぽの部屋をぐるりと見回す。
場所を移動されたのだろう。
では、どこへ?
いらいらと考えのまとまらない頭をこづき、ゼネテスはぶつぶつと呟いた。
「考えたくない、なんて寝言を言ってる場合じゃない。考えろ、ゼネテス。
あの双子はあの広間にいた。今は見張りが必要ない状態と言うことだ。それともツェラシェルが見張ってる?
いずれにしろ、リュミエが自由に動ける状態でないことだけは確かだ」
考えろ、ゼネテス。
どういう場所で、どんな風にすれば、リュミエを監禁しておける?
この城内で、どうやれば、そんな場所にあいつを移動させられる?
あいつは並みの女じゃない。
猫の子を運ぶように、右から左へ動かせるはずがない。
ではどうやって?
ふっと頭に浮かんだ光景にゼネテスの背筋が冷える。
物言わぬ、躯となったリュミエの姿。
ゼネテスは頭をふった。
「それならそれでもかまわん!俺はなんとしてもあいつの元へ行く。そして、きっちり片は付けてやるさ!」
無意識でゼネテスは手に持った銀竜の首飾りをチャリチャリと弄んでいた。
大きく息を吐いたあとの静寂、不意にその鎖のこすれる小さな音にゼネテスは気が付いた。
手の中で鈍く光る銀の竜。
ひょっとして。
これはただの思いつき。大はずれかも知れない。
けれど、少しでも可能性があるのならば!
ゼネテスは王宮からでると、ファーロスの館に向かって走り出した。
すでに深夜近い時刻である。
裏門では宿直の門衛があくび混じりでぼーっと立っている。初老に近い男だ。
ゼネテスが子供の頃からの顔なじみなので、彼は後ろからそっと門衛の肩を叩いた。
「よう、親父さん、ご苦労だな」
「…あ」
大声で名前を呼ぼうとした門衛の口をゼネテスはふさいだ。
「しーっ!館の奴らが起きるだろうが」
「…ご自分のお屋敷ですのに、召使い達が起きて何の不都合が…」
実直そうな門衛に、ゼネテスは口に指を当てて静かにするように言った。
「執事なんかが起きてきたら、説教がうるさいだろ?『当主の自覚にかけてる』とかなんとか」
「それは、…、ごもっともです。ご当主なのですから、館の方にもっとお顔をお出しいただけると、皆も喜びますのに、さっぱり寄りついてもくださらない…」
ゼネテスの気安さを知っている門衛が、グチグチと泣き言を言い始める。
さすがのゼネテスも閉口した様子で、門衛の手にいくらかの金貨を握らせた。
「悪い、これは口止め料代わりに受け取ってくれ。おれぁ、ちょっくら調べものがあるんで館に戻りたいんだが、
居着く気はないんで、中の奴らにばれたくないんだ。どら息子の性根はちっとやそっとじゃ入れ替わらないって事は、親父さんが一番よく知ってるよな!」
拝むように言われると、門衛も弱い。
何しろ子供時代からのつき合いだ。
そっと中に入れてくれた。
ゼネテスは足下を忍ばせて母家に行くと、そっと当主の書斎に入り込んだ。
父が死んだ今、ここに入る者はまず居ないだろう。
音を立てないようにして、こっそりと1つの本棚の前に立つと、その一番下の棚の本を取りだし、
奥に手を突っ込んで何やらいじっている。
手探りで仕掛けを探したゼネテスは、手応えを感じてにっと唇をつり上げた。
ずずっと本棚がずれ、その奥にもう一つ部屋が現れた。
埃とかび臭い書庫にゼネテスは入った。
こっちに収めてあるのは、要するにロストール王家や七竜家起源などにまつわる古文書の類だ。
一応当主だけが知っている機密の筈だが、父はここには入った事もないはずだ。
ゼネテスが幼い頃うるさくすると、母はよくこの書斎にゼネテスを押し込んだ。
本でも読んで、少しは反省していろ!との事だったのだろうが、ふとした弾みにこの隠し部屋を見つけたゼネテスは、逆に喜々としてここに押し込められた。
思えば、ゼネテスの最初の冒険が、この書斎の古文書あさりだったかと、思わず懐かしさに浸りそうになる。
「おっと、のんびりしてる場合じゃねえな。探してるやつはどの辺だったか?」
ゼネテスはかれこれ10年分は溜まってる埃を払いながら、昔目にしたことのある本を探し始めた。
それは確か、王宮の見取り図。
抜け道や仕掛けの位置まで入っている、最重要機密だ。
てきぱき丁寧に古い本を動かしていたゼネテスの手が止まった。
しばらく最初の文字を凝視したあと、あわただしくページを繰り始める。
やがてゼネテスの顔に不敵な色が浮かんだ。
間違っているかも知れない。このせいで、致命的な失敗を犯すかも知れない。
しかし――確認する価値はあるはずだ。
ゼネテスは来たときと同様に、静かに館をあとにした。外はもう夜が明けようとしていた。
◆◆
首飾りなくしちゃったなぁ。
空腹と疲れでフラフラになりながら、リュミエはそんな事を考えていた。
お腹空いたな。今何時だろう。
今日の夕食はフェルムちゃんの酒場で、新メニューの定食「ジャガイモとチーズとベーコンのパンケーキつき、
トマトシチュー」にするつもりだったのに。
ああ、もう何考えてるんだろう。
そうだ、首飾り。
借りっぱなしだったんだよね、ゼネテスがいいっていうから、唯一身につけてたアクセサリーだったんだけど。
考えてみれば、あれって王家の大事な物何じゃないのかな。
なくしちゃって、悪いことしたなぁ…。
つらつらとまとまりのない事を考えているうちに、ばしゃっと膝が水に浸かった。
その冷たさにリュミエははっとする。
「歩きながら寝ちゃったんだ。どうしようもないな…」
傷ついた左肩は徐々にしびれてきて動かすのもしんどくなっている。
しかも血の臭いに引かれたのか、モンスター達が襲ってくる頻度も高くなってきていた。
回復魔法を使う余裕もなく、リュミエは戦い続けている。
「首飾り無くしたこと、ゼネテスに謝らなきゃ…。ここを出て、自分の口で…」
リュミエは乱暴に目をこすると、まっすぐに立ち上がった。
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