◆ 空恋 2◆


 

「あー…日が暮れるのが早いなぁ」
初冬の日暮れは釣瓶落とし。陽が傾いたと思えば、あっという間に暗さを増す。冷え込みも厳しくなり、蛇骨は身体を両手で抱くようにしてぼやいた。
「帰りは灯りをもらって来なきゃなあ。それにしても、寒!」
ぶるっと震え、背筋を丸めるようにして小走りに急ぐ。そして警備兵の詰め所は市中に複数有ったことを思いだし、面倒くさげな顔つきになった。
「ま、良いか。一番近いとこ行って、そこから使いを回させようっと。おお、俺ってけっこう賢いじゃん」
呑気に納得した瞬間だった。
ひゅっと言う空気を切る音が聞こえ、反射的に体を反らせる。
背後にあった木に、矢が突き刺さった。咄嗟に木の後ろに身体を潜ませると、続いて第二射。三本目の矢が木に突き立ったところで、逃げていく足音が聞こえた。蛇骨は木の陰から飛び出し、その足音を追う。
「まちやがれ!どこのどいつだ!」
待てと言われて待つ曲者はいない。ともすれば見失いそうな相手の黒い影を蛇骨は追いかける。
郊外にある遊里の賑わいを横目に、その先の雑木林まで追いかけたところだった。落ち葉の溜まり場所を踏み抜いた途端に、蛇骨の身体は網に包まれて空中に跳ね上げられたのだ。

木の枝からぶら下がる網に絡まれ、蛇骨は藻掻いた。
「畜生!こりゃなんだ!」
罠に引っかかったんだ、と察した蛇骨は刀を抜いて網を切ろうとするが、変な角度で身体の下敷きになってしまったらしく、なかなか抜けない。
しかも簪が巻き上げていた髪ごとどこかに絡まったらしく、頭を動かすことも出来ない。我知らず冷や汗が流れる。
つり下げられた身体の下に、人の気配が現れる。肘と脇腹の隙間に槍先が突き込まれ、蛇骨は僅かに動ける部分を捩らせて避ける。一度抜かれた槍は再び突き上げられ、内股を僅かに掠る。暴れれば暴れるほど絡む網に、蛇骨は本気で慌てた。このままでは槍で串刺しになるのも時間の問題だと、無理矢理に首を振る。髪が引っ張られ、涙が出るほど頭皮が痛んだが、簪が抜け落ちると同時に頭が自由になる。なんとか体勢を変えた瞬間、槍先が背中を薄く切り裂いた。びくりとする痛みが背筋を駆け抜けたが、それが逆に幸いした。槍先は蛇骨の着物ごと、刀を引っかけていた紐まで断ち切ったのだ。刀の引っかかりが取れ、次の瞬間に蛇骨刀を袋から引き抜き、蛇骨は網を切り開いた。
縄が断たれる音が雑木林に響き、自由になった蛇骨は猫を思わせる動作で着地する。だが、その時にはすでに襲撃者は林の奥に逃げ込んでしまった後だった。見回っていたらしい役人達の声と、灯りが近付いてくる。
完全に敵を見失った蛇骨は歯がみするしかなかった。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


表の騒ぎに蛮骨は顔を上げた。また盗賊が出たのだろうか。
戻ってこないあいつ等も一緒になって走り回っているのかと、そう考えるとなんとなく蛮骨は羨ましくなった。絶対に次からは連中を戦に出し、自分は捕り物の方に回ろう、と思う。
自分達が退屈を我慢していた間連中は楽しんでいたのだから、そろそろ交替させても構わないだろう、等と思っていると、玄関先が賑やかになる。
「あいつ等、やっと帰ってきたのか」
そうため息を付いた時だった。下男が引きつったような声を上げたのだ。
ついで蛇骨が喚く声。どやどやと多数の足音が屋敷に入ってくる。
「何を騒いでるんだ?」
奥から煉骨も顔を出す。やがて障子が開き、縮こまった凶骨達を従えた蛇骨の姿を見て、蛮骨は口を開けた。
「お前、何してたんだ」
「しらねーよ!いきなり襲撃されたんだよ!」
蛇骨は吐き捨てた。髪はバサバサに乱れ、着物の背は大きく切り裂かれ、裾にも血が滲んでいる。ただ傷はどれも深くなく、冷えた空気に触れてすでに血が止まっていた。蛮骨は血の付いた蛇骨の着物をつまみ上げ、「お前、月の障りがあったのか?」と惚けたことを聞いた。

「あるわけねーだろ!」
気が立っている蛇骨は、笑い飛ばすことが出来ずに喚いた。
「見回りしてたら、何やら不穏な気配がしたんで行ってみたら、こいつが居たんですよ。おれが同行してなきゃ、盗賊に間違われて捕まっても不思議ないってくらい殺気立って」
そう説明する睡骨を、蛇骨は睨み付けた。
「賊だかなんだか知らねーけど、あんなの市中をうろつかせておくなんて、てめえら、何を見回ってやがった」
「知るか。またてめえが男絡みでなんかやって、恨みを買ったんじゃねぇのか?」
険悪になる2人を、鬱陶しそうに蛮骨が止めた。
「止めとけよ。今回は男絡みの恨みはねぇだろ?蛇骨は、陣屋に詰めっきりだったんだから」
それを聞いて渋々ながら睡骨は口をつぐむ。蛇骨は鬱憤のやり場のなさに、泣きそうに顔を歪めた。
「簪、落とした弾みで折れちまったんだよ!髪は引っ張られて頭から血が出るし!もう、戦はつまんねぇし、煉骨兄貴は女引っ張り込むし、この国嫌いだ!」
「どさくさ紛れに何を言ってやがる」
呆れ顔の煉骨に、蛮骨は受け取った簪を差しだした。確かに二股に細くなっている部分の片方が途中から折れている。
「お前の女さ、馴染みの職人とかいねぇの?これを直せそうなヤツ」
「大兄貴も、いい加減にして欲しいんですがね。……店出入りに誰かいないか聞いてみますよ」
「あの女の世話なんてまっぴらだよ!」
簪が壊れたと涙目になっていながら、蛇骨がそう主張する。煉骨は面倒くさげに簪をゆらゆらさせながら聞く。
「んじゃ、これはこのままでいいんだな」
「それは……やだ…」
「だったら、どうしろってんだ。人に手間かけさせといて我が儘言うな」
冷ややかな言い方に、蛇骨の目にじわっと涙がにじんだ。
「やっぱり、煉骨兄貴、女に入れ上げてるからおれに冷たいんだーーー」
「だから、どうしてそうなるんだ!」
困り顔の蛮骨にへばりついて派手な泣き真似をする蛇骨に、普段冷静な煉骨も声を荒げる。その間に、呆れ果てた他の面々は自室へと戻ってしまっていた。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「何だか、お疲れのようでござんすね」
窓際に座り、弦を弾いた女が笑った。

ここは遊里内の揚屋にある小浅の部屋だった。女はこの辺りではまだ珍しい、大陸渡りの胡弓の弾き手だった。だから年増でも座敷の賑やかしに呼んで貰えると、よく自嘲気味に笑っていたのを煉骨は思い出した。
「夕べ、仲間が襲撃にあってな。大騒ぎだった」
女は演奏する手を止め、きちんと向き直る。
「大騒ぎって、どなたかお亡くなりにでもなったんですか?」
「いや、ちょっとかすり傷作っただけだったんだがな。簪が壊れたと大泣きしやがった」
「簪が壊れて…ですか?どなたか、お嬢さんでもいらっしゃったんで?」
「いや、そうじゃねえ。昨日、大兄貴の後ろにいたヤツだ。覚えてねぇか?」
「……そういや、いらっしゃいましたね。確かに、髪に簪をつけてらしたような…。その方が、襲われたんですか?」
「まあな」
煉骨は預かってきた簪を懐から取り出した。
「直せる職人に心当たりはないか?ぎゃあぎゃあうるさくてたまらん」
「ちょいと拝見しますよ?……ああ、これはなかなか結構なお品ですね。あたしらみたいな安女郎じゃ、ちょっと手が出ない」
「ほう、そうかい」
煉骨は杯を傾けながら、驚いたように言う。小浅は、しみじみと息を付いた。
「職人が手間暇かけて細工した物ですよ。確かに壊れたままにしとくのはもったいない代物でござんす。店の出入りの簪職人に頼んどきますよ」
「頼む」
短く言って立ち上がった煉骨を、女は慌てて引き止めた。
「もう、お帰りでござんすか?」
「する事がまだあるんでな」
「それは残念……首尾良く簪が直ったら、使いをやりますよ」
「そうしてくれ」
素っ気なく答え、煉骨は小浅の部屋を後にする。
残された女は窓際に座り、力無く預かった簪を眺めた。

重ね塗りした色漆を削り、繊細な蝶を浮き上がらせた見事な玉飾りだ。
自分が挿している笄は、稼ぎ頭の女が飽きたと言ってくれてよこしたもの。自分一人の稼ぎでは着物を整えるので精一杯、飾り物まで手が回らない。
小浅はそっとその簪を髪に挿し、鏡を覗き込んだ。
僅かに白髪が見える彼女の髷に、その簪は場違いなほどに若々しく映る。
小浅は簪を抜き取り、手に抱えたままほうっとため息を付く。
「……お若い人には、こんな気持ちわかりゃしませんよね…」
そう呟き、女は番頭を呼んだ。七人隊、煉骨の頼みだと言ったら、男はすぐに出入りの職人を呼びに走っていく。
七人隊の噂は遊里内でも有名で、関わり合いになることを怖れるもの半々、馴染みになってくれたら店の名も女の格も上がると期待するもの半々。
だが、店は煉骨の馴染みである小浅を扱いかねているようでもある。
若い頃ならいざ知らず、今の小浅は店の看板にして売り出すには物足りなさ過ぎる。
「……いい加減、潮時ってものなのかねぇ」
格子に寄りかかり、小浅は息を付いた。


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蛇骨の簪が漆細工だなどと言う事実はありません。
捏造設定ですので、信じないでください。(^^;;
購入の過程はそのうちに書けたら書きます…。

色漆を重ねて彫刻をする「彫漆(ちょうしつ)」という技法は実際にございます。


 
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