◆1人で歩きたい◆

「レイルース、起きなさい」

声に答えようとした瞬間、身体に走った痛みに僕は顔を顰めた。
なんだか体中が痛い、関節がぽきぽきする感じだ。
起きあがるのが嫌で僕は枕に抱きつく。近くで声が聞こえてはいるけれど、言葉として頭には入ってこない。静かにしていて、僕はもう少し寝ていたいんだ。

「起きなさい!レイルース!」
うわ、アイリーン!ごめん、今日も寝坊したんだ!
急いで飛び起きたつもりだったのに、気が付いたらベッドの下に転がってた。
身体が痛い。そういや、昨日、貴族がけしかけたナメクジにのしかかられて気絶したんだっけ。
誰が倒したんだろ、あのナメクジ。アイリーン?
「アイリーンったら、昨日の今日なんだから、少しは優しくして上げなさい。それにあなたは女の子でしょ?それなのに危険なことばっかりして」
アイリーンのおばさん。そうか、やっぱり昨日のナメクジはアイリーンが倒して、僕は間抜けに倒れたまま運ばれたのか。
アイリーンはおばさんのお小言に舌を出して飛び出していった。
おばさんが「やれやれ」といってるけど、でも自慢の娘だって顔をしている。
そりゃそうだ。アイリーンは強い。オッシ先生の道場でも一番の腕利きだ。
アイリーンは強くて、そして僕をいつも庇ってくれる。
僕は――とても弱い。


僕はレイルース。このロストールの平民街で、未亡人のおばさんとその娘のアイリーンと一緒に暮らしている。おばさんは元はロストール騎士の奥方だった。でもその旦那さんが亡くなって、騎士の身分を剥奪されたおばさんはこの平民街に移り住んだ。アイリーンは強いけれども、ロストールでは女性は騎士になれない。アイリーンはいつもそれを悔しがってる。「男なんかに負けない」と訓練に没頭している。
家の隣で道場を開いているオッシ先生は男気があって武術の達人。平民街に異変があれば真っ先に飛び出していく頼りになる人だ。
僕もそこの門下生で訓練を受けているんだけれど、どうしてもアイリーンのように強くなれない。
昨日もそうそうにモンスターにやられちゃって顔を合わせるのも気恥ずかしかったけれど、オッシ先生はそんな僕を慰めてくれて、それから別の事件を教えてくれた。
何でもゴブリンに町の秘宝が奪われてしまったんだそうだ。
ゼグナ鉱山に逃げ込んだから捕まえてきてその秘宝…『禁断の聖杯』とかいうやつを取り戻すように言われた。アイリーンも一緒に…。
そうか、そりゃそうだよな。先生は何か色々言ってたけど、やっぱり僕1人じゃゴブリン相手も心許ないって訳だ。そりゃ判ってるけど…。
ため息付いている僕に、オッシ先生は傷薬を何個かと、それから行くついでに酒場によってツケを払ってきてくれとお金をよこした。
酒場か…ちょっと寄って、お茶でも飲んでこうかな…なんだか気が重いけど。

酒場の入り口をくぐると、なんだか様子が変だ。
看板娘のフェルムちゃんが、何か妙な男に絡まれてる。
って言うか、あれ口説いてるのか?すごい恰好だ、頭の横にヒレつけてる。
槍も手入れしてないで錆びてる。
変な男だ、あれ、外から来た冒険者ってヤツかな。
「助けて下さい、レイルースさん!」
あっと思う間もなく、フェルムちゃんが僕の後ろに隠れてしまった。
震えてる。当たり前だよな、あんな変な男。面と向かって迫られたら、僕だっていやだ。
って、何だよ、僕にまで絡んでくるよ。
恋路を邪魔するって、フェルムちゃんは最初から嫌がってるじゃないか。
何考えてるんだよって、人の話を聞けよ!聞いてないよ、こいつ。槍を振り上げてきた。
くそ、こんな変な恰好で、武器の手入れもしてないようなヤツに…負けるもんか!


目から火花が散った。
一回は殴ってやったはずだ。……でも負けた、この変なヤツに。
あいつは僕をぶっ飛ばして気が済んだのか、機嫌良さそうに酒場を出ていった。
一応、僕はフェルムちゃんを助けられたんだと思う。フェルムちゃんもお礼を言ってくれた。
でも……やっぱり僕は負けたんだ。惨めなため息しかでない。
城門のところでアイリーンが待ってた。
「そのケガ、どうしたの?」
理由なんて言えるわけがないよ。フェルムちゃんを庇おうとして、逆にぶっ飛ばされたなんて。アイリーンには分からないと思う。
ちゃんと訓練を受けて、武器の手入れもして、それでも僕はあんないい加減な恰好をしたヤツにも勝てないんだ。


ゼグナ鉱山についた。
ピクシーやリトルバンパイアとかの最下級モンスターが居たけど、僕が手出しする前にアイリーンが1人で片付けてしまう。
何のために僕は来たんだろう、なんだか空しい。
奥に行くと、すごい深い亀裂が走って、坑道を分断している。
飛び越そう、そう思ったとき、ものすごい地震が起きた。
足下がぐらぐら揺れてバランスが取れない。僕は坑道に落っこちていた。


アイタタ…。
「レイルース、大丈夫?」
アイリーンも落ちてたんだ。なんだかほっとした。自分だけが間抜けに落ちたんじゃなくて。って、なんだかすごく僻んだ事を考えてる。
どうしようもないな。手分けして登り口がないか探してみたけど見つからない。
「明日まで待ちましょう、そうしたらきっとオッシ先生が探しに来てくれるわ」
そうだね、…助けを待つか。岩に寄りかかってぼんやりしてたら、アイリーンが珍しく気弱なことを言っている。
アイリーンもそう言うときがあるんだ…強いけど、やっぱり弱くなるときもあるんだ…。
なんて思ってたら「ねえ、昔のこと覚えてる?」ときたもんだ!
止めてくれよ、その手の昔話は!一生僕が暗いところに閉じこめられると泣いちゃうんだ、なんて話をするつもりなのか?
勘弁してくれ、いくらアイリーンより弱いからって、僕はもう子供じゃないんだから。そうちゃんと口で抗議できればいいのに、いざとなると面と向かってはなにも言えない。
こんなんだから、アイリーンだっていつまでも子供扱いするんだ。
よし、言うぞ。
もう昔のことを持ち出して人を子供扱いするのは止めてくれって。よし、言うぞ…言うぞ、言うぞ…って思ってるうちに上から落ちてきたものがある。なんだよ、ぶよっとして変な感触だぞ!
って、ゴブリン?ゴブリンが喋ってる?モノクル眼鏡なんてかけてるよ、ゴブリンが!
ゴブリンがって…これか?これが聖杯を盗んだゴブリン?
アイリーンが意気込んでる。ちょっと待って…そう口に出す前に目から火花が散った。
そして真っ暗。

……何かする前にまた僕は負けちゃったんだ……。

気が付いたらまたベッドの上だった。
今度はアイリーンもやられちゃったらしい。ゴブリンは聖杯を持ったまま逃げてしまったそうだ。
おばさんが気遣ってくれる。
1人で休んでいると、自分の不甲斐なさが身にしみる。

守ってあげる、そう言うアイリーンの声。
弱くてもいいです、そう言うフェルムちゃんの声。
弱っちい、そうバカにするゴブリンの声。
ぐるぐると頭の中を回る。僕が負けるのは、僕が弱いせい。
弱いんだ、僕は。
アイリーンに守ってもらって、剣なんて触ったこともない女の子に同情されなきゃ無いほど弱いんだ。
なんとかしたい。
このままじゃいやだ!
強く思った目の前に、剣がある。僕はそれを手にした。懐には少しだけどお金もある。
正直ゴブリンも聖杯も今はどうでもいい。なんだか自分には遠い場所の事件みたいだ。
とにかく、僕は強くなりたい。甘えちゃいけないんだ。
僕はこっそりとロストールの門をくぐった。
とにかく、何かしたかった。負け犬のまま終わりたくなかった。
それなのに、アイリーン。どうして君が門の外で待ってるの!
ゴブリンを追いかけて、聖杯を取り戻すって?そうか、そうだよな。アイリーンの方が元々正義感とか強かったし。負けたまま黙っていられるような、そんな性格じゃないもんな。
ゴブリンはリベルダム方面か。
どこへ行く気なんだろう。聖杯を持ってどこまで逃げるんだろう。
そう思ってる僕をアイリーンが急かす。一緒に行くのか?
ちょっと待ってくれ!僕は甘えたくないんだ。1人で自分を見直して、そして鍛えなおしたいんだ。
判ってる、君が僕を心配してること。
守ってあげたい、そう思ってるんだろう?弱い僕のことを。
でも、……違うんだ。
アイリーンのきびきびとした歩き方を見ながら、とぼとぼと後をついていく僕。
きっと頼りない、自分が一緒にいなくちゃなにもできない子供に見えるんだろう、僕は。
確かにそうだと思うよ。でも、……でもね。
僕は、君が僕の前に立ちふさがり、僕を守ろうとしてくれるたび、辛くなる。悲しくなるんだ。
アイリーン、僕は手を引いて貰わなきゃ歩けない赤ん坊じゃない。
僕は1人で歩きたいんだ。

 
 
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