夜明けと共に、襲撃の後片づけが慌ただしく行われていた。
夜半の急襲とはいえ、どうやら賊の大半がまだ10代半ばほどの少年少女だったらしく、
手練れの傭兵達の相手にはならず、こちらの被害以上の反撃を食らったらしい。
ゼネテスは、一ヶ所に集められた盗賊の死体を見て、吐き気を覚えた。
自分と大差ない年齢の者が殆どだった上に、見覚えのある娘の顔があったからだ。
旅の最中に出会った、若い娼婦の一団。
河岸を変えるから、という理由で旅していた彼女達は、男ばかりの隊商では歓迎された。
その彼女たちが賊の一味だったのだ。
ゼネテスはぞっとして死体から目をそらした。
この娘は隊商と同行して以来、ずっとゼネテスの馴染みだった娘だ。
その娘がゼネテスに薬入りの酒を飲ませ、そしてゼネテスはその娘を手に掛けた。
嫌になるような構図だ。
ゼネテスは作業場から逃げるように去り、近くの小川に顔を突っ込んだ。
冷たい水の中に、息が苦しくなるほど顔を浸してから、川岸にぐったりと座り込む。
ふと目の端に白い野バラの花が見えた。
とたん、昨夜見た血で濡れた花を思い出し、強烈な嘔吐感がこみ上げてくる。
何度も胃液まで吐きだし、手足の先がしびれ、全身が冷えていくのが自分で判った。
(…情けない…)
その場に蹲ったままのゼネテスの肩を、誰かが叩く。
びくりとして飛びすさると、昨夜声をかけてきた傭兵が可笑しそうに立っていた。
「よう、坊主。夕べは頑張ったな」
労いの言葉が嫌みのように聞こえ、ゼネテス無愛想に答えた。
「たいした事はしてないです…、女の子1人倒しただけで…」
「いや、駆け出しにしちゃ1人だけでも、よくやった方だ。お前と一緒に雇われた駆けだしが二人やられた。
引っ張り込んだ女に薬を飲まされて、寝たまま、コレ、だぜ?」
男は首の前で手を横に引いて見せた。寝首をかかれた、という事だろう。
ゼネテスは、また背筋が冷えるのを感じた。
自分もそうされていても、おかしくなかったからだ。
「畜生!なんだって、そこまでやられなきゃないんだ!」
思わず漏らした愚痴に、男は笑い出した。
「おやまあ、こいつはどこのお坊ちゃまだい?物を持ってるヤツってのは、もともと嫌われるもんなのさ」
「でも、あいつ等も、やられた仲間も、同じ年頃だったんだ!」
「年頃なんて関係ないさ。連中から見たら、俺達は金持ちの番犬さ。好かれる道理がない」
「俺達――俺は、自分で稼ぐために雇われただけだ。連中だって、そうすればいいんだ」
「そうできない連中もいるのさ。世の中、税金のために売られて逃げ出した娘も、家族のためにパン一個盗んで前科持ちになったヤツもいる。そんな連中、まともにどこで使うと思う?働きたいやつは余っていて、雇いたい
やつは、少しでも自分達に都合のいい方を雇いたい」
男は大仰に肩を竦めた。
「冒険者なんて言ったって、本当にお宝見つけて食っていけるのは一握り。大抵のやつはせこい仕事を
数こなすか、やばい手伝いで食ってるんだ。誇りを持ちたい、なんて思ってるなら、早いとこ、頭の中身を入れ替えて、主持ちになるんだな。そうすりゃ、都合のいい方便を主が考えてくれる
――良いか?お前が見所あると思ってるから、忠告してやるんだ」
男は、不満げなゼネテスに指を突きつけた。
「敵に向かって、何故?だの、同情だの考えるな。生き残った者が勝ちなんだ」
「――相手が可哀想な子供でも?」
「子供だろうがなんだろうが、やられちまった一巻の終わり。そんな安い人情は、仕事が終わって一杯やるまで
どこかにしまって置くんだ。金をもらった後なら、そいつのために泣くも墓を建ててやるのも、勝手だからな」
そういうと、男はげらげらと笑って行ってしまった。
ゼネテスは再びこみ上げてきた嘔吐感に口元を抑える。
冷たい世界から逃げ出したつもりだった。
外に出れば、もっと自由な――「人間的な何か」を見つけられると思っていたのに。
ゼネテスは自分の甘さに、舌打ちした。
さっきの男が言ったように、自分はぬくぬくと育ったお坊ちゃん。
多少は知識があり、剣の腕もあると思っていたが、それだけではまったく足りない、知らな過ぎた自分に
改めて気が付き、打ちのめされそうになる。
(でも、今更、戻れるわけがない…)
ゼネテスは自嘲気味に笑うと、重い体をのろのろと動かした。
(あそこには、もう戻りたくないんだ)
それだけを何度も口の中で唱え、ゼネテスは血の臭いの残る場所へと戻っていった。
◆◆
ゼネテスはロストールの名門貴族の長子として生まれた。
王妃である叔母の意向で、王女の婚約者となり、そのままいけばロストールの至高の座も間違いなく
手にはいるはずだった。
だが、そんな未来になんの希望も感じなくなったのは、一体いつからだったのか。
父親は文字通り「貴族らしい貴族」で、自分の立場に疑いを持つことなく、王妃の兄、そして、いずれは王の父
となる事を当然と受け止め、手中の権力を楽しんでいた。
そして母親もそれにふさわしく「貴族の女性らしい女性」だった。
王宮においては義理の妹にあたる王妃に追従し、白々しいお世辞と噂話で王妃の忙しい時間を潰し、
そして王妃の義理の姉であるという、その事だけで、貴族社会の女性達のトップの位置を占め、
大げさなサロンに人を集めては、王妃の陰口を公然と語る――そんな女。
少年だったゼネテスは、何度そんな女達の集まりに呼ばれ、母親の自慢の種にされたか判らない。
そしてその話をきくたび、ゼネテスは逃げ出したくなったものだ。
『ご覧下さいな…私の息子を。名門ファーロスの跡取りにふさわしい息子ですわ。やはり女たるもの、
家の跡継ぎたる男子を産んでこそ、その務めを果たせるというもの。
こう申してはなんですが、義妹が持つのは娘1人…悪く言いたくはありませんが、女としては失格だと思いませんかしら…?やはり、王妃の一番のつとめは王子を生むことで…』
王子を産んだとしたら、自分の息子が、将来、王になるという選択肢が消えるということを、
この母親は判っているのだろうか?
サロンに集まった女性達は母の言葉に逆らうこともせず、おべっかを言って華やかな笑い声を上げる。
その場に立ち会うたびにゼネテスはいたたまれず、そして立ち会ってしまったことを恥じた。
家に戻るという事。
それは、またあの世界に戻るという事だ。
それだけは絶対に嫌だった。
血なまぐさい現実の汚らしさに嫌気を感じながらも、ゼネテスは意地だけでその場に踏みとどまっている。
冒険者――どこの国にも属せぬ、己の才覚だけで生きる保証も何もない世界。
それでもあの世界よりはましではないか?
嘘と作り笑いと傲慢さを使いこなせる者ほど、高貴とあがめられる世界よりは。
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