それからさらに数ヶ月――妹たちと別れてから、じきに一年になろうとしている。
ツェラシェルは各地を転々としながら、金を稼いでいた。
神官服というのは、いい隠れ蓑だった。
少年の善良そうに整った顔立ちも、大いに一役買ってくれた。
やがて、貯め込んだ金は15000に達しようとしていた。
どうせあの強欲座長のことだ。
なんだかんだ言って金をつり上げる気に違いない。
それに、妹たちを取り戻したあとの生活費も必要になる。
彼女たちを連れてイカサマ生活をする気はなかった。
ひとまず、どこかに家を借りて、改めてやり直すためにも、金は必要だった。
やり直すんだ、妹たちと一緒に。
ツェラシェルはそれを考えたときだけ、以前の自分に戻れるような気がしていた。
母はとっくに亡くなっていたが、雄々しい父と、優しくて強かった兄と、可愛らしい、自分を慕ってくれる妹たち。
優しくて信頼できる隣人に囲まれ、彼等のために祈り続けようと、神殿の務めに励んでいた頃の自分に。
本当の自分は、少しの金のために嘘をついて、人を騙して、それで平気でいられるような人間じゃ
なかったはずだ。
今更と思いながらも、誰も信用できずに一人っきりで金を懐に抱いて眠りにつくとき、
そんな思いがわき上がってくる。
妹たちさえ、妹たちさえ、戻ってきたら――。
貯めた金が20000になったとき、彼は妹たちを迎えに旅芸人の一座を追いかけた。
酒場に通い、旅人たちの話を盗み聞きしては、一座の行方を確認していたのである。
彼が一座に追いついたのは、ロストール王国。
その王城のある街だった。
◆◆
「お兄ちゃん!!」
一座のテントに訪ねた彼に向かい、妹たちが飛びついてきた。
彼女たちは相変わらずやせて怯えたような目をしていたが、背は少し伸びたようだった。
彼は腕組みをして人を小馬鹿に見下ろしている座長に、金をさしだした。
「10000ある。これで妹たちを返して貰おう」
座長は鼻で笑った。
「これはお坊ちゃん。よく集められましたな。だが、残念。あれから一年も経ったんだ。その間の食費や、
毛布代や、衣装代でさらに5000値上がりしたんだ」
予想どうりの答えだった。
今度はツェラシェルの方が鼻で笑う番だった。
「それは面倒をかけました。では、ここに5000。これでいいですね」
耳を揃えて置かれた金を前に、座長はひどく困った顔で唸りだした。
かまわずにツェラシェルは妹たちを連れて出てゆこうとする。
座長が変に愛想のいい声で彼を呼び止めた。
「ちょっと待ってくれませんかね。確かに金は頂きましたが、…今彼女たちに抜けられては、うちとしても
困るんですよ」
「穀潰しだと言っていただろう、もっと役に立つ芸人を捜せばいい」
素っ気ない少年に、座長はさらに下手にでてきた。
「…それは一年前の話で。今の彼女たちは結構な看板なんですよ。現に、今回の興業も
双子の軽業師をぜひ、って事で、ロストールの王城の座興に呼ばれたんですから。せめて、今夜だけ、
彼女たちを助っ人にだしてもらえませんかね…」
もみ手をしながら、あからさまに媚びるような言い方をする。
何を勝手な、とはなしらんだツェラシェルの後ろで、妹たちが彼の服の裾をぎゅっと握りしめた。
座長がさらに懇願する。
「今夜の興業だけでいいんですよ。そうすれば、我々もまとまったご褒美を頂けまして、新しい子供を雇って
芸を仕込めますし…、それだけ、お願いできませんかねぇ」
ツェラシェルは妹たちの顔を見た。
彼女たちは困った顔で兄と座長のを代わる代わる見ている。
ヴァイライラがおずおずといった。
「…今夜だけなら、…いいよ…、座長、ご飯食べさせてくれたし…」
兄が何かを言う前に、座長は大げさに喜んで見せた。
「さすが、うちの秘蔵っ子達だ。悪いようにはしない、いや、本当にありがとうよ!」
結局、ツェラシェルはこの場で彼等が帰ってくるのを待つことになった。
◆◆
じっと1人で待つ間、ツェラシェルはじょじょに落ち着かなくなってきた。
日が落ちて、妹たちが出かけてからどれだけ時間が経ったのだろう。
いてもたってもいられなくて、彼は王城のすぐ近くまで迎えに行くことにした。
城へ続く一本道を歩いていても、一座が戻ってくる様子もなく、彼は城の通用門の見える辺りの木の陰に座り、出てくるのを待つつもりだった。
それからさらに時間が過ぎ――やがて、賑やかな座長が門衛に仰々しく挨拶しているらしい声が聞こえた。
やっと戻ってきた――そう思い、彼等の前にたったツェラシェルは、そこに妹たちの姿が見えないのに驚愕した。
座長が卑しい、誤魔化すような笑い方をする。
「お前、妹をどうしたんだ!」
ツェラシェルが胸ぐらを掴むと、座長はさっきの下手ぶりから豹変し、乱暴に彼を払いのけた。
「お貴族様のお一人があの二人を気に入られてな、今夜の伽を所望されたんだ。出世じゃないか、
あの小娘が上手くいけばお貴族様のお妾になれるんだ。俺達にだって、大枚なご褒美を下さって、みんな大喜びだ。がたがた騒いでんじゃねえよ」
嫌らしいにやにや笑いと共に吐き出された言葉にツェラシェルは耳を疑った。
妹たちは10才を超えたばかり。それが「妾」?「出世」?
それが――めでたいというのか?
俺は馬鹿だ、大馬鹿だ。こんなゲス野郎のいうことを真に受けて。
妹たちの優しい気持ちを、感じることも出来ないようなこんな下劣な男に預けて――
頭が真っ白になって眼が眩むほどの怒りに、ツェラシェルの中で辛うじて保っていた何かが、完全に切れた。
ツェラシェルは衣装の下に忍ばせていた短刀を取り出すと、一気に身体ごと男にぶつかった。
笑っていた男が、いきなり目をむいたまま顔を歪ませる。
「…小僧…」
「あの子たちは、お前みたいなやつにも恩を感じていたんだ、それなのに、このゲス野郎が」
「…何を、俺は、あいつらのためにも…」
座長の顔がどす黒い色になり、膝ががくがく震えて、地に倒れ込む。
「お前が考えてるのは自分の事だけだ。それでいいんだ、だから俺も自分の事だけ考える。お前なんか、
どうなったっていいんだよ!」
ツェラシェルが握った短剣は、根もとまで血に濡れている。
座長はしばらくの間ひくひくと蠢いていたが、やがて白目をむいたまま動かなくなってしまった。
ツェラシェルはそれを無表情に見下ろしていた。
やがて、後ろで金縛りにあったように動かない座員達に、人形のような目を向ける。
それをうけて後ろに下がった座員達が悲鳴を上げようとした。
「うるさい!」
ツェラシェルが怒鳴る。
道化の化粧をした男が、尻餅を付いたまま恐怖に引きつった顔つきでツェラシェルを指差す。。
「き…、貴様…、人、人殺し…、誰か、衛兵に…」
ひくひく震えながらそういう男を、ツェラシェルはしらけた顔であざ笑った。
「何をまともそうな事を言ってるんだ。どうせあんたらだって内心じゃよろこんでんだろ?こいつが死んでさ。
どうせ、こき使われて、客とらされて、そのあげくに金巻き上げられて、憎たらしい、早く死ね、因業オヤジ、
とか思ってたんだろ?」
座員達がひとかたまりになって真っ青な顔で首を振る。
「なんなら良いぜ?ほら、そこの衛兵に告げ口してきな。俺は証言してやるさ。
お前らが座長を殺して金を奪おうとしたところを目撃してしまいました、殺されるところでしたって。
どっちを信じると思う?考えてみろよ、座長が金持ってるのを知ってる、うさんくさい旅芸人と、
ノトゥーン神官の俺の言葉と」
その言葉に座員達は狼狽えだした。
「そうそう、まともな頭を持ってるなら、こう考えるべきだ。『このオヤジが貯め込んだ金を持って、今すぐトンズラするべきだ。これで自由だ、金は山分けだ。騒いだところで、一文の得にもならない』――それが賢いやり方さ」
座員達は後ずさり、そして、お互い顔を見合わせると、急いで倒れ伏したままの座長の懐を探り始めた。
誰も手当をしようとする者は居ない。
派手な上着を脱がし、胴巻きの中にいつも隠してある金の詰まった袋を引っぱりだし、
中身の重さに彼等は喜びの声を上げた。
その袋の中には、おそらく、この男が妹たちを売った金、ツェラシェルがさしだした金も含まれているのだろう。
今更それを取り返す気も起きない。
ただ、金を奪い、そそくさと逃げ出す連中に、ああ、やっぱり、こんなものかと僅かばかりの苦さを感じるだけだ。
彼はふと思いつき、逃げようとしていた連中を呼び止めた。
「ちょいとまちな。知恵を付けてもらって、それで、はい、さよならかい?礼くらい、おいていきな」
立ち止まり、おずおずとこっちを見る座員たちを、ツェラシェルはにやりと笑って見回した。
「別にたいした物じゃない。お前のそのひらひらの衣装と化粧道具、それだけおいて、いっちまいな」
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