◆ 空恋 5◆
 

 

灯りを持たず、ほとほとと暗い道を歩く。
密告書に書かれた荒れ寺近くまで来たところで睡骨は立ち止まり、背後の蛇骨を振り返った。
屋敷を出るときはあれほど騒々しかった筈の男が、今は口元に不気味なほど楽しそうな笑みを浮かべ、気配すら闇に溶け込んだように静かだ。
「どうする?」
答えは判っていたが一応聞いてみた。建物の周りに潜んだ男達が、息を潜めている気配がする。自分だったら、背後に回り込んで不意打ちをかけてやりたいところだ、と睡骨は思った。
蛇骨はにやりとして答える。
「そりゃー、わざわざ呼び出してくれたんだ。どうどうと門から入ってみるさ」
「待ち伏せされているぞ」
「これだけ殺気をまき散らして、待ってるんだぜ。ちゃんとお相手してやんなきゃ、可哀想だって」
軽く言って、蛇骨は睡骨を見上げた。
「もう場所は判ったからさ。怖かったら帰ってもいいぜ?」
「ったく、勝手ばかり言いやがる」
睡骨は鼻で笑うと歩き出した。罠に乗ってやろうというのだ。
蛇骨もくすりと笑うと並んで歩く。半分禿げた茅葺きの門をくぐり、手すりも壊れた階を登ってボロボロの本堂にはいる。

まっくらな本堂の隅、柱の影、庭の木の後ろと、そこかしこから張りつめた気配が感じられ、蛇骨はかえって気分が楽になってくる。手の届く所にいる敵は大好きだ。好きなだけ切り伏せることが出来る。
蛇骨はわざとすっとぼけた声を上げた。
「あーあ、此処が盗賊の隠れ場所だって聞いたのにな。だーれもいねぇんでやんの。ホラ話だったのかなー、だったら戻るか」
踵を返した瞬間、入り口のすぐ近くに潜んでいた男が立ち上がり矢を向けるのを見て、蛇骨は舌なめずりをした。男の手は震え、完全に弓が引き絞られる前に矢を放ったのだ。
勢いもないその矢を、蛇骨は覆いがかかったままの刀でたたき落とした。
睡骨は手にはめたかぎ爪の取っ手を握り、背中合わせになりながら蛇骨の喜悦を感じ取る。(妙なヤツだ)と思う。ふざけているようにも見えるのに、戦いの手際は恐ろしいほど正確だ。
蛇骨は笑いながら言った。男を口説くときよりもよほど艶めいた口調だ。
「……いくら下手くそなお相手でもさ、数をこなせばけっこう満足できるってもんだ。かかってきなよ」
朽ちかけの床板を軋ませ、潜んでいた男達が躍り出る。蛇骨は扇を閃かせるような手つきで蛇骨刀を振るった。たちまちのうちに重い体が倒れ伏す音が響きはじめた。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


灯りをつけずにいたのが失敗だった――と、見当違いなことを首領は考えていた。中村党などという大層な名を名乗っているが、名字を許されているわけではない。ただたんに、出身が「中村郷」だったというだけだ。
大男は馬追出身だった。毎日毎日荷物を運ぶだけの仕事にうんざりし、ある日仲間を集め、荷物をくすねて里から逃げ出し、党を名乗った。
盗んだ荷を売って体裁を整え、腰に刀を差すと、それだけで強くなったような気がした。が、そんな見かけ倒しがいつまでも続くはずもなく、地侍相手のケンカざたならともかく、まともな戦ではろくな手柄も上げることが出来ずに足軽以上に目をかけてもらえる事もなかった。
仕事を首になり、腹立ちまぎれと日銭欲しさに盗賊になり、いっそそのまま賊として生きていこうかと思い始めた頃、再び、侍になりたいという願望が首をもたげた。自分達が仕事を失わせるきっかけを作った七人隊の首領が、子供のように若い男だと知ったからだ。
七人隊を倒せたら。せめて1人だけでも討ち取ることが出来たら自分達の名にも箔が付く。別の土地に行って仕事を請け負うことも、ここでもう一度雇われることもあり得るかも知れないと思い込み、必死になった。
だが、首領はここへ来てようやく自分の願望が空しいだけだったことに気が付いた。体格だけで売り込んできた彼等と違い、目の前で死に神のように仕込み刀を振るう男は、どう見ても見かけ倒しではなかった。
暗闇から槍で突こうとした男に気が付いたのかどうか、両手に鋼の爪をつけた男が目の前の配下の身体を抉る。血しぶきをまき散らして足下に落ちる身体に、首領は狼狽えたあまり、大きな声を出した。

「そこにも隠れてやがったか!」
仕込み刀が飛ぶ。首領は本堂の一番太い柱の陰に隠れて、その刀をやり過ごした。が、引き戻される刀はその柱を大きく抉り、虫に喰われて脆くなっていた柱が木片を零しながらゆっくりと倒れる。支えの無くなった天井が落ちる。
蛇骨はもうもうと粉塵が舞い上がる堂内を、裏に向かって逃げていく男の後ろ姿を見咎めた。
「まちやがれ!この期に及んで逃がすかっての!」
「馬鹿野郎!」
崩れる建物の奥に走り込もうとする蛇骨の襟首を睡骨は掴んだ。
「はなせって、あいつ、逃げる!」
「あいつはもう裏側に抜けてる!こっちも外に出るぞ!」
「逃げられるって!はなせよ!」
音を立てて梁や天井が落ちてくる中、我を張り続ける蛇骨に苛立った睡骨は胴に腕を回して持ち上げた。
「わわ、放せって!」
「うるせえ!」
睡骨は蛇骨を抱えたまま外へと飛び出した。それとほぼ同時に、轟音をあげて本堂が崩れ去る。舞い上がる粉塵に咳き込み涙をこぼしながら、蛇骨は睡骨を怒鳴りつけた。
「ばか!逃げられちまったじゃねーか!」
「馬鹿はどっちだ、この大馬鹿!文句言ってねぇで行くぞ!」
「行くって、どこへ?」
きょとんとなる蛇骨に、苛立ったように睡骨は答える。
「密告書は二枚あったんだ。逃げ出すときの合流地点が書いてあった。そっちに行く」
「……そんなの聞いてないぞ!」
「聞かねぇで飛び出したんだろ?」
甲高い声で文句を言う蛇骨に、睡骨は言い放った。


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闇の中を、首領はつんのめるようにして走っていた。何人逃げ出せたのかも判らない。あいつ等が追いかけてくる前にこの町から逃げ出さなくてはいけない。自分達のことを知らない別の地に行って、もう一度やり直すんだ。
男はそれだけを呪文のように繰り返し、走り続けた。
町外れの辻にたどり着き、あまりの静けさに不安になる。男は息を切らしながら、女の名を呼んだ。
「小浅、小浅、いないのか」
「ここにおりますよ?」
林の中から、ひっそりと女が姿を現した。男は縋るように女の元へ行くと、口早に言う。
「今すぐ逃げるぞ!金は持ってきているのか?荷物は?」
「……お仲間さん達が来るのを待たないんで?」
動転している男は、小浅の口調が冷ややかなのに気が付かなかった。しきりに背後を気にしながら、小浅を揺さぶる。
「それどころじゃない!とにかく、この町を出るんだ、急いでるんだ!」
「勝手にお行きなさいましな。お仲間さん達と一緒に」
「何を言ってる、お前も来るんだ!そして前のように…」
「前のように?また、あたしを売るんですか?」
男の声がぴたりと止む。月明かりの下で、男は小浅から表情が消えていることに気が付いた。
「おあいにく様でした。今のあたしに金を出す店なんて有りませんよ。あんたのために、辻に立って男の袖を引くのもごめんですから」
小浅は縋る男を振り払い、後退る。
口を開けたまま、声が出せなくなっている男の前に、林の影から進み出た男が二人立った。
「お前が中村党とやらの首領か?弟分が世話になったよな」
若い声に、男はぼんやりと返す。
「弟分?」
「知らねえとは言わせねぇ。蛇だの火攻めだの、いろいろやってくれたよなぁ?」
「……誰だ、お前」
ようやくまともな言葉を話した男に、蛮骨はおかしそうに名乗った。
「七人隊首領、蛮骨様だよ」
夜の静寂に、ばきりと指を鳴らす音が響いた。


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町の端から端へ。駆け通しでさすがに息切れした蛇骨が目にしたのは、たくさんの捕り手の持つ松明の明かりだった。槍と棒を持った役人達の間に、縄に繋がれた男達が見える。ひときわ体格のいい男の顎が砕け、顔の下半分が真っ赤に染まっているのを見て、蛇骨は拍子抜けした顔になった。男は半分意識がないのか、両腕を支えられてかろうじて歩いている、といった状態だ。その頃になって、ゆっくりと後を追ってきた睡骨が現れる。
「捕まったみてぇだな」
「えー、なんで!」
「大兄貴達にも知らせをやったからな」
「えーーー、ずるい!」
「何がずるいって」
罪人を連れてその場から離れてゆく役人達の間から、蛮骨が姿を現した。その姿に蛇骨は食ってかかる。
「大兄貴!あいつら、渡しちゃって良いのかよ!」
「みせしめに張り付けにするって言うからさ。賞金上乗せして出すってんで、まあ、そっちの方がいいかなとかさ」
けろりという蛮骨に、納得できない蛇骨は食い下がった。
「賞金なんていらねーよ!あいつら、きっちり片つけさせて欲しいだけだって!ってか、あいつ等本当に盗賊だったのか?」
「別にどっちでも良いだろ、もう渡しちまったし。それにあんな連中ぶっ殺したところで、得にもならねぇぜ?」
宥める蛮骨に蛇骨は首を振って言い張る。
「やだってば!大兄貴が駄目だってんなら、おれが勝手にぶっ飛ばす!」
「しかたのねぇやつ」
蛮骨は頑固な蛇骨にため息を付いた。そして、空の袋を肩に担ぐような、そんな軽々とした動作でひょいと蛇骨を右肩に担ぎ上げた。
いきなりの事に蛇骨は目を剥いて暴れ出す。
「下ろせってば、兄貴!」
「聞き分けのねぇヤツを片すには一番手っ取り早いんだ。睡骨、帰るぞ」
肩の上で暴れる蛇骨を意に介さずに、前方を行く捕り手の松明の後を追うように蛮骨は歩き出した。その後ろを睡骨が付いていく。
蛇骨の半べそかいた喚き声が道の向こうに遠ざかった頃、木の間から提灯を手にした睡骨と小浅が姿を現した。

「あたしのこと、あのお人に言わなくていいんですか?」
「お前はあいつ等の仲間だったのか?」
自分の質問には答えず感情無く問う煉骨に、薄く笑った小浅は隠す素振りも見せずに答えた。
「今は違います。あの人は、あたしの元亭主だったんです。食い詰めて、あたしを売って仲間と逃げたんですよ。それっきりだったんですけどこの町で出あっちまって」
木に凭れて根本に座り込む。横に立ったまま煉骨は提灯の明かりを差し向けた。
「なんで蛇骨を狙ったんだ?」
「あれはね、間違えたんですよ、首領様と。あの人達、蛮骨様のお名前は知っていてもお顔は知らなかったんです。あの日、あたしはあの人達に『首領様は子供みたいにお若い、綺麗なお顔のお人でした』って知らせたんです。あの人、最初に姿を見たあのお人がそうだと思い込んじゃったんですね。まさか、泣く子も黙る七人隊にあんなお若い人が二人もいるなんて思わなかったんでしょうよ」
小浅はおかしそうにくっくっと笑った。見た目、蛮骨も蛇骨も、夫だった中村党首領の半分くらいの歳だ。あんな子供が自分達よりも遙かに腕が立つなど、認めたくなかったのに違いない。自分達が重ねてきた時間が全くの無駄に過ぎなかったのだと、そう見せつけられているような気がしたのだ。
「人違いだと教えてやればよかったのにな」
「簪がね、羨ましかったんですよ」
「簪?」
煉骨が眉根を寄せる。こんな風に強くて頭のいい人にはきっと理解できないだろう、そう思いながら、小浅は淡々と話し続けた。

「綺麗な簪で飾って、勝手気まま言って、それで可愛がってもらってるあの人がね、羨ましかったんです。顔に消えない傷の一つでもついちまえ、って思ったんですよぉ」
投げやりに言い終わってから自分を凝視する煉骨の目から顔を逸らし、小浅は早口で続ける。情けなさに涙が出そうになった。
「どうしようもない女だって判ってますよ。いい年をして、あんなお若くて可愛い人にヤキモチ妬いて。いくつになっても、ちっとも賢くなれないバカ女だって…」
膝に顔を埋めながら、いっそ、この場で首を跳ねてくれればいいのにと思った。そうすれば、もうこんな風に嫌なことを考えなくてすむ。
鏡の中で増えていく皺や白髪を数え、若い子が笑いさざめくのを横目で見て恨み言を考えなくてもいい。
ややあって、顔を伏せたままの小浅は淡々とした煉骨の声を聞いた。
「……歳を食ったからって、何でもかんでも割り切れるようになる訳じゃねぇ」
「…そんなものなんでしょうかねぇ」
こそりと顔を上げ、小浅は無表情な男の横顔を見た。返事をしてくれる様子はないが、灯りに浮かぶ顔は何か思い悩んでいるようだ。
この人も、そんな事を考えることがあるのだろうか、と小浅は思う。
これだけ頭が良くていろんな事を知っている人でも、まだ思い通りにならない事があるのだろうかと。

――きっと、この人にも何か思い当たることがあるんでしょうよ…。
そうでもなければ、こんな負け犬みたいなあたしにわざわざ声をかけてくれる筈がない。あたしの今の気持ちが分かるだけの何かが、きっとこの人の中にもあるに違いない――不意にそう確信して、小浅は無理矢理の笑顔を作ると明るく言い放った。

「歳を食ったからって、なんにも感じなくなる訳じゃないって事でしょうか。だったら、今のこのやるせなくてやりきれない思いは、骨になるまで抱えていくしかありませんねぇ」
立ち上がり、懐から細い包みを取り出して煉骨に渡す。
「これ、直りましたって、返しておいて下さいましな。それから、もう二度と顔を合わせることもないので、ご安心下さいと、持ち主さんにお伝え下さい」
煉骨は受け取ると、いぶかしげになった。
「時間がかかると言ってなかったか?」
「そんなのウソですよ。あの時は本当は、それを届けに行ったんです。でも煉骨様が、『用事がないなら来るな』なんてあんまり冷たいことを言うから、意地悪したくなったんですよ。本当に、女にしてみたら、惚れた男の顔を見たいってのも立派な用事だって事が判ってないんだから」
さらっと言って笑いながら小浅は頭を下げた。そして、遊里に向かって夜道を歩き出す。
「ここから出ていくのか?」
その背中に煉骨は尋ねた。小浅は振り返らずに独り言のように答える。

「……昔の男と再会するってのは、疲れるもんです。いろんな昔のこと思い出して恨んでみたり懐かしくなってみたり。一度ぶっこわれてどうにもならなかったって事、嫌って程知ってるはずなのに、ひょっとして今なら上手く行くんじゃないかなんて思ってみたりして」
女は長いため息を付いた。
「馬鹿ですよ、ほんと。あいつの仕打ちをずーっと恨んでいた事まで、忘れてしまおうかなんて考えたりしてね。忘れられる筈なんか無いのに、とっくの昔に愛想付かしていた癖に。自分でも何やってるんだかって、ほんと、馬鹿みたいです」

女の前に灯りが差し出された。傍らに立った煉骨が提灯の竿を女に向けている。
「持っていけ。足下が暗い」
「お珍しいこと…煉骨様があたしを気遣ってくれるなんて」
からかいの口調でいいながら、小浅は泣きそうになった。

普通の女房になりたい、と願ったこともあったけど、そんな夢は叶えられそうにない。
きっと一生浮き草暮らしで不安の中で生きて、そしてのたれ死にするんだろうと漠然と考えていた。歳をとった遊女の行く末などそんなものだ。身分あるお姫様さえ明日どうなっているか判らない、暗い夜道を手探りで歩いているような時代なのだから。
目に見える明かりが嬉しかった。かけられた言葉が心にしみる。一瞬だけでも、自分の事を心配してくれる人がいた事が、悲しいほどに嬉しい。
小浅は受け取った提灯を目よりも高く掲げ、そして振り返らずに歩き出した。
籠目から覗く蝋燭の炎が風を受けて頼りなく揺れる。
消えないで、と前を向いたまま小浅は願う。
この灯りが照らす限り、心細さに後ろを向いてそこにいる人に縋り付いたりしないでいられる。

ただの強がりでもいい。この炎の色を忘れない限り、あたしはきっと1人で歩いていける。

しゃんと背筋を伸ばし、炎の灯りだけを見つめながら、小浅は今の想いだけはけして忘れまいと思っていた。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


翌日は殊の外寒い日だった。灰色の空は重い雲に塗り込められ、今にも落ちてきそうだ。柱に寄りかかって座りながら、煉骨は昨夜受け取った簪をぼんやりと眺めている。パタパタと軽い足音が近付き、蛇骨がひょこっと顔を出した。
「兄貴ー、なんか用だって?」
午前の間、ずっと寝こけていた蛇骨に、目が覚めたら来るようにと下男に伝言させておいたのだ。夕べが夕べだから怒りながら来るかと思ったが、普段と変わらない惚けた顔つきでぺたりと座る蛇骨に、煉骨は簪を差しだした。
「直ってきたぞ」
「わ、やりい」
蛇骨は嬉しそうに受け取ると、さっそく代用に使っていた笄を引き抜き、簪に髪を巻きつける。きちんといつもの場所に収まった気に入りの簪に、蛇骨は満足そうに笑った。
「やっぱり、使い心地が一番だな」
「……あの女はもう顔を出さないそうだ」
「え、ほんと?」
嬉しそうにぱっと表情を明るくした蛇骨は、すぐに真顔になってのそりと煉骨に顔を寄せた。そのまましげしげと煉骨の表情を眺めている。
「なんだ」
「……兄貴さ…女が来なくなるの、ちょっと寂しがってる?」
「そんな訳ねーだろ」
「……ふーん」
それ以上何を言うでもなく、蛇骨は餌をねだる猫のような顔つきで煉骨を見る。
「何を勘ぐってる」
「別に何も」

蛇骨は何も知らないのだ。自分がなぜ襲われたのか、どうして襲われ続けていたのか。綺麗な生き方ではないから、恨まれるのも妬まれるのも承知の上だ。憎しみをぶつけられても、当然と受け止めるだろうが、それとはまったく別のところで妬まれていたと知ったところでどうなるわけではない。煉骨はその事について何も話す気はなかったが、蛇骨の方は兄貴分が何かを隠していることに気が付いたのかも知れない。だが、蛇骨は口に出して尋ねることはしなかった。
黙って言葉を待っている蛇骨の目が、小さな提灯一つで涙を浮かべて微笑んでいた女と重なった。いったい、自分に何を望んでいるのだろう、と思う。何もしてやる気なんてないのに。
そう考えながら煉骨は僅かに顔を顰め、無言で手を伸ばして蛇骨の頭を不器用に撫でる。一瞬、目を見開いた蛇骨は面映ゆげな顔つきになり、乱れた前髪を指先で整えながらにこりと笑った。

「おう、冷え込んできたな」
大徳利を持った蛮骨がやってきた。同時に顔を向けた弟分達に向かい、にっと笑う。
「報奨金貰ってきたぜ。蛇骨、駄賃やるから酒を樽ごと買ってこいよ」
「えー樽ごと?」
重い、と仏頂面になる蛇骨に「凶骨達が帰ってきてる。寝こけてるから、叩き起こして荷物持ちに連れていきな」と言ってやる。
「だったらいいや、酒代の払いは大兄貴でいいんだよな」
蛇骨は現金に表情を変えると、とたとたと足音を高くして廊下を走って行ってしまった。すぐに凶骨を起こす怒鳴り声が聞こえてくる。
蛮骨は声の方を向いて一つ笑うとどかりと座り込み、持ってきていた杯を煉骨に差しだした。

「飲めよ」
「まだ昼ですぜ」
「いいだろ、冷え込んできてるし。こういうときは酒が一番だって」
蛮骨は煉骨に酌してやると、自分も手酌で飲み始める。
煉骨は息を付くと言った。
「夕べは荒れたんじゃないですか?蛇骨の野郎」
「それがさ、しばらく喚いていたんだけど、屋敷についた頃には人の肩の上でぐーぐー寝てるんでやんの。で、一晩寝たらあの通りけろりだ。ま、あいつなりに気を張って疲れて苛ついてた、ってのもあったんだろうな」
「そうでしょうな」

つき合いで杯を傾けだした煉骨を意味ありげに眺め、蛮骨は言う。
「賞金の上乗せになった分、例の女の店に届けさせたら、女、店を上がる話になってたんだって?」
「そうらしいですね」
「で、どうするの」
「何が?」
蛮骨の問いの意味が分からずに、煉骨は聞き返した。
「だからさ、身請けすんのかって」
「まさか、何を唐突なことを」
煉骨は否定するのも馬鹿馬鹿しいと言いたげな顔になった。
「あの女は、この土地を離れるそうだ」
「ふーん…」
「蛇骨といい、おれに何か言いたい事でも?」
「いや、別に?」
蛮骨は誤魔化す。煉骨は頭がいいぶん、理屈が先に立って自分の感情に気が付かないような所がある。あの女に煉骨が惚れたとは考えにくいが、僅かの情もなかったかのか?と言えば、そうでもないだろうと思う。作業中に側に居ても気にならない程度には、気を許していたに違いない。自分で自分を非情だと思い込んでいる分だけ、いろんな感情を気付かずに貯め込んでいそうな気がした。もっとも、それを口に出すことはなかった。年下の蛮骨にそんな判った風な気遣いをされるのは、年長である煉骨の気位を傷つけるだけだと知っていたからだ。

自分とは正反対なんだよな、と蛮骨は思う。蛮骨は様々な痛みに鈍感だ。身体の痛みも心の痛みも、あまり強烈に感じることはない。感情的なように見えて、その実、わりとなんでもどうでも良かったりする。七人隊の面々に対する仲間意識はそれなりにあるが、だからといって庇うの庇われるのといった馴れ合いも苦手だ。とくに気持ちの問題にはあまり関わりたくない。生きて思いのままに戦場を駆け抜ける。蛮骨にとっては、それが何より価値のある事だった。無論、それが仲間と一緒であれば最高だとは思っている。――それだけだ。

蛮骨は、目の端にちらちらと映り始めたものに視線を向けた。
「お、雪だ」
濡れ縁に身を乗り出すようにして見上げた空から、初雪にしては大粒の雪が次から次へと落ちてくる。
「これは積もりそうだな」
煉骨も空を見て言う。
「大雪になる前に、買い出しに行った連中も戻ってくればいいが」
「そうだな」
無意識に仲間を気遣う言葉を口にする煉骨に、蛮骨はそう答えた。



酒蔵から出させた樽を、凶骨が軽々と肩に担ぐ。
酒屋の主が帳簿に記入している間に、蛇骨は外に出て空を見ていた。
「あー、雪降って来やがった。早いとこ帰ろうっと」
体を震わせて呟いていると、往来を行く人々が一斉に同方向に動き出した。その唐突な動きに蛇骨は「あれ、あっちでなんかあるのか?」と酒屋の主に尋ねる。
「ご存じ有りませんか?昨夜、捕まった盗賊連中が河原で張り付けにされるんです。処刑場に行く前に引き回しされるというおふれが出てましたので、見物にいったんでしょう」
「ふーん」
蛇骨は興味なさそうに鼻を鳴らした。自分の手から離れてしまった相手など、もうどうでも良い。それよりも、あっという間に積もりだした雪の方が気になる。早いところ屋敷に戻り、酒を飲んで温まりたい。
凶骨を従えて屋敷への帰り道を辿り始めた蛇骨は、ふと人混みに逆らうように歩く旅装束の女に気が付いた。背に布で来るんだ細長い楽器を背負い、髪に挿した笄の飾りが揺れている。
一瞬見知った誰かを思いだしたものの、その女の姿は人混みに紛れてしまい、寒さに震える蛇骨はすぐに考えることを止めてしまう。
「早く帰ろうぜ、うー、寒!」
蛇骨は凶骨を急かし、屋敷に向かって走り出した。


蛇骨達が去り、罪人見物の人々の姿も失せ、人気の無くなった街路に降り積もり続ける雪の上に、町の外に向かう女の小さな足跡だけが点々と続いていた。


 
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