ちょっとだけ眠い。
そう思うと、出てくるよね、あんた達。
群をなして襲ってきた吸血コウモリを、リュミエはまとめて魔法で焼き尽くした。
八つ当たり気味に威力も抑えなかったので、水路内部の温度が一気に上がる。
炎の壁の向こう側で、何匹かぎーぎー泣いている声がした。
次から次と湧いてくるこいつらは、どこから出入りしてるんだろう。
不安が押し寄せてきて、涙がこぼれそうになる。
この調子で追いかけ回されたら、私はどこまで頑張れるんだろう。
とりあえず炎が一時敵を遮断している間に、リュミエは先へと走りだした。
こぼれかけた涙を乱暴に拭い、唇をきつく噛みしめる。
泣いたらだめ。
泣いたら、くじけてしまう。
そうなったら、もう頑張れないから。
絶対に泣くものか。
◆◆
朝一番の客の名を知らされ、エリスは軽く目を見開いた。
「珍しい客だな。そちらから来るとはおもわなんだぞ」
エリスは朝から飄々と現れた甥っ子に、からかうような視線を投げる。
「夕べ来たんだがさ、なんか急がしそうだってんで、遠慮したんだ」
「報告は受けておらなんだが」
「門の前の馬車の数に恐れ入って、引き返したんでね」
そういうと、エリスは含むような笑い方をした。
「そんなたまでは無かろうに。急ぎの用だったのか?」
「いや、そんな急ぎでもないなぁ。ちょっと連中を借りられないかと思ってさ」
「連中?」
エリスが片眉を優雅に上げる。
「ツェラシェルを探してるんだが、連絡がつかなくてなぁ。あの二人なら、居場所を知ってるだろ?」
「あれに用とはな。なんぞ、困ったことでも起きたのか?」
「ちょっとな、昨日から相棒が行方不明なんだ」
ゼネテスが思いっきり顔を顰めていう。お手上げだと身振りつきで。
「相棒とは?フリントの娘のことか?」
エリスは顔色1つ変えない。
ここが正念場だと、ゼネテスは肝を据わらせた。
「ああ、荷物を宿に置きっぱなしで、戻ってこなかった」
いかにも困り切った、という顔でゼネテスがいった。
「どこにいっちまったのやら。仕事の話もあるっていうのにな」
エリスがふっと宥めるような顔つきになる。
「フリントの娘もそろそろ年頃であろう。冒険に明け暮れるよりも、楽しい事を見つけたのではないか?」
「冗談、あれは俺と同じ類の人間だ。3度の飯より、冒険が好きだって言うようなやつさ」
ゼネテスはわざと軽くいった。
「それは、そなたがそう思いたいだけかも知れぬ。相手は若い娘だ。綺麗に着飾り、同じ年頃の男に優しくされ
てみたいと願っても、当然の話だぞ」
エリスはくくっと含み笑いをすると、椅子に座ったまま、身を乗り出すようにした。
「そなたの側にいては、そういうこととは無縁の毎日。大人しく放してやってはどうだ?」
「ひでぇ、言われようだな。俺は別にあいつを縛っちゃいないぜ」
ゼネテスが頭をかきながらいう。
「それはそなたの考えであろうに。あの娘が同じ考えだと、どうして言える?」
「言えるさ。俺はあいつのことをよく知ってる。多分、今となってはあいつの親父よりも」
言いきったゼネテスに、エリスの表情が冷ややかになる。
「俺とあいつは約束したんだ。いつか、海の向こうまでも、一緒に旅しようってな」
エリスは目を細めて甥っ子の顔を見た。一瞬だけ、酷く恐ろしげな色がその目に浮かぶ。
「まあいい。そこまでいうのであれば、ツェラシェルに命じて娘の行方を捜させよう。それでよいな」
「感謝する、叔母貴」
あからさまにほっとした顔でゼネテスがいった。そのまま一礼して立ち去ろうとする甥を、エリスは引き留める。
「用が済んだらそれっきりとは、恩知らずな甥だな。ティアナにはあったのか?」
「いや?それどころじゃなかったからな」
エリスの眉がぴくりと動く。
「あれは、そなたの許婚だ。そろそろ正式に婚姻の儀を執りおこないたいと思っている。そんな時に、
肝心の婿殿がいつまでも小僧っ子のような事を言ってもらっていては、困る」
「ティアナは嫌がってるだろ?もっとふさわしい貴公子を見つけてやれよ」
無言のままエリスは視線を泳がした。
「そなた以上に信用できる男は居らぬのだが」
「それは買いかぶりってもんだ。俺はこの通りいい加減で、いつまでたっても悪ガキ気分が抜けない
放蕩息子だぜ?こんな男を押しつけられたら、お姫様が気の毒だ」
冗談めかして言うと、ゼネテスはひらひらと手を振って部屋を出ていこうとする。
エリスはその背中に向かい、問いかけた。
「いつまでもフラフラとはしておられまい!相棒とやらにも見捨てられたら、そなたはどうする気だ?
1人で永遠にさまようのか?」
ゼネテスは振り返った。
「…そいつはちょっとしんどいな。どうしたものか、まだ見当もつきやしない」
「そなたには貴族として、ファーロスの当主としての責任がある。それをまず全うすることを考えるのだな」
ゼネテスは広い肩をすくめた。
「ま、そん時は考えてみるさ」
「フリントの娘は探させておこう。だが、万が一のことは考えておくがいい」
突き放したような口調でエリスは言った。
ゼネテスは大きく頷くと、その場から立ち去っていく。
ゼネテスが部屋を出ていったあと、1人になったエリスは苦々しげに鈴を鳴らした。
隣室に控えていた双子の娘と、その兄ツェラシェルが現れる。
「ご執心ですな。ゼネテス様はあの小娘に」
ツェラシェルが感心したように言うと、エリスは怒りを隠そうともせずに男を睨み付ける。
「あの娘はあそこだな?」
「はい、今頃はおそらく生きてはいないかと」
双子の1人がエリスの前に膝をついてそう言う。
「ゼネテスはあの娘の死体を目にせぬ限り、納得せぬだろう。あの場所から娘の遺体を探してくるのだ。
そして、付近の山にでも棄て、そこで見つかったとして報告すればいい。
いくら甥が諦めの悪い男でも、その目で死体を確認すれば観念するしかあるまい」
ツェラシェルは面白がっているような顔でエリスの話を聞いていたが、やがて馬鹿丁寧なお辞儀をすると、
「御意」と答えた。
そのまま控えの間を抜け、そっと人気のない廊下を通り過ぎてゆく。
双子の娘は顔を見合わせたあと、主の様子に注目した。
エリスは立ち上がると、室内を落ち着かない足取りで歩き出す。
「…何故に、あのような娘に拘るのか」
彼女は苛立ちのままにきつく唇を噛みしめていた。
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