◆運命の輪 9◆
 
 
翌日、木々の間に完全に埋もれたような山道を3人は登り始めた。
レオーネはさすがに女のリュミエの体力を気遣っているようだが、当の本人は虫がたかってくるのをはらいながら
平然と歩き続けている。
「貴族のお姫様」という先入観があるせいか、レオーネはどうにもこうにも、この娘が不思議でしょうがない。
一ヶ月以上一緒に冒険の旅をしているのだが、いまだに何かあると手を出しそうになって少女に睨まれている。
 
「可愛くないの〜友人の婚約者だと思うから、紳士的に振る舞おうと努力してるのに」
そうレオーネがぶつくさ言うと、リュミエはしらっと答えた。
「あいにく、可愛がってもらう相手は自分で選ぶことにしてるの」
苦笑いしているゼネテスをレオーネは肘で突っついた。
「やだねぇ、恥ずかしげもなくのろけちゃって。それでは、ご指名受けてるゼネテスくん、おんぶでもしたらどう?」
「おう、見せつけて欲しい奇特な友人からのリクエストが出たところで、1つおんぶしてやろうか?」
「いらない」
 
ふざけ半分で言うゼネテスに、リュミエは素っ気なく返事した。
よた話をしながらも、足は止まらず、どんどん山頂の遺跡を目指す。
先頭を歩いていたゼネテスが、不意に止まった。
「どうした?」
レオーネが聞くと、リュミエも何かに耳を澄ますような仕草をする。
「人の声?」
「そっちの茂みの方だな」
 
彼等の歩いている山道は両側とも深い森だが、片方はゆるめの下りになっていて、声はその下の方からする。
声をかけながらゼネテスとレオーネが下りていくと、どうやら足でもくじいたらしい木こり風の男が1人、
木の陰に蹲っていた。
リュミエが待っている場所まで手を貸して引っ張り上げると、少女が面倒くさそうに回復の呪文を使う。
男は急に痛みが引いた足に、びっくりしながらあたふたと礼を言った。
 
「お前さん、地元の木こりか?」
ゼネテスが訊ねると、男が頷く。40過ぎくらいのがっしりとした体格の男だった。
「そうなんだが、いきなりでかいモンスターにでっくわして、驚いて坂を転げ落ちちまったんだ。斧はなくすし、
足は痛いし、いつ襲われるかと、生きた心地がしなかったよ。あんたらが通りかかってくれて本当に良かった」
何度もぺこぺこと頭を下げながら、繰り返し礼を言う。
「いや、無事なら良かったよん。そんで、おっちゃん、どうする?」
レオーネが軽く言うと、男は「村に戻る」と言った。
 
「本当なら、もう少し先の木こり小屋に泊まりがけで木を切るつもりだったんだが、襲われて持ってきた食料も
全部なくすし、商売道具の斧もなくすし…、このままじゃ仕事にならんからの」
情けなさそうに頭をかいている。
「モンスターって、どんなの?」
リュミエが聞くと、男は恐ろしげにぶるっと体を震わせた。
「どんなのって、でっかい猿みたいな…、おっそろしくて、よく見てなかった」
「この山はなじみなんでしょ?今まで、見たことも聞いたこともなかったの?」
やや辛辣に少女が言うと、男はますます情けない顔つきになった。
「俺のなわばりは、好もう1つ南の森なんだ…、この森で香木を集めてる仲間に頼まれて、代理できたんだよ。
でも今までそんなでかいのが出たなんて、聞いたことがなかった」
 
リュミエが肩を竦めると、ゼネテスが男を慰めるように口を挟んだ。
「ま、そういう事もあらあな。久しぶりに行ったら、今までよかでかい怪物が巣を作ってたなんて、珍しくもない」
「…あんたら、冒険者かい?」
今頃になって男が気が付いたのか、そう聞いた。
ゼネテスが「そうだ」と答えると、男は煮え切らない言い方で切り出した。
「そんなに礼は出せないが、麓の村まで送ってくれないかな。礼の奴にまたでっくわすかと思うと、…おっそろしくて。俺の村は、歩いて一日くらいなんだが、駄目かな…??」
いいながらも目線はきょろきょろと落ちつきない。
足は治ったものの、全身の細かな擦り傷はそのままで、服も所々木の枝に引っかけたように破れ、
男が闇雲に逃げ回った様子がありありと分かった。
 
3人が申し合わせたように顔を見合わせる。
頭をかきながらレオーネが困り顔で「戻るか?」と聞いた。
ゼネテスは渋い顔で首を振る。もしもレオーネが狙われているというのが本当であれば、仕事以外でこんな場所まで来たのだから、行き先を疑われ、つけられている可能性もある。
ここで引き返したら、行き先の見当をつけた相手に切り札の文書を先に手に入れられてしまう、
そういう危険性もある。
だからといってここで見捨てる、というのもなんとも気が咎める。
結局――リュミエが1人で男を麓まで送っていくことになった。
 
「私が送ってくの?」
露骨に嫌な顔をしてリュミエが男を睨む。
少女の視線にビクビクしている男の様子に苦笑したゼネテスは、慣れた調子でリュミエを木の陰に引っ張っていくと、耳元で一言二言囁いた。
納得はしていないようだが、だからといって逆らう気もないようでリュミエは素直に頷いている。
「猛獣使いみたいだな〜あいつ」
聞こえないくらいの小声で呟いたレオーネは、二人が戻ってきたのを見て、場を取り繕うように笑った。
 
「話は付いた?」
「ついた」
リュミエが素っ気なく言って、木こりを促す。
男はおっかなびっくりと言った顔つきで、あとに残った男二人に名残惜しげに何度も頭を下げながら、少女の後をビクビクと追ってゆく。
「ありゃりゃ〜、彼女、貫禄ありすぎ。おっさん、びびりまくってるわ」
レオーネが呆れ声で笑いながら、二人を見送った。
「ほれ、俺達も行くぜ」
ゼネテスが前にたって歩き出すと、レオーネも慌てて並んで歩き出した。
 
 
◆◆
 
 
リュミエと別れてから、さらにレオーネの案内で歩き続け、ようやく目的地に着いたときは、
昼を回っていた。
遺跡はかなり小さい、というか、地上部分は土台だけ残して殆ど崩れ、横穴状の地下への入り口だけが瓦礫の間にぽっかりと口を開けている、そんな印象だった。
石柱の一部だったらしい巨大な石が、ゴロゴロと転がっている。
石畳は生命力旺盛な苔がびっしりと張り付き、緑の絨毯のようになっていた。
「広そうに見えるけど、この地下も途中で崩れてて、わりと奥は浅いんだ。そのうちの石組みの1つに細工して、
文書をしまっておいた」
松明をかざしたレオーネが先に横穴に入っていく。
緩やかな下り坂で床石は所々はげかかってはいる物の、壁と天井はしっかりととした石組みに支えられていた。
通路の幅はかなり狭く、息苦しさを感じさせる。
やがて、レオーネの言ったとおり土砂に埋もれ、先が途切れてしまっている場所に出た。
 
レオーネは松明をゼネテスに渡し、手元を照らしてもらいながら石組みをまさぐりだした。
「確かこの辺だったんだけどな、ああ、あった」
「どれ」
ゼネテスが顔を近づけると、なるほどきっちりと組まれた石の1つだけが、手がかけられるようにか、
わずかに端が削れた形になっていた。
「よいしょ、ありゃ、まわりに欠片を詰め込みすぎたかな。でてこないや」
頭をかきながらそういうレオーネに、ゼネテスは声を立てずに笑った。
 
「笑ってられるのも今のうち。出てきたものを見て、腰を抜かすなよ」
舌を出しながら、レオーネは腰に差していた短剣を引き抜いた。
それで石をほじくり出すのか、そうゼネテスが思ったとき――右の脇腹に衝撃があった。
やがて、生暖かいものが流れる感触がして、そこからしびれるような熱さが身体に広がって行く。
ゼネテスは呆然と隣で笑っているレオーネの顔を見た。
 
ゼネテスの右脇腹に深く食い込んでいるのは、レオーネの握る短剣だった。
 
 
 
TOP