◆愚か者 7◆
 
蝋燭の明かりを揺らめかせ、ツェラシェルは抜け道から地下道へと下りていった。
この場所の存在を知っている人間は、今では殆どいないのだろう。
王宮の下を流れる地下水道の一角にあるこの場所は、抜け道から以外では入れない。
 
ツェラシェルはひときわ広くホールのようになっている場所の壁を眺め、くっと笑った。
その一帯の壁は、精緻な細かい文字や模様が一面に彫り込まれていた。
そしてその一部分が鏡のようになっている。
何年も誰も触れたことがないのに、今磨かれたばかりのように輝いているその鏡面には、
これまた魔法陣のような細かな文字と模様がびっしりと刻まれている。
 
これが結界を作り上げているのだ。
この内部に広がる、誰も知らないロストール王宮の地下迷路。
 
「何でお城の地下にこんなのがあるんだかね。ま、お貴族様って言うのは、無駄がお好きだからな」
ツェラシェルはそう言うと、蝋燭を床におき、服の内側から一個の首飾りを取り出した。
黄金で竜をかたどったそれは、ゼネテスが持っている銀竜の首飾りと殆ど同じデザインをしている。
使い方はそれと同じ。
ツェラシェルは、その黄金竜の首飾りを鏡面扉に翳した。
表面の魔法陣が不規則に輝き、やがてぽっかりと人が通れるほどの穴になる。
 
ツェラシェルがそこに入ろうとしたときだった。
背後の気配に振り返ろうとしたが遅い。
「うわぁ!!」
ツェラシェルは突然肩に当たった衝撃に吹っ飛んだ。
その手から金竜の首飾りがこぼれ、通路に澄んだ音を立てる。
はずんでそのまま水流に落ちそうになった首飾りを拾い上げた人物がいた。
 
「…ゼネテス様…」
ツェラシェルは自分の肩に深く突き刺さっている短剣に、信じられない、といった顔を上げた。
「これが鍵かい。届けてくれて、ありがとうよ」
口調はおどけているが、首飾りを懐にしまう男の顔は冷ややかだ。
ゼネテスはへたり込んでいるツェラシェルを頭上から見下ろすと、にやりと笑う。
「我ながら、俺のカンは大したもんだ。誉めてやりたくなるぜ」
ツェラシェルは、肩から短剣をはやしたまま、ぐいっと引き起こされた。
その弾みであふれ出た血が、右腕を真紅に染めていったがゼネテスは頓着するふりもせずに、男を引きずるようにしてその穴の中に入っていく。
「話は歩きながらしようぜ。ま、じっくりとな」
その声音に、ツェラシェルは自分が猛獣の餌になったような気がした。
 
 
◆◆
 
目くらましを使い一時モンスターの群から逃れたものの、殆ど魔力を使い切ったリュミエは
ぐったりと壁にもたれていた。
 
…一時間、ううん、30分、…10分でいいから、眠りたい。
そうしたら、もう少し魔力も回復するはず。
頭が痛い…、疲れた…。
 
荒い息をつきながら、べそをかくようにそう考える。
いつまでこうしていればいいんだろう。
ゼネテスの馬鹿。
何で来てくれないの。普段は過保護なくらい、くっついて歩きたがるくせに、肝心なときになんでいないの!
リュミエはこの場にいない相棒に怒ることで、何とか気力を保とうと努力する。
 
どっか、少しでもいいから身体を隠すところがないかな…??
殆ど縋るような思いで壁を手探りする。
めちゃくちゃに走り回ったので、自分がどこにいるかなんてもう考えるのも無駄だった。
左腕はもう感覚がない。
途中で転んだときのせいか、右足首も痛む。
 
油断すれば気を失ってしまいそうな頭痛をこらえ、リュミエはわずかな希望だけを頼りに顔を上げていた。
不意に――探っていた手が壁を突き抜けた。
思いがけないことにリュミエも前のめりに倒れそうになる。
フラフラと膝をつき、目を開けた先にある物に驚いた。
 
「これ…、転送機…?」
そこは小さなドーム上の部屋だった。
結界があるのか、ここだけ他の場所とは全く違う空気を感じる。
その中央に光を放っている物は、どう見ても猫屋敷で見たのと同じような転送機だ。
 
「…何で、こんな所に」
不思議に感じながらも、ひょっとしたらここから外に出られるのでは?と思い、リュミエはそこに近づいていった。
ぶんと転送機の光がひときわ大きく揺れた。
 
あっと息を飲む間もなかった。
その光の中に現れた物が、突然リュミエに襲いかかる。
よけきれず、鋭い爪が傷ついていた左肩を、さらに大きくえぐっていった。
血しぶきが舞い、その場に倒れ込んだリュミエに、さらに爪が襲いかかる。
冒険者としての戦いの経験が、辛うじてリュミエの体を動かした。
間一髪放たれた大地の魔法が、鋭い爪を持つグリフォンを粉砕する。
 
リュミエは傷の痛みと頭痛に、しばらくその場から動けなかった。
やがて息を飲み、無理矢理に体を起こす。
「これ…、モンスターをこの場に呼び込んでたんだ…」
気力も限界が近い。
その光の向こう側に、リュミエは見たくもない物を見つけ、その場に立ちすくんだ。
 
折り重なるような人骨。リュミエ同様、この中で戦って逃げ場を探した人たちのなれの果てなのだろう。
魔導士らしいぼろぼろのローブをまとった白骨が、壁にもたれるように座っている。
その頭上に、血でかいたような文字。
 
『呪われよ、王よ』
ロストールの王に対する、呪詛の言葉だった。
 
 
◆◆
 
「この迷路が何のためにあるか、お前さんは知ってるのかい?」
ゼネテスは、左手で拘束しているツェラシェルに向かい、前を見たままそう聞いた。
引きずられるように歩いているツェラシェルは、肩の痛みに顔を顰めている。
「知らないね。そんな物は、俺の知った事じゃない」
ふてくされたような返事に、やはり前を向いたままゼネテスは低く笑った。
「ここはロストール建国初期、王や貴族の権威がまだ盤石じゃなかった頃に密かに作られた。
大貴族達だけが知っている、秘密の処刑場さ」
「処刑場?」
対して興味もなさそうにツェラシェルが聞き返す。
 
「そう、処刑場さ。自分達の地位を脅かしそうな、勇者や僧侶、魔導士達を人知れず葬り去るための。
建国のため、王や貴族のために必死で力を尽くしたあげく、その卓越した能力と人望故に権力者に
疎まれた連中はここに入れられ、誰にも知られずに死んでいったんだ」
淡々とゼネテスは話し続ける。その鋭い視線は相変わらず前方に据えられたままだ。
「その為に、この迷宮には深い結界が張り巡らされた。どんな術をつかっても逃げられないように。
ひどいもんだね、この結界を張るために知力を尽くした魔導士も、結局この中に置き去りにされたんだとさ」
ツェラシェルはびくりとした。
最後の台詞に、抑えられた怒りを感じたからだ。
 
「詳しいな…」
思わず口にしたツェラシェルの疑問に、ゼネテスは自嘲気味に笑う。
「大貴族ってのはたいてい秘密を持ってて、どういう訳かそれをこっそり子孫に伝えようと、
何かの形で残したがる。ファーロス家にも、そういうヤバイ文書が山ほど残ってるのさ。
親父は知らなかっただろう。だが叔母貴は知っていたはずさ。何たって、俺が知ってるくらいだからな」
「…なるほどな、あんたらは、やっぱり似たもの同士だよ…」
呆れたようにツェラシェルはいった。
「女に逃げられた間抜けみたいな顔ではめたんだな。俺にこの入り口を開けさせるためにさ」
目を細くしてようやく自分の顔を見たゼネテスの表情に、ツェラシェルは凍り付いた。
 
「入り口を開けさせるため?とんでもない、そんな程度ですむと思ってたのか?
あいつに万が一のことがあったら、お前さんはその場で俺の八つ当たりの相手になるんだ。
俺の相棒をこれだけコケにしておいて、俺が笑って許すと思ってたのか?」
低い低い、それだけに怒りがこもっている声で、ゼネテスはツェラシェルに告げる。
ツェラシェルは恐怖にごくりとつばを飲み込んだ。
 
ぱしゃっと水音がした。
前方に視線を戻した男二人の前に、武器を持った数匹の妖魔が現れる。
ツェラシェルは、ゼネテスの腰の両手剣に目をやった。
「……俺を捕まえてちゃ、剣は使えないだろう??」
何とかしてこの手から逃れたい一身で、ツェラシェルは機嫌をとるように言う。
ゼネテスはにっと笑うと、剣を右手に持った。
 
妖魔が襲いかかる。
ゼネテスの剣が一閃された。
ツェラシェルは仰天して目を見張る。
一刀で首を落とされた妖魔が、フラフラと後ずさって水路に倒れ込んだ。
片手で剣を一振りし、刃についた血糊を払い落としたゼネテスが、唇の端だけ歪ませて告げる。
「お前さんに心配して貰うことは、何もねえよ」
感情のこもらない声は、怪物の唸り声よりも恐ろしくツェラシェルの耳に聞こえていた。
 
 
 
 
 
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