◆運命の輪 11◆
 
 
自分をかばうように立つ少女の背中に、ゼネテスは力の抜けた声を上げた。
「お前さん、なんでここに戻ったんだ?」
「だって、こいつが雇った男、馬鹿なんだもん。麓まで善良なふりしてれば騙されたかも知れないけど、
仲間を何人か潜ませておいて、よってたかった人を手込めにしようとしたんだよ」
 
憤慨した口調に、ゼネテスはほんの少しだけ相手の男達が気の毒になった。
たとえ少女が手加減していたとしても、二度といい目を見ることが出来ない身体にされたに違いない。
だが続く言葉に、どうやら手加減もしてもらえなかったらしいと判る。
 
「1人だけ残しておいて白状させたんだけど、上の方でごちゃごちゃやる予定で、とりあえず私だけ
引き離すつもりだったんだって言うから、急いで戻ってきたの。間にあって良かった」
最後の一言だけ情感込めて言うと、リュミエはレオーネに辛辣な目を向けた。
「これであなたの手勢は全滅ね」
 
「しゃあねえな、金持ちほど命汚いって言うが、まったくだ。いい加減、舞台を他に譲る気にならないものかね。
俺達、身分の低い者から搾取するばっかりで還元するって事を知らない。だから大貴族ってのはいやなんだよ」
吐き捨てるレオーネに、リュミエの冷ややかさは変わらない。
「寝言を歩きながら言う馬鹿が何ぬかしてるの。愚痴を聞いてほしけりゃ、どっかの坊さんの所にお行き」
言うなり片手を上げる。
空気が鋭く振動し、風きり音を上げたかと思うと、レオーネは全身に衝撃を受け、後ろに吹っ飛んだ。
服の布地が裂け、全身の皮膚が薄く切り裂かれ、血が流れ出している。
男はあっという間に真紅になった自分の身体に、目をむいた。
 
「今のは狙ったの。まずは薄皮一枚」
リュミエの周囲で風が命ある者のように渦巻いている。彼女が作り出したかまいたちが自分を襲ったのだと
レオーネは悟った。
慎重に立ち上がりかけた男に、リュミエは唇をつり上げて笑ってみせる。
「次は肉、そして骨、内臓。順に切り裂いてあげるわ。私の男に血を流させた報いをうけてもらう」
歓喜さえ感じられる声音に、強い圧力を感じる。
レオーネは目の前の少女が、自分の想像以上の強大な力を持っていたことを思い知った。
そろそろと剣を持ち、間合いを計り始めた相手に頓着せず、リュミエは顎を引き、上目で睨め付ける。
 
「…なますにしてやる。その身体の一片すら残らぬくらいに」
 
宣言すると同時に、空気が個体になったような圧迫感を感じ、レオーネの全身から冷や汗が流れた。
彼女の上げた片手に指揮されたように、風が刃となってに自分に向かって襲いかかる、そう感じて身体を固くした
レオーネの目の前で、何かが弾ける音と共に風が霧散した。
「あ…!」
声を上げて少女を見ると、リュミエは驚いた顔で自分の背後を見ていた。
さっきまで後ろで膝をついていたゼネテスが、彼女の腕を掴んで攻撃を止めたのだ。
 
一気に緊張感がとけ、尻を付いたレオーネを無視し、リュミエは自分を止めたゼネテスに噛みつくように叫んだ。
「どうして止めるの!こんなのでも友人だから?だから助けろって言うの?」
ムキになる少女に、ゼネテスは少しだけ悲しげに笑って見せた。
「…いんや、そうじゃない…。だが、これは俺の『戦い』なんでね。お前さんであっても譲れないんだ、…悪いな…」
何か言いかけようとした少女の前で、ゼネテスはにやりと笑った。
蒼白で脂汗を流して、フラフラしているのに、その目の輝きは変わらない。
リュミエは唇を噛んで、集めていた魔力を全て散らした。
 
どれだけ辛いことであっても、受け止める。強さも弱さも、全て飲み込んで自分の糧とする。
そうやって生きてきた男は、友人の裏切りすら受け入れ、自分自身での決着を望んでいる。
それが判っていて、なおわがままを言うのであれば、自分はゼネテスと共にいる資格はない。
リュミエは苦笑いして小さく呪文を唱えると、ゼネテスの体内の傷を中和し、傷を治した。
すっと身体が楽になったのか、ゼネテスはおどけた顔つきで肩を上下させる。
 
「ほんとに、…馬鹿なんだから。でもその馬鹿に惚れたんだもの、仕方ないね」
殺気を綺麗に消し去り、リュミエは眉をへの字にして笑うと、ぽんとゼネテスの胸を拳で叩いた。
「悪いな」
本当に申し訳なさそうな声音に、リュミエは首を振る。
「…いいよ。そのかわり勝って。もしもやられたら、今度こそレオーネはなます刻みだから」
「そりゃ、いくら何でも見るに忍びないな。それじゃ…、勝つしかないか」
1つ笑ってリュミエの頭に手をやると、ゼネテスはまっすぐにレオーネに向き直った。
 
◆◆
 
立ち上がったレオーネが何かを呟くと、清らかな光が弾け、全身から流れていた血が止まった。
ゼネテスは唇の端で笑った。
「ヒーラースペル、使えたんだな」
「これくらい、当然なんだろ?」
自らの呪文で傷を癒し、レオーネは揶揄するように答える。。
 
「…呪文で傷はふさがっても、流れた血は補えないわ。長引くと不利よ」
少し後ろでリュミエが、ゼネテスの状態について、冷静に指摘した。
「ああ、判ってる」
それは本人が一番判っている。傷が癒えたと言っても、出血による貧血状態はまだそのままだ。
レオーネもそれは承知の上で、余裕を取り戻した顔をしている。
 
「オレはお前と互角なんだぜ?その身体で勝てると思われたとは、かなり心外だな」
鼻で笑って斜に構えたレオーネの顔は、見慣れた友人とは別人のようだった。
答えずに黙って剣を持つゼネテスに、レオーネはもう一度、侮蔑的な笑みを浮かべる。
「やっぱりお前の女の趣味は最悪だな。そんな凶暴な女、可愛がるやつの気が知れないぜ」
「最高の女さ。俺がやられたら、取りすがって泣きわめく前に、地獄の果てまで敵を討ちに行く女だ。
お前にいるのか?自分のために命を懸けてくれる女が」
その問いかけに、レオーネはヒステリックな笑い声を上げた。
 
「いらないね。女なんて、金と身分があればいくらでもすり寄ってくる。そんな女に命を預けられるか」
「…哀れだな。そんなろくでもない女しか、まわりにいなかったとはな」
目を細めたゼネテスの哀れむ声音に、レオーネは憮然とした。
「お前に同情されたくないね。どうせ、計算づくなんだろ?大家のご当主様と、お姫様。
お似合いすぎて、反吐がでらぁ」
 
まるで違う言葉を話しているようだ、とゼネテスは思った。
つい数時間前までは、冗談を言って、昔話をして、ガキの頃のようにふざけて笑っていた男が、
今は自分の言葉を完全に拒絶している。
自分と違う、『大貴族』という名の別種類の動物を相手にしているように。
レオーネにとって『ゼネテス』という名の男は、もはや同じ言葉を話す人間ではあり得ない。
 
(…しゃあねえな)
ゼネテスは目の前の戦いに集中した。
胸の奥のもやもやはとぎすまされた神経の中に消え去り、余計な音が全て遠くに行き、自分とレオーネ二人だけに全ての意識が集中してゆく。
対峙した相手の気配を全身で追い、そして、同時に動いた。
鉄と鉄のぶつかる音がした
 
◆◆
 
想像していた以上にレオーネの斬撃は凄まじかった。
片手剣の軽さをいかし、ふりぬいたと思った剣の返しの勢いで、再び斬り結んでくる。
だからといって、ゼネテスもそれに後れをとるほど未熟な剣士ではない。
こちらは両手剣の重みを十分に使いこなし、剣を叩き上げる。
レオーネは踏み込んでははじき返される剣に、舌打ちをした。
ひゅっと間合いを外し、もう一度仕切直しをする。
ゼネテスは腰を落として姿勢を正した。
 
意識していない汗が額から頬を伝って流れ落ちる。
レオーネがにやりとした。
「汗かいてるね。無理しちゃって」
「無理もするさ。自分の命がかかってる」
「そうだろうさ、結局お前達は自分の命だけが大事なんだ」
憎々しげに言って、飛び込みざまレオーネが剣を下から逆袈裟に切り上げる。
のけぞるように交わしたゼネテスの剣が、開いた脇に向かって突き出され、それを横にかわしてレオーネは剣を水平になぎはらう。
ゼネテスの剣がそれを弾き、再び間合いが取られた。
 
「お前らは親父を見殺しにした。人の命を、面倒くさがって無視したんだ。そんなお前らの命なんて、
守る価値があるもんか」
汚らわしげにレオーネが怒鳴った。
だがゼネテスは、もうその挑発に心を動かされることはない。
静かに告げる。
「誰かに守って貰おうなんざ、はなから思ってない。自分の命だ。自分で責任とるさ」
「よく言うぜ。お前らの命なんて、最初から誰かに守られてるんだ。他のやつの運を全部吸い取ってな」
 
声は届かない。言葉は意味をなさない。
レオーネはゼネテスを許さない。
彼が「大貴族出身である」そのこと自体が罪であると、そう告げている。
ゼネテスの中に、鋭い痛みが走った。
 
◆◆
 
 
1人離れたところでその戦いを見守るリュミエは、おそらく本人以上にゼネテスの体調を把握していた。
何かで緊張が途切れたら、その場でゼネテスは崩れてしまう。
レオーネもそれを知っているから、言葉を投げる。
話し合いなどする気もないのに、言葉で打ちのめそうと、彼を責める言葉を口にする。
 
いっそ自分がケリを付けてやりたいと切望する気持ちを、リュミエはきつく手を握りしめてこらえた。
『破壊するがいい、全ての世界を』
彼女の中の何かが、理性をすてて心のままに力を振るえと、そう、そそのかす。
「うるさい!」
彼女は、自分で自分の心の内に、拒絶の意志を示した。
「私は人として生きるの。惚れた男と共に。そう決めたんだから、未練がましい神様は大人しく引っ込んでてて」
 
もしも運命というものがあるとしたら――それは自分で選んだ未来の先にあると、リュミエは思っている。
だから簡単に譲る気はない。例え相手が神でも運命でも。
未来を生きるのは、「自分」なのだから。
リュミエの両手が無意識のうちに握りあわされた。
祈りを捧げる相手は神ではない。
彼女がただ1人愛した男の底力に、彼女は祈り続けていた。
 
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