◆ 蛍 2 ◆


 
谷合いに出来たその村は、想像していたよりは大きかった。
山の深い森の間を絶妙に隠された道が続き、町からの道程も予想よりも遙かに楽な道程だった。
一族の連絡係だという中年の男が達者な足取りで七人を案内し、ここから無数の隠れ道が各地に繋がっていると言った。元々は山を生活の場としていた樵や狩人が中心となり、そこにたどり着いた落ち武者や破門された修験者なども加わったのだと言う。

別にその一族の成り立ちなど興味はなかったが、僅か数日分くらいしか離れていない筈の町とは比べ物にならない涼しさに、蛇骨は満足げにのびをした。
「いいねぇ、すごしやすい」
「お前の避暑に来た訳じゃねぇんだ、だらけるなよ」
さっそく煉骨が釘を差す。後ろから頭をこづかれた蛇骨は口を尖らせた。
「お前等、じゃれてねえで早く来いよ」
案内人の後をついて前を行く蛮骨が、呆れた風に呼びかけた。


森を抜けると見張り櫓にいた男が下に合図を送るのが見えた。里周囲は先を尖らせた丸木の塀で囲われ、入り口はこれまた頑丈そうな跳ね上げ門が一ヶ所だけ。里というより、ちょっとした城だ。中に入ることこれまた結構な広さで、人家の他に家畜小屋や畑もある。
「これは面白いな」
生け垣を見て霧骨が感心したように言った。毒にもなるような薬草が当たり前に植えられているというのだ。
里の広場の先に、この一族の首領の居館があった。その辺の小大名よりは立派に思えるような造りの広間に、これまた侍並みの貫禄のある巨漢が待ちかまえている。案内人の話ではすでに50才に近いと聞いたが、日焼けした皺深い顔はまだまだ現役といいたげにまっすぐに前を向いている。

蛮骨は自分より遙かに年上で体格も立派な男に怯むこともなく、傲然と蛮竜をかついでその前に座り込んだ。
「詳しいことはこっちで訊けって言われたんだがな。実際の処、俺達に出来る事ってのはあるのか?」
単刀直入の質問に、首領は苦笑いをした。
そして「ようこそ、お待ちもうしておりました」と深々と頭を下げたのだった。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「我々一族の起源は、遡れば鎌倉様の頃まで参ります」
首領は誇らしげに一族の由来について語り始めた。一応、蛮骨や煉骨、それにあまり表情が変わらない睡骨や霧骨などはまじめに聞いている風ではあるが、凶骨や銀骨は目を開けたままで居眠りをはじめている。そんな昔話に興味のない蛇骨も面倒くさそうに頬杖をつき、いつ凶骨達のように夢の中に行ってもおかしくない状態だ。首領の話は長く、ようやく核心部分に入った頃には、やはり半分居眠りをしていたらしい。こっくりこっくり船をこぎかけていた蛇骨は、いつのまにやら蛮骨が仲よさげに首領と並んで酒を飲んでいたのに気が付いた。
しかもその隣に――女が居た。

若いくせに妙に色気のある体つきで、切れ長の目にいやらしい媚を湛え、馴れ馴れしく蛮骨に酌をしている。蛇骨は隣にいた睡骨を突っつくと、小声で訊いた。
「おい、あの女誰だ」
「さっき紹介されただろうが、…って、お前は寝ていたからな。涎の跡がついてるぞ」
蛇骨は慌てて口元を手で擦った。それから少し顔を赤くして、咎めるように言う。
「……涎なんて流れてねぇぞ」
「当たり前だ、そこまでみっともねぇツラ曝したら、かまわねえからドツキ倒せと煉骨の兄貴に言われてる」
「やーなヤツ。てめえ、おれのお目付かよ」
「近いもんだ。まったく、面倒くせぇ」
心底鬱陶しそうな睡骨に、顔を歪た蛇骨は憮然と言った。
「いいから、あの女の事言えよ」
「首領の娘だそうだ。名前は沙耶。俺達がここにいる間、世話をするんだそうだ。まあ、主に蛮骨兄貴の世話をって事だろうがな」
睡骨は下世話な笑い方をした。
「首領は大兄貴が気に入ったみてぇだぜ」
「け!」
蛇骨は顔を背けると、蛮骨、煉骨の2人と差し向かいで話をしている首領の声に集中した。

「情けねえ事だ。今年は収穫前の畑がいくつも焼き払われ、村が襲われた。街道筋では俺達の目をかいくぐった山賊が隊商を襲う。隣国の里に出した『草』の情報に従って襲撃しようとすると、逆に待ち伏せにあう。面目丸つぶれ、まるでこっちの動きを知っているように裏をかきやがって、いつも逃がしちまう。最近売り出し中の連中だと見当は付いてる。俺達の縄張りを根こそぎ持ってことうってんだろうが、こっちは未だに連中の本拠地もつかめねぇ」
「なあ、頭よ」
「なんだい」
首領は蛮骨の問いかけに身を乗り出した。
「それって、つまり、というか確実に通じてるヤツいねぇか?」
首領は苦々しげに顔を顰めた。否定しようと口を開きかけたのを蛮骨は制する。
「ざっと見ただけだが、この辺一体はあんたらの庭みてぇなもんなんだろ。案内の親父の身のこなしを見ると、あっちこっちに散った連中も抜け目なくやってるんだろうって事は察しが付く。普通なら、新参連中が簡単に出し抜けるもんじゃねえ。って事はやっぱり…」
「裏切り者が、この里にいると?」
「そうでなきゃ、あんたの目の届かねぇ所で手下達の質が下がって、ろくな働きが出来なくなったって事になる。どっちだ?」
蛮骨の物言いには歯に衣着せるところがない。首領は一瞬怒鳴り出しそうな顔つきになったが、ふうっと息を吐くと肩を落とした。

「……わしの手下どもは皆使える連中だ。やはり、こっちに通じているヤツがいるか…」
がっくりとした首領の顔つきが急に老けたものになった。沙耶がその父を支えるように隣に行き、肩に手を掛けた。
首領は苦しげに顔を上げると、ひたと蛮骨を見据えて言った。
「頼む。通じている者が誰か、突き止めていただきたい」
「わたくしからもお願いいたします」
沙耶が父の隣で両手をつき、深々と頭を下げる。
「七人隊様方の腕の冴えは、この山娘の耳にも届いておりまする。どうぞ、父とこの里をお救い下さい」
蛮骨はそんな女を黙って見下ろすと、肩を竦めるた。
「ま、そのために来たんだしな。調べてみるか」
そう言って煉骨を見てにやりとする。
「お前、その手の調べ事は得意だよな」
「……大兄貴。安請け合いした仕事を、おれに回すのは止めて欲しいもんですがね」
一見迷惑そうな顔つきだが、煉骨もけっこう興味を示しているようで目が笑っていた。
首領はこれらの遣り取りを聞いて、生気を取り戻したようだった。
がははと大口を開けて笑いながら、言った。
「離れの屋敷を使って下され。準備は整えております。それと村の中は自由に歩き回ってくださって結構です。見たい処は全て見せましょうぞ」

沙耶が立ち上がった。手燭を持ち、「どうぞこちらへ」と七人を促す。
離れは母屋と渡り廊下で繋がっていた。
蛇骨は廊下を歩きながら、興味深げに下を覗き込む。
廊下の下は水が流れていた。母屋と離れは小川を挟んで建っており、その間を橋廊が繋いでいる形になっていたのだ。
「さほど深い川ではございませんが、落ちませぬように」
沙耶がからかうように注意する。蛇骨はむっとした顔で、廊下を渡った。
川は母屋の背後から離れの裏手に添って流れ、里の最奥にある沼に流れ込んでいる。
霧骨がその周辺を一瞥して、ほお、と感嘆の声を上げた。

「薬草の畑があるな」
「父はどこでもお好きなように、と申しましたが、あそこには近付きませんように」
と冷ややかに沙耶が言う。
「ほう、なんでだ?」
蛮骨の問いに、沙耶は意味ありげに口元を隠して微笑んだ。
「私達おなごも時に仕事を言いつけられて里に下りることがございます。その時に、万が一にも困ったことにならないようにと使う、女のための薬草を育てている畑でございます。代々、この家の家刀自が預かって参りました、男子禁制の畑でございますゆえ」
「家刀自って事は、今はあんたの母上が世話をしているのか?」
霧骨が聞いた。
「いえ、母は先年身罷り(みまかり)ましたゆえ、今は私が家刀自を努めておりますの」
「ほう、そうかい」
感心したような声を出した蛮骨は、沼のさらに奥を見た。
森になっていて塀や柵はない。見張り櫓もこちらの方には備え付けられていない。
「あっちの森から、誰か入ってくるって事はないのか?」
「何もなさそうに見えて、あちこちに仕掛けがしてありますの。一族の者以外が森から出入りしようと思ったら、すぐに判りますわ。ですから、皆様もあちら方面には勝手に参りませぬよう。突然、矢襖、等という事にはなりたくないでしょうから」
女は蛮骨の腕に手を添えると、自分の優位をこの傭兵達に知らしめるような目つきで、にんまりと笑った。

「蛮骨様のお部屋はこちらでございます」
女は蛮骨を一番奥の床の間のある座敷に案内し、そして、少し狭い次の間の座敷は煉骨に与えた。
そして残りの五人を、女は橋廊に一番近い、中仕切の襖を取り払って二部屋繋げた板敷きの間に案内し、「此処が皆様のお部屋です」と言い放った。
「お床はそちらの押入に入ってますので、どうぞ御勝手に」
明らかに蛮骨、煉骨とは違う扱いだった。
蛇骨はむっとなった。
「随分、兄貴達とは待遇が違うじゃねえか」
「あら、そうかしら?妥当だと思うけど」
しらっとした顔つきで沙耶は言う。
「蛮骨様は首領で、煉骨様はその片腕を務めるお方だとうかがったわ。だったら、それにふさわしいお持てなしをするのは当たり前でしょう?手下となんて一緒に出来ないわ」

その挑戦的な言い方に、蛇骨はこの女をぶん殴ってやろうかと思った。が、その前に睡骨が押さえにはいる。
「別に部屋があるだけいいじゃねえか。くだらねえ事で喚くな」
「くだらねえって…」
「そうよ、他の皆様は何も仰らないのに1人だけ喚くなんて。本当に、器のちっちゃいお方ね」
「てめえ…」
かっとなる蛇骨を尻目に、女は奥座敷へと当たり前のように戻っていく。
「大兄貴の世話か」
睡骨が笑う。他の3人は別段なにも気にしていないようで、広い板の間にそれぞれ居心地のいい場所を探してくつろいでいる。
「ふん!」
蛇骨は鼻を鳴らして部屋の奥の壁際に横になった。
胸くそ悪くて、眠れないだろうと思った。


**********

家刀自←「刀自」は女性の尊称。その家を守る立場の女性のことです。「主婦」というより、響きがいい感じかも。(笑)


 
亡霊遊戯場に戻る 妄想置き場に戻る