◆ 暗がりに身を潜め 前 ◆


物心が付いたときから、優しくされた覚えなど無かった。
化け物面、蛙面と、笑い声と共に後ろ指を指されて育ってきた。
それでも、里の中で生きる場所を得られたのは、たった一つの取り柄でもある毒薬の調合のおかげ。
彼は、他の誰も出来ないような、複雑で難しい毒を作ることが出来た。
一瞬で命を絶つもの、長い間かけて身体を弱らせていくもの。
ほんの一日二日だけ身体具合を悪くするようなものや、命には別状無いものの後々まで身体に残る痛手を与えられるもの。

最初の頃は重宝がられた。
やれ、あちらの大名が欲しがってるだの、やれあちらの奥方様がこれこれこういう薬を欲しているだの、注文がひっきりなしに来た。
だがやがて、その飛び抜けた調合の腕が仇となった。
ある頃、里で病が流行った。
子供や年寄りが、高熱や激しい咳を訴え、そして何人か死んだ。

それは間違いなく自然の病気だった。
だが、彼の外見を薄気味悪く疎ましく思っていた何人かが、彼が毒を里にばらまいたのだと声高に言い立てた。

長老達はそれが本当かどうか確かめることは出来なかったが、彼の毒に対しての恐怖感をぬぐい去ることが出来なかった。

彼の薬ならば、里人全員を苦しめるのも可能だと、そう考えた。

彼は、理不尽な濡れ衣がもとで生まれ育った里を追われた。
居心地の悪い里のために薬を作る手間が無くなって万歳だ、狭い里を出られて清々した、そう強がって自分に言い聞かせた。
その頃自分はなんという名を名乗っていたのか。
霧骨は覚えていたいとも思わなかった。
あの場所で自分は厄介者で、見下されていた。
ただ、自分の外見が醜いと言うだけで。

◆◆◆◆◆


軽やかな太鼓の音に合わせ、数人の女がおどけた舞を踊りながら歌を歌う。
客の両隣には濃化粧の女が侍って酌をする。
同じ座敷にいながら手酌で酒を飲む霧骨は、蛮骨の隣に争って座りたがる女達をぽつねんと眺めていた。

「なんだ霧骨、つまらなそうじゃねぇか」
大きな椀をかかえた蛮骨が、からかうように言った。
遊女屋で一番大きな座敷を借り切った蛮骨は、華やかな女達に囲まれてご満悦で杯を重ねている。
一緒に連れてきて貰った物の、霧骨の隣には誰一人として女は来ない。
賑やかな座敷の中で、彼は独りぼっちの居心地の悪さを覚えていた。
それを感じ取ったのか、蛮骨は椀を伏せた。
「さーてと、酒ももういいくらい飲んだし、そろそろ床入りしようぜ」
笑いながら言うと、両隣の女の尻を、肉付きを確かめるように掴む。
女達は嬌声をあげた。そして自分も試して欲しいと口々にいながら、群がっていく。
蛮骨はげらげらと笑うと、その中から一人選んだ。選ばれた女が勝ち誇った笑みを浮かべながら、蛮骨にしなだれかかる。その女の豊満さを楽しみながら、蛮骨は霧骨にも「ほら、お前も選べよ」と言う。
女達の顔が一斉に強ばった。
袖で顔を半分隠しながら、霧骨の顔を見て小声で押し付け合いを始めたのだ。

いつもの事だ――と霧骨は思った。商売女でさえ、自分の顔を見て同衾するのを嫌がる。金を積んで一つ布団に潜り込んでも、女はしらけた顔で、いかにも早く終われと言わんばかりのぞんざいな態度をとる。
自分の母親ほどの年齢の女でさえそうだ。
どれだけ容色の衰えた女であっても、霧骨ほどの醜い男は袖にして当然だと思い込んでいるのだ。
霧骨は一番美しいと思った女を選んだ。女は悲鳴にも似た声を上げ、途端に涙目になった。女の感情など知ったことか、商売女のくせに客を選ぶこと自体が図々しいのだと、そう思った。
蛮骨はご機嫌で女と座敷を出ていった。あとは女の部屋で二人っきりのお楽しみだ。
霧骨は女の泣き出しそうな顔を皮肉っぽく楽しむと、渋る女を促した。そうして座敷を出たところで、違う女に呼び止められたのだ。

「申し訳ありませんねぇ、お客さん。馴染みの客がその姑じゃなきゃどうにもこうにもダメだって、そう仰いますもので」
そうにこやかに言ったのは、この女郎屋を仕切る女主人だった。
女主の言葉に、霧骨に手を引かれた女はぱっとその手を振りきると、心にもない侘びの言葉を口にして廊下の向こうに消えていった。
「じゃあ、代わりの女を選ぶよ」
仏頂面でそう告げた霧骨に対し、女主人は愛想はいいものの頑とした口調で言った。
「相済みませんねぇ、他の姑たちも他のお座敷がありますもんで。お客さんのお相手は此方で見つくろわせてもらってよござんすよね。さ。こちらですから」
座敷の中で固唾を飲んでいた女達が、生気を取り戻してはしゃぎだした。
華やかに着物を閃かせながら、違う座敷の方へ逃げるように走り去っていく。
あまりにも露骨な女達の態度に、霧骨は胸がムカムカしてくるのを感じた。しかも女主は霧骨が店の廊下に突っ立っていることすら我慢できないと言いたげに、「ささ、こんな所で立ち止まってないでお客さん、あたしの後をついてきてくださいな」と強引な口調で急かす。
腹は立ったが、とりあえず女主も女を世話するつもりはあるようだ。仕返しは後でするとして、霧骨は黙って女主の後をついていった。

遊女屋の北側は、賑やかな母屋とはうって変わって、板を打ち付けただけの仮小屋のようなみすぼらしい建物になっていた。
中は薄い板でいくつかの部屋に仕切られ、入り口は簾が下がっているだけである。
まだ客が付いていない部屋の簾は巻き上げられいて、中の様子が見えた。
筵を引いた簀の子が置いてる土間で、吊り行灯の小さな灯りでも誤魔化しきれない皺を持つ女が無気力に座っている。 いかにも、盛りが過ぎて店で持てあました女達を押し込めてる、といった風情だ。金にならない、と踏んだ客にはこの手の女をあてがってるに違いない。
だんだん不機嫌になる霧骨に目もくれず、女主は5つほど並んだ小部屋の、一番北側にある部屋に霧骨を招き入れた。
とにかく暗い部屋だった。しかも湿っぽい。
しかも、簀の子と筵はあるが、肝心の女がいない。
いくら何でもこれはないだろうと、そう文句を言いかけた霧骨の前で、女主は部屋の隅に向かって苛立った声を上げた。

「ゆき!お客さんだってのに何やってんだい!部屋が湿っぽくなるじゃないか、早く窓をお閉め!」
壁際で何か動いた。ぱたんと音がして、連子窓の跳ね上げ戸が落ちる。
もそもそと動く物に霧骨は目を凝らした。
軒先に揺れる行灯から、女主は部屋の隅にあった油皿に火を移した。
ぼんやりと明るくなる室内に、小さな女が居た。
見た目は、今まで見た女よりも若い。少女といってもいいほどだ。
貧弱な体つきをし、顔立ちも地味で美しいとは言えない。娘は主の声に怯えるように、小さな身体をさらに小さくした。

「何やってんだい。お客さんだって言ってるだろ?ちゃんとお迎えしないかい」
ゆきと呼ばれた娘は、慌てて筵の上に膝を揃えて座ると、戸口で突っ立っている霧骨に両手をついて頭を下げた。
「どうぞ、お客さん、ゆきです。よろしくお願いします」
「まったく、何度教えても気の利かない子だねぇ。でもお客さん、ゆきはまだ15になったばかりで、若くて肌の張りなんかも姐さん達とは違いますからねぇ。きっとご満足できますから」
女主は相変わらず強引な口調で言うと、霧骨を残してさっさと母屋に戻っていってしまった。
ここまで侮られたのかと、正直霧骨は腹が立って仕方がなかった。
遊女屋ごときに、なんで七人隊霧骨様がこんなにいい加減にあつかわれなきゃないのかと、考えるだけで腸が煮えくりかえった。
腹が立ってそこに立ちつくしたままでいると、中から鈍重そうな娘の声がした。

「お客さぁん、そんなとこに座り込んでないで、中にお入りよぉ」
見ると娘はお辞儀した姿勢から頭だけ上げ、目を眇めるようにして霧骨を見ている。
「お客さぁん」
その間延びした声に、自分の小さな身体をからかっているのだと、そう思った霧骨は苛ついて怒鳴った。
「座っちゃいねぇぞ!」
「そうなの?なんか小さく見えるけどぉ…」
娘は這うように霧骨のところにくると、いきなり頭を両手を押さえた。
「……ここが頭だよねぇ…ここが肩。で、腕があってぇ…ああ、お客さん、背が小さいんだぁ、よかったぁ」
「よかったって何がだよ!」
身体をいじられ、余計に腹が立った霧骨はまた怒鳴った。それも何も感じてないのか、娘は平気な顔でまさぐり続けると、にこっと笑った。
「ごめんねぇ、あたし目があんまりよく見えなくてぇ。ちっちゃいから座ってるんだと思ったの。で、おっきい人がいきなり動くとね、自分の身体が踏みつぶされそうな気がして怖いんだ」
娘はぺたんと座ると、霧骨の両手を持って嬉しそうに上下に振り回した。
「お客さんなら小さいから怖くないよう。よかったよかった」
毒気を抜かれて霧骨は口を閉ざした。
体の小ささを馬鹿にされたことは思い出せないほどにあるが、小さくて良かったと喜ばれたことなど無かったからだ。 黙ってる霧骨を娘は嬉しそうに誘った。

「お客さん、さぁ、中にどうぞぉ」
霧骨が黙って土間に足を踏み入れると、娘は柱を伝って立ち上がり、不器用な手つきで巻き上げていた簾を降ろした。
ただでも暗かった室内が一層暗くなる。小さな火が作る小さな明るさの中で、娘は這うようにして筵の上に戻ってきた。 そこで霧骨の身体を触って安心したのか、またにこっと笑う。

「それじゃあ、お客さん、やる事やろうっか」
あっけらかんと言った娘は、帯をほどいて着物を大きくはだけた。
脱いだ身体は思った通り痩せていて、小さなふくらみがなければ男か女か判らないほどだ。
無防備に身体を曝す娘を、霧骨は奇妙な思いで眺めていた。痩せていて美しくなくて、霧骨が欲しいと思うような女とは天と地ほども違うが、少なくともこれほどまで素直に彼に身体を預けようと言う女はいままでいなかった。
触れてこない霧骨に、娘は不安になったのか、申し訳なさそうに告げた。

「ごめんねぇ、お客さん。あたし、胸もお尻もちっちゃいし、肌もあんまりすべすべしてなくて。でもね、アソコはちゃんと使えるから、大丈夫だよ」
「……そんなの気にしてたんじゃないよ」
「そう?ならいいけど……あたしにがっかりして、怒っちゃったのかと思ったよぉ」
娘は首を傾げて照れくさそうに笑う。ゆっくりと霧骨が手を伸ばして胸に触れると、娘は笑顔のまま両腕を上げ、自分の胸に顔を寄せた霧骨を抱きしめた。若い娘の体臭が霧骨の鼻孔をくすぐる。触られたところがくすぐったいのか、娘は子供っぽくくすくす笑う。
自分を馬鹿にして嘲笑っている笑い声とは違う、本当に楽しそうな明るい笑い声だ。
その声を耳元で聞くと、また不思議な気がした。

この娘が自分を馬鹿にしないのは、ろくに自分が見えていないからだ――ちゃんと見えていたら、こんな風に自分に抱かれて喜んだりするわけがない。

そんな風に考えながら行為を進めていた霧骨は、不意に涙が滲んできたのを感じた。

目が悪い女だからだ。
自分がどんな顔をしているのか、はっきりと判らないから、だからこうやっているんだ。
それでもいいと、そう霧骨は思った。
自分をまるで普通の男のように迎え入れる女がいるなんて、今まで考えたことがなかった。
期待しても敵う筈などないと思っていたから、絶対にそんな事は望まないようにしていた。
それなのに、いま目の前にいる娘は、自分をただの男として扱っている。
それが嬉しくて嬉しくてこぼれ落ちた涙に、娘は不思議そうな声を出した。
「お客さん、汗かいてる?暑い?」
「違うよ」
そう答え、霧骨は娘の薄い胸に顔を埋めていた。




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