互角であると、そう男が言ったとおりに、勝負は長引いた。
いくらしぶとさが取り柄であるとはいえ、出血と毒で弱った体でのゼネテスの踏ん張りは、
リュミエにさえ信じられないほどだった。
レオーネの顔から余裕が消え、ゼネテスを睨む目には怒りと憎悪しかない。
対するゼネテスは、むしろ雑念が全て消え失せたように、静かで、揺るぎのない瞳をしていた。
「いい加減、くたばっちまえよ」
「あいにく、俺がやられたら、お前はなます刻み決定だとさ。さすがにそれは寝覚めが悪いからな」
「そうかい、オレのためか。それはお気遣い、ありがとうよ」
レオーネは吐き捨てる。
「お前がいつもそうだったよな。身分なんて気にしません、オレとお前は友人でございって面してさ。
それがどれだけ屈辱だったか、お前には判らないだろうさ。どんな嫌な野郎にでも愛想笑いしなきゃ、
生きていけないっていうような立場がどんなものか、理解できないだろう、お前にはさ」
始めてゼネテスの表情が苦しげに歪んだ。
「最初っから、お前さんは俺を憎んでたって事か?昔、ガキだった頃から――」
「当たり前だろうが、オレがお前を好きで通ってたと思ってたか?はっ!いい気なもんだぜ。
さすがいいとこのお坊ちゃんだ。自分を嫌う人間がいるなんて、高貴な方々は考えてもみないんだろうさ」
ゼネテスは唾を飲み込んだ。
わずかに、その身体が傾ぐ。
一瞬の動揺を、レオーネは見逃さなかった。
はっとリュミエは一歩前に踏み出した。
レオーネが斬り込んでゆく。
ゼネテスはわずかに体勢が崩れたまま、それを迎え撃つ。
我知らず少女は声を上げようとし、両手で自分の口を押さえた。
◆◆
打ち込んでくるレオーネの顔が、見覚えのある子供の顔と重なる。
奇妙な既視感。
ゼネテスの身体がまるでその先を知っているように動き、彼の剣を弾き、次に備える。
覚えている。
これは少年時代からの彼の決め技だった。
素早い動きで袈裟懸けに斬り込み、交わしたところで逆袈裟に斬り上げる。
もう一度交わして剣を会わせた瞬間、身体を返し、相手の体勢を崩したところで――
過去に何度も合わせた剣をなぞるように、レオーネが動く。
大人の顔、子供の顔。二つの顔がゼネテスの視界を交錯し、流れる二つの軌跡が1つになる。
横に移動したレオーネから鋭く剣が突き出された。
腰の辺りに熱い衝撃を感じるのと同時に、ぎん、と何かが折れる音がした。
目の端を横切って飛んだものが折れたレオーネの剣の剣先だと、その時のゼネテスは気が付かなかった。
目を見開いたレオーネの顔が、ガラスの向こう側のように感じられる。
視界が突然真紅に染まり、ついで目の前が真っ暗になった。
膝が傾ぎ、身体が崩れ落ちそうになる。
◆◆
「ゼネテス!」
せっぱ詰まったような少女の声が彼の名前を呼び、小柄な身体が、自分の身体を支えようとしがみついてくる感触に、ゼネテスは剣を支えに辛うじて崩れようとする身体を保った。
そのままゆっくりと地面に座らされる。
「血が目に入ったのよ」
リュミエが布でゼネテスの目を拭った。
「…ああ、それで真っ赤か。悪い…」
血をふき取られ終わった頃、ようやく真っ暗になった視界が戻ってきた。
「腰の所をかすっただけよ。良かった、浅い傷だわ」
心底ホッとしたように、リュミエが回復呪文を使う。
少女の顔を確認し、それからゼネテスは辺りを見回した。
少し離れた場所に、折れた剣を握りしめ、瓦礫の1つにもたれるように身体を投げ出しているレオーネがいる。
右の脇腹から左肩に斜めに走る傷から流れた血は、彼の全身を真紅にぐっしょりと濡らしていた。
唇の端から血を滴らせたレオーネが、無念さを浮かべた目を上げた。
「……」
ゼネテスはふらつきながら立ち上がった。
リュミエはそれを黙って見つめている。
レオーネはすでにもやがかかったような目でゼネテスを認めると、にやりと笑った。
「…やっぱり、お前は運命に愛されてるんだ。どこまでも幸せな奴だ」
苦しそうにせき込んだ口から、大量の血があふれ出る。
自分の振るった剣が、彼に致命傷を与えたのは間違いないと、ゼネテスはわずかに唇を歪めた。
血を流しながら、それでも皮肉な笑みを浮かべ、レオーネは話し続ける。
「殺せよ。どうせお前は運命に愛され、オレは見放されている。生まれたときから、それは決まっていたんだ。
いまさら改めてそれを知ったところで、嬉しくも何ともない。殺せよ、――お前の手で」
血まみれでふてくされた顔で笑う目の前の男は、いったい誰だろう。
目眩でぐるぐる回る視界の中で、男の姿は遠い過去の記憶のように、頼りなく現実感がない。
ゼネテスは言われるままに剣をとり、自分を見上げる男の前に立った。
「…とどめを刺せよ…せめてそれくらい、オレの望みを叶えてくれ…」
もう一度血を吐き出したレオーネの顔が、くしゃりと泣き出しそうになる。
ゼネテスは頭をふり、剣を逆手に持ち替えた。
ここにいるのは、間違いなく自分の幼なじみのレオーネ。
たとえ彼がなんと思っていても、自分は彼を友人だと思っていた。
どうすればいいのか、何をすればいいのか、道を見失って1人で悩んでいたときに、一緒に夜空を見上げて
大きく深呼吸をさせてくれた友人。
手加減抜きで剣の相手をしてくれ、勝つの負けるのと、本気でやりあった友人だった。
勝ったときの自慢そうな顔、負けたときの悔しそうに負け惜しみを言う顔、忘れられる筈のない楽しい記憶だ。
目の前のレオーネが目を閉じる。その口元に、何か安堵したような幸せそうな笑みが浮かぶ。
それが望みであるなら、それでいい、とゼネテスは思った。
自分にとって彼は友人だった。その友人が、自分の手でとどめを刺されることを望みだというのであれば、
それを叶えてやりたいと、理屈ではなく、心の底から思った。
ゼネテスは眉をしかめ、吐息のような声で「あばよ」と別れの言葉を告げた。
◆◆
ゼネテスの剣がまっすぐにレオーネの心臓に向かい、構えられる。
それがレオーネの身体を貫こうとわずかに動いた瞬間、逆から引っ張られてゼネテスはぎょっとした。
リュミエが片手でしっかりと剣を持つゼネテスの腕にしがみついて動きを止め、もう片方の手をレオーネに向け
素早く呪文を唱える。
何をするかと問う間もなく、柔らかい光がレオーネの身体を包み、無惨に開いた傷を閉ざしていった。
驚いた顔のまま動きを止めたゼネテスはもちろん、レオーネすらぎょっとして目を開け、そして少女の顔を見る。
リュミエはぽかんと自分を見つめる男に、たたき付けるように言った。
「あなたの望みなんて、叶えてやらない。ゼネテスを苦しめて、自分だけ楽になろうだなんて、そんなの絶対に
許さない。あなたが死を望むというのならば、あなたを憎む者の哀れみによる生を、あなたにくれてやる!」
言葉もないレオーネに向かい、リュミエはまくし立てた。
「悔しい?だったら、こんどは私を狙えばいいわ。私はあなたにとどめを刺すことに、痛みなんて感じない。
喜んで殺してやる。あなたみたいなクソたわけ野郎にゼネテスの事をどうこうなんて言わせない。
あなたが自分のしたことの言い訳に運命を持ち出した時点で、あなたはもう負け犬だったの。
そんなあなたに、ゼネテスを一言だって非難なんてさせない。私を憎たらしいと思うなら、私を狙いなさい!」
仮借のない言葉に、思わずゼネテスは止めに入った。
ぐいっと肩を引き寄せられ、リュミエはまだ言い足りなそうな顔で唇を噛みしめる。
ぽかんとしていたレオーネが、不意に甲高い声で笑い出した。
「クソたわけ、クソたわけ野郎か…」
笑いながら、何度もその言葉を繰り返し、フラフラと立ち上がる。
レオーネはゆっくりと顔を無言で自分を見ている二人を見つめた。
その目にはなんの感情もなく、ゼネテス達には今彼が何を考えているのか、見当が付かない。
ふっと視線を逸らしたレオーネは半分に折れた剣を拾うと、酔っぱらいのような足取りで、歩き始めた。
「クソたわけ野郎の…負け犬か…」
フラフラと歩く背中の向こうで、レオーネは何度もそう繰り返していた。
今にも泣き出しそうな声音で。
声をかけようとわずかに口を開きかけ、ゼネテスは結局何も言えずに唇を閉ざす。
肩を掴んでいるゼネテスの手にぎゅっと力がこもったのを感じ、リュミエはゼネテスの顔を見上げた。
ゼネテスは微かに眉を寄せたまま、黙って去って行く友人の後ろ姿を見つめている。
一見、何事の無いような落ち着いた顔で、それでもリュミエの肩は痛いほど力のこもったゼネテスの手で押さえられている。少女の動きを抑えようというのではなく、おそらくは自分の中の辛さをこらえるために、無意識にこもった力なのだろう。
レオーネの姿が完全に視界から消えるまで、ゼネテスはそのまま彫像のように動かなかった。
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