◆ 蛍 3 ◆


 
この里に着いてから何日経ったのか。
蛮骨は煉骨と共にここの首領と額をつき合わせて談合を重ねては時折出かけ、銀骨、凶骨、霧骨の3人も何やら指示を出されて始終出かけている。
睡骨は煉骨の手伝いのようなことをしているらしく、姿を見たり見なかったり。
蛇骨はこの里の警護の手伝いを1人だけ命じられ、毎日毎日塀際を歩いてみたり櫓に登ってみたりと、それ以外はすることがない。

「……あー…たいくつ」
蛇骨は櫓の手すりに肘をつき、1人ごちた。
同じように櫓上にいた里の男が、ちらちらと蛇骨を気にしている。山育ちらしく体つきは大きいが、子供っぽい顔立ちで頬が赤い。少年は蛇骨のような恰好の男を初めて見たらしく、怖い物見たさと言った顔で盗み見ている。蛇骨は鬱陶しげに少年を睨み付けた。もう少し見目がよければ眺めて楽しむ気も起きるし、性格がそこそこ小生意気なら苛めて楽しむ気も起きる。だが少年は見た目も中身も同じ素朴な子供そのもので面白みもなく、蛇骨は話一つする気にならない。
少年がコソコソと視線を外すのを確かめてから、また肘をついてため息。
半分寝ぼけた風に森を眺めていると、隠れ道から歩いてくる一団がある。
蛇骨は門番の男衆に「帰ってきた!」と大声で知らせると、そのまま急いで櫓を下りた。
太い綱が巻き上げられて門が開くと、蛮骨と煉骨を先頭に数人の男達が帰ってきた。国境に見知らぬ集落が出来ているとの連絡を受け、様子を見に行っていたのだ。戦闘があったらしく、それぞれの衣に血の跡がある。
「大兄貴!」
蛇骨は留守番の鬱屈もあって、帰ってくるなりの蛮骨の首っ玉にしがみついた。
「ずるい〜〜、そっちばっかり楽しんで。おれも連れて行ってくれればいいのに〜〜」
ふくれっ面で愚痴を言うと、蛮骨は苦笑いでその肩を叩く。
「ま、そう言うなって。俺達が出払ってる隙に、本拠を狙われたら笑えねえ事態になっちまうだろ?」
「ここは男衆が余るほどいるじゃん!」
しつこく文句を言ってると、煉骨がその頭をこづく。
「まったくお前は、勝手なことばかり愚痴愚痴愚痴と。こっちはまだやる事があるんだぞ」
「だから、おれも連れて行ってくれれば、それですむんだって」
蛇骨の我が儘に蛮骨達は肩を竦めて苦笑いをする。その3人の背に、女が声をかけた。

「蛮骨様、煉骨様。今回の首尾をお聞きしたいと父が申しております。広間まで来てくださいませんか?」
そう言いながら、沙耶は蛇骨と蛮骨の間に割って入り、蛮骨の腕に手を掛けた。
「ああ、そうだったな。じゃ、行くか」
頷いた蛮骨は、にやりと笑うと蛇骨に言った。
「お前は、そいつ等、休ませてやってくれ。傷の手当てと、飯な」
同道していた男達をさしてそう言いつけると、蛮骨は沙耶に腕を引かれるようにして館へと行ってしまった。その後をついていく煉骨の傍らに、どこからともなく現れた睡骨が従う。里の誰が裏切り者か判らないため、睡骨は3人が話している間の見張り役を常に務めていた。
1人だけ蚊帳の外に置かれている蛇骨は、むかつきながら怒鳴った。
「飯炊きなんて、おれの仕事じゃねぇーっての!」
その勢いのままで睨み付けると、男達は目をそらして駆け足で散っていった。
蛇骨はその場にため息を付きながらしゃがみ込む。
「あー、つまんねぇ…大兄貴、おれに嫌がらせしてる…って訳じゃねえよな」
ぶつぶつ言ったところでどうしようもない。蛇骨はむっつりしながら、だらだらと時間をかけて村の中を一回し、それから自室へと戻った。体の大きな連中が出払っているため、雑魚寝用の大部屋は白々しいほど広い。家具らしい家具も何もない板の間に、ただ藁を編んだ円座が数枚置かれているだけである。
母屋での話し合いはまだ続いているのか、兄貴分達が戻ってきている気配はない。
が、そこでふと蛇骨は気が付いた。仲間ではない気配が近くにある。
蛇骨は自室ではなく、その隣の煉骨の部屋の襖を開けた。
女が振り向いた。

「お前、何してるんだよ」
蛇骨は不機嫌に沙耶に問うた。女は、気にするそぶりもなく、てきぱきと室内の物を片付けている。
「見て判らないかしら?煉骨様のお荷物の整理よ」
「煉骨の兄貴は、自分の物は自分で整理してるよ。勝手に触るなよ」
「私は、皆様のお世話を言いつけられているの。私がいるのに、ご自分で整理整頓なんてなさる必要はないわ」
「触るなってば!」
蛇骨は、机の埃を払いながら煉骨の文箱や墨の位置を変えている女の腕を掴んだ。その瞬間、女の身体独特の柔らかさに鳥肌が立つような気持ち悪さを感じて、蛇骨は顔を顰める。敏感にそれを察した沙耶は侮辱と受け取ったのか、顔つきを険しくしてその腕を払った。
「煉骨様は私が触ったって怒らないわよ!いずれ、私は蛮骨様の妻になるんだから!私がお世話することに慣れていただくの!」
沙耶が発した言葉に、蛇骨は咄嗟に怒鳴った。
「ふざけんな!勝手なこと言ってんじゃねえよ!」
「勝手な事じゃないわよ!」
負けず劣らずの勢いで沙耶も怒鳴り返した。
「父上はね、今回の騒動が終わったら、蛮骨様を婿にお迎えしたいと考えているの。蛮骨様の勇壮果敢さは、各家の侍大将に勝るって。あのお方なら、戦働きで出世して、いずれ城持ちも夢ではないって!蛮骨様だって、まんざらではないはずよ?」
沙耶は勝ち誇った笑みでしなを作った。
「あなただって知ってるでしょ?私が毎晩、夜伽をしていること。蛮骨様は、それはもう満足なさって――」
最後まで聞かずに蛇骨は沙耶の腕を取ると、振り回すようにして部屋の外に突きはなした。

よろめいたはずみで濡れ縁から足を踏み外した沙耶が、悲鳴を上げながら庭に転がり落ちる。したたかに身体を地面に打ち付けたのか、沙耶は膝をついたまま両手で自分の身体を抱きしめた。
「なんて事するのよ!この男女!」
「うるせえ!アバズレが!世話を言いつけられたってのなら、黙って布団敷きと飯炊きだけしてればいいものを!」
「あんたがいくら喚いたって、なんにも変わりゃしないわよ!」
沙耶は決めつけた。

「あんたがいくら派手な恰好して化粧したって、所詮は男じゃないの!まともな男ってのはね、女の乳房が恋しい生き物なの!自分の血筋を残したくてしようがない生き物なのよ!あんたは男の子を産むことも出来なきゃ、女を孕ませることも出来ない出来損ないじゃないのさ!何を偉そうにほざいてるのよ!」
上品ぶった顔をかなぐり捨て、沙耶は唾を吐き捨てた。
「私が蛮骨様の妻になったら、あんたなんてどこかにやって貰うんだから!」
「このクソアマ!」
頭に血が上った蛇骨の手が、刀を掴む。が、その手を横から伸ばされた手が止めた。
「何やってるんだ、お前」
吐き捨てるように睡骨が言う。それを見た沙耶が立ち上がり、指を突きつけながら糾弾するように言った。
「その人、私を殺そうとしたのよ。なんて恐ろしい、見境のない人!」
「てめえの方こそ、ある事ない事ほざきやがって!」
「ああ、もう、どっちもうるせえ!」
なおも言い争う2人に、たまりかねたように睡骨は怒鳴った。
「沙耶、親父殿が呼んでたぞ、早く行け」
顎をしゃくって立ち去るように言う睡骨に、一瞬だけ沙耶は不満そうな顔を見せたが、すぐに裾を整えて母屋に行ってしまった。見せつけるように腰を振っているのが、なんとも腹立たしい。蛇骨は睡骨の腕を乱暴に振り解いた。

「なんで止めるんだよ、あのアマ、少し痛い目見せてやろうと思ったのに」
「お前、本当に少しは見境つけろよ」
本気で腹を立てているような声で睡骨は言った。
「判って言ってるのか?沙耶はここの頭の娘だ。頭の言いつけで此処に出入りしてるんだ。それを痛い目って…お前、頭は確かなのか?」
「あいつが、大兄貴があいつの婿になるなんて大嘘を付くからだ!」
「まんざら嘘でもないだろ。ここの頭の態度を見れば判る。大兄貴をまるで涎が垂れそうな目で見てる」
睡骨はくっくっと笑る。
「大兄貴は沙耶を嫁になんかしないよ!」
「なんでお前に判るんだ」
からかうように睡骨が言った。蛇骨はぷいと顔を背ける。
「あんな尻軽、大兄貴が嫁にするはずない」
「お前に言われるほどの尻軽の娘なんて、そうそういないぜ」
「うるせえよ!」
怒鳴って蛇骨は庭に下りた。そしてそのまま、川の方に向かう。
「どこに行くんだ、頭を冷やすのか?」
「てめえの知ったことか」
言い捨てて蛇骨は生け垣を飛び越え、その先にと行ってしまった。
睡骨は肩を竦め、ちらりと喧嘩のきっかけになった煉骨の部屋を見る。
机の上に置かれた文箱を見つけ、睡骨は蓋を開けた。
そして中身を確かめ、口元をつり上げた。



「はーあ、…つまんねぇ」
沼の畔の草原に蛇骨は仰向けに寝そべった。
1人だけする事がない。
やっぱりこれは面倒事を起こした自分への罰なのだろうか――蛇骨はため息を付きつつ考える。
少しは大人しくして、頭を使うことを覚えろ、という事なのだろうか。
自慢じゃないが、女と友好関係を結ぶために使う頭など持っていない。
蛇骨はひとしきりゴロゴロ転がってから座り直し、立てた膝を抱え込んだ。

あの女がなんと言おうと、蛮骨が婿になどなる筈がない。
蛮骨は主を持つ気がない。主持ちになるつもりがあるなら、こんな山里の一族の婿になどならなくても、仕官の口は山のようにある。
でも、もしもあの女が本気で蛮骨の嫁になりたい、等と言い出したら。

「……大兄貴が1人の女に惚れるなんて、考えもつかないけどなぁ」
呟く蛇骨の眼前で、日が落ちるにつれて藍色にくすみつつある沼の上に小さな光が飛ぶ。
夜になると、この沼は蛍達の天下だ。
最初に此処についた夜、腹が立ちすぎて眠れなかった蛇骨は、庭先に出て蛍が群れ飛ぶ沼をぼんやり眺めていた。
その時に見たのだ。
蛍の光に浮き上がる女の影。
蛮骨の部屋にいた筈の沙耶だった。
女は庭の隅にいる蛇骨に気が付かず、そのまま沼の畔に進んだ。
そこで、誰かと会っていたのだ。
逢い引きだ――と思った。
別に女が誰と会おうが、そんな事は知ったことではなかった。
だが、蛮骨と過ごした後にまた別の男と会う、そんな女の性根が、殊の外許せなかった。
ただの夜伽を努めているだけなら、それでもいい。
腹が立つクソ女だと思うが、仕事が終われば、おさらばだ。
でも、もしもあの女がその後もついてくるとなったら、どうすればいいのだろう。

「どこかにやってもらう、――か」
蛇骨はため息を付いた。自分からあの女と仲良くする気はないし、あの女も蛇骨を目の敵にしている。
「あーあ」
どう考えても気分の悪い結論に行き当たりそうで、蛇骨は考えるのを止めてまた仰向けになった。
星空が落ちてきたかのように、蛍の瞬きが辺り一面を覆いつくしていた。


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