◆ 蛍 6 ◆


 
刀を引き戻すときの僅かな抵抗。重さ。
骨を断つ感触が、長く繋がれた刃を通して蛇骨の腕に届く。
久々の戦いに蛇骨は恍惚となっていた。

「睡骨、あんまり前に出るなよ!連中と一緒にぶった斬っちまうぞ!」
そういう警告の声が嬉しそうに弾んでいる。睡骨は呆れた風に舌打ちすると、目の前に振り下ろされる刀をかいくぐった。鋭い鋼の爪が、敵の身体を鎖帷子ごと切り裂く。暗闇の中で温かい血しぶきが降り注ぐ。
「ほーら、逃がさねぇって!」
星明かりの中で、黒っぽい装束を身につけた敵の姿は見え辛いはずなのに、蛇骨の振るう刀は驚くほど正確に男達の身体を捕らえ、薙ぎ払っていく。


村の方が騒がしくなり、松明の明かりが近付いてくる。
見張りの男達が、この外れでの戦いにようやく気が付いたらしい。
「ち!」
蛇骨は舌打ちをした。人が増える気配に、敵の男達が撤退を始めたのだ。
「睡骨、連中が逃げる」
「判ってる!」
多数の男達が暗闇にばらばらに散ると、いくら蛇骨達でも追いきれない。
だからといって、逃がす気もない。
「睡骨、追いかけるぞ!」
言うなり走り出した蛇骨を睡骨は止めた。
「待て、森の中にはまだ仕掛けが残ってる!抜け道を知らないと、あっという間に槍襖だぞ!」
蛇骨は聞いていなかった。森へ逃げ込む男達の気配を追い、自分もそこへ飛び込もうと走る。だが、次の瞬間、逃げる男達がその場でたたらを踏んだ。
森に続く草原が、横一直線に一気に燃え上がったのだ。
火が男達の影をくっきりと浮かび上がらせた。

その火を割って、森から数人の男達が現れる。
先頭に立った男は、片手に巨大な大鉾。そしてもう片手に男を1人引きずっていた。
「あれ?」
思いがけないところから現れた顔に驚いた声を上げる蛇骨ににやりと笑いかけ、蛮骨は無造作に指示を出す。
「おい、お前等。そいつ等、先に片付けちまいな」
その声に男達が武器を構えなおす前に、駆けつけた里の男達が矢を撃ち込む。そして得物を振るう七人隊の手際の前に、夜討ちをかけた男達は逃げ場を失い、1人残らず絶命していった。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「大兄貴!」
久々に思う存分暴れたおかげか、蛮骨に駆け寄る蛇骨の顔は晴れ晴れとしている。
「なんだよ、いきなりそっちから来るなんて」
「ま、どうせなら、挟み撃ちにしてみようかと思ってな」
蛮骨は笑うと、連れていた男を突き飛ばした。倒れた男を蛇骨は首を傾げて見る。
「こいつ、誰さ?」
「さーて。おれは良く知らんが…知ってるヤツはこの中にいるだろうな」
蛮骨は意味ありげに言うと、背後に集まってきている里の衆を見回した。
殆どが男だった。首領は眠っていたのか、夜着姿で大刀を携えている。その傍らには、唯一の女、沙耶がいた。
沙耶は青ざめていた。頬を押さえる手がぶるぶると震えている。
「どうした、沙耶。お前の男だろ、抱いてやらねえのか」
蛮骨がからかうように言う。その瞬間、沙耶は弾かれたように動くと、男の上に覆い被さった。
「あんた、……あんたぁ…」
虚ろな目の男を揺さぶり泣く娘に、首領の顔もまた血の気を無くしていた。
「蛮骨殿…これはどういう事だ」
「――どうもこうもねえ。通じていたのは、あんたの娘だって事だ」
無情にも蛮骨は言い放った。

「どうやってその男があんたの娘をたぶらかしたのか、なんて事はしらねえ。だが、その女は、あんたの身の回りで手に入れた情報を書き付けた紙をこよりにして蝋で固め、そして草船に張りつけて沼から通じてる森の小川へと流してやった。あいつはそれを下流で回収して、そして配下の連中に指示を出してたんだ」
蛮骨は、泣きわめく女を冷ややかに見下ろす。
「そして、こっそりあの森の仕掛けを外して抜け道をつくり、時々夜中にあの男と逢い引きをしていた。違うか?沙耶」
では、あの時自分が見かけた相手がこの男だったのか――蛇骨はそう思った。離れに村の連中が来ることはない。あの沼自体、殆ど見張られることもない。沙耶は蛮骨の世話の名目で堂々と離れに出入りし、そして深夜に抜け出して惚れた男と会っていたのだ。

それまで惚けたように女に揺さぶられていた男が急に生気を取り戻し、女に憎悪の目を向けたと思うと、その身体を突き飛ばした。そして喚いた。
「このバカ女!お前は泳がされていたんだ!乱破づれの言うことを真に受けたわしが馬鹿だった!この仕事さえうまくこなしたら、わしは仕官の口が叶うはずだったのだ!妻とも子ともようやく共に暮らせるはずだったのに!」
「妻と子」の言葉を聞き、沙耶の表情が凍り付く。
「妻と子?ウソよ、だって……私を妻にしてくれるって言ったじゃない!だから、だから私は…仲間を…」
わななき声が詰まる女に、男はさらに罵倒の言葉を投げつけた。
「乱破の女が、武士の妻になど、本気でなれる思っていたのか?偽手紙にだまされる程度の女が……!」
男の声が突然途絶えた。聞くに堪えなくなった首領が、その背から心の臓までを一気に貫いたのだ。
前のめりに倒れたまま動かなくなった男に沙耶は取りすがり、大きな声で泣きながら揺さぶる。
その周りを男達が取り囲む。泣き続ける娘を見下ろし、首領は痛ましげに顔を顰めた。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「おい、俺達は引き上げようぜ」
すでに出る幕無しと見た蛮骨が、仲間達に声をかける。彼等は沙耶を中心に作られた里の男達の壁を横目で見ながら、館へと向かう。
「大兄貴」
蛇骨が蛮骨を呼び止めた。立ち止まる蛮骨に、蛇骨はどうにも腑に落ちない顔で聞く。
「あの女が間者だったって、どうして判ったんだ?」
あの女は常に蛮骨べったりで、蛇骨もてっきり蛮骨に惚れているのだと思っていた。蛮骨もそれなりに受け入れていたようにも見えた。いったい、いつから?そう思う。蛮骨はあっさりと肩を竦めて答えた。
「まあ、変だと思ったのは、最初っからだがさ」
「最初っからって、なんで?」
「お前、見ていてなんにも気が付かなかったのか?」
逆に蛮骨の方が不思議そうに聞き返した。蛇骨は顔を顰めて首を傾げる。
「色事は得意そうなのに、ほんっとーに、女の事はどうでもいいんだな…。あの女、膝が固いんだよ」
「はあ?」
蛇骨は頓狂な声を上げた。蛮骨の言う意味が分からない。

「男に色仕掛けしかけて、あげくに妻だなんだっていいながら、あの女、絶対に俺の前では膝を崩さないんだ。惚れた男に酌をして、しなだれかかって、さあ一緒に寝ましょうって女は、普通すぐに足が開けるように膝がゆるくなるもんさ。そのくせ、朝になれば良い思いした覚えしかない。こりゃ、変だとも思うさ」
「……変……なのか?良い思いしたのなら、いいんじゃねぇの…?」
悩みだした蛇骨にさらに蛮骨は言う。
「沙耶が持ち込む寝酒を飲む真似で袖ん中に捨てて、床に入って寝たふりしてみたんだよ。そしたら、案の定、あの女、床から抜け出していろいろやってくれたよ。霧骨に残った酒を調べさせたら、臭いを嗅いだだけで『男がいい夢が見られる薬が入ってる』だとさ。そういう薬を作るための草も、あの畑にあったそうだ。女のための薬とは、よく言ったもんだぜ。女が男をだまくらかすための薬だ」

皮肉っぽく言って蛮骨は笑う。蛇骨はようやく得心がいった。蛮骨や煉骨があの女に好き勝手をさせていた理由も、それで判る。納得して頷きながら、「じゃ、偽手紙ってなんのことだ?」と次の疑問を口にする。
「まあ、これは煉骨の発案なんだがさ。沙耶が怪しいと判れば、あとは周辺を見張っていればいい。それで、あの男の事を知った。その後は、適当にウソを交えた事を耳に入れてやればいい。沙耶はとにかく話でも盗み見した書面の内容でも、片っ端から知らせてやった。それを真に受けた連中がしくじり続きで焦りだした辺りで、正体が判ったって事を仄めかした。そして山狩りのためにいついつまで軍隊をよこしてくれ、という殿様宛の偽の書状を作ったんだ。で、沙耶は慌てた。男の正体がばれて殺られちまったら、女房の夢も潰える」
「それで、先手を打たせて夜討ちなんて思い切った真似をさせたのか。自分の一族なのにな」
「惚れた男のためなら、夜叉にもなるのが女だからな」
知った風な口を叩く蛮骨に、蛇骨はちろりと冷たい目を向ける。

「んじゃさ、おれはなんで1人だけずーっと留守番で、なんにも知らされなかったわけ?」
すべらかだった蛮骨の口が止まる。明らかにぎくりとしたようだった。
「それは、…煉骨がさ」
「煉骨の兄貴の所為だけにすんなよな。大兄貴が承知してなかったなんて、いわせねぇぞ」
本気で詰め寄る蛇骨に、蛮骨は困り果てた顔つきになりながら、ぼそぼそと説明を始めた。

「……どうもさ、沙耶も首領も、お前がおれの愛人だと思ったらしいんだな」
「え?」
「で、首領はおれを婿にするために、娘に言いつけたんだ。とにかく、お前を出し抜けと。沙耶はお前と張り合うことで、おれに惚れていると里中に印象づけた。一族の先を考えている、って事を強調して、裏切り者の詮議から逃れようとした。で、おれは乗ってやった。沙耶はおれを心底たらし込めたと思い込み、女房面で突っ込んだことも聞いてきたり、煉骨の文箱の中身を覗いたりした。その中身にウソが混じってるとも気が付かないでさ」
「だからって、おれに全部内緒にしとく事無いだろうが」
「ヘタに知らせるよりさ、お前も本気で張り合ってくれた方が真実味があるだろ。その方が色々と具合が良かったんだよ」
蛮骨はしれっとして言う。その悪びれない顔に、蛇骨はなんだか苦しくなった。
ずっと何も知らされないで、邪魔にされているような気までして、色々考えていたのは、一体何のためだったんだろう。

俯いた蛇骨に、蛮骨はぎょっとした。その頬に涙がこぼれ始めたからだ。
「お、おい、泣くな!別にどうって事ないだろが!」
慌てて宥めにかかる蛮骨に、蛇骨はしゃくり上げるように言う。
「あの女、自分が大兄貴の女房になったら、おれをどっかにやるって言ったんだ」
蛇骨は顔を擦る。
「おれ、追い出されたら行く所無いのに。最初から言っておいてくれたら、何言われたって平気だったのに」
「あー…悪かった。おれが悪かったから、もう泣くなよ」
敵を追いつめる算段より難題を抱え込んだ風情で、蛮骨は機嫌を取る言葉を口にする。
「侘びの証にさ、お前の欲しい物何でも買ってやるって。町に帰ったら、好きなだけやるから、だから泣くな、な?」
「じゃ、辻が花!」
欲しい物、と言われて蛇骨は間髪入れず答えた。上げた顔に涙はない。
「……空泣きかよ…」
拍子抜けした声で蛮骨が言う。蛇骨は「ふん」とばかりに鼻で笑った。
「おれを仲間外れにしてた兄貴が悪いんだもん。約束はちゃーんと守ってもらうかんな」
横柄に言う蛇骨に、蛮骨は肩の力をがっくりと抜く。
「判った判った、古着でいいな?」
「えー?仕立ててくれないの?」
「ばーか、ありゃ、日数がかかるんだよ…待てるんなら、新品あつらえてやるけどな」
「じゃ、古着でもいいや」
「ったく、遠慮のねえヤツ」
呆れた風に言いながら、蛮骨はどの店で扱っていたかと思い浮かべる。
その真剣な横顔を見ながら、くすくすと機嫌良さそうに笑っていた蛇骨は、さっきまで響いていた女の甲高い泣き声が低いすすり泣きになっているのに気が付いた。
男達の輪は先程と変わらず、沙耶の姿は遮られて見えない。

「……なあ、大兄貴。あの女はどうなる?」
「ああ?」
蛮骨は顔を上げた。そして蛇骨が見ている物に気付いて、頭を掻く。
「一族の掟に従って罰を受けるんだろうさ。……山猫の喧嘩ならいざ知らず、一族を売った女を見逃すことはできんだろうし」
蛮骨は淡々と答える。そこにはなんの感情もない。
「長の娘なのに?」
「だから、なおのことさ。一族を統べる家から裏切り者が出たんだ。放っておいたら、顔が立たなくなる」
「ふーん」
蛇骨は呟いた。仲間を裏切り、そして男に裏切られた女を、哀れと思う事もないがザマアミロ、とも思わない。
ただ、なりふり構わず男に取りすがって泣いていたあの姿が、僅かだけ羨ましい、妬ましいという思いを抱かせた。

たとえ仲間の誰が死んでも、自分はあんな風に泣けないと思う。
いつかはみんな骨になる。それが早いか遅いかだけ。残された者だって、みんないつかは必ず死ぬ。当たり前のことだ、悲しむ必要なんて何もない。そう思うのに――それなのにどうして、胸の奥でほんの少しだけ、羨ましいと思うのだろう。
失った男を悼み、そして残された自分を哀れむあの惨めな女の姿を――。

ふと視線を逸らすと、あれほどまでに群れ飛んでいた蛍の光はまばらになり、夜明けにはまだ遠い暗闇の中でかすかな瞬きだけを繰り返している。
辺りを明るくしていた炎もすでに下火になり、夜は暗さを増す。
黙々と死体を集めている男達の、草を踏む音だけが辺りに響く。
蛇骨はぶるっと小さく身震いした。
冷たさを増した夜風が、夏の終わりを知らせていた。


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辻が花←「辻が花染め」といわれる、絞り染めの技法。それで作られた着物。
えらく手間の掛かる技法で、室町末期から安土桃山時代の僅かな時代のみに作られていました。きっとすっごい高級品……。

こよりにした密書を蝋で固めて持ち運ぶというのは、司馬遼太郎氏の「梟の城」に登場していたやり方です。……だったはず……どのシーンで使われていたか忘れてしまいました、あやふやでごめんなさい。



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