◆ 真冬の怪異譚 2◆



下男が寺から呼んできた坊主は歳のわりにはあまり得が高くないらしく、めちゃめちゃになった室内の物を運び出させた後は、部屋の四方と障子の合わせに符を貼っただけで、あとはできる事はない、と言った。
要するに先代城主の法要に参列するために外出中の住職が戻るまで、このままにしておけ、というのだ。
「えー、なんかこう、塩をまくとか、変な呪文を唱えるとか、する事ねぇの?」
蛇骨が詰め寄ると、初老の僧はおろおろとくどい自己弁護を繰り返す。どれだけ責め立てても平身低頭して同じ言葉をほざくばかりで、結局はまったくなんの頼りにもならない、と納得するしかなかった。
とはいえ、着物が全て台無しになった蛇骨にはもっと切実な問題がある。
寒いのだ。
いくら屋敷のあちこちに火鉢をおいて暖めたところで、やはり麻の夜着一枚では震えがくるほど寒いのだ。睡骨の短着を一枚無理矢理借りだして羽織っている蛇骨は、呼ばれた僧が着ている紙子の上着を恨めしそうにじっと見る。着物をはぎ取られそうだとでも思ったのか、脂汗を流し始めた僧は納戸に行き、そこにおいてある唐櫃を開けさせた。
この建物を利用する客人のための、着替えなどが仕舞ってあるのだそうだ。

「汚された着物を洗濯してお届けするまで、この中のものを自由にお使い下さい」
完全に及び腰でびくついている僧を横目に、蛇骨はさっそく櫃の中をあさり始めた。成る程、身分高い客人が主だと言うだけあって、綿入れや絹物など、庶民から見たら贅沢品がたっぷりと用意されてある。満足そうに白綾の小袖を数枚引っぱりだした蛇骨は、急に櫃の奥まで顔をつっこんで底をかき回した。そして、紙に包まれて一番下に仕舞われていた物を取り出した。
「うわ、すげえ」
広げた紙の中から現れた物に、蛇骨は感嘆の声を上げた。金糸銀糸をふんだんに使った唐織りの華やかな打ち掛けだったのだ。
「すっげえ、裏地は真っ赤だ。こりゃ、誘ってる?」
裾に綿を入れて形を整えてある豪華な打ち掛けを纏い、蛇骨ははしゃいだ声を上げながらくるりと回って見せた。「なにやってんだ、ばか」と言いたげな睡骨の傍らで僧はおろおろと手揉みしている。
「……あの、申し訳ございません。それは、大事なお預かり物でございますので…」
「着ちゃダメだっての?」
蛇骨は不服そうになる。僧はいっそう狼狽えながら、逃げ腰で説明を始めた。
「……それは先代様の奥方様が新年の晴れ着にと作られた物でございます。ただ、正月を迎える前に身罷られてしまいまして、先代様が手元に置くに忍ばれぬと申されてこちらに…」
「ここって殿さまの菩提寺だっけ?なんでそんなの預かってるのさ」
打ち掛けの着心地がよほど良いのか、蛇骨は脱ごうともせずにそう聞いた。
「いえ、それが色々と事情がございまして…」
僧はなぜか身を乗り出して小声で言った。

「先代様はあまり頑健なお方ではなく、家督を継がれる前からよくこの離れ家に療養にいらしていたのです。あれ、あの温泉がたいそう体にいいとか申されまして。で、奥方様を迎えられてからも、よく此処へお一人で参られていたのです。奥方様はそれがお寂しかったのか、ある日、こちらへお忍びで参られたのです。ところがなんという事か、ここへ来た途端に体調を崩され、静養しておられたのですが、一週間ほどで亡くなってしまわれて…」
僧は数珠を揉みながら、はあっと息を付いた。
「あまりに突然なことでございまして、当方で懇ろに納棺をした後、あちら様の菩提寺に御遺体をお渡ししたのですが、その時に奥方様が持っていらしたのがこの打ち掛けでございます。お城にお返しするのが道理なのでございますが、見るに辛い、と仰られてお預かりしたところ、その後、一月としないうちに先代様も病で亡くなられてしまいまして、結局そのままになっておりますので」
「……なーんか、縁起悪い打ち掛け。んじゃ、いいや」
蛇骨は聞いた話に興が削がれたのか、あっさりと打ち掛けを脱いで放りだした。下男が急いで畳み、また丁寧に唐櫃へと納める。
僧は気を取り直して言った。

「それでは、住職は明日明後日には戻りましょう。それまで、お仲間のどなたか様の部屋を使われますか?」
「あー、おれの代わりの布団なら、こいつの部屋に運び込んで」
蛇骨が睡骨を指差しながら勝手に言った。
「おい、てめえ、まさか怖いからってんじゃねえだろうな」
「怖いからだよ、悪いか」
文句を言う睡骨に向かい、蛇骨はあっさりと開き直って見せた。絶句している睡骨に向かい、しかつめらしく言う。
「触ってぶっ飛ばせる相手なら妖怪だって怖くねぇよ。まあ、お化けだって目の前に出てきて居座ってるってのなら、蹴散らしてやろうか、って気にもなるけどさ。黙って忍び寄ってきて背中触って逃げてくような、そんな得体の知れねーものなんて気持ち悪いよ、おっかない」
「だからって、おれも巻き込まれたらどうする」
「明日明後日には坊主が戻ってくるってんだから、それまで一緒にびびってりゃいいだろ」
「……ったく、勝手な野郎だ」
諦めたらしいため息を付く睡骨を見て満足したのか、蛇骨は今選んだばかりの着物を抱えて立ち上がった。
「じゃ、そういう事で決まりだよな。おれ、着替えしてくるから、のぞくなよ」
「のぞかねーよ」

蛇骨が納戸から睡骨の部屋に移動する。下男も仕事をするために立ち上がり、坊主もそそくさと離れ家から出ていった。
1人納戸に残り、睡骨はつくづくくたびれた、と言いたげな息を付く。
そして、はっとした。どこかで視線を感じたような気がしたのだ。
無言で鋭い目を納戸の隅々に向ける。だが、当然のようにそこには誰の気配もない。
「あの馬鹿が騒ぐんで、移ったか?」
睡骨は舌打ちすると、気のせいだと結論付けた。


――さすがに上物は着心地が良い。
上物の小袖を重ねて纏いながら、蛇骨はそう思った。糸の光沢がすべらかに地紋を浮き上がらせる様が、上品で綺麗だ。蛇骨の好みとしてはもう少し鮮やかな色があった方がいいが、それは贅沢というものだろう。
着物を変えたところで、肩に流していた髪を結い上げる。
慣れた手つきで髪をねじり上げ、後頭部で一つに纏めたところで、簪が手元になかったことに気が付いた。
「あれ?部屋に置きっぱなしだったっけ?」
夕べ、風呂にはいる時に外して化粧机に置いておいた。で、今朝は気が付いたら睡骨の部屋にいて、その後は騒ぎになって汚れた物や壊れた物は持ちだしたがそれ以外は全部、部屋の中に置いたまま封印されたはずだ。
「…失敗したな。そういや鏡も無いし、また納戸漁ってみるか…」
蛇骨はガッカリしながらそうひとりごちた。もともとここで使っていた鏡も、屋敷内にあったものだ。他にも櫛だのごちゃごちゃ箱に入っていたので、探せば鏡や簪の代わりも見つかるかも知れない。
そう考えながら障子に手を掛けたところで、ふっと耳元に吐息を感じる。

『……男が飾ってなんとする気じゃ…?』

ぎょっとして振り向いた。首筋にかかった息の熱ささえも生々しく感じたというのに、まったく人の気配はない。
蛇骨はぞっとして両手で自分の身体を抱きしめると、小走りで睡骨の所まで戻る。
落ち着かない様子で真横にすとんと座った蛇骨を、睡骨は顰め面で見やる。
「しおらしい恰好になったじゃねぇか」
「うるせぇよ」
言い返す気も起きないのか、蛇骨はそれきり口をつぐんだ。そして夕刻まで親鳥の後を追いかける雛のように、睡骨の後をついて回る。
普段からは考えられない蛇骨の行動に、睡骨も妙に落ち着かなくなってきた。壁や柱の木目からも視線を感じる気がする。己の神経が過敏になっていることに気がつき、その事にもさらに苛立つ。だが、陽が落ちて、行灯に火が入り夕餉も終わる頃になると、苛立つ睡骨とは別の理由で蛇骨は落ち着かなくなってきた。

「……風呂、入りてぇ」
「勝手に入ってくりゃいいだろ」
突き放すように答えると、蛇骨は口を尖らせて睨み付けていたが、やがて夜着を手に立ち上がった。
「風呂、入ってくるから、おれが上がるまで勝手に寝るなよ!」
「勝手にって…」
呆れた睡骨の言い分を聞かずに、蛇骨はさっさと風呂場に向かった。
我ながら風呂どころじゃないだろう、とは思うのだが、何かに急かされているような気分がしてどうしようもない。
とりあえず、熱い湯に浸かって落ち着いて早く寝よう。そう思って蛇骨は湯に身体を沈めた。こうしていると、あの妙な胸騒ぎも静まっていくようだ。
「あー…気持ちいい。今日はもう早く寝よ…」
早く兄貴達が帰ってくればいい――そんな事を考えながら湯を両手ですくって顔を洗う。滑らかな頬の感触を心地よく感じていた蛇骨は、不意に耳元に聞こえた声にぎくりとした。

『……待ち人がおるのか…そなたごとき下郎にも……』

恨みと憎しみのこもる声は、着替えをしていたときに聞こえた物と同じ。
そして思い出した。
この場が最初だったのだ。あの妙な出来事が始まったのは。
昨夜こうやって覗き込んだ湯の表面に映った、自分とは違う顔。
はっきりとどんな顔だったかは判らないが、自分の顔でないことだけは確かだ。
あれが始まりだった――蛇骨は急いで湯から上がると、脱衣所の引き戸を開けた。
そこに、打ち掛けが浮いていた。

金糸銀糸で縫い取りされた豪華な打ち掛けが、なんの支えもなく空中に浮かんでいる。
あまりにも非現実的な光景に、蛇骨は自分が驚いているのか、怯えているのかも判らなかった。
ぼんやりとそれを眺めていると、真後ろから、さっきよりもはっきりとした声が響く。

『汚らわしいそなたごとき下郎の願いなど、叶えられるものか』

急いで振り向くと、長い髪の間から血色に染まった目をぎらつかせ、上目遣いで睨め付けている女の顔。白の小袖を着た全身は、今まさに湯から上がってきたようにぐっしょりと濡れている。
背後に浮かぶ打ち掛けが大きく広がり、棒立ちになった蛇骨の身体を背中から包み込む。そのまま意識が遠のいていった。


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紙子→丈夫な和紙を張り合わせ、もんで柔らかくして作った紙製の布。それで作られた衣類。
古くから僧侶の防寒着などに利用され、戦国当時は武将の陣羽織なども作られていたようです。




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