旅の地より
 
 
数週間前に着いたばかりの町は、「冬」を迎える準備を始めているようだ。
バイアシオンにむかう最後の船は、3日後にこの港を出港するという。
 
『オルファウスさんには、一応到着の連絡しといた方がいいよ。それくらい親孝行しても罰は当たらないよ』
 
そう言ってわざわざ紙とペンを用意してきた娘は、自分で書く気はないらしい。
 
『船の船長さんに、エンシャントのギルドにまで届けて貰うように頼んでおいたから、それまでに書いておいてね』
 
妙なところへ気の回る娘だが、その船自体が海賊船である、という事はあまり気にしていないらしい。
ついでに言うのなら、連中は交易目的のために、途中多くの島により、商売をしながら戻るのだという。
実際に大陸につくのはいつになるのか、そもそも無事に届く物なのか、それすらも定かではないが、
娘の心遣いを無下に断ることも無かろう。
 
さほど知らせる内容もない。
とりあえず、無事に到着し、町に落ち着いたこと以外は。
 
……
 
窓の外での賑やかしい声は、あれと、下宿の娘か。
どうやら、買い物から戻ってきたらしい。
 
 
「あ、お帰りなさい〜〜〜買い物すんだ?」
「高くて、笑った〜〜〜帽子とマントだけで、お財布一杯」
「…『笑った』じゃなくて『驚いた』。『一杯』じゃなくて『から』って言いたかったのかな〜〜〜」
「あれ?まちがえってた?」
「…間違えてたよ…。そうだ、今夜は『お父さん』と夕食にいらっしゃいって、お母さんが言ってた」
「ありがとう、『保護者』にも、言っておくね」
 
 
…あれはまだこちらの言葉に馴染んでいないらしい。
どうまちがって覚えたのか、あれが「保護者」の意味で使っている言葉は、ここでは「父」という意味になる。
どうやら、ここでは、私とあれは親子と思われているらしい…。
 
あれが軽快に階段を駆け上がってくる音がする。
間もなくドアが開き、そして、あくと同時におそらくはいつも通りの…。
 
「聞いてよ、ネメア!ひどいんだよ!洋服屋のおじさん、私が外国人だって判ったら、値段をいきなりつり上げようとしたの!」
 
買い物の時あったことを、一気に話し始める。いつも通りだ。
 
「こっちのお金って、どうしてこう、硬貨の種類が多いんだろう。おまけによく似てるし…、数えてみたら、お釣りの銀貨が一枚足りない〜〜悔しい〜〜〜」
 
悔しがるわりには、必ず買い物は自分で行きたがる。
彼女によると、私は経済観念が欠けているので、「ぼられた値段でもそのまんま払っちゃって、損してる」らしい。
 
「あ、そうだ!本格的な雪になる前に、街道沿いの山賊のアジトをどうにかしたいんだって。それで、ギルドで冒険者募集中だった。受けても良いよね?」
 
これは質問ではなく、確認である。本人はもう行く気なのだろう。
それどころか、私が断っても連れて行くに違いない。
意志がはっきりとしているのは承知していたつもりだが、ここまで強引に私を振り回すのは、
父以外には彼女だけである。
この町にしばらく留まることを決めたのも彼女。
別段、目的があるわけでも無し、それを承知したのは紛れもない自分ではあるが
 
…それにしても、こちらにきてからの彼女は、少したががはずれているようだ。
バイアシオンにいた頃は、もう少し思慮深いと思っていたのだが、ここでの彼女はよくしゃべり、よくはしゃぐ。
殆ど私が口を挟む隙がない。
 
「あのね、下宿のおばさんが、今夜夕食一緒にどうぞ、だって!ここのおばさん、ネメアに気があるんだって!
娘のシェリーが言ってたの。見る目があるなーって、ちょっと感心しちゃったんだけど、それで私に『私と姉妹になるのはいや?』なんて訊くのは、どうしてだろう。もし、ネメアとおばさんがいい仲になっても、私と姉妹には
なりようがないのにね」
 
本気で首をひねっている。自分の言い間違いのせいで、親子と思われていることに気が付いていないらしい。
これほど大きい娘がいると思われるのは、いささか不本意でもあるが、別段困ることでもないので
正すこともしていない。
 
いずれにしろ、春が来るまでこの町で様々な情報を集めた後は、また違う土地へ行く。
私がそう望んだのではなく、彼女自身がそう言っている。
 
――この大陸での生活習慣とか、言葉とか、そんなの覚えたら、次はどこへ行こうか。
『冬』はすごく寒いって言うから、暖かい南に行くのも良いね――
 
見知らぬ場所への憧れを隠すこともなく、娘は目を輝かせて、毎夜手に入れた地図を広げる。
 
彼女にとって別れは悲しむべきものでも、辛いものでもないらしい。
隣人にたいする情とまったくおなじ場所に、新たな出会いにたいする期待が収められている。
 
実の弟ともあっさり別れを決めた彼女が、なぜ自分と行動を共にするのか。
時折、不思議に思うことがある。
確かに――お互い、共に旅するのは望んだことではあるが。
 
「…ネメア、なんで仏頂面してるの?ひょっとして、私、うるさかった?」
 
今度は不安そうに私の顔を覗き込んでくる。
仏頂面…いつもと変わらぬとは思うが…。
 
「全然、喋ってくれないし。私1人で喋ってたら、バカみたい」
 
拗ねているらしい。はためにもはっきりを判るほど、顔つきが変わる。
どうしたら、これほど表情が変わるのだろう。
観察してみると、面白いかもしれない。
 
「…」
 
おや…?顔が真っ赤になった。
顔色もこんなに簡単に変わる物なのか。
 
「もう、じーっと見ないでよ!ドキドキするじゃないの!」
 
唐突に買ってきたばかりのマントを投げつけてきた。
脈絡のない行動だ。
 
「なんで、受け止めるのよ!ぶつけるつもりだったのに!」
 
台詞も脈絡がない。
何故に私が、マントをぶつけられなければならないのだろう。
 
「もう、いっつもそうなんだから。いつも、私ばっかり…」
 
今度はぶつぶつ言いながら、私の手からマントをひったくっていった。
きちんと丁寧にたたみ、衣装箱に片付けた後、娘は何やら照れ隠しのようにのびをしたり、髪をかき回したりしている。
何をしたいのか、さっぱり理解できない。
 
私の目の前でしばらくうろうろしていた後、娘はまた唐突にこちらを向くと、
「夕食、あとどのくらいなのか、訊いてくる」
と言って、そそくさとドアに向かった。
 
そして、ドアを開け、廊下に出かけたところで、振り向いた。
 
さっき赤くなった名残なのか、頬が薔薇色になっている。
 
「ねえ、ネメア、知ってた?私ね、ちょっとファザコンの気があるらしくて、年上のいい男に弱いの」
 
…私が知るはずがない。
というか、私にそう言ってどう答えろ、というのだろう。
 
「だからね、私、ネメアといるの、嬉しくてしようがないの。少し騒ぎすぎても大目に見てね!」
 
言った瞬間に自分の言葉に照れたのか、また娘の顔が真っ赤になった。
真っ赤な顔のまま、少し面映ゆげに笑うと、そのまま階下に走っていってしまう。
 
…だから、そういうことを私に言って、どう答えろと言っているのか…。
 
……どう答えろと…。
 
……。
 
私は、書きかけだった手紙に向かい、ペンを取った。
 
 
『父上殿』
 
 
『正直言って、このように単純な好意の表現を他人から向けられたのは、始めてな気がする。
戸惑いながらも、何か、こそばゆいような、そんな笑いが自然に浮かぶのが自分でも判った。
 
笑ったり、泣いたり、そんな人として当たり前の物が、自分には生まれながらに欠けていると
そう思っていたのだが、そうではなかったらしいという事が、彼女といると、自然と気づかされる。
 
それらの感情は私の心のどこかで眠っており、今、それが目覚めかけているのだと、
そう自覚せざるを得ない日常を送っており、それがけして不快ではないという事にも、
また、驚かされる。
 
 
彼女とともにいると、私が生まれながらに背負い、生涯つきまとうと信じていた重荷すら、
春の陽射しの前に脱ぎ捨てられる、冬の外套程度のものであったのではないかと、
そう思うことすらある。
 
春がきて、次にどこへ我らが向かうのかは、今はまだ判らない。
だが、目的を果たすための旅ではなく、目的を探すための旅もあるのだと知った』
 
「ネメアー、もういいみたい。下りておいでよ」
 
娘が階下で声を張り上げ、私を呼ぶ。
 
この声に呼ばれ、私はこれからどこへ行くのだろう。
どこまで行くのだろう。
今まで私を追い立てていたものはどこか遠くへ消え去り、無彩であった世界に色が付くように感じ始めた自分は、その先の見えぬ状況を楽しんでさえいる。
 
この旅の果てにたどり着いたとき、私は何を手に入れるのだろう――いつか――。
 
 
『私が歩んできた血にまみれた道も、苦悩にさいなまれた夜も、いつかは、懐かしく振り返る日が
来るのだろうか。
二度と踏んではならぬ轍として、人々に語る事も。
 
生まれてきたことに感謝し、そして、育ててくれたあなたへの感謝を伝えられるときも、
いつかは来るのだろうと思う。
 
その時まで、どうかご健勝であれ。
 
父上殿
 
                                    息子より』