◆ 蛍 1 ◆


 
まだ夏の初めだというのに、うだるような暑さが続いていた。
農繁期で雑兵の大半は農作業に追われ、戦らしい戦もない。
七人隊はとある城に雇われたのはいいものの、結局の所する事もなく、あてがわれた宿舎で無為の日々を送っていた。


「蛇骨!こんなところでゴロゴロするな!」
「あーーー…?」
放り出されていた足に躓きそうになった煉骨に怒鳴られ、足の持ち主である蛇骨は大儀そうに顔を上げた。 彼は縁側の陽射し避けにつり下げられた竹暖簾の影で、ぐったりと横になっていたのだ。
よほど暑さが辛かったのか両肩をすっかりはだけ、裾もからげて短くし、かろうじて腰の辺りだけが覆われているというあられもない恰好をしている。彼等と同じようにすることもなく、かといって遊びに行く金もなく、ブラブラしてる足軽や雇われ兵達がせめてもの目の保養にと竹垣の隙間からしきりに覗き込んでいるのを見て、煉骨は鬱陶しげに舌打ちする。
「こんな所でケツなんて曝してんじゃねえ」
「ケツなんて出してないってば〜〜〜〜」
蛇骨は間延びした声を出すと、またぐったりと俯せになった。
いくら戦もなく暇だからとはいえ、あまりにもだらけきった恰好に煉骨は呆れて言葉が出ない。
やれやれ、と言った風に頭を振りながら煉骨は屋敷の中に入った。
水でもぶっかけてやろうかと考えていると、開け放している表門の方から呼ぶ声がする。
今は蛇骨と彼の2人しかいないらしく、下働きの男も顔を出さない。仕方なく煉骨は声のする方に行った。

入り口にはおどおどと躊躇っているような初老の男が居た。いかにも良家の奥向きの仕事ばかりをしていたというような、そんな雰囲気の男だった。
「何か用か」
煉骨が問うと、男はひどく怯えたような声を出した。此処がどこか判っているのだろう。悪名高い傭兵集団、七人隊の宿舎。下手なことを言ったらすぐにでも首が飛ぶ、とでも思い込んでいるようで、すでに顔色が青くなっている。
「……突然で申し訳ございません。蛇骨様はご在宅でしょうか…?」
「蛇骨?」
「あーーー、おれがどうかしたって?」
自分の名前が聞こえたのか、だらっと這いずるような動作で蛇骨が顔を覗かせた。面倒くさそうにあぐらをかき、男の顔を上目で見る。
「……なんだあ、てめえ」
「あ、あの、わたくしは…」
怯えきった男が名乗ろうとしたとき、後ろから手が伸びた。女の手だった。
痩せて険のある顔つきをした、そろそろ「若い女」とは言い切れない年齢に見える女だった。女は従僕を押しのけて怖れげもなく屋敷にはいると、蛇骨をじろりと見る。
そしてつかつかと歩み寄ると、いきなり手を挙げた。
「お前が蛇骨だね?この恥知らずの色子が!」
いきなりの張り手で、ぼんやりと油断しきっていた蛇骨は避けようもなかった。その頬で小気味よい音が響く。 蛇骨は目をまん丸くしたまま、声も出なかった。
それを見ていた煉骨と、そして死人のような顔つきになった男も、驚きすぎてやはり声が出ない。
そんな中、女の甲高い金属的な声だけが辺りに響き渡った。

「卑しい傭兵風情が、よくも人の旦那様に手を出してくれたものだ!次にこんな事をしたら、ただでは済ませません!恥を知りなさい!」
まくし立てる女の声に、ようやく蛇骨は事情が飲み込めた。理解すると同時に猛烈に腹が立ち、蛇骨は形相を変えて怒鳴り返した。

「てめえ、ふざけんな!こちとら、てめえみてぇな蜘蛛の巣張った火処(ほと)と違って不自由してねえんだ!そんなにあの萎れ魔羅(まら)が大事なら、しっかりくわえこんどけ!」


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「ぶはははははは、そいつはすげえや!おれも見たかった!」
数刻後、戻ってきた蛮骨は、煉骨から話を聞くなり腹を抱えて爆笑していた。
「笑い事じゃありませんぜ、大兄貴。その後つかみ合いの大喧嘩になっちまって、引き剥がすのにどれだけ苦労したか。まったく、山猫の喧嘩の方がまだ品があるってもんだ」
じろりと睨まれて蛇骨は首を竦めた。髪は毟られ、顔には引っ掻き傷が数本。やられた分以上は確実にやり返したつもりだが、なんでこんな目にあわなければいけないのか納得がいかない。
「おれは人助けのつもりだったんだぜ?冷や飯食いの末っ子ってんで無理矢理婿にだされたものの、女房になった女は5つも年上の年増で、顔はオカメで身体はがりがりのいいとこなし。そのくせ、ヤキモチだけは一人前。このままじゃ生きてる甲斐がねえ、世を儚みたくなる、なんて泣きつくから、ついほだされちまっただけだっての」
悪びれなく言う蛇骨に、煉骨は叱りつけるように言う。
「お前の事情なんてどうでも言い。あの女はこの城の家老の娘だぞ。お前は、家老の家の婿に手を出したんだ。事の重大さが判ってるのか?」
頭ごなしに言われて蛇骨はふくれっ面になる。「向こうから口説いてきたんだってば」と不満そう言うのを聞き、蛮骨はまた笑いだした。
「別にいいんじゃねえの?今日、通りすがりに家老さんに声かけられたんだけどよ、婿さんの事はとっくに知ってたぜ?それで『婿殿の気持ち、よく分かる。我が娘ながら、あれは器量は良くない上に気が強すぎる。家付きでもなければ、嫁にしようなどと言う奇特な男は現れまい』ってしみじみ言ってたからなぁ」
「おお、そのじいさん、わかってるじゃん!」
脳天気に表情を変えた蛇骨に、煉骨はぴしゃりと言った。
「調子に乗るな、蛇骨。いくら御家老が不問にするつもりでいても、今日の騒ぎは見物が大勢いた。面子を潰されたとあっては、いくら何でもまったくお咎め無し、と言うわけにはいくまい」

それを聞いて蛇骨は項垂れた。あの女と喧嘩したこと自体は悪いと思わないし、亭主の方にも未練なんて最初からない。ただ、「蛮骨に迷惑を掛けるたのか?」と考えたら、罪の意識が湧いた。
「……ごめん」
神妙な顔で侘びの言葉を口にする蛇骨に、蛮骨は面白そうに言う。
「気にするこたあねえぜ。その事でどうこう言うようなら、一当てしてこの国から出ていくだけだ。まあ、俺達と女の癇癪とどっちをとるかで、お偉いさんがたの器量が知れるってとこだな」
まったく気にするそぶりもなく蛮骨は言い放った。
「……まったく、大兄貴はこのバカに甘いから」
煉骨の呟きに、蛇骨は言い返しもせずにしゅんとなる。
3人の話が一段落付いたのを見計らうように、障子の外から睡骨が声をかけた。

「大兄貴。御家老からの使いが来てます。話があるので、屋敷まで来て欲しいと」
「おう」と蛮骨は立ち上がった。
「煉骨、お前も一緒に来い」と声をかけ、廊下に出ていく。続いて立ち上がりながら、煉骨は蛇骨に釘を差した。
「大人しくしていろよ、余計なことは何もせずに」
「なんにもしねぇよ」
小さくなる蛇骨に納得したのか、煉骨もそれ以上はなにも言わずに蛮骨の後を追った。
蛮骨の居間には蛇骨1人がのこされた。べったりと座り込み、情けない顔つきをしている蛇骨を廊下から見た睡骨がくくっと喉奥で笑う。
「何が可笑しいんだよ」
「べつに?」
不機嫌に突っかかる物言いの蛇骨に、睡骨は含み笑いだけで相手をしない。廊下を去っていく足音を聞きながら、蛇骨は苛立ち紛れに脇息を外へと投げつけていた。


◆◆◆◆◆◆◆


蛮骨達が戻ってきたのは、深夜になってからだった。全員が居間に集まる。
「なんで脇息が壊れてんだ?」
「おれ、しらねーもん」
愛用の肘掛けにひびが入っている事を不思議がる蛮骨に、蛇骨はすっとぼけた口調で答える。その態度にひび割れの原因を察したのか、蛮骨は肩を竦めた。煉骨は隣で『やれやれ』と言った顔をしている。甘やかさず、たまにはきつく叱ってやればいいのに、という顔つきだ。ともあれ、蛮骨は何事もなかったかのように、集まった仲間達を前に口を開いた。

「蛇骨の喧嘩の件は、お咎めはなし、って事になった」
ただし、と蛮骨は付け加えた。
「一応、跡取りが出来るまでは婿さんは嫁に集中して貰いたいって事で、蛇骨にはしばらく目の前から消えてて欲しいそうだ。って事で、いったん城下を出る」
煉骨が跡を引き取った。
「御家老直属の乱破の一族が、最近、隣国の連中に裏をかかれっぱなしでさっぱり役にたたないのだそうだ。この分では、殿様の信用も他の家臣に持って行かれるって言うので、その梃子入れを頼まれた。ようするに、邪魔をする連中の本拠を突き止めて焼き払ってくれって事だな」
「ほーお、じゃ、ようやく仕事らしい仕事が出来るってもんだな」
「腕がなる」
と霧骨達はかえって喜んでいる。彼等も結局は退屈だったらしい。
蛇骨は胸をなで下ろした。自分の事で蛮骨が悪く言われたりするのは、やっぱり嫌なのだ。
ほっとする蛇骨の顔を見たのか、不意に蛮骨が言った。

「嬉しいだろ、蛇骨。これから行くところは国境の山の中だ。此処よか遙かに涼しいぜ?まあ、色男はいないだろうがさ」

本気で言ってるのか、それとも嫌みなのか判別が付かず、蛇骨は引きつった笑顔を作った。
蛮骨の怒りが怖いというよりも、愛想を尽かされるのが怖い。
(……当分は大人しくしておこう…)と心の中で密かに誓う。
とにかく、こうして彼等は山中にある乱破一族の里へと赴くことになったのだった。


**********

火処(ほと)・魔羅(まら)←それぞれ女性器、男性器を示す隠語です。
ああ、御下劣な台詞…(^^;;



 
亡霊遊戯場に戻る 妄想置き場に戻る