◆軽やかなりし◆
 
皇帝による皇后の処刑が行われた夜。
民達が皇室内の確執に息を潜めたその日、エンシャントの墓地の片隅にある1つの墓が蠢いた。
 
それは古い古い時代の皇帝の名が刻まれた墓石である。
見る物がいたならば、今現在の皇室のていたらくに、先祖の霊が怒ったのかとも思うだろう。
墓石の揺れは右に左に酷くなる。
その墓の前に1人の男が立った。
黒髪に粗末な服をまとい、そして夜目にも鍛えられたと分かる逞しい体つきの男だ。
男は揺れる墓石に驚くことなく、それどころか落ち着いて墓に自ら手をかけた。
 
ごりごりと石のこすれる重い音がして、石はその位置を変えた。
石が動いたあとに、ぽっかりと暗い穴があく。
男はその穴を覗き込んだ。
ひょいとその縁に小さな白い手が掛かる。
男はその手を掴むと、一気にその手の持ち主を地上に引き上げた。
手の主は地上に引っ張り上げられて少しふらついたようだ。
よろめいて男にしがみついたあと、両手を突っ張って男から体を離す。
少し距離をとったところで、男は相手に向かい膝をついて恭しく礼を取った。
 
「イズ皇后陛下、ご無事でなりよりでした」
礼を取られた方は軽く小首を傾げた。
その顔を丸く昇った月が明るく照らす。
「ご苦労様でした、ネメア」
少しおどけたように言う絶世の美貌。
処刑されたはずの皇后イズが、そこで笑っていた。
★☆
 
墓場の周辺には見事なバラ園が広がっていた。
その管理人小屋とおぼしき建物に、ネメアはイズを案内した。
丸太作りで、中にはシャベルやらジョウロやらといった花の世話に必要な用具が所狭しと並んでいる。
天井に吊られた小さなカンテラに火を入れたあと、片隅に積まれた藁の中から、ネメアは一抱えほどもある包みを取り出した。
 
「言われたとおりの物を揃えたつもりだが…、これで本当に構わないのか?」
抑揚のない話し方でネメアが聞く。もともと表情を表に現す方ではない。
冷たくも聞こえる声だが、イズは全く気にする風でもなく、さっさと包みを開けて中を確かめた。
 
「うんうん、注文通り。これで構わないわ」
そう言う口調は、とても大国ディンガルの皇后とも、または神秘の施文院の長とも思えない。
どちらかというと、全く元気で明るい、商家の娘のようだ。
その表情も、好奇心と期待に瞳を輝かせた行動的な娘そのもの。
彼女は包みの中からとりだした服を広げて身体に当てて見せた。
「どう?ネメア。似合う?」
屈託なく笑ってイズはそう言った。
彼女が持っているのは、目立たないごく普通の市民が着る物、それも男物の服だった。
ネメアは困惑ぎみに眉を寄せる。
 
「相変わらず無愛想ね。似合うかどうかくらい、お愛想で言っても罰は当たらないわよ」
イズは機嫌良く言うと、さっさと服を脱ぎ始めた。
ネメアがさっと後ろを向く。
その礼儀正しい様子に、イズはくすくすと笑いだした。
「あら?見てたって全く構わないわよ。侍女曰く『彫像にして飾っておきたくなるような、完璧な身体』らしいから」
無言で後ろを向いているネメアに全く頓着せず、イズはキャラキャラと笑うと用意された服に手をかける。
「市内の噂はどうかしら?私はちゃんと処刑されたことになってる?」
「ああ――誰もが悲劇に皇后と涙している」
「嘘ばっかり。ネメアとエリュマルクを仲違いさせた悪女、って悪口言い放題でしょ」
「――そう言う者もいるが、それは真実ではない」
「問題はそれが真実かどうかじゃないわ。そう信じてる人の数が多いか少ないか、それが問題なの。
着替えは終わったわ。こっちを向いて、話をして」
 
ネメアは言われたとおりに振り返った。
そこには男物の服に身を包み、少年のように見えるイズが立っている。
その髪は短く、肩程までしかない。
腰までも届く美しい長い髪だった。ネメアは思わずその切り口に手を触れる。
「あら、短いのが気になる?」
「…いや、ただ短くなったなと」
「仕方がないわね。私の身体の一部を媒体に使うのが、一番確実ですもの。おかげで誰1人として疑わずに、
私の姿の「人形」を私と信じて処刑台に昇らせたたのでしょう?」
目くらましをつかって処刑台から逃れたイズは、片眉を上げ心持ち自慢げに言った。
 
「処刑台から連れて逃げてもらうより、穏便で確実だったわ」
ネメアは苦笑いをした。
エリュマルクがイズと自分の中を邪推し、彼女の処刑を決定したとき、ネメアは自ら処刑場に飛び込んで彼女を救出しようかと考えたのである。
乱暴なやり方ではあるが、すでに自分も処分が決まった身であるし、何よりも彼は彼女を「誘拐」してきたことを
負い目と感じていた。
実際、男同士の我の張り合いに、全く関係のない人間を巻き込んでしまったことに対しての罪悪感もある。
 
「そなたがエリュマルクに好意を持ってくれたならば、また話も違ってきたのだろうが…」
「やあね。かってな事言わないでよ。そりゃ、喜んでついてきたのは私だけど、あんな親父の妻にさせられると分かってたら、もっと抵抗してたわ」
イズはいかにも嫌そうに眉をしかめる。
 
「施文院では私は全く人形だったわ。みんなかってに私を偶像視して、崇拝の対象にして。
私がちょっと声をあらげると、みんなこの世の終わりみたいな顔で跪くし、ヘタすると、機嫌を損ねた罪!
なんて言って相手を処刑しようとするし。
あれも駄目、これも駄目、駄目駄目駄目!そのくせ、こうしてくれ、ああしてくれって人にすることばかり押しつけるし。なんだかもう、うんざりだったの。その時に貴方が来たから、これこそ、いわゆる「白馬の王子様」が
私を助けに来てくれたのかと期待したのに」
はぁーっと長い長いため息をイズはついた。
 
「あそこではね、パンも果物も肉も、全部一口大に切ってから出されるのよ?しかも毒味毒味で私の口に入る頃には料理は全部冷めてるし。ああ、私がリンゴを見るたび、丸かじりしたい衝動を抑えるのが大変だったなんて、
あそこの爺連中は思っても見なかったのでしょうね」
ネメアの苦笑いが深くなる。
見た目は完璧な造作と神秘的な瞳を持つ、たおやかで儚げな絶世の美女。
しかし実体は儚げなどとんでもない。
この性格では、さぞかし偶像扱いはストレスが溜まったのだろうと思う。
 
「…しかし、本当にそれで良いのか?この大陸を出て見知らぬ土地に行くなどと…。施文院に戻れば、
また元通り何不自由のない生活を送れるというのに」
ネメアの何げない疑問に、イズは眉をつり上げた。
「止めてよ!まさか貴方まで、『女は美味しい食べ物と、綺麗な服と、立派な家をあてがってやれば満足している生き物』なんて考えてる訳じゃないでしょうね?
そう考えてるなら、最初から大人しく皇后様の座におさまってるわよ」
 
「…そうであったな。馬鹿なことを言った。許せ」
ネメアは軽く目を細め薄く笑っている。珍しく柔らかな表情だ。
「謝らなくても良いわ。ネメアは男にしては物が分かってるほうよ…。うん、話が分かる男だわ」
声を荒げた事が恥ずかしかったのか、イズは口ごもるように言った。
 
ネメアはドアを開けて月の位置を確かめた。
「そろそろ迎えが来る頃だろう、行こう」
「うん…」
促されてイズはネメアの後をついて小屋を出る。
バラ園から少し行った先は、この辺り一帯に水を引いている水路がある。
海に流れ込むその水路に、ネメアはイズを乗せて大陸を出る船の船長に迎えをよこすよう、手配をしていた。
 
ネメアと共にバラ園を横切りながら、イズは月明かりに反射している美しい薔薇にふと目を止める。
足を止めたイズに、ネメアは不思議そうに声をかけた。
「どうした?」
イズは大輪の薔薇にそっと顔を近付け、その芳香を楽しんでいるようだった。
「…不思議ね。こんな処にこんな花が咲いているなんて、全然気が付かなかったわ。
世界は私の知らないことだらけ。神秘の秘術を幾つも身につけながら、私は自分の花園以外の場所にも、
花は咲くのだという事すら、知らずにいたの」
 
そっと顔をあげ、イズはネメアに柔らかく微笑みかける。
「貴方は何も負い目に感じることはないわ。私も貴方を利用しようとしたんだもの。
そう、悲劇の皇后イズはもう死んでいないの。ここにいるのは、知らない世界へ旅立つ好奇心にわくわくしている
ただのイズよ。私は喜んでいるの。だから、私を不幸にした、なんて思わないで」
 
イズは無表情に立ちすくむネメアの前に立つと、その頬に手を当てた。
「貴方は他の男と違うわ。人の思惑に翻弄される、人の悲しさを知っている。貴方は私をここに連れてきたことの
責任をずっと感じていたでしょう?言ったとおり私は自由になって、それを幸福だと考えているの。
だから、貴方は私の事で何一つ思い悩むことはないのよ」
ネメアの口元が微かに動く。しかし、それが何かの形を取る前に、彼は頬に添えられたイズの手を取り、
そっとそこから引き剥がした。
 
「…弟にも何も告げずにいくのか?」
「あの子も姉離れの良い機会だと思うわ。あの子も、私は普通のただの人間である、という事を認めたくなかったみたい。荒療治だと思うけど…」
残してきた弟のことを考えると、さすがにこの剛胆な女の胸にも痛みが走る。
彼女をまるで女神のように崇拝していた神秘の暗殺教団施文院。
その中でも、もっとも自分を偶像視していた弟。
 
イズは大きく息をつくと、首を振った。
「いえ、もう後戻りは出来ないもの。心配も不安も、全部髪と一緒に墓の中においていくわ。
私は船に乗って他の大陸にわたり、そこで一人で生きていく。
最初にしたいことは、そうね。お行儀悪く、手づかみで骨付き肉を食べるの。
そして、自分の手で物を洗い、自分の手で何かを作り、自分の力で道を切り開くのよ」
胸を張り、あでやかな笑顔をみせるイズ。
咲き誇る大輪の薔薇よりも美しく力強い女の笑顔に、我知らずネメアは引き付けられる。
始めて、本当にこの女の顔を見たような気がした。
 
すっと男の手が上がった。
無意識にか自分を抱きしめるように伸ばされた腕に、イズは困ったように微笑み、体を反らして手から逃れる。
ネメアはわずかな間だけ宙に浮いた手を所在なげにさまよわせたあと、苦笑いと共におろした。
小さく、切なげに微笑むイズが水路の先に目を向ける。
 
「迎えが来たみたいね」
「ああ、…、これを」
ネメアは砂金の詰まった袋をさしだした。新しい暮らしに用立てて欲しいと。
イズはありがたくそれを受け取る。
「ありがと!最後の最後まで、世話になりっぱなしね。ここまでして貰ったら、うかうかとだらしない生き方なんて
出来ないわね」
 
音もなく、迎えの小舟は彼女たちのいる川岸に近づいてきた。
「あれはワッシャー砦の海賊だ。彼らは信義にあつく、約束は違えない…。間違いなく別の大陸まで
そなたを送り届けてくれるだろう」
「うん、…、分かったわ。ありがとう」
イズの声がさすがに感慨深げに揺れる。
岸に寄せられた小舟に乗るために、イズは水路脇のささやかな草の坂を下りかけ、振りかえった。
「?」
イズはネメアの前で背伸びすると、男の首に素早く腕を回し、驚いている相手の唇に自分の唇を押し当てた。
ほんの一瞬だけのキス。触れるだけの。
 
ネメアが動く前に、自分から離れたイズが悪戯っぽい笑みを浮かべて彼の全身を見る。
「うふふ、やっぱり普通の服の方がステキね。今は髪を黒くしてるのがなんだけど、普段のあのカニの甲羅みたいな真っ黒けの全身鎧姿よりよほど良いわ」
イズの唐突すぎる行動と台詞に、ネメアは生真面目な顔つきで眉を寄せている。
どう反応すればいいのか、よく分からないのだろう。
 
「勇者ネメア」
その彼に向かい、面と向かってこんなふざけた事をいう人間はいなかった。
結局ネメアは1つ頭をふると、微苦笑めいた表情を浮かべた。
イズの顔が笑ったまま、くしゃっと泣き出す寸前のような顔になる。
「さよなら、ネメア。貴方もいつか全ての鎧を脱ぎ捨て、心も体も軽やかに生きられる日が来ることを、
心の底から祈っているわ」
そのまま一気に坂を駆け下り、待ちかまえていた小舟に軽やかに乗り込む。
 
船は迎えの男の手により、音もなく流れに乗り滑り出していく。
イズは船の端に片手をかけ、身体を乗り出すようにして手を振っていた。
笑っているような、泣いているような、そんな顔つきで。
月明かりに微かに浮かぶ女の白い顔が、水路の向こう側に遠く消えてゆく。
姿が見えなくなる直前まで、イズが手を思いっきり振っていたのをネメアは見て取った。
 
◆◆
 
誰もいなくなった川岸に1人になったネメアは、踵を返した。
さっきの小屋には彼の鎧と槍も置いてある。
イズの旅立ちを見送り、今度は自分が旅立つ番だ。
薔薇に目もくれず花園を通り抜ける彼の目に、大きな満月の明かりが映る。
不意にさっき別れ際に見せたイズの表情が目に浮かんだ。
 
『軽やかに生きられるように』
そう告げた彼女の顔を見たときの、あの胸の痛みはなんだったのだろう。
もっと違う何かを伝えたかったような気がするのに、彼は別れの言葉1つ言えなかった。
 
戦い続ければ、あるいは何か分かるのだろうか。
自分が軽やかに生きられるために必要な――何かを――。
今の彼には見当も付かない。
ネメアは旅立ちの準備を整えるため、小屋の中へと消えていった。
 
 
――あたりには、ただ薔薇の香りが満ちるだけ。
 
 
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のほほな言い訳――最近イズづいてますが、(笑)お茶目なおねーさんバージョンのイズです。
とっても謎な絶世の美女、イズ。でも彼女のことを考えるたび、男社会で翻弄された女性の悲しさを感じます。
ぜひぜひ、生き延びて、逞しく生きていって欲しいな〜という願望です。