レオーネは笑っている。すっかりなじみになった、いつもの軽い感じの笑顔で。
ゼネテスは唖然としたまま、その顔を見ていた。
「だから言っただろ?出てきたものを見て、腰を抜かすなって」
悪びれた様子もなく、レオーネは握った短剣をより深くゼネテスの身体にねじ込んでくる。
低くうめいたゼネテスの手から松明が落ち、地下は暗やみに包まれた。
再びの熱さと、人の離れる気配に、ようやくゼネテスは我に返ってうめき、傷に手を当てる。
深く突き刺された短剣は無理矢理引き抜かれ、弾けた傷跡からは熱い血があふれるように流れ出ていた。
そして、痛みとは別のしびれと熱さが全身を突き抜ける。
短剣に毒が塗ってあったのだと、ゼネテスは判断した。
「聞きたいこと、あるんだろ?なんでこんな事をするのかって。教えてやりたいけど、説明するのも
面倒くさいしさ。悪いな、ゼネテス」
語尾に笑いを含んだレオーネの声と、そして闇の中を出口に向かって走って行く足音が聞こえる。
「…まて!」
痛みを無視する術は知っている。ゼネテスは脂汗を流しながら、レオーネの後を追って出口に走った。
入り口の明かりが見え、逆光になったレオーネの姿がそこに見える。
「あらら、追ってきたの。それも走って?すげえね、お前。でも、誉めてやってる暇もないんだよね」
嘲笑する声と共に、巨大な岩で光が遮られ、そのまま下りになっている通路にいくつもの岩が落とされてきた。
ゼネテスはこの入り口のまわりに、大きな瓦礫や石があったのを思い出した。
「俺を押しつぶすか?甘いな!」
瞬間的にはなった大地の魔法は、自分に向かって転がってきた大小の岩を全て粉砕した。
飛び散った欠片がゼネテスの全身に降りかかる。
「…俺を体力馬鹿と侮ったら、大笑いだ…」
苦笑いしたところで、急激に身体から力が抜けていった。
集中が途切れ、呪文が頭に浮かんでこない。震える指で、傷口に薬を厚く塗り込めただけで外へでた。
まだ毒の残った身体を引きずり、熱で眩むような目を開けると、レオーネを中心に、ずらりと武器を持った男達が
取り囲んでいるのが見えた。
「…しぶといと思ったけど、ほんとしぶといな、お前さ。何もさ、無理してオレの準備につき合ってくれることはないんだぜ?万が一に備えて10人ばかしここに呼んでたけどさ、あっさり穴蔵でくたばってくれたって悪くないのに」
レオーネが苦笑しながら言う。
「…俺はしぶとさが自慢なんでね。その上、気になることがあると、うっかり眠気も忘れちまうんだ」
ゼネテスは蒼白な顔に無理矢理笑みを浮かべ、剣を支えにまっすぐに立ち上がった。
ひゅうとレオーネが感心したように口笛を吹く。
「そっか、それじゃ安心してあの世に行けるように、質問に答えてやるよ。何が聞きたい?って、決まってるよな」
レオーネがにやりとした。
「なんでこんな事をしたか?決まってるだろ?お前が大貴族だから、さ」
あっさりとレオーネは答えた。
「お前は今のロストールの支えだ。国の守護神で、王妃の信任厚く、リューガ一族の姫君と婚約し、
文字通り我が世の春ってところだろ?ところがどっこい、それじゃあんまり不公平すぎるってもんだ。
お前らが特権を独り占めしてる影じゃ、俺達みたいな下級貴族が踏みつけられて泣いてる。
お前達大貴族ってのはさ、いちゃいけないんだよ」
――いちゃいけないんだよ――
友人の口から聞くには、残酷すぎる言葉だった。
ゼネテスの顔からは、さらに血の気が引いていた。それが毒のせいか、それともショックのせいか、それはゼネテスにも判らない。
「お前には判らないだろうさ。お前は生まれたときから運命の女神に愛されてる。女神は、お前のためだけに
運命の輪を回すんだ。お前がいつでも幸運をつかめるように、ってさ。
そうだろ?ふらっとどっかに消えて、それっきり貴族の義務も放棄して、それがいいタイミングで戻ってくるなり、
国の英雄、そして大家のご当主様の地位にあっさりおさまって…」
話すうちにレオーネの口調がだんだん暗く、そして憎々しげになってゆく。
表情も消え、冷たく冴え冴えとした光がその瞳に浮かんでいた。
「全部嘘だったのか?お前さんの親父さんの手紙とか…」
「いや、それは本当」
掠れ声のゼネテスの質問に、レオーネは肩を竦めて答える。
「全部本当さ。言ってなかったことはあるけど、親父が持ってた手紙の中には、お前の親父からのも混じってた。
オレの親父は、お前の親父、当時のファーロスご当主様に相談の手紙を出してたんだ。
お前の親父は、オレの親父が権力争いしてた連中の仲間じゃないことを知っていた。
でも、ぬれぎぬを着せられた親父をほったらかしで死なせたんだ。見捨てられたのさ」
レオーネは吐き捨てると、にやりと笑った。
「やっぱり人間、人がいいだけじゃ駄目だな。オレは連中に脅しをかけ、それから相談を持ちかけた。
どうせなら、人に使われるより、使う立場になろう。ゼネテス・ファーロスさえいなくなれば、騎士達をまともに指揮できるやつはいなくなる。あとはどうにでもなるさってさ。みんなあっさり乗ってきたよ」
「…お前さんが主犯だったってわけだ。いい芝居だ、いますぐ看板役者になれるぜ」
苦い笑いをかみ殺しながら、ゼネテスがそういうと、レオーネは「オレもそう思うぜ」と答えた。
一時的に回復しかけた体力が、毒でまた落ち込んできたのが判った。
ふらりとゼネテスは目眩を感じて膝をつく。
レオーネの笑い顔が歪んで見知らぬ顔のように見えた。
「ほらほら、意地はるのも限界だね。オレが止めさしてやるから、大人しくしてなよ」
「…もう一つ聞いてもいいか?」
「しつこいね。そこまで親切につきあってやる義理はないと思うけどさ、言ってみなよ」
その言葉にゼネテスは自嘲気味に笑った。疑いながらも、信じたいと思った自分の甘さをあざ笑った。
「一緒に旅をしたいといったな…、それも嘘か…?」
「そんな事か」
鼻で笑ったレオーネが、肩を竦めて呆れたように言う。
「そうだな、10年前だったら、多分本気だったかもな。今は、頼まれたってごめんだ。
オレはさ、もう家もなくて放浪して歩くのなんてまっぴらだ。この辺でオレだっていい思いさせて欲しいぜ。
ま、生まれたときから銀のスプーンくわえてたお前には、判らないだろうさ」
「そうか…」
ゼネテスは苦く笑った。
「これで質問は終わり?んじゃ、止め刺させてもらよ。首は落として、蝋漬けにしてちゃんと送り返してやるよ。
エリス王妃の元へさ」
剣を持ち替え、膝をついた友人の元に近付きかけ、レオーネはしかつめらしく眉を潜めた。
ゼネテスが剣を支えにふらりと立ち上がったからだ。
「しぶといのもそこまで来ると、可愛げなくて嫌になるな。潔く首差し出すくらいの心境にならないのかい?」
「…なってたまるか」
ゼネテスは蒼白な顔で笑った。
「お前さんがなんと言おうと、俺は俺でやりたい事もあるし、ここであっさり終わる気はないんでね」
その顔にレオーネの背後にいた男達が、一瞬後ずさる。
「お前がどんな気でいたって、それはお前の勝手さ。でも確かなのは、お前はここで終わりって事だな」
悪あがきの道化を見るような目で、レオーネは冷ややかに肩を竦めると、冷静に男達に命令した。
「まわりから取り囲んで、一気に行け。どうせ体力が続かないんだ。一度すっころばせれば、それで終わりさ」
レオーネが手をひらひらさせる。
ゼネテスは男達の顔をぐるりと見回した。以前に襲撃してきたような、いずれもならず者風の男達だ。
普通であればまったく相手にならない程度の連中だが、悔しいことにゼネテスは立っているのもしんどい状態だ。
(毒消しはどこにやって…ってあっても治療する暇をくれるとも思えねぇな…)
我ながら、馬鹿の連続だ、といまさら思っても遅い。
意地だけで剣を構えながら、ゼネテスはもう一つ訊いた。
「さっきの木こりは?あれは偶然か、必然か?」
「必然に決まってるでしょ?敵の戦力は分断すべし、が戦術戦略の基本でしょうが」
不意に彼は意地悪そうに笑った。
「お前さ、俺の言ったこと、疑ってただろ。盗みに入ったなんて、バレバレの嘘だって事ぐらい、
俺だって判ってたよ。引っかけあいだ、お互い様さ。だから最後に本当のことを教えてやるよ。
俺はな、アンギルダン戦、騎士団の一員として、総司令官殿の直属にいたんだ。そうお前の親父殿さ。
負けそうになったとき、お前の親父さん、なにしたと思う?伝えられたような潔い態度じゃなかった。
俺達、騎士団員を盾に、自分だけ逃げようとしたんだ。…それを見たとき、俺の中で何かが切れたんだ。
お偉いさんなんて、信用したら駄目だ、こいつらは俺達の事なんて、虫けらにしか思ってないって。
お前の親父を殺したのは俺さ」
そう言ったレオーネが手を振ると同時に、ならず者達が一斉に襲いかかってくる。
ゼネテスは腰を低くして剣を正眼に構え、それを待ち受けた。
と、空気がびりびりと放電するような気配が、辺り一帯を突き抜けた。
男達が一瞬立ち止まり、顔を上げた。
そしてゼネテスも。
次の瞬間、レオーネを中心に男達をなぎ倒す勢いで稲妻が地上を走り抜けた。
「げっ!」
レオーネが周囲の火花に、引きつった顔で腕を上げた。
剣を構えたまま唖然としているゼネテスの目前で、男達が全身から煙を上げて倒れ込む。
気が付いたときは立っている男はレオーネとゼネテスの二人きり。
その男達の間に割ってはいるように空気が揺らいだ。
レオーネが舌打ちして何歩が後ずさる。
「要するに、ネコかぶってたのは俺だけじゃないって事かい。ユナイトスペルまで使いこなしてたなんてな」
「別にネコなんて被ってないわ。訊かなかったから、教えなかっただけだもの」
転移呪文で空中から現れた少女は、敵意も露わにレオーネを睨み付けていた。
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