◆運命の輪 1◆
 
ディンガルとの和平交渉が成立した後のロストール。
その戦争で多くの大貴族が命を落とし、宮廷における顔ぶれは大きく変わった。
手に入ったばかりの権力に浮かれた若き当主。
戦での手柄により、自らの地位を上げた下級貴族。
エリス王妃にとっては好都合でもあったのだろう。
反ファーロスの筆頭、エリエナイ公レムオンが亡くなり、その後を継いだ弟エリス・リューガは政争には
全く無縁の学者であった。
大きな柱を無くした大貴族達は、てんでにファーロス、そして王家に媚を売り、立場を守ることに専念を始める。
そして、エリスにとって何よりの収穫は、エスト・リューガが溺愛する妹にして、自らもノーブル伯爵位を持つ戦争の英雄と、ファーロス家当主との婚約が整ったことである。
これによりエリスはリューガ一族にも発言権を有し、貴族を全てその手中に収めたことになった。
 
◆◆
 
「最初に言っておくけど、私を手駒だとは思わないでよね」
しらけた口調でそう言ってのけた少女に、エリスは珍しく声を上げて笑った。
「そなたを操れる者がどこにいる。名前を貸してもらうだけで十分、そのうちに気が変わったら、ゼネテスとの婚約も綺麗さっぱりに解消してもかまわぬ」
「…あのなぁ」
笑ってない目のまま、一応顔つきだけは笑顔で火花を散らしている女二人に挟まれ、
ゼネテスは疲れた声を出した。
「…俺、なんか、すげぇ立場のないこと、言われてるような気がするんだけどなぁ」
「『気がする』ではない。文字通り、そなたの立場はこの際『無視』だ」
「そう、これは私と王妃の取引だから」
 
同時に睨まれ、嫁と姑に挟まれた婿のように小さくなったゼネテスの耳を、リュミエは引っ張った。
「何よ、それとも王女と結婚して王様になりたかったの?」
王妃を慮って返事に詰まるゼネテスを尻目に、王妃は可笑しそうに笑う。
「あれの事は気にする必要はない。この改革の機会を逃すわけには行かぬ。
リューガ、ファーロス。この二つの後ろ盾があれば、今のように能力もない「身分」だけが取り柄の貴族を
中枢から放逐し、能力重視の人事を行うことも可能であろう」
母としてと、政治家として。二つの立場で思案した結果、エリスは政治家の立場をとったのだ。
 
 
「そうして欲しいわ。そうすれば、私もこの非能率的にばかげた動きにくい服で体裁を整える必要も
ないでしょうし」
リュミエは最高級のドレスの裾をうんざりしたように引っ張った。
一応、正式な婚約式と言うことであつらえたドレスであるが、式が終われば鬱陶しい以外のなにものでもない。
とくにエリスとゼネテスの3人きりのお茶の席では、リュミエは遠慮の素振りも見せなかった。
連日の戦いで荒れて固くなった手を誤魔化すための手袋を、さっさと脱ぎ捨てる。
苦笑しっぱなしで手持ちぶたさに頭をかいているゼネテスを、エリスは笑い飛ばした。
「そなたの先は決まったな。嫁御の機嫌は損ねぬ事だ」
横目で見上げるリュミエに、ゼネテスは乾いた笑い声を出した。
 
 
◆◆
 
 
エリスの部屋から退出し、廊下を歩きながらゼネテスは大きく息をつく。
「…まさかお前さんと叔母貴があそこまで気が合うとは、思ってなかったぜ」
「そう?あのくらい性格が悪いと、かえって気持ちがいいわ。私は好きよ、王妃のこと」
自分の性格は棚上げしたリュミエが、けろりとそう評する。
 
「だいたいティアナ王女は、さんざんゼネテスのこと悪く言ってたじゃないの。いまさら未練もへったくれも
あるものですか。彼女はそれこそ完全に尻に敷けるような青びょうたんを婿にすべきよ」
「…お姫さんは未練なんてないだろうに…」
ぶつぶつと呟くゼネテスをリュミエはまた横目で見上げ、それから長いため息をつく。
「無神経なオヤジって、わりと始末が悪いわね。まあ、この際その方がいいけどさ」
「なんか言ったか?」
「いーえ、なんにも。それより、この後どうするの?こんな格好じゃ、みっともなくて帰れないわ」
外見だけは完全な淑女のリュミエが、ゼネテスの腕にしがみつきながらそう言った。
「確かに俺もこれじゃなぁ…、面倒くさいが、とりあえずファーロスの館に戻るしかないか」
ゼネテスも儀礼用の衣装を窮屈そうにまとっている。
一応形として、今日はファーロス家から馬車で乗り付けたものの、結局とことん貴族生活が性にあってない
2人なのである。
 
「ゼネテスんちの執事って、高飛車でサイテーよね。セバスチャンの方が融通も利いて話が分かるわ。
やっぱり当主がどうしようもないと、仕えてる者もどうしようもなくなるのかしら」
「その当主ってのは俺のことか、親父の事かな。お前さん、なにげに兄貴自慢してないか?」
笑いながらゼネテスがそう言うと、リュミエはすまして応えた。
「あなたの親父の事よ。リューガの親父のことは知らないけど、少なくとも息子二人はまともだったわ。
私の好みでいえば、ちょっと真面目すぎの繊細過ぎだったけど」
「詰まるところ、お前さんのお眼鏡にかなった俺は、それだけいい加減で無神経、ってこったな。
…これってのは、自慢して良いんだか悪いんだか」
ふざけたことを飄々と言うゼネテスの後頭部を、リュミエは背伸びして殴りつけた。
 
ぷーっと頬を膨らませたリュミエを可笑しそうにからかっていたゼネテスだったが、柱の影の気配気が付き
なお後頭部を狙ってくる少女を抑える。
「ちょっと休戦。お客さんらしいぜ」
「知ってる。ワンちゃんが3匹でしょ」
口悪くそう言うリュミエにゼネテスはまた苦笑しながら、柱の影に声をかけた。
「隠れてないで出てこい。俺に何か用か?」
リュミエはゼネテスに抱きつく格好で、柱から出てきた3人組を睨み付けた。
 
「どうもご婚約おめでとうございます」
軽い口調のツェラシェルを先頭に、後ろに妹二人が並んでいる。
「よう、わざわざ祝いを言いにきたのか?」
胡散くさげなゼネテスに、ツェラシェルはくくっと笑った。
「手紙を預かったんですよ。ちょっと内密に、との事ですからな」
手紙をゼネテスに手渡そうとしたツェラシェルは、殆ど瞬きもせずに自分を睨んでいるリュミエにからかうように
声をかけた。
 
「おや、ノーブル伯様。婚約者の前で、他の男にそのような熱い眼差しを向ける者ではありませんよ。
どこでおしゃべり雀の噂のネタになるとも知れませんからな」
ゼネテスは『命知らず』といった顔つきをした。
案の定、リュミエは冷ややかに言い放つ。
「あなたが私の目の前で何か無礼な事をしてくれないかと、そう思って一挙一動見逃さないようにしてるの。
さあ、もっとその先を言ってごらん。王妃だってそれ以上のことを私に言わないのよ。その意味が分かる?」
ツェラシェルは血の気の引いた顔で愛想笑いをした。
 
「ノーブル伯様のご機嫌を損ねるようなことを、なんで口にするのもですか。命は惜しいですからな。
…さあ、ゼネテス様、用はこれで終わりです」
押しつけられた手紙を、ゼネテスは苦笑しながら受け取った。
そそくさと立ち去るツェラシェルの後ろから、妹二人が不満げにこっちを振り返りながらついていく。
ゼネテスはリュミエの肩に手を回して自分に引き付けると、真上から宥めるように言った。
「お前さん、頼むから王宮内で刃傷沙汰は起こすなよ。そんなそぶりをしたら、泣いて止めるぞ」
「…そんな事しないよ。一応、ゼネテスの顔を立てる気はあるもの」
そう言いつつも、『でもあいつら大っ嫌い!』とおもいっきり顔を顰めるリュミエに、
ゼネテスは「ほんとかねぇ」と呟いた…。
 
 
「そんな事より、手紙って誰からよ」
ゼネテスの腕の中から、リュミエが真上を向いてそう言う。
「ああ、そうだな」
ゼネテスは渡された封筒の後ろを見た。
差出人の名前はないが、その封蝋に押された印にゼネテスは心当たりがあったらしい。
「おい、ちょっと来な」
ぐいぐいといきなり人気のない部屋に引っ張り込まれ、リュミエは憮然とした顔をする。
 
「なによ、まさか昔の女から、って言うんじゃないよね!」
「そんときゃ、1人でタンスの陰に隠れてから手紙を開くよ。
昔なじみからの手紙だから、じっくり落ち着いて読みたかったのさ」
ゼネテス笑いながらそう言うと、リュミエの肩を抱いたまま並んでソファーに座らせた。
「…何が書いてあるの?」
拗ねた顔つきのままのリュミエに、ゼネテスは可笑しそうに手紙を広げて見せた。
「レオーネ・フレリック…、誰?この人」
「俺のガキの頃のライバルさ。剣の腕じゃ互角だったが、なんていうか、運のない奴だったな。
最近ずっと音沙汰無しだったが、今頃なんで手紙なんて…」
読み進めるうちに、ゼネテスの顔がだんだん真剣な表情になっていく。
 
「ゼネテス?」
眉を寄せた顔で考え込んでいるゼネテスに、リュミエは心配そうに名前を呼んだ。
「なあ…、道連れを1人増やしていいか…?」
手紙をリュミエに渡しながら、ゼネテスはそう確認するようにいう。
さらっと手紙を眺めたリュミエは、あっさりと答えた。
「ゼネテスがしたいようにすればいいわ」
 
 
 
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