◆愚か者 8◆
 
ふらつきながら、リュミエは水路の中をさまよっていた。
絶望が彼女をさいなみ始めている。
みんな出られずに死んだんだ。
モンスターは外からいくらでも入ってこられるんだ。
ここからは出られなかった、呼び込み専用転送機。
 
どうすればいいんだろう。
どうすれば、生きて出られるんだろう。
諦めない、諦めないから、絶対に。
言い聞かせる言葉も、自分で信じられなくなりつつある。
 
でも、どうしても出られないと言うのなら。
 
リュミエはきゅっと涙を拭った。
最後の最後まで、戦って死んでやる。この身体が動かなくなるまで、抗ってみせるから。
 
◆◆
 
「動機は何なんだ?何で叔母貴は今更リュミエを危険視したんだ?」
ゼネテスの質問に、ずるずると引きずられながら、ツェラシェルは投げやりに答えた。
「何でも知ってるゼネテス様でも分からないかい?エリス王妃も所詮は女、ただの母親さ?」
「どういう意味だ?」
ほんきで怪訝そうなゼネテスに、始めてツェラシェルは勝ち誇ったような顔をした。
 
「エリス王妃は、なんとしてもあんたとティアナ王女を結婚させたかったのさ。ところがあんたは王女を無視して、
密偵の娘なんかとつるんで喜んでる。『私の大事な王女を袖にして、何であんななんにも持ってない小娘なんかと』とプライドずたずたでご立腹されたのさ」
無言のまま、ゼネテスは足を速めた。
 
「何とか言ったらどうだい?俺は王妃が怒るのも無理ないと思うぜ?誰が見ても美しく聡明な王女様を
ほったらかしにして、あんな真っ黒になって外をかけずり回ってる小娘相手にするなんざ、趣味が悪すぎる。
部下なら部下なりの扱いってのがあると思うがね」
得々と語るツェラシェルを締め上げる手に力がこもった。
 
「うひぃ」
傷ついた肩から鋭い痛みが広がり、ツェラシェルが悲鳴を上げる。
ゼネテスは足を止め、乱暴に男を引っ張っると鼻先に引き寄せ、噛みつくように言う。
「あれは俺の相棒だ。俺の背中を守る、ただ1人の女だ。誰にも侮辱は、させん!」
「…へえ、そんじゃ、あれはただの相棒なんだな。女として見てるわけじゃぁ、ないんだ。
それならそうと早く言ってやれば良かったんだ。『あの娘は、冒険を一緒にするだけ。ティアナ王女とは
比べ物にならない』ってさ。そう言ってやればエリス王妃様もご満足だったのに」
ツェラシェルはやけくそで言い放った。
「俺達を恨むのはお門違いだ。あんたがもっと早くにちゃ〜〜んとそう言ってれば、王妃だってこんな
真似はしなかったんだぜ」
その一言は確実にゼネテスの胸をえぐったらしい。
ゼネテスは先を急ぐにのも関わらず、ツェラシェルを締めあげた手をゆるめないまま、睨め付けた。
 
「全くお前さんの言うとおりだ。もっと早くに俺自身がケリを付けておけば良かったんだな。
そうすりゃ、あいつをこんな危険にさらす事はなかったんだ。「相棒」だ、「女」だ、なんて呼び方の違いは
意味がない。俺は、あいつ以外はいらない。あいつに万が一のことがあったら、俺はウルグのように
闇に落ちてでも必ず仇を討つと、先にそう宣言しとけば良かったんだ!」
 
きしむような声に、ツェラシェルは冷や汗をかきながら考えていた。
 
全く理解できない。彼の常識からいって、たとえどれだけ名声があろうと、称賛されようとも、
リュミエは所詮は自分達同様の出自の卑しい密偵の子で、権力のある者に使われる身分の筈だ。
いざとなれば使い捨てされる道具であり、ツェラシェルはそれを熟知しているからこそ、
そんな連中の間を上手く立ち回り、金だけを信用して生きてきたのに。
それがなぜ?
大貴族の当主であり、美しい王女を手に入れ、一国の王の座すらすぐ目の前にあるというのに、
それを棄ててまで手に入れる価値が、あの娘にあるというのだろうか。
 
『愚か者』
 
それがツェラシェルがゼネテスに対して下した結論だ。
生まれたときから恵まれすぎていたために、物の価値が分からなくなった愚か者。
それ以外、考えようがない。
 
再び歩き出したゼネテスに引きずられながら、ツェラシェルは軽蔑の目を向ける。
と、通路の向こうで、一瞬閃光が走った。
ゼネテスには見慣れた、リュミエのライトアローの光だ。
走り出すゼネテスにまた引きずられ、ツェラシェルは息を切らして走りながら、ちっと舌打ちをした。
娘はまだ生きていたのだ。
 
◆◆
 
襲いかかってきた人の顔をした魔獣を倒したものの、リュミエはこれが最後かと覚悟せざるを得なかった。
全身から力が抜けてその場にへたり込む。
水の冷たさも、もう感じなかった。
「10分だけ敵が出てこなければ、もうちょっとは持つかな…??」
水路の行き止まりに追いつめられ、もう逃げ場もなければ、隠れる場所もない。
壁に背を押しつけて、身体を預けた。
前方から軽い水音が近づいてくる。
やっぱり休ませてくれないんだなと、リュミエは酷く悲しく考えた。
立ち上がろうと思っても足にもどこにも力は入らない。ぼんやりと、現れた影が目の前に来るのを待つしかない。
絶望すら感じないようなそんな思いで待ち受けた影は、見知った二人連れだった。
 
「ヴァイライラ、ヴィアリアリ」
リュミエは思わず歓喜の声で名を呼んだ。助けが現れたのかと思ったのだ。
だが、二人の女はリュミエの前に来ると、困惑顔で互いの顔を見交わした。
 
「…まだ生きていたのね。まあ、死体が見つからないよりはマシだけど」
「そうね、さすがに同僚の子を手に掛けるのは気が引けるけど、やっぱり仕事だしね」
 
その会話に、リュミエは「え?」と呟いたきり、絶句してしまった。
今まで考える暇もなかった「誰が、なぜ、自分をこの場所へ」の答えが、目の前に現れたのだと悟った。
「…あなた達なの?私を…、ここへ…」
呆然と問うリュミエを、女達は哀れんだように見下ろした。
「仕方がないの。貴方は目立ちすぎたのよ。いっそエンシャントで敵と差し違えてくれれば、勇者として
国を挙げて永遠に名を残す事もできたのだけれど」
「貴方がいけないのよ?」
言われた言葉がリュミエは理解できなかった。
自分が何をしたというのだろう。ロストールという国に…、自分は何か不都合な事をしてしまったのだろうか?
 
何はともあれ、その強烈な疑問はリュミエの中に新たな力を呼び起こした。
なんだか分からないけれど、こんな中途半端な理由を聞かされただけで死にたくはない。
壁に背を預けたまま、立ち上がろうとリュミエは震える足に力を込めた。
女達が顔を顰める。
「まだ動けるの。しぶといわね」
「とりあえず、早くすませましょう。『扉』が開きっぱなしだったわ。モンスターがあふれては困るもの」
 
視界がぼやけるので、ただでもそっくりな二人の女は、どっちが誰なのかリュミエには判別がつかなかった。
だが近づいてきた女が彼女の胸ぐらを掴もうとした瞬間、辛うじて身をよじる。
女は舌打ちすると、手に持った短剣を翻した。
とっさに直撃は交わしたものの、よけきれなかった動かない左肩に、新しい痛みが走った。
「ひゃっ…!」
かすっただけとは信じられないほどの、痛みとしびれが全身に回った。
自分の意志では自分の身体を支えきれず、そのまま水の中にリュミエは完全に倒れ込んだ。
 
「だめよ、剣の跡を残しては。気づかれてしまうわ」
「麻痺させただけよ。浅い傷だから、上から抉ってしまえばいい」
女達は手っ甲に鋭いかぎ爪を装着した。
鉄の3本爪が鈍い光を放つ。
「これを使えば、獣の仕業に見せかけられる」
「あまり楽しい仕事とは言えないわ。さっさと済ませてしまいましょう」
女達は感情の見えない声でいいながら、倒れたリュミエを見下ろした。
動こうにもリュミエは全く身体が動かない。最初の短剣が麻痺の剣であったのだと知った。
 
…今度こそ、終わりかなぁ…。
リュミエは目を閉じた。
 
 
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