◆ 空恋 3◆


 
生傷が増えていた。
出陣要請が来ると今は凶骨、銀骨、霧骨の三人が出るので、戦場には出ていない。
最近は珍しいくらいに品行方正、当然女房持ちの男にちょっかい出して喧嘩ざたになることもない。
にもかかわらず、蛇骨は生傷が増えている。
外に出ると、どこからともなく荷車引いた牛だのご隠居さんが乗った馬やらが暴走してきたり、材木置き場から丸太が転がってきたりするのだ。一番最悪だったのは、通りかかった油問屋の店先に出されていた樽から油が漏れ、そこに火が点いた事だろうか。
危うく蛇骨は丸焦げにされるところだった。
ただの事故なのか、それともよその事件に巻き込まれただけなのかはっきりしないが、蛇骨はピリピリと神経を張りつめ、半眼で不機嫌さをまき散らしている。

「お前、もう、外に出るなよ。なんか祟られてるみてぇだ」
「いやだー!泣き寝入りなんて、絶対にしねーっての!」
さすがに見かねた蛮骨が言うと、蛇骨は頑として言い張った。
「どこの馬鹿かしらねーが、絶対に見つけて仕返ししてやるんだ!」
「仕返しは構わないがなぁ……」
蛮骨は歯切れ悪く言う。蛇骨は手助けを頑なに嫌がるが、事が起きた直後は本人が殺気立ってしまうので、まわりの町人達も全て逃げてしまい話も聞けず終い。これではいつまで経っても埒があかない。
「一人歩きは止めとけよ。そうしたら、お前がやられても、すぐに仇を取ってやれるし」
薄情に聞こえる蛮骨の台詞に蛇骨はぷっとふくれかけたが、すぐに思いついたようににやりとした。
「煉骨の兄貴、誘ってこよーっと」
いそいそと奥に行きかける蛇骨の現金さに、蛮骨は心配するのが馬鹿らしくなって投げやりに声をかけた。
「今は忙しそうだぞ。客が来てるから」
「客って……」
すぐに蛇骨の目つきが物騒になった。
「喧嘩腰は止めとけ。お前の簪修理の口利き頼んでるんだから」
蛮骨に諫められ、蛇骨は荒っぽい足取りで無言のまま表戸に向かった。
その歩き方から不愉快さ加減が伝わってきて、蛮骨は苦笑する。
「おい、睡骨。ついてってやれよ」
蛮骨に言いつけられた睡骨が渋々といった風で後を追った。

蛇骨は無造作に草履を突っかけると、門へと向かっていた。
後ろから面倒くさそうに呼ぶ睡骨の声が聞こえたが、苛立っていたので完全に無視をする。
乱暴に表門を開け、外に出ようとした瞬間だった。天井の梁から縄のようなものが蛇骨の左肩に落ちてきたのだ。
何かと思って目を向けた蛇骨の眼前にあったのは、鎌首をもたげた蝮の頭。
蛇骨はごくりと唾を飲み込んだ。
蛇は威嚇するように牙を剥き、それからチロチロとした舌で辺りを探るように、ゆっくりと身体を強ばらせた蛇骨の肩から背中へと移動していく。

(蝮の毒が身体に入ったら――どうするんだっけ?)

以前、蝮に噛まれた雑兵の腕の傷に火薬を乗せ、肉ごと吹っ飛ばしたのを見たことがある。こうやって、毒が身体に回る前に飛ばしてしまうのだと。
そうでなければ、傷口を切り裂いて毒を吸い出すのか?
肩や背中ならまだしも、喉や顔を噛まれたらどうするんだろう。
霧骨がいれば、解毒剤があったかも知れないのに。
首筋に触れる毒蛇の舌を感じながら息を詰め、必死に考える。

背中にいる間に振り落とすか。たとえ脚を噛まれたとしても、すぐに踏みつぶせる。首から上を噛まれるくらいなら――その方がマシか。

背後にいる気配に、蛇骨はふと気が付いた。
「そのまま、動くな」
すぐ後ろに睡骨がいる。立ちすくんだ蛇骨の異常に気が付いたらしい。低められた声が、僅かに固い。
蛇は蛇骨が肩に回した帯に絡まるように、ゆっくりと反対側の肩までやってきた。蛇の頭が後れ毛の下をくぐり、頬にちろりと二股の舌の先が触れる。その冷たさに蛇骨はゆっくりと息を吸う。大きな声を上げて今すぐ叩き落としたい衝動を無理矢理に押さえ込んだ。蛇を驚かせてはいけない。
蝮がもたげた鎌首を一度後方に引いた。攻撃してくる、と蛇骨が察した一瞬後、鋭い牙が見えるのと鋼の気配が頬を掠めるのが同時に来た。
右肩越しに背後から伸ばされた睡骨の腕とかぎ爪、そしてその先端に頭部を貫かれて痙攣している蛇の尾が見える。蛇は大きく何度か尾を左右に振ったあと、だらりと長く伸びて動かなくなった。

それを見届け、ほっとした瞬間、蛇骨の足から力が抜けた。ふらつき、背後の身体に背中を預ける。そのまま、ズルズルとへたり込みそうになる蛇骨の腕を睡骨が掴んだ。
「なんだ。まさか、腰が抜けた、とか言うか?」
「……抜けた〜〜〜」
虚勢を張りもせずに蛇骨は答える。睡骨は、くたりと力が抜け、惚けたままの蛇骨の腰に腕を回して支えてやると、手近な廊下に引きずっていく。
庭にいた下働きの老人が、そんな二人の様子に気がつき、何がおきたのかとおっかなびっくりで近付いて来た。睡骨が厳しい声で「ここらは蝮がいるのか」と問うと、老人は顔を鉛のような色合いにして必死で首を横に振った。
「おい、どうした」
妙な雰囲気を感じたのか現れた蛮骨が、目を見開いたまま廊下に伸びている蛇骨を見て驚いた声を上げる。
「門の梁から、蝮が落ちてきたんですよ」
睡骨は動かなくなった蛇の死骸を摘んで見せた。
「蛇骨が蛇に噛まれてくたばったんじゃ、洒落にならん」
「それっくらいでくたばるかよ!」
睡骨の戯言に反応して、勢いをつけて蛇骨は起きあがった。癇癪を起こしてじたばたと両腕を振り回しながら、大声で喚く。
「あー!もう、むちゃくちゃとさかに来た!いったいどこのどいつだ!」
「まあ、そうとんがるな」
顔を真っ赤にしている蛇骨を宥めながら、蛮骨は冷静な顔でさらに物騒なことを言った。

「ここの門に仕掛けられてたって事は、間違いなく俺達七人隊にケンカ売ってるって事だ。目当てが誰だろうと関係ねぇ、きっちりとカタァつけてやる」
低く凄みのある声に、蛇骨と睡骨は口をつぐんだ。
蛮骨の本気を感じたからだ。
煉骨は柱に凭れて立ち、その様子を黙って眺めている。落ち着かない風の小浅が、ひっそりと話しかけた。
「お取り込みみたいですね」
「まあな」
「……あたしが顔を見せると、またあのお人がお怒りになるでしょうし。あたしはこれで帰ります」

返事をしない煉骨に、女は少しばかり寂しげな顔で頭を下げた。そして足音を忍ばせながら裏木戸へと回る。
肩を落としながら店への道を歩きつつ、小浅はつまらなそうな顔で今日の遣り取りを思い出していた。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆


修理に思いの外日数が掛かりそうだということを、今日は伝えに来たのだった。最初の襲撃があってから蛇骨がずっと屋敷にいるようになり、煉骨は小浅が用もなく尋ねてくることを嫌がるようになった。小浅の匂いをかぎつけた蛇骨が、その度に愚痴愚痴と絡むからだ。
今日の話も実に素っ気ない物だった。
使いをよこすか、さもなければ自分が店に行ったときでいい話だ、と冷たくあしらわれかけ、小浅は慌てて、「お金が絡むことなんで、直接お話したかったんですよ」と告げた。
職人が代金を前払いで欲しい、と言ったのだ。
煉骨は黙って銀の延べ板を渡してやった。女はそれを受け取り、からかうように訊いた。
「煉骨様がお支払いになるんですか?それとも、あとで持ち主さんからお取り立てになるんですか?」
「物が出来てきたら、大兄貴から取り立てるさ」
「大兄貴さんって、簪の持ち主さんとは違うお人ですよね?どうして?」
「もともと大兄貴が買ってやった物らしいからな。その後どうするかは大兄貴の勝手だ」
「ふーん…」
小浅は銀を大事に懐に仕舞いながら、ぽつりと言った。
「可愛がられているんですねえ、簪の持ち主さんは」
その直後に蛇騒ぎが起き、煉骨がその言葉を聞いたのかどうかは分からなかった。聞いたところで、なんの興味も示しはしないのだろうけれど。

小浅は懐を抑えたまま、ため息を付いた。
何だか、このまま銀を地面に叩きつけてやりたい衝動に駆られる。
苛立って足を速めたところで、物陰から出てきた男が小浅の隣に並ぶ。そのまま同じ早さで歩きながら、男は小浅に問う。
「どうだった?」
「別にどうもありませんよ。誰1人、怪我もしてやしません。いい加減にしたらどうです?あんた達の手に負えるお人達じゃありませんよ」
つけつけとした物言いの女に、男はかっとなって乱暴に言う。
「お前、裏切る気か?」
「裏切るも何も、最初からあたしはあんたの仲間じゃありません」
女の言葉は素っ気ない。
「こうやって答えてやる義理もないんです。ありがたい、と感謝されこそすれ、手下扱いで恫喝されるいわれはござんせんよ」
男は咄嗟に女の胸ぐらを掴んだ。が、冷たく睨む女の目に、その手を放す。小浅は乱れた襟元を整えながら、何事もなかったように歩き出した。
その後を追った男が、今度は下手に出る。
「修理の上がった簪に毒を塗るっていうのはどうだ?」
「止めてくださいよ。そんな事をしたら、何も知らない簪職人はもちろん、あたしもすぐに殺されます。あんたのために、なんでそんな危ない橋を渡らなきゃならないんです」
吐き捨てる女の言い様に、男の声はついに懇願するようになった。
「だったら、後一度だけだ。後一度だけ、手を貸して欲しい」
小浅は面倒くさそうに、それでも仕方ないと言いたげな顔で振り向いた。
「あたしに何をしろってんですかい?」


***********

蝮に噛まれた傷に火薬を乗せて吹き飛ばすっていうのは、戦国時代の戦場での実際の応急処置だそうです。痛そう…というか、怖い。

*注*この応急処置方は鉄砲出現以後…って事で、本当は蛇骨達が活躍していた時代はまだ行われていません。実際は「刀で傷口を抉っていた」だそうです。煉骨がどっかんどっかん大砲撃ちまくってたんで、ついつい普通に火薬があったような気がしてました。(^^;;

 
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