◆ツェラシェル 2◆
 
 
金を貸して欲しいという少年の頼みに、歳のいった神官達は顔を見合わせた。
ツェラシェルは急いで自分の修行する神殿に帰り着き、そこで金を貸してくれるように頼み込んだのである。
 
神官達は土下座する少年を前に困惑顔だ。
額を床にすりつけるようにしているツェラシェルの頭の上で、大人達が言い合っている内容がはっきりと伝わってくる。
 
…10000と言えば大金です。この神殿でもそう簡単には……
……と、いうよりも、見習い神官の家庭の事情のためにそんな大金を用立てたとあっては、これから示しがつきません、他にもこのような者が出たら、あっという間に神殿は成り立たなくなります。
…これは、家庭でなんとかすべき事の筈。
…そもそも、信用のおける話なのですか?ただの金の無心でないと、言い切れますか?
 
彼を疑うような言葉に、ツェラシェルは屈辱に打ちのめされそうになった。
数年間、必死で神官達の教えを守り、修行していたのに。
金がからんだとたん、あっという間に嘘つき扱いだ。
悔し涙がこぼれそうになった。
床に着く手が震え、辺り構わず、物を放り投げてやりたくなった。
それでも、妹たちのため、そう思って必死にこらえる。
 
やがて、神官長が彼の顔を上げさせた。
彼がツェラシェルに渡したのは、――わずか500ギアだけだった。
 
神殿の敷地のはずれで、ツェラシェルは500ギアを見つめて呆然としていた。
あと9500ギア、どうすればいいんだろう。
どうすれば、それだけの金が稼げる?
どうすれば?
彼は金を握りしめて立ち上がった。
心当たりは、たった1つしかなかった。
 
数時間後、彼はスラムに住む1人の老人の所を訪ねていた。
今は体を壊し、よく神殿の施しを受けに来ているが、若い頃は凄腕の賭博師だったという。
いくらいくら稼いだ、元金を何倍にした、と自慢げに語っていた老人を、以前はうさんくさい、軽蔑すべき人間だと思っていたが、今となっては手っ取り早く金を稼ぐにはそれしかないと、彼は思い詰めていた。
500のうち、300ギアを指南料と差し出し、ツェラシェルは必死でばくちで稼げるようにと彼に頼み込んだ。
とにかく金が欲しかった。
一刻も早く、妹たちを取り戻すための金が。
 
◆◆
 
 
始めてイカサマをしたときは手が震えた。
脂汗が滲んだ。
それでも小金は稼げた。貧乏人から巻き上げた金を見て、最初は自己嫌悪と罪悪感にさいなまれた。
だがそれもやがて慣れる。というより、感覚が麻痺する。
何がよいことで、何が悪いことなのか、考えることすら鬱陶しくなり、詭弁だと判っていながら、
たった1つの言葉で自分を正当化する。
 
『妹たちのためだ、仕方がないんだ』
 
ツェラシェルは、下町のスラム街で簡単なばくちの胴元を始めていた。
単純に3個のコップを動かし、どれにコインが入っているかを当てさせるという物だが、
適当に客に当てさせながら、最後は自分が儲かるようにと調整するやり方を彼は身につけていた。
正直、金の増え方はもどかしいほど少ない物だったが、彼の指南役の老人曰く、
『目立ってこっちが儲かればイカサマだってのがすぐ相手にわかって客が来なくなる。それにやりすぎると
この辺りをなわばりにしてる連中が出てくる。少しずつ可愛らしく稼ぐのが長続きのコツさ』
 
僅かずつとはいえ、毎日確実に増える金は、彼くらいの少年が一日必死で働いて稼げる金の何倍にもなっていた。そういったことをしている少年のことが神殿に判らないはずがない。
稼いだ金が5000を過ぎた頃、彼は神殿に呼び出された。
 
 
「大変なことをしてくれましたね」
神殿に訪れた少年を、年長の神官達が口々に責め立てる。
「神官にあるまじき振る舞いです。金儲けで賭博とは」
「情けない、あんなに真面目だった子があっという間に落ちぶれて――」
 
数ヶ月前だったら――彼等の非難はツェラシェルに激しい動揺と後悔を与えただろう。
だが今は不満と怒りを感じるだけだった。
 
(こっちが頼んだときはまともに相手をしてくれなかったくせに…何を今更綺麗事を。ここで祈ってたって、
何一つ叶わないじゃないか。事情を知ったって、同情してくれるどころか、疑ってただけじゃないか。
今更、俺を非難なんてさせるものか)
 
ふくれっ面で反省する色を見せない少年に、神官達はなおも責め立てたが、ツェラシェルはどこ吹く風だ。
ついに神官長が決断を下した。
 
「ツェラシェル、そなたを破門とする。以前にそなたに貸した500ギアは、遊興費にするために我々を謀った物と判断する。返却しなさい」
ツェラシェルは怒りをこらえるために唾を飲み込んだ。
 
…結局こうだ。俺の事情なんて、こいつらは知った事じゃないんだ。
いいさ、こっちこそ、手を切ってやる。こんな奴ら、俺の方が捨ててやるんだ。
 
少年を息を整えると顔を上げた。
「…判りました。でもお金は今は持っていません。師匠の所へ預けてきました」
改めて見回した神官達は、みな、軽蔑の目で見下すように彼を見ている。
「判りました。では、1人あなたと一緒にやりましょう」
 
(ノトゥーン神官も金の回収のためなら、随分まめなことをするんだな)
そうしらけきった気持ちでスラムのねぐらに戻った彼は、空っぽの部屋を見て、愕然とした。
老人が消えていたのだ。彼が貯めていた金を全て持って。
 
入り口で立ちすくむ彼の姿に、一緒に来た神官はやれやれと首を振った。
「所詮、卑しい者は卑しい性根しか持っていないわけだ。気の毒だが、自業自得だ。
神を裏切った報いだよ、これは」
したり顔でそういったのは、彼のすぐ上の年齢の若い神官だった。
少年が真面目に務めていた頃は、まるで兄のように親身になってくれていたのに。
今は慰めの言葉1ついわぬまま、さっさと神殿に引き上げていった。
金が取れない以上、この汚らしい場所にいても仕方がないと思ったのだろう。
おずおずと施しを求めて手をさしだした子供達を、犬猫のように追い払っている。
 
 
ツェラシェルはしばらくの間、ただ黙ってたちつくしていた。
頭の中が真っ白だった。
信用していたのに――ちゃんと稼ぎの中から、老人の分もとっていた。
けして独り占めしてたわけじゃなかったのに。
彼が神殿に呼び出されたことをしり、この辺を潮時と判断したのだろうか。
なにもかも失い、なにも考えられない状態で、少年はフラフラと歩き出した。
 
…またやり直しだ…でも、今度はどうすればいいんだろう…
気力も尽きかけている。
いっそ、強盗でも――そこまで思い詰め、彼は頭をふった。
たいして力も体力もなく、剣技もろくに身につけてない彼が、強盗したって成功するわけがない。
金を持ってる連中は、ちゃんと自分の身を守るための護衛を雇っているはずだ。
 
金を持っている奴らは――なんだって手に入るんだ。
家族だって、信用だって、命だって――。
彼の前に突然馬車が止まった。
いつのまにか、大通りにまで出てきたらしい。
驚く少年の前で馬車の扉が開き、中から裕福そうな夫人が下りてきた。
よく神殿に訪れる夫人だった。
 
「まあ、神官様。この先はスラムです。あのような卑しい場所にまで神の教えを説きにいらっしゃったのですか?」
そういわれて、ツェラシェルは今も自分が神官服を身につけていたのだと思い出した。
だいぶ薄汚れてしまっていたが、夫人は彼がスラムで何か奉仕活動でもしていて、それで汚れたのだろうと、
かってに判断したらしい。
 
「なんという尊いお心がけでしょう…これは僅かではありますが、私から神殿への寄付金です。
どうぞ、神官長様にお届け下さいませ」
そういって彼女は神に包んだ金をツェラシェルに渡すと、善良な笑みを浮かべて馬車に乗り込み、
立ち去っていった。
 
ツェラシェルは呆気にとられて馬車を見送っていた。
彼は特に何かを言ったわけではない…ただ、彼女の勘違いを正さなかっただけだ。
「自分は神殿を破門され、もう神官ではない」と。
渡された包みを開けると、中には1000ギアが入っている。
少年はそれを見つめたあと、不意に笑い出した。
 
(…金なんて、あるところにあるんだ。気分次第で、これだけの金をぽんと出せるだけのところが。
だったら…だったら…別にかまわないじゃないか。
俺が持ってるところがほんの僅かお裾分けをもらったって、別にかまわないじゃないか)
 
「…神様なんて、なんにも見てやしないんだ」
少年はひくひくと笑いながら、歩き出した。
その日のうちに彼はその町をでたのである。
もっと大きな――もっとたくさんの金を稼げる場所を求めて。
 
 
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