数日後、3人は準備を整えてロセンの町を出た。
行き先はエンシャントからテラネに向かう街道から少し離れた山の山頂にある遺跡である。
そう険しくもない山の遺跡は、めぼしい物は付近の住人にすっかりあさり尽くされ、今はもう誰も近寄ろうとはしない。
当然、冒険者が立ち寄る場所でもない。
放浪中に見つけたその場所に、レオーネは父の残した文書の数々を隠したのだそうだ。
レオーネは気が重そうに少し前を黙々と歩いている。
いつもは脳天気なほどに剽軽な男なので、いささか気が抜けるくらいだ。
ゼネテスは少し足を速めると、レオーネに並んで低く声をかける。
「気が進まなそうだな」
「そりゃ、そうでしょう〜。アレを隠したのはさ、単に切り札だからって訳でもないんだ。正直、手元においときたく
無かったんだよ、見る度になんて言うかさ、腹は立つし、口惜しいし、憎らしくなるし。
でもそういうの、年がら年中考えてるのも、うっとおしくて嫌だしさ〜〜〜」
いかにもやけくそ風に大げさな手振り身振り付きで訴えるレオーネの後ろ頭を、ゼネテスは、苦笑しながら一発ひっぱたいた。
「お前さんなあ、そういう我が儘言ってられる場合か?生ぬるいこと言ってるから、いつまで経ってもケリが
つけられないんだぜ?」
「オレはさ〜〜連中が納得してほっといてくれれば、それで良かったのよ〜」
その情けない口調に、ゼネテスがげらげら笑いながら友人の髪をかき回すと、今度は髪が乱れるとか言ってその手から逃げようとする。
緊張感まるで無しの子供同士のピクニックのような歩きっぷりに、リュミエは1つため息を付いて額を抑えた。
歳からいえば自分の方がかなり年下のはずだが、なんだか子守の気分だ。
しゃくに障るが、ゼネテスは自分といる時とはまた違う顔で笑っている。
男同士の幼なじみというのは、やはり女からは計り知れないような部分があるのだろう。
リュミエ自身は女の友人は少ない。性格に「情緒がない」とか「可愛げがない」とよく言われてたので、
年頃の娘さんは頼ったり甘えてきたりする事はあっても、女同士の内緒話なんかに誘われたことはない。
まあ、これは本人も別に参加したいとは思わないのだが、そう言うところがいわゆる「可愛げ」のなさだろう。
「女」を前面に出した「貴族の女性」に辟易していたせいか、女に求める物が今一つ普通の男と違う
ゼネテスと出会えたのは、おそらく自分にとって僥倖だったのだろうと思う。
なんとなくその男の友人にヤキモチめいた物を感じてしまうのは自分でもみっともない気はするが、
疑いはけしてその私情からだけではないと思う。
ちりちりと首の後ろが総毛立つような気がする。
恐れではなく、血の予感がしていた。
◆◆
街道から外れ、森に入ってから3人は今夜の野営場所を見つけた。
洞穴の中に、ちょうどいい具合に枯れ葉の吹き溜まりが出来ていて、ちょうどベッドのようになっている。
その入り口付近の草をはらって焚き火を作り、相変わらずの携帯食の食事を済ませ、順に見張りをする。
いつのまにか最初がリュミエ、2番目がゼネテス、最後がレオーネと順番が決まっていた。
ゼネテスが2番目なのは、彼が一番寝付きが良くて寝起きがいいかららしい。
リュミエは「一度寝たら、朝まで起きたくない」というので一番目なのである。
そう言うわけで、夜中に何かあったら、相手の方が可哀想なことになると(起こされてヒステリーを起こしたリュミエが止めさすまで追い回すから)、ゼネテスはこっそりレオーネに耳打ちしていた。
月が真上に来た辺りでゼネテスがリュミエと交代する。
静かな夜で、人はもちろん生き物の気配自体、近くではあまりしない。
剣を抱え、時々小さくなってきた火に枯れ枝を放り込みながら、ゼネテスはじっと辺りの気配を探っている。
ふっと後ろから、人の気配がして肩を叩かれる。
振り向くと、しいっと口に指を当てたレオーネが、にかっと笑っていた。
「…お前さんの順番はまだだぜ?」
ゼネテスがそう小声で言うと、レオーネはまたにかっと笑い、こちらも小声で答えた。
「わかってるって。ちょっとさ、なんか話がしたいと思って」
すたすた歩きながら、ひょいと立ち止まり、振り向いてゼネテスに手招きをする。
「オイオイ、俺は見張りの途中だぜ?」
草をはらって立ち上がるゼネテスに、レオーネは可笑しそうにやはり小声で
「彼女起こしたら、怖いことになるんでしょ?」
という。
苦笑いをしながら、ゼネテスはレオーネと共に洞穴の入り口付近を見渡せる、すぐ側の丘に登った。
草地になっていて、そこからは木の陰の邪魔無しで星空が堪能できる。
レオーネは大きく深呼吸しながら両腕を振り上げた。
「あ〜あ、ここにくるの久しぶりだな〜昔は気に入って、よく来てたんだ」
「お前さんのなじみの場所だったのか?」
例の洞穴をみながらそういうと、レオーネはにまっと笑う。
「とっておきの場所に案内してやったんだ。感謝してくれよな」
「何を言ってる、感謝なら、こっちがして欲しいね。誰のためにこんな場所まで来てやったと思ってるんだ」
「恩きせがまし〜〜」
「着せてるんだ、当たり前だろうが」
レオーネの首に太い腕を回すと、彼は大げさに苦しむマネをしながら、振り解こうとじたばたした。
ひとしきりじたばたと暴れ回ったあと、男共は並んで草原に座り空を見上げた。
「ガキの頃さ、屋根の上に登って空を見たの覚えてるか?」
懐かしそうにレオーネが言う。
「執事にこってり絞られたぜ。貴族の若君が危険なことなんて、するもんじゃないってな。何が危険なのか、
それ自体よく分からなかったが」
こちらも懐かしそうに目を細め、ゼネテスはそう答えた。
「お前、いつももド暗くて窒息しそうな顔してたもんな。屋根の上で、満天の星空見てたときだけは、年相応の
ガキのつらしてた。アホ面で口開けてさ」
肩を竦めるようにして笑ったゼネテスが、殆ど真上に顔を向ける。
「…窒息しそうだったな。あの頃は、こんなに広くてでかい物が身近にあるとは、思ってなかった」
「お偉いさんってのは、案外気が付かないものさ。身近な物の価値にさ」
こうして空を見上げていると、10年の月日がどこかへ消えてしまったような気がする。
大勢の使用人が毎日毎日走り回るようにして、美しく清潔に保たれていた広い館。
義務のように通わされていた王宮。
磨き抜かれた廊下が、時折耐え難いほど冷たく感じられた。まるで氷で出来ているように。
笑顔で談笑する大人達は、子供にも耳があり、言葉を理解する能力を持っているという事を
忘れているように、表と裏の顔を使い分けていた。
自分自身は何かをしたわけではないのに、ただ大家の子というだけで、大人が媚を売ってくることが心底嫌で、
それなのに、気持ちを分かり合えるはずの幼なじみ達は、そうそうに大人の顔を身につけ、大人の立場を持ち込んで彼と距離を持ち始めた。
いつも変わらなかったのは、このレオーネだけだった。
「お前さんには、すまないことをしたな…」
突然、そう言いだしたゼネテスにレオーネは怪訝そうな顔をした。
「何か謝るようなこと、されたっけ?」
ゼネテスは苦笑する。
「かってに家を飛び出しちまって、お前さんが大変だった肝心の時、何もしてやれなかった。
俺はお前さんにしんどい時かなり救われてたのにな」
「救ったって、何が?叩きのめした覚えはあるけどな」
冗談めかしてレオーネが笑う。
「オレは内心思ってたぜ?お前はオレにどうしても勝てないから、武者修行の旅に出たんだ、ってな」
「誰が勝てないって?確か、勝負の結果は50勝50敗のちょうど互角だったはずだがね」
あっさりと憎まれ口の応酬になり、二人はにっと含みのある笑顔を見交わした。
「ま、いずれはっきりさせるさ。どっちの腕が上がったかって事はさ」
レオーネが自信たっぷりに言うと、ゼネテスも同じくらいの自信を込めて答える。
「それはこっちの台詞だな。勝負の結果は俺の方が、一歩先んじさせて貰うぜ」
子供の頃、よく言い合ったのと同じ台詞だった。
ぷっと同時に二人が笑い出す。
「お前、進歩ないの〜〜昔、どっかで聞いた台詞じゃない」
「それは、お前さんもご同様だぜ」
ひとしきり笑い転げ、気が付いたころには空が白み始めていた。
「結局二人で夜明かししちまったな」
「彼女が起きてくる前に戻らないと、お仕置きされそうで、オレ、怖いわ」
そそくさと洞穴に向かいレオーネは丘を駆け下りていく。
ゼネテスは複雑な気分で、その後ろ姿を眺めていた。
この旅の終着が来なければいいと、そんな彼らしくもない思いが急にこみ上げて来たのを、もてあますように。
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