◆ツェラシェル 5◆
 
女はロストールの王妃エリス。
突然の侵入者に動じる様子も見せずに、平然としている。
 
「俺達みたいな得体の知れないやつを部屋に入れて、平気なのか?」
皮肉っぽくツェラシェルがいうと、王妃は可笑しそうに唇の端を上げた。
「ここは、隙あらば人をとって食おうという魑魅魍魎の巣。そして私はそこの首魁だ。
子鬼3匹くらいに、なにを恐れる必要がある」
ツェラシェルはぐうの音も出ずに、王妃を睨み上げた。
また王妃が可笑しそうに言う。
 
「誰彼かまわず喧嘩を売るのは得策ではないぞ。逃げ道というものを、用意してから行動するものだ。
そうでなければ、たちまち食い尽くされる」
「あんたこそ、食い荒らしてるんだろう?俺だって「雌狐王妃」の噂くらい知っている」
「物知りだな。だが、そういう口の利きようが喧嘩を売っているという。長生きの秘訣は、人に「害のない、放っておいても大丈夫な無能もの」と思わせることだ」
「そういう「無能もの」をしゃぶり尽くすやつの方が多いんだぜ」
「事実、無能である方が悪い。『無能である』と思わせておいて牙を研いでおくのが、賢いやり方だ」
「王妃様は隠してるとは思えませんがね。さっき、男を脅しつけてたでしょう」
「私は別に長生きなど望んでおらぬ。真実無能なものには、恫喝の方が役に立つ場合が多い」
ひんやりとした王妃に、言っていることが事実だとツェラシェルは判った。
 
少年は悔しそうに横を向いた。
「俺に長生きの秘訣をといて、どうしようって言うんですか」
「そこの幼き者達のためだ。そなた以外に頼る者が居らぬのだろう?」
不思議と優しい王妃の声音に妹たちを見ると、少女達は腹がみたされたからか、安心したからか、床の上に子猫のように二人でくっついて丸くなり、すうすうと寝息を立てている。
妹たちの寝顔を眺めるツェラシェルは、年相応の少年の顔になっている。
 
「具合が良くなったのならば、ベッドに移してやるがいい。私は手伝わぬぞ、先ほど、そなたを動かすのに
労力を使ったからな」
「それはお手数おかけしましたね」
思いっきり皮肉っぽく言って、ツェラシェルは少女達をベッドに移動させた。
ふんわりとした布団に、清潔な新品のシーツ。こんな贅沢なベッドに身体を横たえたのは、始めてだ。
 
少年は自分でも判らない悔しさに、唸るように言った。
「なんで、俺以外頼る者がないと、始めてあったあんたに判るんですか?」
「頼れる親なり後ろ盾があるのならば、そなたが危険を冒してここへ来るはずがない。それ以前に、このような
いとけない者達が、愚か者の慰み者扱いされる筈が無かろう――」
 
その言葉は、ツェラシェルの中に、今まで感じていた以上の痛みを呼び起こした。
 
――そうだ、自分達にはなにもない。俺以外、この妹たちを守れる者は居ない。
俺自身、とんでもなく無力なのに。そんな者以外、この妹たちにはいないんだ。
 
悔しかった。悲しかった。
ほんの数年前まで、妹たちには裕福ではなくてもちゃんとした家があって、保護者がいて、穏やかな暮らしがあったのに。今あるのは、破戒坊主でいかさま師の兄だけなんて。
 
悔しげに拳を振るわせたまま、瞬きもしないツェラシェルに向かい、王妃は冷静に訊いた。
「――牙が欲しいか?」
 
◆◆
 
少年が顔を上げた。
「そなたは自分達の立場が理不尽だと思っているのだろう?だが、嘆くだけでは、現実は何も変わらぬ。
そなたが私のために働く、というのであれば、私はそなた達に牙を与えてやることができる。
その少女達にせよ――いつまでも守って貰うわけにはいくまい」
 
王妃はベッドの脇に立つと、少女達の寝顔を見つめながら、ツェラシェルに言い聞かせるように言った。
「世の中には2種類の人間がいる。生涯守られ、自分の幸福さえ自覚せぬままに生きる者。
もう一つは、否応なしに辛酸をなめ、のたうちながら己の力で生きる者。
そなた達はすでに『庇護してくれる者』を失ったのであろう――ならば、おのれ自身の牙を研ぎ、生きるしかない」
 
その言葉の意味を悟り、ツェラシェルが震えだした。
「……妹たちにも……そうやって生きろと?」
「事情は知っている。この娘達もすでに自分で選んだのではないか?戦うことを――」
王妃は子供達を見下ろした。
 
「私もそうやって生きている。辛い道かも知れぬ――だが、自分の知らぬまに、他人に生殺与奪権を握られているよりは、ずいぶんとましだと思っている。少なくとも、抗うことができるからな」
 
幼い妹たち。
無垢なままで大人になり、幸せになって欲しかった。
でも、それが望めないというのならば?少女達はすでに大人の汚さを知ってしまったのだから。
だったら――。
 
長い逡巡の果てに、ツェラシェルは顔を上げた。
「あんたが、俺達を利用することだけ考えてないと、誰がいえる」
「誰も言えぬ。だが、それが悔しければ、使える者になればいい。誰よりも優秀で、自分だけの技を持つ、
特別な者に。まだまだ利用価値がある、そう思わせられる人間になればいい」
王妃は喉奥で笑った。
「少なくとも、今のそなた達では、利用のしどころもない」
 
その言葉にかっと怒りをみなぎらせた少年に、王妃は厳しく言い放った。
「悔しければ、強くなるがいい!知恵を磨き、牙を研ぎ、人に一目置かれるだけの能力を持つように!
今のままのそなたでは、所詮、子供が駄々をこねているのと、大差あるまい!」
 
それが決定打だった。
悔しいが王妃のいう事の方が正しかった。
今のツェラシェルは、ただの子供に過ぎない。
 
「妹たちは――」
「おのれの立場を自覚すれば、この娘達も自分で強くなることを望むだろう…当面は私の娘の遊び相手をして貰おう。それから――毒味の必要のない茶など煎れてもらうとするか…」
どことなく安堵の表情で、エリスはそう言った。
「毒味か、王妃様も楽じゃない商売だな」
しみじみという少年に、王妃は笑った。
「子供に心配されるほど、か弱くはない」
「だと思ったよ」
ツェラシェルは脱帽した、と言いたげに王妃の前に膝をついた。
 
 
◆◆
 
翌朝早くの別れは、さほど後も引かなかった。
兄の僅かな説明に、妹たちは健気に頷き、一緒にいたい、と願う言葉を噛みしめた。
 
おのれの立場を知れば――少女達も自分達の生き方を、すでに選んでいたのだ。
兄を助けたい、強くなって、自分達のために命を懸けてくれた兄の力になるのだと。
ただ、救いを待つだけではない、自分達も力を付けるために覚えなければならないことは、山ほどある。
その為の、しばしの別れである。
 
 
 
ツェラシェルは王妃の直属となることは拒んだ。
誰であっても、もう自分の「上」になる人間を持つのはごめんだったからだ。
「あんたに一目置かせてやる。あんたに利用のしがいがある人間になってやるさ」という少年の言葉を聞いて、
王妃は苦笑いをしたまま、彼を送り出した。
 
ロストールの門をくぐり、ツェラシェルは改めて自分に言い聞かせる。
 
ずっと信じていた。
変わらないだろう、現実。
貴い人々は元から自分達とは違う――そう思っていた。
でも違った。
貴い人々だから、身分があって、人に敬われているんじゃない。
身分があるから――人に威張り散らして貴い人間ヅラをしていられるんだ。
 
馬鹿馬鹿しい。
あんな阿呆連中の言い分を、この世の真理みたいに、ありがたがってたなんて。
いくらだって、つけ込める。
自分に牙さえあれば――。
 
牙を研ぎ、もう誰からも無下に扱われないように知恵を磨いて、俺は――俺達は生き抜いてやる。
 
 
 
――彼等3兄妹が歴史の裏舞台で暗躍するようになるのは、これから何年か後のことである。
 
 
 
 
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