◆ゼネテス 1◆
 
 
派手に何かが壊れる音がする。
眠りの縁から揺り起こされ、ゼネテスはぼんやりと体を起こした。
若い身体は、本来ならば覚醒した瞬間に戦闘態勢を取りうる。
それが、何か重りをつけられたように、手足が緩慢にしか動かない。
ゼネテスは身体よりも重苦しい頭に、ひどく不快になった。
 
(…寝る前に酒を飲み過ぎたか…?いや、あれは…)
同衾した若い娼婦が持ち込んできた酒瓶は、半分程度しか入っていなかった。
あの程度で二日酔いになるはずもない。
唸り声を上げて寝返りを打ちかけ、さらに響く音にようやく我に返った。
 
隊商が襲撃を受けているのだ。
 
 
◆◆
 
普段よりもにぶい頭は、状況を理解するだけで、普段の倍も努力が必要だった。
テントが倒される音。叫び声。
彼を護衛の1人に雇い入れた隊商は、何者かの襲撃を受け、戦いのまっただ中だった。
ゼネテスは頭をふって手早く上着とズボンを身につけ、剣を手に持った。
防具を身につける暇はなさそうだ――と舌打ちしながら考えたところで、一緒にいたはずの女の事を
思い出す。
 
…いない…。
 
重い頭に消えた女。
それを結びつける余裕もなく、ゼネテスは自分にあてがわれていた狭いテントを飛び出した。
あっという間に斬り合いに巻き込まれ、血しぶきを上げた男がゼネテスに向かって倒れ込む。
半月の空はうすい雲に覆われ、動く輪郭しか見えない。
咄嗟に敵か味方か判らずに避けたゼネテスの傍らに、男の身体は倒れ込んだきり動かなくなった。
 
「お前は誰だ!」
殺気だった声にゼネテスは聞き覚えがあった。
「俺だ、ゼネテスだ」
たった今1人を倒した男は相手が味方だとわかり、ほっとしたせいか、出遅れたゼネテスになじる口調になった。
「何してたんだ、ひどいことになってるぞ」
「悪い――ちょっと頭が重くて」
「言い訳はいい、雇い主の様子を見てきてくれ!商人がやられたら、給料払うヤツがいなくなる」
顔は見えないが、雇われた護衛の隊長格の傭兵だった。
新米冒険者のゼネテスは、言われるままに雇い主達のテントの方に駆けつけた。
甲高い悲鳴がした。
 
 
あたりは敵味方が多く入り乱れて、交戦中だった。
夜の闇の中、咄嗟にどこへ動けばいいのか、ゼネテスは自分の場所を見失って周りを見回す。
と、よろよろとはいつくばるように逃げる人影が目に付いた。
その後ろから、小柄な影が追いすがる。
振り上げた手に光るものが握られており、それがナイフだろうとゼネテスは見当をつけた。
 
逃げる者、武器を手にしている者、敵がどちらか、それが判断できないような護衛はいない。
ゼネテスは大股で駆け寄ると、いましもナイフを振り下ろそうとしている人物の手首を握り、突き飛ばした。
案の定、腰を抜かしかけてた商人がゼネテスにしがみつく。
 
「た、助け…」
どもる相手に隠れるようにいい、ゼネテスは跳ね起きた相手にむきあった。
掴んだ手首は子供のように細かったが、身体の動きは敏捷だ。
弾けるような勢いでナイフを突きだしてくる。
夜半の襲撃になれているのか、狙いも正確で、ゼネテスの着ている物が何ヶ所か切り裂かれた。
舌打ちして身体を捻ったゼネテスの胸の中心をめがけ、賊が飛び込んできた。
 
素早い動きに手加減する余裕はなかった。
抜き打ちにたたき付けた剣に、吹き飛ばされた相手の身体が、地面に何度もバウンドしてから動かなくなる。
周囲の斬撃の音も次第に遠のき、合間にさっきの傭兵の怒鳴り声が聞こえてきた。
 
「逃げたやつはほうっておけ!けが人を集めろ!」
 
…どうやら、賊を退けたらしい。
ほうっとすると同時に、頭の重さが鈍く思い出され、ゼネテスはその場に腰を下ろした。
下についた手にぬるっとした物が触れる。
襲撃が終わるのを待っていたように雲が流れ、月のか細い光が惨状を撫でる。
 
倒れた敵から流れ出た血がどっぷりとあたりを真紅に染めていた。
ぼんやりとその血の流れ出た方に目をやり、ゼネテスは凍り付いた。
そこに倒れている小柄な人物――昨夜、彼と共にいたはずの旅の娼婦。
まだ10代半ばと思われた愛嬌のある娘が、白目をむき、口から血を流した恐ろしい形相でそこに倒れている。
大剣に小さな頭を砕かれ、血にまみれて縺れた薄い茶色の髪の間に白い骨がのぞき、
脳が弾けているのが見えた。
つい数時間前に自分に絡まって笑っていた娘――。
 
その無惨な姿から目を離すことが出来なくなってしまったゼネテスの視界の隅に、白い野バラの花が写った。
娘の血で真紅に染まった花が。
 
 
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