◆ 真冬の怪異譚 1 ◆

 
真冬になると、戦が起きる頻度は格段に減る。
だからといって全く無い、とも言い難く、春になるまでの間、七人は何とはなしに冬の住まいを提供してくれた武将の客人扱いになっていた。
その武将の家の代々の菩提寺でもあるという寺の、広い敷地内の一画にある離れ家がその住まいである。
世話役の下男が1人つき、たまに小競り合いの後詰めに駆り出される以外は、のんびり好き勝手に過ごす毎日である。
もともと1人で動くのが性にあう面々なので、七人一緒に同じ建物の中にいるという事はめったになく、凶骨や霧骨などはどこに行ったのかさっぱり姿も見ない。寺の山門下にある門前町の遊郭にでも居座っているのかも知れない。
蛇骨はめったに遊びに出ることはなかった。
小さいながらも天然の温泉がこの離れ家にはあり、入浴後に肌が艶やかになる感触が気に入った蛇骨は入り浸っていたのだ。

「あー…気持ちいい」
蛇骨は腕を上げ、湯がそこからこぼれ落ちる様を眺めては満足そうな息を付く。一度戦となると埃も汚れも気にならない。多少の傷も気が付かず、治りかけのかさぶたを見て、ああ怪我をしていたのか、と初めて気付くことが多いくらいだ。知らないうちに増えた古傷の痕が湯に浸かるたびに薄くなり、滑らかになっていく気がする。夏の間の陽射しで黒くなっていた肌もめっきり白さを増し、湯上がりには全身が桃のような色合いになる。それも気に入っていた。
もともとが身分ある客が泊まるために整えられた建物なので、風呂場もきちんと湯殿の体裁が整えられ、無双窓を開けると雪景色も見える。蛇骨は心の底からのんびりと入浴を楽しみ、温まった体のまま布団に入って眠るのが習慣になっていた。

「兄貴達が居たらなあ、この後しっとり雪見酒!なんてしゃれ込むのもいいけど。……今いるのは、…あいつだけだしな」
蛇骨はつまらなそうな息を吐く。蛮骨と煉骨は、城の大晦日と年賀の宴の警護に駆り出されてしまっていた。年の暮れ前には先代城主の7回忌の法要もあるという事で、正月三が日が明けるまでは城に居ずっぱりだと言う。
「正月が終わったら、ちゃんと帰ってくんのかなぁ。土産持ってくるって行ってたけど、そのまんま遊里に入り浸ってたりして」
自分で口にした言葉で気分が滅入ってきた。蛇骨はむっつりとなると、そのまま湯に深く身体を沈める。熱さで頭の芯がぼうっとなるまで浸かっていた蛇骨は、不意に揺れる湯の表面に映る自分の姿に目を留めた。
見慣れた筈の自分の顔がなぜか別人に見え、急いで立ち上がる。
湯殿には自分しか居ないのに、なぜ別人の顔が見えたような気がしたのだろう。湯に浸かりすぎて、逆上せたのかも知れない。
温まったはずなのに、背中から冷えていく感じがした。
「……湯に浸かりすぎかな…もう寝よ」
蛇骨は呟くと、夜着を纏って廊下に出た。雨戸は閉めきられているが、真冬の冷気は板敷きの廊下を冷やしきっている。
小走りで自室に戻り、蛇骨は障子を開けた。
布団はすでに敷かれており、火鉢には炭が熾って室内はほんのりと暖かい。行灯がぼんやりと照らす室内を一瞥し、蛇骨は目を見開いた。
布団の上に誰かが座っているのだ。
風呂上がりのように濡れた髪に、白い着物。俯いているので、顔は見えない。ぎょっとなった蛇骨は目を擦った。それからもう一度見ると、そこには誰の姿もない。
「……長湯は程々にしておけって事かな〜〜はは…」
蛇骨はわざと笑い声を上げると、さっさと寝てしまおうと掛け布団をめくった。そして一瞬後、大きな声を上げると自分の部屋を飛び出したのだ。


「なんだ、うるせぇ」
のっそりと自室から現れた睡骨は、いきなり飛び付いてきた蛇骨に心の底から驚いた。蛇骨は猿が木にしがみつくような恰好で、両手両足を使って睡骨に抱きついてきたのだ。
「でたーーー!」
「何がだ」
「でたでたでたでたでたー!」
「だから、何がだ!重い、下りろ!」
しがみつくばかりか人の身体をよじ登り始めた蛇骨に、睡骨は苛立って怒鳴る。蛇骨はがっちりと両腕で睡骨の頭を抱きしめると、吐き出すように「幽霊が出た!」と喚いた。
あまりにも突飛な答えに、睡骨は咄嗟に言葉が出なくなる。

「……幽霊ってのは、夏場に出ると相場が決まってる」
「だって、出たんだってばーー!」
言い張る蛇骨に、睡骨はとりあえず現場を覗いてみることにした。蛇骨はしがみついたまま、引き剥がそうとすると余計に力を込めて離れる気配がない。内心で(こいつ、馬鹿か)と思いながら蛇骨の部屋の障子をあげた睡骨は、息を飲み込んだ。
めくられた掛布と敷布の間に、霜がびっしりと降りていたのだ。


「な、な、な、変だろー?まともじゃねぇだろ?」
蛇骨は今や睡骨の肩までよじ登り、頭をがっしり抱え込んで半べそかきながら喚いている。睡骨は視界を塞ぐ蛇骨の腕をずらしながら、低く言った。
「布団を変えるか、部屋を変えるかして寝ろ」
「なんだよ、それ!ぬくまってる部屋の中で霜って、それだけでおかしいじゃねぇか!」
「だからっておれに何をしろってんだ!おっかねえのなら、明日にでも坊主に祓ってもらえ」
睡骨は冷たく言うとむりやりに蛇骨をふるい落とし、部屋に戻ろうとする。が、蛇骨はまた袖を握ってる。
「なんだよ、厠だったら1人で行け!」
「そんなんじゃねぇってば〜〜〜」
日頃の威勢はどこへやらで、蛇骨はびくびくと睡骨の腕を引いて廊下を進み、納戸に寝泊まりしている下男の所へ行った。
呼びつけられた下男は、霜だらけの布団を見て呆気にとられたようだ。
「お床を伸べたときには、何ともありませんでしたが」
不思議そうに首を捻りながらも下男はさっさと布団をかえ、冷たくなった布団を洗い場の方に持っていった。きちんと整えられた新しい布団を前に、睡骨は呆れ顔で言う。
「お前、実は下男よりか気が小さいんじゃねぇか?」
「……お前もあいつも、変な人影なんて見てないから、そんな事言えるんだっての!」
蛇骨はふくれっ面で言うと、それでも大騒ぎしたのが恥ずかしかったのか、睡骨の目の前でぴしっと障子を閉めた。
その勝手ぶりに肩を竦めつつ、睡骨は自室に戻る。障子の前で睡骨の足音が消えるのを待っていた蛇骨は布団をめくり、異常がないことを確かめてから潜り込んだ。
なんとなく不安が消えず、灯りを小さくすることは止め、早く寝てしまおうと目を閉じる。じっと丸まっているとやがて体温で布団が温まり、蛇骨はゆっくりと眠りに引き込まれていく。
寝息を立て始めた蛇骨の上に、すうっと白い影が覆い被さった。
寝顔を覗き込み、その白い影のはっきりしない面差しの中でただ一つだけ色のある赤い唇が一文字に引き絞られる。 動かない唇から、声が発せられた。

『……独り寝は、寂しくはないかえ?…』


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

障子のからりと開く音に睡骨は目が覚めた。
部屋の隅に置かれた行灯の小さな灯りが、そこに立つ蛇骨の姿を浮き上がらせる。また何かぐだぐだ言いに来たのかと、睡骨は不機嫌な顔で起きあがった。
「まだ寝てねぇのか」
それを聞き、蛇骨は薄く微笑んだ。口角だけが僅かに上がるのが、妙になまめかしい。
蛇骨はするりと室内に入り込むと、睡骨の前にすとんと座り込んだ。
何か不穏な気配がした。睡骨は低く探るように問う。
「……何か用か」
『……独り寝は寂しくないかえ?』
蛇骨の唇からこぼれる言葉に、睡骨はぎょっとなった。本人の口調ではあり得なかったからだ。
途端に警戒する顔つきになった睡骨に、蛇骨は煙るような笑みを見せる。
『なぜ、その様な顔をする?妾との共寝は、それほど迄に不満かえ?』
「……お前、誰だ?」
『妾は妾じゃ…独り寝は寂しい…温めてたも…』
すうっと伸ばされた手が睡骨の胸に触る。そのあまりの冷たさに、睡骨は咄嗟に蛇骨を突き飛ばした。
抵抗もなく蛇骨の身体は畳の上に倒れ伏し、そのまま、ぴくりとも動かなくなくなった。
睡骨はその傍らに膝をつくと、警戒を解かないまま蛇骨の肩に手を掛けてその顔を覗き込む。蛇骨はぐっすりと眠っていた。その無防備な寝顔は普段見ている蛇骨と変わりない。
睡骨はほっと息を付くと「……寝ぼけてたのか?」と呟き、蛇骨を起こそうと揺さぶった。が、起きる気配はない。
畳の上で呑気に眠っている姿を見ているうちに、睡骨の方もいい加減に眠くなってきた。

このまま転がしておいたら、間違いなく朝には風邪を引いているだろうと思う。部屋まで運んでやればいいのだろうが、それすらも面倒くさくなり、睡骨は蛇骨の身体を転がして自分の布団の中に入れ、それから自分もその横に滑り込んだ。
「……ったく、狭い…」
文句を言いながらも、睡骨もすぐに眠り込んでいた。
自分以外の人間の体温が、無性に心地よく感じられたのだ。


翌朝。
気持ちよく眠っていた睡骨は、甲高い声と共に布団から蹴り出されて目が覚めた。
「痛ぇ!なにしやがる!」
「それはこっちの台詞だってーの!」
蛇骨は頭から火を噴き出しそうな顔になっていた。
「てめえ、人の布団ン中に潜り込みやがって!夜這いするったってちょっと質が悪いぞ!」
頭ごなしに怒鳴りつけてくるその言い分に、睡骨は呆気にとられた。朝からいきなり疲れが襲ってきて、頭痛さえ感じる。睡骨は苦々しげに答えた。
「お前、ここはおれの部屋だぞ」
「へ?」
いきり立っていた蛇骨は、言われて辺りを見回した。
鏡もなければ、衣桁にかけられた着物もない。乱れ箱と葛籠が一つあるだけの素っ気ない室内。
「あ…あれ?」
蛇骨はばつが悪げに呟くと、誤魔化すように頭を掻いた。
「なんで、おれ、ここにいるんだ?」
「覚えてないのか?」
睡骨は顔を顰めた。どう見ても奇妙だった夕べの様子を思い出してみるも、目の前の蛇骨はまるっきりいつもと変わりない。
「寝ぼけていたんだろう。目が覚めたんならいっちまえ」
睡骨は面倒くさくなって、追い払うように手を振った。蛇骨は釈然としない顔で首を傾げながら、そそくさと部屋を出ていく。
1人になってから、睡骨は頭を抱えるようにして息を付いた。そしてもう一眠りしようかと布団に入りかけた所で、またどたどたと廊下を走ってくる音。
きつく唇を引き絞った蛇骨が障子を乱暴に開けると、無言で睡骨を引っ張る。
「おい、もういい加減にしろ」
さすがに腹が立って睡骨は怒鳴った。これ以上、こいつの我が儘に振り回されたくない。だが、普段なら言い返してくる蛇骨が必死の顔つきで腕にしがみつき、哀願する。
「頼むから!一緒に来てっての!」
何が起きたのかと思った。蛇骨は睡骨の帯をつかみ、背中に隠れるようにしてついてくる。
蛇骨の部屋は障子が大きく開け放たれたままになっている。そこを覗き込んだ睡骨は、咄嗟に一声唸ると後退った。

部屋の中は、まるで嵐にあったような有様になっていた。
鼻を突く強い香の匂い。長持ちはひっくり返り、鏡は割れ、衣桁もバラバラになり、部屋中に散らばった着物はどれもこれもぐっしょりと濡れて中には切り刻まれている物もある。
極めつけは部屋の真ん中に敷かれた布団だった。
昨夜同様、びっしりと霜に覆われた布団の真ん中には、人の背丈ほどもありそうな長い黒髪が一房、黒蛇のようにとぐろを巻いていたのだった。


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