◆ 一夜の怪異譚 ◆


追っ手の声が急に遠ざかった。
岩屋の入り口付近で騒いではいるが、それ以上中に入ってくる様子のない兵達に、岩の影に身を潜めた蛇骨は不思議そうになる。
「あいつ等、なんで追っかけてこないんだ?」
「追いかけてきて欲しいのか?」
不機嫌そうに答える睡骨は、横柄に突き出された蛇骨の右腕の傷に布を巻いている。
「別にーー。やり合ったって銭にもなんなきゃ、クソ面白くもねー雑兵どもだしさ」
兵達は少しの間その辺りをうろついていたが、すぐに引き返していったようだ。
負け戦の落ち武者とはいえ、蛇骨達はあくまで傭兵で大将首でもない。
兵達にしてみれば、粘ってまで上げるほどの首級ではないという事だろう。
あっさり引き上げられると、それはそれで蛇骨は気に入らない。傷の手当てをしている睡骨に向かって、ふてくされてみせる。
「あいつら、むかつくーー!この蛇骨様をほったらかしにして、どいつの首を狙おうってんだ」
「丁度良かっただろう。てめえ、この腕で蛇骨刀を振り回すのは無理だろうが」
布の端を縛り終えると、睡骨は外の様子を窺いに立ち上がった。
そこは切り立った岩場の連なる谷で、蛇骨達が身を潜めているのは、その中でもひときわ大きな岩の裂け目の奥だった。
いくつもの大岩が重なる岩屋の奥は相当深そうではあるが、兵が入るのを躊躇うほどとも思えない。
だが、そこで睡骨は入り口の傍らにある小さな岩にしめ縄が張ってあったことに気が付いた。逃げ込んだときは気が付かなかったが、地元の連中にしてみればこの岩屋は何か曰わくのある禁域だったのかも知れないと睡骨は思い至った。

「それなら、休める間の時間が稼げるな」
「え、なにさ」
ひょいと立ち上がった蛇骨が側にくる。
「ここはどうやら、連中にとっては入っちゃいけねぇ場所らしいな。丁度いい、奥で一休みするか」
蛇骨の返事を聞かず、睡骨は岩屋の奥にはいる。無視されてふくれっ面になった蛇骨が後を追う。
「兄貴達のところへいかねぇのかよ。おれ等のこと、探してるかも」
「本陣が崩れたことを知ったら、兄貴達だってとり決めてた場所の方へ行くだろうよ。落ち着け、休みが必要なのはお前の方だろ」
素っ気ない睡骨の言葉に、蛇骨は布を巻かれた腕を見た。まだ血が止まらず、布は赤く染まりつつある。
利き腕を痛めた以上、多数の追っ手に出会った場合、危なくなることぐらい蛇骨にも判る。
舌打ちしつつも蛇骨は睡骨に習って岩の影に座り込んだ。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


重なり合っている死体の一つを足でひっくり返し、それが探している顔ではないと知って、蛮骨は安堵とも苛立ちともつかない顔をした。
「ったく、あいつ等、どこにいっちまったんだか」
「大兄貴」
背後から煉骨が駆け寄ってくる。
「おお、大将は無事だったのか」
「ああ、大丈夫だ。結果的に勝ち戦だと調子のいいことをほざいている」
「何が勝ち戦だよ、偶然だろうに」
蛮骨はまた違う死体をひっくり返す。その下から出てきた顔も、また知らない顔。
「……この傷跡は睡骨の爪だよな。って事は、この辺で暴れていたことは確かって訳だ」
蛮骨は敵兵の屍が累々と広がる平原の先に目をやった。
「……最後尾で闘ってたって言ったな。大将達とは別方向に逃げたか」

蛮骨達が今回雇われた戦の大将が考えた戦法は、挟み撃ちだった。
敵の陣の背後に別働隊を回らせ、自分が率いる本隊とで両側から押しつぶすつもりだったのだろうが裏をかかれ、蛮骨達七人隊を中心とした別働隊が出陣した隙に自分達の本陣が急襲を受けてしまった。
大将の守りに残されていたのは、睡骨と蛇骨の二人。総崩れになった本隊の最後尾を、侍達と一種に闘っていたのは間違いないらしい。
すぐに戻ってきた蛮骨達の働きもあり、なんとか大将は軍を立て直して、結局戦は勝利に終わったのだが、蛇骨と睡骨が行方知らずになってしまったのだ。
「…ちぇ…二手に分かれろって言われたときに、いやーな気はしたんだよなぁ」
忌々しげに蛮骨は毒突く。とはいえ、いつまでもそうしているわけにもいかず、蛮骨は背後に控えていた凶骨と霧骨を呼んだ。

「あいつらと別れる前に、万が一、この戦場で合流できなかったら、宿場町近くの道祖神の祠で待ってるように言ってあったよな。そっちに行ってるかもしれねぇから、お前等、先に行ってろ」
命令を受けた二人はうなずき、怪我人の手当や休息のための炊事の煙が立ち始めた陣屋からそそくさと立ち去っていった。
「あーあ、面倒くせぇがおれ達は本陣に戻るぞ。余計な手間かけさせた分、手間賃はしっかり払ってもらわねぇとな」
そう言って蛮骨は踵を返す。煉骨はそれを見ると、少し慌てた風に訊ねた。
「大兄貴、もう少しこの辺りを探してみなくてもいいんですか?」
「なんで」
「これだけの人数を殆ど二人で相手にしてたって言うんだ。怪我をして動けなくなってる可能性もあるし、……万が一、その辺の連中の下敷きに…」
最悪のことを考えて言葉を濁す煉骨に、蛮骨は明言した。
「万が一なんてねぇよ。二人いたんだ。二人一緒にくたばってるなんて事あるか!」
その語気の鋭さに、煉骨は口をつぐむ。
「あいつ等は死んじゃいねーよ」
蛮骨は自分に言い聞かせるようにそう言いきった。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


ほんの少し眠ったつもりだったのに、蛇骨が目を開いたときはあたりは暗闇に包まれていた。
「……あ、寝すぎた…」
寝ぼけ眼を擦りつつ立ち上がり、蛇骨は睡骨の姿を探す。
「睡骨、おい、どこだ?灯り持ってねぇのか?」
声に反応するように、岩屋の奥がぼんやりと光った。
「お、そこにいたのか……」
明るく呼びかけた声が、途中で詰まった。
そこに見えたのは青白い顔をした医者の姿だったからだ。
「おい、睡骨!てめぇ、かわっちまったのかよ!」
思わず怒鳴りつけると、気弱そうな顔つきをした医者は一瞬だけ蛇骨の顔に目を向け、そしてさらに奥へと消えてしまったのだ。
「ちょっと待てよ、お前、待てって!」
慌てて蛇骨はその後を追う。
だが暗さの中で睡骨を見失い、蛇骨は星明かりすら届かなくなった岩屋の中で、立ちすくんだ。

「……ここ、こんなに奥が続いていたんだ」
戻るに戻れず、岩壁に手を付きながら蛇骨はさらに奥へと進む。
とりあえず、医者に戻った睡骨を放って行くわけには行かない。
あのお人好しで闘うことを知らない医者が落ち武者狩りの連中と鉢合わせしたら、ただでは済まないことは分かり切っていた。
「あーあ、ほんと、面倒かけやがる」
ぶつぶつ言いながら歩き続け、ようやく先程目にしたのと同じような光を蛇骨は見つけた。
「お、ようやく見つけた!逃げんなよ、睡骨!」
とげとげしい声を張り上げながら、その光の元にたどり着いた蛇骨はそこで目を見張る。

そこにいたのは、子供だったのだ。10才になるかならないかといったくらいの、やせて小汚い着物を纏った一人の少年。
手入れのされていない長い前髪の間から覗く二つの目には生気がなく、ただぼんやりと蛇骨を見ている。
その少年に蛇骨は見覚えがあった。――いや、実際に目で見たわけではない。
その当時――蛮骨に拾われる以前の蛇骨は、自分の顔をまともに自分で見たことがなかったのだから。
ただ、水汲みの時に揺らぐ水面に映る、歪んだ顔を目にした事があるだけだ。
だが、直感で分かった。
ここにいる幽鬼のような少年は、あの頃の自分であると。

「……何でこんなとこにいるんだよ」
蛇骨はぶっきらぼうに話しかけた。
過去の自分は答えない。
何も考えていないような虚ろな瞳に、蛇骨は顔を歪めて舌打ちをする。
「聞かれたって答えらんねぇよな。自分がなんで今居るところにいるかなんて、知っちゃいねぇもんな」
あの寺の門の外に何かあるかも知らず、自分を物のように扱う連中に逆らうことも知らなかった。
そうやって生きていく――いや、自分が生きているという意識すらなかった。
殴られ蹴られ、押さえつけられたまま過ごすのだと漠然と思っていた。
自分の身体が動かなくなるまで、そういう日々が続くのだと思っていたのだ。
「今見るとさ、なんかやなガキだよな。小汚ねぇし、死人みたいな目してやがる。蛮骨の大兄貴、よく拾ってくれたよな」
何を言われても少年は答えることもせず、ただ黙って突っ立っている。

「おれに、なんか用があるわけじゃぁ、ねぇよな?」
一言も発することなく自分を見返す少年に、蛇骨は居心地の悪そうな声を出した。
「そんな目ぇしてんなよ。おれはもう、腹ぁすかせた犬っころと違うんだ。そんな恨めしそうなツラ、する事ないんだっつーの」
その言葉に、ようやく少年は身じろいだ。僅かに頷き、薄く口元を歪ませる。
それが笑っているのだと気が付くまで、少しだけ時間がかかった。 それほどに少年の笑顔はぎこちなく、儚い。
自分の目の前で、笑い方すら知らなかった頃の自分は微笑んでいる。
それがどういうことなのかなど、蛇骨は判らないまま掠れた声を出す。
「……笑った事なんて無かったもんなぁ」
少年はくるりと後ろを向くと、痩せた肩を精一杯はって歩き出した。
「おい、どこに行くんだよ!」
蛇骨はその後を追いかけた。
小さな子供の頃の蛇骨が、おぼつかない足取りで力無く歩いている。その背中に、大人になった蛇骨はいくら走っても追いつけない。
「おい!」
蛇骨は呼びかけながら腕を伸ばした。
その手が何かを掴む前に足が滑り、蛇骨は前のめりにつんのめった。

「何やってんだ、あぶねぇ」
聞き覚えのある声がして、転びかけの蛇骨の身体が太い腕で支えられた。
なんとか立ち直った足が打ち寄せる波に濡れる。
そこは海沿いの洞窟の中だった。
波に洗われて濡れた狭い岩場の上に、蛇骨は立っていた。

「……あれー…」
蛇骨は力の抜けた声を上げながら、まだ自分を支えている腕の主の顔の辺りを見上げた。波と共に差し込む月明かりにぼんやりと輪郭は見えるが、顔つきまでは判らない。
蛇骨はいきなり手を挙げると相手の顔を乱暴にまさぐった。そしてそのまま手を滑らし、頭も探る。固くて短い髪が天に向かって突っ立っている。
「お前、いい加減にしろよ!」
顔をぐりぐりと擦られた男は、怒った声をあげて蛇骨の手を引き剥がした。蛇骨は不思議そうな声を出す。
「お前、睡骨じゃん!」
「他に誰が居る」
「だって、さっき医者のお前を見かけたんだぜ。だからてっきり医者に変わっちまったもんだとばっかり……」
「ああ、おれも見た」
忌々しげに睡骨は答えた。
「医者の姿をしたおれが、恨めしそうな目で突っ立ってやがった」
「……ふーん…」
さっき見かけた子供の頃の自分を思いだし、蛇骨は押し黙った。
普段のような減らず口をたたくこともせず俯いた蛇骨に、睡骨は奇妙な目を向ける。
それから思い出したように聞いた。

「お前、どこから来た?」
「どこからって、さっきの岩屋の奥を通ってきたにきまってんだろ?」
変な質問をするもんだと思いながら、今自分が来た道を示そうと後ろを見た蛇骨は、そこが岩壁だったことに「あ?」と間の抜けた声を上げた。
「道がねぇ?」
「ねぇだろ」
両手で壁の隙間を探るように動く蛇骨の隣に立ち、睡骨も岩壁に手を当てる。
「おれもどこからここへ来たのかわからねぇ。医者の後をついてきたら、ここに出た」
「……変なの」
静かな睡骨の声を聞きながら、蛇骨は洞窟の出口の方を向いた。
海に突き出た岩屋の中は殆どが海水に浸り、足場に出来る場所は岩壁沿いの僅かな段差しかない。そこも濡れて滑りやすくなっているらしく、蛇骨は行き止まりになっている岩壁に背を預けてしゃがみ込んだ。その隣に睡骨も座り込む。

「…ここ、どこだろ」
「さぁな。だが近くに集落があるのは間違いない」
「なんでそんな事がわかんのさ」
蛇骨の問いに、睡骨は無言で入り口付近の岩壁を指差した。
そこは一部分が神棚のように削り取られてしめ縄が張られている。目を凝らしてみると、干涸らびた団子やボロ布の人形のような物が供えてあるようだ。この岩屋がなにかの神域として使われている証拠だ。
「人が通える場所なんだ」
「朝になったら、もう少し場所の見当も付くだろう。浜が泳いでいける距離にあれば、ここから抜け出せる」
「そうだよなぁ」
頷いてから、蛇骨は傍らの睡骨の顔を見上げて、小声で言った。
「なんかさ、お前、物知りっぽい」
「嫌みか」
「いや、本気でそう思った。やっぱ、お前、医者のほうじゃねぇの?」
「バカを言え」
「ふーん、じゃ、やっぱ、おれが馬鹿なだけか。あんなの、さっぱり気が付かなかった」
「いまさら何を言ってる」
呆れたように睡骨は言う。蛇骨は立てた膝に顎を乗せ、真面目な顔でとろりとした質感の海面を見つめている。

「自分のツラなんて、知らない方がいい事もあるかもな」
「しょっちゅう鏡眺めているやつが、またおかしな事を」
「自分の変なツラなんて、見たくねぇじゃん」
その物言いに、ふと睡骨は思い当たることがあった。
「そういや、医者とは別にガキも見たぞ」
「ふーん」
「あれは、お前か?」
蛇骨は海面に目を向けたまま、むっつりと黙り込んだ。
答える気配のないその横顔を睡骨はじっと見るが、僅かに差し込む月明かりの元ではその表情は定かではない。だが、機嫌良くしている訳でないことだけは判る。
岩壁に寄りかかり、睡骨は黙って目を閉じる。
傍らに蹲った蛇骨の返事はなかった。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


翌朝、睡骨が目覚めたとき、彼の膝の上には熟睡している蛇骨の頭があった。
いつの間に自分の膝を枕代わりにしたのかと呆れつつ顔を上げると、昨夜は海水に沈んでいた砂場が姿を表している。
「おい、起きろ」
身体を揺すられ、寝ぼけ眼を擦りながら蛇骨は起きあがった。
「あ、水がねぇ」
「潮が引いたようだな」
洞窟の外に出た睡骨は、陽射しに眼が眩んだのか手を掲げた。
岸から洞窟の前まで砂浜が続いている。
「どこだかわかんねぇけど、とにかく帰れるな」
ほっとした蛇骨がそう言うと、睡骨は松の林が続く岸を指差した。
「あのあたりの岩場に見覚えがある。宿場町への道があるはずだ」
「通った場所だっけ」
「覚えてねぇのか」
「全然」
「……お前、やっぱりバカだな」
「悪かったな」
そう言い返してから、蛇骨は砂浜を踏みしめて岸に向かう。
やれやれと言いたげに頭を振りながら睡骨が後に続く。
不意に、前を歩いていた蛇骨が唐突なことを言い出した。

「そういや、夕べ、あそこでガキ見たと言ったよな、お前」
「ああ、見た。お前とでっくわす少し前だったか」
「ふーん……」
足を止めないまま少し言い淀んだ蛇骨は、思い切ったように振り向いて睡骨に問う。
「そのガキさ、どんなツラしてた?」
そう言った蛇骨の顔を、睡骨は少しの間黙って見つめていた。どこか不安げな目をした蛇骨の真意を測るように。
時間を掛けて言葉を探し、ちょうどいい言葉が見つかったところで、睡骨は答えを口にした。
「しぶとそうな目をして、笑ってやがったよ」

「……ふーん、そっか」
睡骨の返事を噛みしめるように、蛇骨は視線を落として小さく頷く。
「そっか、笑ってたか」
にっこりと笑い、蛇骨は勢いよく歩き出す。
「笑ってたんなら、それでいいや」
「そういや、お前、腕の調子はどうだ」
追いついた睡骨が聞くと、蛇骨は急に驚いた顔で右腕を振った。
「あんま痛くねぇや」
「治りが早いな」
少し不審気な睡骨の言葉を、蛇骨はあっけらかんと笑い飛ばす。
「いつまでも痛いよっか良いじゃん」
「まあ、その方が鬱陶しくなくていいがな」
睡骨があっさりと言った直後だった。
ふっと何かに呼ばれたような気がして、蛇骨は洞窟に目を向けた。
睡骨も同じように洞窟を見ている。
一瞬、その入り口を、人影が掠めたように見えた。

そこに見える筈のない、もう一人の自分が見送っているような気がした。



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作中の洞窟について説明は入れてませんが、「胎内くぐりの岩」をイメージしてます。
昔は霊山に登る前に女性の胎内に見立てた岩屋をくぐることで、新しい身体で再生し、より強い力が得られるという考えられていたのだそうです。






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