◆ 空恋 1◆


 
その川を挟んでの小競り合いはいつもの事だった。
超えるのに船がいる程の幅もない川なのに敵兵は決して渡ってこないし、こちらの兵も渡ってまで敵を追い払おうとはしない。
まるで暇つぶしか遊びのように、川を挟んで適当に弓を打ち合ってそれで終わりという、児戯のような戦だった。
どれだけ真剣味のない戦かと言えば、少し離れた河原で茅の刈り込みに精を出す農夫達が休み時に見物に来るほどだ。
一応後詰めとして参加している蛮骨達も出番がない。
本陣の前に出て饅頭くわえて退屈そうに見物しているだけである。
「あー、つまんねぇ戦。いっそ、敵も味方もまとめてぶっ殺しちまえば、でっかい戦になるかなぁ」
「冗談に聞こえねぇから止めとけよ」
蛮骨は、一応頭らしく蛇骨の軽口を止めさせた。本心では似たり寄ったりな事を考えているが、それを耳にしたらしい侍が本気で警戒の顔をしているからだ。

「おれも次は市中警備…とかの方に回るかなぁ、盗賊の首取ったら報奨金出るんだよなぁ」
「……お前等、何しに雇われてんのか、完全に忘れてるよなぁ」
蛮骨はぼやく。
兵として雇われたはずなのに、肝心の戦はこの通りの小競り合いだけ。
最初のうちは真面目に参加していた面々も、回を重ねる事に1人減り2人減りし、今回は蛮骨蛇骨以外は参加していない。
町で暴れている盗賊退治の方に行ってしまったのだ。あちらの方は、それこそ盗賊が現れる度に死人が出るという、この小競り合いよりもよほど荒っぽい。賊にかけられた賞金も跳ね上がってきているので、ここでぼーっとしているよりもよほど実入りが良い。
「煉骨の兄貴からしてひっこんじまってるもんな」
「お前等、勝手ばかり。おれは必ずこっちにでなきゃないってのに」
首領の蛮骨としては、必ず誰か1人は戦に出さなければ契約違反になる。かといって、これだけ退屈だと他の連中に「出ろ!」と強要するのも気が引ける。一番腹にたまっているらしい蛮骨の言い様に、蛇骨は苦笑した。
「判ったってば、兄貴。おれはつき合うからさぁ、次はもっとでかい戦探そうな」
「……そうしような」
蛇骨に励まされ、一刻程度で終わる退屈な戦を蛮骨はなんとか乗り切った。


「帰ったよ〜〜〜」
大きな声を上げながら派手な音を立てて引き戸を開け、蛇骨は草履を脱ぎちらして板の間に上がった。
すぐに下男の老人が足洗の盥を持って走ってくるが、その頃にはもう屋敷の奥へと消えている。
蛇骨はぺたぺたと足音をたてて廊下を歩いた。世話役の重臣にあてがわれた屋敷は意外と広く、各自一部屋ずつ使いつつもまだ余る程で、とくに仲間の殆ど出払っているらしい今はがらんとしていた。
だが、静かな屋敷の奥から聞こえてきた声に、蛇骨はむっと眉を顰めた。女の声だ。
(どっから入り込んで来やがった?)
声はどうやら庭をはさんだ納戸の方らしい。そちらは煉骨の道具部屋に使っている。蛇骨は乗り込んで行ってやろうかと庭に裸足のまま下りた。
「おい」
後ろから声がして、腕が引かれる。
「大兄貴」
「何やってんだ、お前」
意気込んだ蛇骨の顔をいぶかしげに蛮骨が覗き込んでいる。蛇骨は顔を顰めたまま言いつけた。
「あっち、煉骨兄貴の部屋の方から、女の声がするんだ」
女、と聞いて蛮骨は一瞬驚いた顔をし、ついでにまりとした。
「へー…じゃ、噂の主が来てるのかな?」
「噂?」
「まあ、静かについてこいよ」
好奇心丸出しの顔で蛮骨は忍び歩きで納戸の方に向かった。つられて足音を忍ばせつつ、蛇骨はその後を追う。柱の影で蛮骨は蛇骨を手招いた。
「ほら、あれ」
蛇骨はこっそりと指差された先を覗き込んだ。

板戸を開け放った納戸の濡れ縁に女が1人座り、はでな声を上げながら手酌で杯を傾けている。机に向かって作業中の煉骨が話を聞いている様子はないが、女は1人で喋っては笑い声を上げていた。
蛇骨は、思いっきり顔を顰めた。
「なんだよ、あの女、むかつくー。兄貴も、おれがちょっと喋るとすぐうるせーって黙らせるくせに!」
「そりゃ、弟分のお喋りと、惚れた女のお喋りは違うだろう」
さらっとした蛮骨の言い分に、蛇骨はさらに声をきつくした。
「惚れてるってなんだよ、あれって、どう見ても煉骨兄貴より年増だぜ!たいして器量もよくねぇし、酒飲みだし、なんであんなのに惚れるって」
「しらねえよ。でも、ちょくちょく通ってきてるらしいぜ、あの女。ま、そんなに悪くもないんじゃねぇか?」
ここへ来るまでに下男から噂でも聞いたのか、蛮骨はけろりとして言う。
確かに容色は年相応に衰え、若い娘と商売で張り合うのは無理だろうが、その分年増の色気がしっとりとにじみ出ているような女だった。
「なんかお前、ヤキモチ焼いてるみてぇだな」
「ヤキモチっつーかなんつーか、とにかくすっげえむかつく!あの女、ぶっ殺す!」
「やめとけって」
冗談には見えない蛇骨の顔に、蛮骨は思わず押さえ込んだ。背後からしっかりと抱きかかえ、じたばたする蛇骨を宥める。
「ありゃ、娼妓なんだとさ。落ち付けって」
「玄人女だろうが素人女だろうが関係あるかぁ!とにかくぶっ殺す!」

柱の影でじたばたしている2人にうんざりしたのか、煉骨が身を乗り出して声をかけた。
「なにやってんですか」
女は、ぱちりと扇を口元でうち合わせ、しなを作る。
「おや、お仲間様のお帰りですか?」
「首領の大兄貴だ」
「大兄貴…」
女はしおしおと姿を現した蛮骨の意外な若さにきょとんとしたようだ。が、すぐに客あしらいに慣れた女らしく、立ち上がって身体をくねらせるように頭を下げる。
「お初にお目に掛かります。小浅ともうしまする」
唐輪に結った髪に飾られた、白木の笄の小さな銀の飾りが揺れて、しゃらしゃらと粋な音を立てる。
「お近づきの印に一献差し上げましょう。どうぞ、お上がり下さいましな」
まるで自分の家のように勧める女に、蛇骨は機嫌悪く言った。
「てめーんちじゃねーだろうが。酒が欲しきゃ勝手にやるよ」
女は扇を口に当てて、ほほと笑った。
「おや、ご機嫌を損ねてしまったようで。では、私は帰ります。煉骨様、お待ちしてますから、またお出でくださいましね」
しゃなりしゃなりと帰っていく女に、蛇骨は庭の土を蹴りかける動作をした。
「おい、蛇骨。犬じゃねえんだから」
濡れ縁に腰を下ろした蛮骨が笑いながら言う。そして、苦々しげな煉骨に、にまりと笑いかけた。

「で?いつの間に馴染みの女なんて作ったんだ?」
「別に馴染みって程じゃないですよ」
煉骨は面倒くさそうに机に向き直る。そこへ蛇骨がどたどたと上がり込んできた。いきなり後ろから煉骨の首にぎゅっと腕を回し、険のある声で喚く。
「馴染みじゃなきゃ、なんでこんなとこまで来るんだよ!だいたい、あいつ等ならそろそろ商売の時間だろが!」
「暇なんだろ、年増だから名指しの客が少ないんだそうだ…こら、腕を放せ」
殆ど首を絞める勢いでしがみつく蛇骨に、煉骨は苦しそうに藻掻く。苦笑した蛮骨が引き剥がしてやると、煉骨は大きく息を吸った。
「てめえ、おれを殺す気か」
「あんな年増女に吸い殺されるよりかはマシじゃん!」
「何言ってるんだ、お前は」
「あー…邪魔して悪かったな。こいつ、ヤキモチ妬いてるんだ」
なぜか蛮骨が言い訳する。それを聞いて顔を真っ赤にして膨れている蛇骨に、煉骨は呆れた息を吐く。
「何を勘ぐってるんだ。あの女は、暇つぶしに世間話をしていっただけだ」
「世間話ってと?」
少し興味ありげに蛮骨が聞く。煉骨は皮肉っぽく答えた。
「市中警備隊の手伝いをしている連中が、どこぞの馬小屋を踏みつぶしたとか、井戸を丸ごとぶっ潰したとか、そういうろくでもない噂ですよ」
「その手伝いって、ひょっとして?」
きょとんと聞く蛇骨に、煉骨はつまらなげに頷いた。
「凶骨達のことです」
「大兄貴…」
「……今度から、あいつ等本陣の前に座らせておくか」
放っておくと何をしでかすか判らない弟分達に、蛇骨と目を見合わせた蛮骨は困り顔で笑う。

煉骨は、これ以上変に興味を持たれるのが面倒くさかったのか、素っ気なく言った。
「若い女はあれよりまだ姦しい。だから、あの女を名指していくだけだ。別に、おれの女って訳じゃあねえ」
「だよなー、兄貴にはおれがいるもんな」
蛇骨がまた煉骨に抱きつく。煉骨は鬱陶しげにそれを払う。
「お前はいつおれの『女』になった」
「別にいーじゃん、細かいこと言わなくたって」
「放せって。作業が出来ない」
「んな事言って、やっぱりあの女が恋しいんだー」
「だから、なんでそうなる!」
子供の喧嘩のような言い合いをしている2人を見て、蛮骨は頭を掻いた。
とてもじゃないが、鬼か蛇かとも噂される人殺し集団の面子の会話じゃないな、等と自分を棚に上げたことを考え、とにかく話の矛先を変えてみようかと試みた。
「そういや、噂の凶骨達は?」
「警護隊の詰め所ですよ。半分はただ酒飲んでるだけだから、呼び戻したいんですがね」
「帰ってこねぇのか?」
「あいつ等は屋根のある場所より、外でごろ寝してる方が性に合うんです」
「ったく、あいつ等の方が盗賊と間違えられそうだな」
蛮骨はぼやくと、まだ煉骨にまとわりついている蛇骨に言いつけた。
「お前、ちょっと詰め所行ってあいつ等引っ張ってこい」
「えー、なんでおれがー」
「いいから行ってこい。さっさと行かねえと、尻ひっぱたくぞ」
そうまで言われて蛇骨はぶつぶつ言いながら出ていく。ようやく解放された煉骨がわざとらしく肩を揉んだ。
「ったく、なんなんだ、あいつは」
「お前に決まった女が出来るのが、いやなんだろ」
「あいつは、おれだけじゃなく、誰に女が出来ても嫌がりますよ」
「まあ、そうだな」
物わかり良さそうに頷いてから、蛮骨はにやりと探るような笑い方をした。
「で?本当のところはどうなんだ?あれは、お前気に入りの女って事でいいのか?」
「……いい加減、怒りますぜ?」
退屈しのぎにからかわれている事に気がつき、煉骨は心の底から大きなため息を付いていた。


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空恋(からこい)←造語…になるかな?仮の恋、虚ろな恋、実体のない脆くて幻のような気持ち…みたいな雰囲気で…。

唐輪(髷)←もともとは中国の女性の髪型をまねた、髪の毛で輪を作る結い方。この当時だと、神楽みたいな髪型……の筈。資料によって図柄がちょっと違うんです。(^^;;
蛇骨の髪型は笄髷(笄に髪を巻き付けるまとめ方)の変形になるのでしょうか?詳しい人、教えて下さい。


 
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