◆ 蛍 4 ◆


 
この里に来て、まる一月ちょっとは過ぎようかという頃。
久々に七人隊全員が集まっていた。
蛮骨の部屋で額をつき合わせるようにして話し合いをする中、蛇骨1人が輪かから離れてその様子をぽつねんと眺めている。
1人だけずっとこの里の警護係に回されている蛇骨は、今更報告することもない。
第一、書面を広げてそれを見ながら話をされると、蛇骨にはついていけない。
彼同様読み書きが苦手な凶骨、銀骨には煉骨が噛んで含めるように説明を繰り返しているが、それにも蛇骨は関係ない。
ひとしきり話し合いが終わると、蛮骨が蛇骨の方を向いた。
「蛇骨、それじゃ、おまえは――」
「里の警備だろ?わかったよ」

蛇骨はふらりと立ち上がると、幽霊を思わせる歩き方で部屋から立ち去った。
蛮骨はなんとも言えない顔で唸ると、頭を掻く。
「ま、…お前等も打ち合わせどおりにな」
その言葉を合図に、他の面々も立ち上がり、それぞれ役目を果たすために場を去った。後には蛮骨と煉骨の2人だけが残る。
蛮骨は頭を掻きながらぼそりと言った。
「……蛇骨…この間までぶーぶー言ってたのに、妙に素直だな」
「素直というか、なんというか…」
煉骨も歯切れ悪く答える。
「あそこまで影が薄くなると、何だか可哀想になる」
「なんだよー、おれにはいつも『甘やかしすぎだ!』って怒るくせに」
「人の所為にしないで欲しいもんですがね。まあ、ここはアイツしかいないわけだし」
「そうなんだよなぁ…でもなぁ…」
蛮骨はため息を付く。
「睡骨の話じゃ、沙耶に目の敵にされてるようだし。気にくわない女に手が出せないってのも、あいつにとっては辛いところだな」
煉骨が言うと、蛮骨のため息はより深くなった。

「沙耶にはなぁ、確かに手出しされても困るしな。今のまま我慢させとくしかねぇか」
「色男の一人か二人でもいれば、いい玩具代わりになったんだがな」
まんざら冗談でもなく言って煉骨は立ち上がった。
「こっちも支度しねぇとな」
「ああ、そうだな。じゃ、手紙の方、頼むわ」
煉骨は頷いて自室に下がる。
入れ替わるように、お茶を捧げ持った沙耶が入ってきた。
「皆様、またお出になられるんですね」
すっかり妻になりきった顔で沙耶が言った。
「うーん…ちょっといろいろな。お殿さんに連絡して、許しを貰わなきゃならない事もあるしな」
「蛮骨様がすべての指揮をなさるのではないの?」
「ちょいと大がかりになるかもしれねぇし、一応、形式だけは守っておいた方が何かとな」
茶をすすりながら、世間話のように蛮骨は言った。沙耶は首を傾げた。
「大がかりとは、……戦になるのかしら」
「安心しな。戦場になるとしたら、敵さんのアジトだ。此処にはなんにもおきねえよ」
「……敵の正体が分かったのですか?」
沙耶は驚いて聞き返した。

「おれの弟分と親父さんの手下どもは、それを探りに行ってたんだよ。だいたの場所は判ったから、あとはいつやるか――だな。思ってたより、敵さんの砦の規模が大きかったんで、いっそ、城からも兵を出してもらうかと思ってさ」
「父上の育てた村の男達は、皆手練れですわ。援軍なんていらないでしょうに」
乱破の誇りを傷つけられたのか、沙耶は拗ねたように言った。蛮骨は茶を飲み干すと、「あっちも手練れ揃いだ。間抜け侍と違って、簡単にやられちゃくれないだろうからさ」と凄みのある笑いを見せながら言う。
沙耶はぶるっと身を震わせた。
「怖いお顔」
「これくらいで怖がってるようじゃ、おれの女房にゃなれないな」
蛮骨は立ち上がると、沙耶を残して部屋を出ていった。沙耶は青ざめた顔のまましばらくそこで座り込んでいたが、やがて気を取り直したのか、室内の片づけを始める。ややすると、煉骨も部屋を出ていく気配があった。
沙耶は隣室にはいると、そこでも片づけを始めた。沙耶が部屋の片づけをすることになれたのか、蛮骨も煉骨も持ち物に触れても咎めることがない。
文机の下のくず物入れに、下書きか、それとも書き損じか、数枚の書状が捨てられている。
沙耶はそれらをまとめて懐に入れると、火にくべるために持ち去っていった。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆


蛇骨は、畑の境界を示す畦道の途中でぼんやり座り込んでいた。
畑で働く女や男達がちらちらと目の動きだけで彼の姿を追っている。
里はこの所、妙な雰囲気になっていた。

数日前に戻った凶骨達は、どうやら小隊をいくつか引き連れ、国境にある隣国の砦をいくつか襲ってきたらしい。
戦利品の葛籠も多数持ち込まれて久々に女子供が沸き立つのと同時に、それらの行為の指示がよそ者から出ていることに不満を覚えた男たちが、ピリピリとした緊張感を漂わせている。仲間内に敵方に通じている者がいるという噂もひっそりと流れ、各地で情報を集めていた面々が何人か呼び戻されもしている。
表だって突っかかってくる者はいないが、蛇骨も肌に突き刺すような敵意を感じる。まるで彼等自身が里に疑惑と災厄を運んできた、と言わんばかりの気配だ。
もっとも、蛇骨への敵意の半分は、おそらくは沙耶に同調する面々から出ているようだ。他の仲間達へのものとは違う嘲り混じりの視線を向け、ひそひそと影口を叩く若い女達の卑しい表情に反吐が出そうになる。

蛇骨は立ち上がると、人気の無い方へと歩き出した。
ぶらぶらと水の流れに沿って歩いていると、里の外れの沼に出る。沙耶の薬草畑があるのとは反対側の岸だった。岸から見ると、沙耶が向こう岸にしゃがみ込んでいるのが見えた。水汲みでもしているのだろうか。
蛇骨はぷいと目をそらし、森の際まで来た。

巧妙に隠された鳴子の仕掛けがいくつか見つかった。
動物たちが引っかかることはないのだろうかと、少し不思議に思って目を凝らすと、下草の間に鈍く光る鉄の破片が所々に巻かれている。
樹上の間からには、鏃か、それとも槍先か、とにかく刃と思われる切っ先が僅かに見えた。仕組みは判らないが、侵入者にはそれらが襲ってくるようになっているのだろう。
木々の間を細い水の流れが森の奥に流れている。
この森の奥はどうなっているのだろうか。
この物騒な仕掛けは、どのくらい先まで仕掛けてあるのだろうか。
確かめてみたい気は起きたが、仕掛けに引っかかるのはごめんなので、潔く諦めて蛇骨は踵を返した。
ふと気が付くと、岸の向こうから沙耶がこっちを見ている。
表情までは見えないが、いかにもよそ者に警戒心を抱いているといった気配が感じられた。
「ふん」
蛇骨は皮肉な気分になると、すっと刀を抜いた。そのまま、無造作に森に向かって一振りする。揺れて音を鳴らす間もなく、細糸につるされた竹の鳴子の一つが切り離され、刀の切っ先に引っかけられたまま蛇骨の足下に落ちる。草むらから一斉に飛び出した羽虫を片手で払いのけ、拾い上げたそれを蛇骨は沼に投げ捨てた。
女は蛇骨が何をしたか判ったはずだ。怒るかも知れないと思ったが、どうでも良かった。

蛇骨がふらふらした足取りで歩き去った後、沙耶は沼に浮かぶ竹の板を見た。軽いそれは水面をゆっくりと流れ、森に続く小川へと運ばれていく。
沙耶は眉間を険しくしてそれを見送ると、手早く薬草の葉を摘んで籠に入れる。いちいち癇に障る男だが、沙耶は直接突っかかろうとはしなかった。
乱暴な馬鹿。相手にするだけ時間の無駄だと自分に言い聞かせ、腹立ちを押さえ込む。だが正直に言えば、沙耶は蛇骨が怖かった。

蛮骨がいない間に離れ家に行くと、その度に追い出された。庭に出されるならまだいい方で、一度など髪を鷲掴みにされ、橋廊から川へ叩き込まれたことがある。父に言いつけるのも負けを認めたようで悔しく、蛮骨が居るときにその目の前で見せつけ、目をつり上げながらも何も言えないでいる姿を見て憂さを晴らす程度だった。沙耶は蛇骨がいろんな意味で嫌いだ。なんとかして鼻をあかしてやりたい、そんな気分が心の奥に澱のように溜まっている。
だが、今はこの里の首領の娘として、先にやるべき事がある。
沙耶は籠を置くと、森との境界付近に行った。
向こう側同様、こちら側にも仕掛けはある。
ただ、この薬草畑に男が近付くのを禁じられているため、こちら側の仕掛けがきちんとしているか確かめるのも沙耶の仕事だ。
沙耶は慎重に仕掛けを避けて、森の奥に入っていった。


蛇骨が館に戻ると、煉骨が書き上げた手紙を紙に包んでいるところだった。
「手紙?」
部屋の外から物憂げに声をかけると、煉骨が振り向く。
「書状だ。明日、俺が城に届けに行く」
「ふーん、飛脚の真似までするんだ」
嫌みではなくそう言った。そう言ってから口元を歪ませ、ねだるように言う。
「なあ、おれが届けに行ってやろうか?」
「届けるだけじゃねぇ、他にも色々と用事があるんだ」
苦笑しながら答える煉骨に、蛇骨は息を付いた。
「おれじゃ、用事も言いつけられねぇってか?」
「お前、拗ねてるのか?」
逆に問われ、蛇骨は襖に凭れてズルズルと座り込んだ。
「拗ねてねーよ、暇なだけ」
「そのうちに忙しくなるだろうさ」
「忙しくなるのかなー」
ぼやく蛇骨の頭を、わざわざ立ち上がって傍らに来た煉骨が、軽く撫でる。
「忙しくなるさ。だから、刀の手入れだけはしっかりしとけよ」
蛇骨はきょとんとして煉骨の顔を見上げた。
「なんだ」
「いや、なんか、兄貴やさしーなーとか思って」
「ばかが」
本気で不思議そうな顔つきの蛇骨に、煉骨は呆れた風に笑いながら、拳骨で軽く蛇骨の頭をはたく。
「うだうだやってねえで、すこしはしゃっきりしろよ」
「いて」
わざとらしく頭を抑えながら、蛇骨は気を取り直したように笑った。



煉骨が凶骨達をつれて町へ向かった数日後、入れ違いのように帰ってきた男がいた。最初に七人隊を此処へ案内してきた男で、この山一帯の隠し道に詳しく、一番素早く里と各地を移動できる男だ。
男は印のついた地図を持っていた。森の中に、樵や猟師とは明らかに違う風体の男達の集落を見つけたのだという。
本格的に敵の砦を落とす前に、まず、そこから攻めてみようかと話が決まった。
襲撃に参加するのは蛮骨を頭に、里の選りすぐりの男達が十数人。
「おれも行きたい!」と言い張る蛇骨に、蛮骨は沙耶の酌で酒を飲みながら、頭をふった。
「たいした戦じゃねえよ、睡骨と留守番してな」
蛇骨は不満を隠す様子もなかったが、蛮骨の決定は変わらなかった。
翌日早く、蛮骨は男達を引き連れて出発する。
それを蛇骨は櫓の上から見送った。
沙耶が女房気取りで切り火を切っている。


あの女が気に入らないのか。
それとも、自分をほったらかしにしている蛮骨に腹が立つのか。
もう何が腹立たしいのかも蛇骨は見当が付かなくなっている。
いつものように大鉾を肩に誇らしげに担ぎ、男達を引き連れた蛮骨の姿は、すぐに森の中に見えなくなってしまった。



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