◆ 蛍 5 ◆


 

森の中にぱらぱらと人影が動く。
皆、弓矢を持っている。
木々が密集する崖の上に潜み、眼下を見下ろす。
そこには小屋がいくつか建ち並んでいた。見下ろす男達が仮住まいしていた場所だ。そこには今は誰もいないのだが、洗い物が竹竿に引っかけてあったりと生活感は残っている。
男達は崖上で息を殺し、何かをじっと待った。森が僅かに動き、崖下に見知らぬ男達の集団が現れたのだ。
男達はもぬけの殻の小屋に戸惑ったのだろうか。付近を調べ始めた。
その中にひときわ目立つ大鉾を担いだ男がいる。
崖上に潜んだ男達の間に(あれを狙え)という声のない声が走る。
男達は崖上から弓を引き絞り、大鉾を抜き構えもせずに無防備に背中を見せている蛮骨に狙いを付けた。
そして今にも矢が放たれようという瞬間――男達の背後に衝撃が来た。
重い刃が辺り一帯の木を草のように薙ぎ払い、地を削る。
そして火が彼等を囲むように走った。
男達は、待ち伏せしていたはずの自分達こそが、待ち伏せされていたのだと悟った。

火に囲まれた彼等の前に、見たこともない武具を身につけた男達が数人現れた。
「動くなよ、動いたら、本当に殺すぞ」
そう警告する煉骨に、咄嗟に矢を撃ち込もうと動く男が居た。だが、弓弦を引き絞ることも出来ないうちに、男の身体は血煙を上げて両断される。
勾配を下から駆け登ってきた蛮骨の大鉾が、血に染まっていた。
「動くなって言ったじゃねえか。……こいつじゃねえよな?」
蛮骨は死体を見下ろして煉骨に確認をした。
「そいつじゃない。だが、聞くのは手を出す前にして欲しいもんだ」
「ま、しゃーねえだろ?で、この中にいるのか?」
「いる、そこだ」
煉骨は、今や下から登ってきた者達に囲まれ、まったく身動きが出来なくなっていた男達の内の1人を指差した。
「律儀に、この場に来ていたと見える」
冷ややかな眼差しを向ける煉骨に指差された男は、30がらみのなかなかに整った顔立ちの男だった。他の連中が、いかにも荒れた暮らしを思わせる崩れた顔つきをしている中、1人だけ目立つ。
蛮骨はその顔を見て笑った。

「蛇骨にくれてやったら、喜びそうなツラだな」
「くれてやるわけにはいかんでしょうに」
呆れた煉骨が仲間に合図する。たちまちのうちに刃が光り、その男以外の全てがろくな抵抗も出来ない内に血溜まりの中に倒れ伏す。
「…貴様等!」
それを目の当たりにした男が、怒りに満ちた声を上げた。腰の刀を抜き放ち、蛮骨に向かって切りつけてくるのをあっさりと捻り倒し、縄を掛けさせる。
歯がみして乱破達に押さえつけられる男の前にしゃがみ込み、蛮骨は可笑しそう言った。
「なーるほど、てめえが間者か。よくもまあ、いろいろしてくれたもんだ」
「卑しい乱破風情が!」
「お前、侍か?浪人か?この仕事上手くこなしたら、出世か、仕官か、そんなとこだろ。まあ、どうでもいいや」
蛮骨が立ち上がると、煉骨はその男も立ち上がらせた。
「さて、案内してもらうか」
「案内だと?」
「お前達の里に決まってる」
煉骨がそういうと、男は土で汚れた顔に嘲笑を浮かべた。
「里だと?わしが案内すると思ってるのか?」
「したくない?なら、それでもいいけどな」
虚勢を張る男を蛮骨は笑い飛ばす。
「俺達が、知らないと思ってたか?」

男の顔が青ざめた。
「お前達、どこまで知っている…?」
「盗賊崩れや、浪人ものだの、よく集めたよなあ。本当はもっと手勢を集めて、徐々にこの周囲一帯の縄張りを乗っ取る気だったんだろ?残念だったな、襲撃を早めなきゃならなくなってさ」
さっと男の顔つきが変わった。
「まさか、――あれは偽手紙…?」
「偽?なんのことだ?」
蛮骨はわざとらしく呆けて見せた。
「まあ、いいや、そろそろ行こうぜ。案内しろなんて事は言わないさ、だって里なんて無いんだもんな。てめえの仲間達は今頃――」
そこで蛮骨は獣を思わせる目つきで笑った。
「乱破の里の、沼寄りの森にいるんだろ?」
男は驚愕の顔になり、そして諦めたようにがっくりと項垂れた。


◆◆◆◆◆◆◆


障子が音を立てて引き開けられた。寝っ転がっていた蛇骨がうっそりと顔を向けると、難しい顔つきの睡骨がいる。
何事かと座り直すと、ずかずか近付いきた睡骨はいきなり蛇骨の正面に座り、笹の葉に包んだものを差しだした。
「食え!」
蛇骨は目を丸くした。黙ってそれを受け取り、開けてみると中には不格好な握り飯が二つ。
「……何、これ…?」
思わず聞く。睡骨は自分の包みの中身をさっさと頬張っている。
蛇骨は一口握り飯を囓り、「不味!」と唸った。
「これ、味がねえよ」
「だったら、次はてめえが作れ」
「これ、お前が作ったの?うわ、塩の固まりがある!医者ん時の飯は上手かったのに」
口の減らない蛇骨に睡骨の顔は渋くなる。
「黙って食え。そして、当分、ここで出される膳は口にするな」
蛇骨は眉を顰めた。
「それ、どう言う事だ?」
睡骨は握り飯を囓るのを止め、渋面のまま答える。

「詳しいことは知らねえ。が、当分、飯は自前で支度して、それからそれを母屋の連中に気づかれないようにしろ、と煉骨の兄貴に言われている」
「母屋の連中…って、あいつ等が一服盛るとか?」
「詳しいことは知らねえって言ってる。ただ、自分達が戻るまで、沼側の森を警戒しているようにとの事だ」
「なーんか、おれの知らない処で、随分話が進んでるみてぇだな」
目を細めて蛇骨は握り飯にかぶりつく。
「おれだって詳しいことは知らねぇ。言われたとおりの事をしているだけだ」
返事をせずに、蛇骨は二つ目の握り飯をくわえた。

とにかく腹が立った。自分の知らないところで、色々なことが進行している。
蛮骨、煉骨はもちろん、睡骨も一枚噛んでいるらしい。
とことん自分だけが蚊帳の外だ。

「蛇骨、聞いてるのか」
睡骨が苛立たしげな声で言う。
「聞いてるよ、飯を食ったら、夜っぴて外を見張ればいいんだろ?」
蛇骨は指に残った飯粒を舐めとると、睡骨が手に持ったままだった飯を取り上げた。
「おい、蛇骨」
咎める睡骨に、蛇骨は鼻の頭に皺を寄せてとげとげしく「うるせーよ」と言い捨てる。
「ったく、人ん事無視しやがって。あーやだやだ、頭の回る連中って、ほんと、根性悪!って、てめーの握り飯、塩効きすぎじゃん!」
「……お前…」
人の手から勝手にとっておいて味付けに文句を付ける蛇骨の図々しさに、羅刹を思わせる猛々しい顔つきもしおれた風になった。
「文句を言うなら、てめえが自分で作れ。ったく」
そうぼやきつつ、水の入った竹筒を傾ける。
蛇骨はそれを目に留めると、片手を差しだした。
「それも寄こせよ」
「ただの水だ」
「てめーの握り飯、塩っ辛いっての。水でも飲まなきゃ、食えねえって」
「だったら、それこそ自分で水を汲んでくりゃいいだろ!」
構わず蛇骨は竹筒をひったくった。
「これくらい黙って寄こせよ。あー、もう、胸くそ悪い」
ぷいと背を向ける蛇骨に、睡骨は疲れ切った息を吐いた。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


日が暮れて、母屋の下働きをする老女が2人分の膳を運んできた。
蛮骨がいれば沙耶が付きっきりで給仕をするが、いない時はちらりとも顔を見せない。老女も膳と飯の櫃だけをおいて戻っていく。
蛇骨達はこっそり掘っておいた穴に膳の中身を埋め、空になった椀の類をひとまとめにして橋廊の端に置いた。後で老女が片付けにきても、口を付けていないことには気が付かないだろう。
2人は室内に明かりを灯したまま、音を立てないように離れの庭を抜けて沼の際に行く。
木立の間に身を潜め、蛇骨は改めて睡骨に尋ねた。
「なんか、こっちから来たら音がでたり、矢が飛んだりするって話じゃねーの?」
「そういう話だがな。調べてみたら、こっち側はいくつか抜け道が出来てるんだ」
「お前、そんな事調べてたのか?ずるー」
「ずるって、…お前なぁ」
「だーって、おれはなんにもすること無かったのに」
「なんにもする事がねぇって、てめえはしょっちゅう沙耶と角つき合わせて喧嘩してたじゃねえか」
「あんなの、なんかした内にはいんねぇだろ」
思い出したら、また腹が立ってきた。ふてくされて腕組みする蛇骨に、睡骨は長い息を吐く。
「だから、てめえがそうやって沙耶と派手にやり合ってたから、その間、俺達は好き勝手に色々調べられたんだ。たとえば、男子禁制の薬草の種類とかもな」
「……それ、ってつまり…」
確認しようとした蛇骨を、睡骨は指を立てて黙らせた。

星と蛍の光で淡く見通せる闇の奥で、何かがチカリと光る。
「明日の見張りは必要なさそうだ」
睡骨が両手につけたかぎ爪を握る手に力を込めた。
「……襲撃か」
「そうだ、今なら、腕の立つ連中も殆ど出払っている」
「素直に膳の飯喰ってたら、俺達も寝首かかれて終わりってか?」
「さあ、知らんがそう言うことだろう」
睡骨の声はすでに戦いを待つ愉悦に浮き立っている。蛇骨は刀の覆いを取り払った。
「どこの連中だが知らんがさ、人をさんざん退屈がらせてくれた分、楽しませてくれねぇとな…」
森の奥から進んでくる気配に蛇骨は集中した。
10人、20人程度ではないだろう。この里を丸ごと全滅させる気で来たのかも知れない。
恐怖など感じず、逆に蛇骨は気分が沸き立ってきた。
久々に、ぞくぞくとする緊張感。蛇骨はぺろりと舌なめずりをする。
先頭の男の全身が森から現れる。その瞬間、蛇骨刀が鋭く光りながら夜気を切り裂いた。

 
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