◆ゼネテス 5◆
 
(――なんだ?)
そう思う間もなく、ゼネテスの身体は前のめりに地面に倒れ込んでいた。
意識はあるのに、身体が異様に重い。
何が起きたのかと、ゼネテスは倒れたまま、やっとの思いで頭を巡らすと、ネズミは腰を抜かしたような動作で、
バタバタと森の方へと逃げだそうとしている。
そして、その方向からくる冒険者らしい男達の一団。
 
ネズミはその男達に何かを訴えている――妙に甲高い声が動けないゼネテスの耳にうるさく響く。
「う、上手くやっただろ?だから、約束道り…」
「判ってるって。どうせ、俺等の鍵開け担当もおっ死んじまった事だしよ。約束通りに、お前も俺達の
パーティーに入れてやるさ。こいつの首に掛かった、たいそうなお宝と引き替えにな」
3人ほどのパーティーの、リーダーらしい大柄な男が豪快に笑った。
 
ともすれば眠り込んでしまいそうな程に重苦しい頭の片隅で、ゼネテスは自分が「売られた」事を悟った。
依頼人は誰なのか――自分が死んで得をする連中――数え切れない。
おそらくはファーロス家の台頭を快く思ってない他の貴族、もしくは、次の当主の座をほしがっている一族の
誰かかもしれない。
 
――ネズミ。
俺を売ったのか…?
 
ネズミに対する怒りがわき上がった。
倒れたまま、手に触れた剣の柄を強く握りしめる。
馴染んだ感触に、僅かながら力が戻ってきたような気がして、ゼネテスはさらに手に力を込めた。
 
「おっと、そうだった、これこれ――」
近付いてきた男の1人が、ゼネテスの手にする剣の傍らに膝をついた。
「これが、こいつを殺ったって言う証拠として持ち帰れって言われてた剣か。おうおう、いかにも由緒正しそうな
立派な造りだ。これを売っぱらったら、俺等の剣が何本買える?」
「ばーか、それを売ったら、証拠がなくなって褒美がパーじゃないか」
「そうだったな、そいじゃ、ま」
げらげらと言って、剣を取り上げようとした男の眉が顰められた。
「おい?」
 
しっかりと剣を掴んだゼネテスの力は、男にとって思いがけないほどに、しっかりとしたものだった。
「け、しぶといな、どれどれ、面倒かけやがって」
舌打ちした男が、剣の柄を握るゼネテスの指を一本一本外そうとする。
ゼネテスは必死で意識を保とうと抵抗した。
 
この剣は、唯一自分が家から持ちだした物。
別に家宝だからとか、そんな意識があったわけではない。
彼の手に馴染み、彼に勇気を与えてくれた剣。
それを奪われることは、死んでも許せない。
 
「おい…」
男の顔色が変わった。
薬で自由を奪われていたはずのゼネテスが、じわじわとした動きで剣をさらに自分に引き付け始めたからだ。
「…しぶとい野郎だな…」
剣に縋り付きながらも、じりじりと体を起こし始めたゼネテスに、男達は呆れ顔をした。
 
「先にとどめさしちまおうぜ」
「その方が面倒なさそうだな」
他愛もなさそうな口調で、男達が顔を見合わせて笑う。
彼等の中では、すでにゼネテスは褒美の金に換算されてしまっていたのだろうが、
あいにくと、ゼネテスはあっさりこいつ等を儲けさせてやる気はなかった。
 
たった1人で、惨めに地面にはいつくばり、それでもゼネテスの中の意地は消えてはいない。
(こんな連中に、いいようにされてたまるか――)
(大人しく――こいつ等を儲けさせてなんか、やるものか――)
 
常に誰かに気を配られ、いつも行き届いた貴族としての生活から、冒険者へ。
その変化は、ゼネテスが想像していた以上に大きいものだった。
冒険という物に対してゼネテスが抱いていた認識の甘さを思い知り、絶対に帰らない、という意地と、
今までと違いすぎる生活への不満の間で、揺らぎながら過ごした数ヶ月。
 
(これがツケか?どっちつかずで、嫌なことは全部忘れたふりで、過ごしてきた俺の――)
ふらつく足を踏ん張りながら、ゼネテスは唇を噛みしめた。
ゆっくりと大きく息を吸い、少しでも頭をはっきりさせようと剣を持つ手に力を込める。
ほんの少しでも意識を逸らせば倒れてしまう――そんな極限状態で、ゼネテスはただ一点の思いに集中した。
 
 
――生きたい――ただ、それだけに。
 
 
◆◆
 
 
木の陰で震えていたネズミが、おどおどと戻ってきた。
そこには、男が4人、血まみれで倒れている。
誰もぴくりとも動かず、ネズミは途方に暮れた表情で、一人一人の顔を覗き込んだ。
1人のところでネズミの動きが止まる。
彼は、そこに倒れている男の血まみれの顔を、おずおずと見つめていた。
 
ゼネテス。さっきまで相棒だった、彼が売った男だ。
ゼネテスも他の連中同様、ぴくりとも動かない。
ネズミはおっかなびっくりと言った様子で、その頬を何度か突っついた。
それでも動かないゼネテスに、ようやくネズミは安心しきった息を吐く。
 
「…いくら強くてもさ…無茶だったんだよ…薬、飲んだのに…戦うなんてさ」
ネズミは表情を無くして、ぽつりと言った。
「でも、それでも、3人とも倒しちゃったんだ…本当に強かったんだね…でもさ、これで、依頼金は
全部俺の物だよね…コレ、証拠さえ持っていけば良いんだから…」
 
ネズミは、ゼネテスの身体の下敷きになっていた剣に手をかけた。
なんとかして引っぱりだそうとしばらく唸っていたが、俯せのゼネテスのどこかに引っかかっているのか、
さっぱり剣は抜ける気配がない。
 
「…重いなぁ…仕方ないや」
ネズミは、今度はゼネテスの身体に手をかけ、横にしようと力を入れた
「せーの」
そうかけ声と共に、ゼネテスの身体をひっくり返そうとした瞬間である。
何かに突き飛ばされたネズミの身体が後ろに転がった。
 
「ひゃ…」
何かの敵かと頓狂な悲鳴を上げかけたネズミの首筋に、ひたりと血まみれの剣が当てられた。
 
「…生きてたんだ…」
「生きてたさ、あいにくとな」
尻餅を付いたまま呆然とするネズミに剣を突きつけたまま、傷だらけのゼネテスが冷ややかに答えた。
 
 
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