◆ 水にまつわる怪異譚 前 ◆


水面に反射して光る物がある。
水かさが増した川岸の、半分水に浸かっている流木の枝に引っかかっている奇妙な形の玉。
蛇骨は好奇心にかられて水の際までおりると、それに向かって手を伸ばした。
「……えーと、ちょっと遠いな…」
ぶつぶつ言いながら、いっぱいに腕を伸ばし、指先に触れた玉を取る。
緑色に磨き込まれた玉は、水滴を曲げたような形をしていた。

「おい、蛇骨、何もってんだよ」
拾った玉を手に蛇骨は街道に戻ってくる。その手の中の物を見て、待っていた蛮骨はそう尋ねた。
「あのさ、拾ったの」
「拾ったって何を」
「そこの川岸で、木の枝に引っかかってた飾り物」
言いながら蛇骨は玉を蛮骨に見せた。玉に通してある紐は水でぐっしょり濡れてる。それを見た蛮骨は、しかつめらしい顔つきで説教口調になった。
「お前なぁ、川の水が増えてるのは見りゃわかるだろ?さっき土左衛門が流れていったしよ。そんな時に水際行ってなにやってんだ?」
「だってさー、…なんか気になったんだもん」
蛇骨が言い訳しているところへ、いつまで経っても追いついて来ない二人に痺れをきらしたのか、先に進んでいた煉骨が戻ってきた。

「立ち止まって何やってるんです?」
「蛇骨がそこでこれを拾ったんだと」
ぶっきらぼうに蛮骨が言うと、蛇骨は煉骨に玉を見せた。
「光っててさ、綺麗だなーとか思って」
「翡翠の勾玉か」
そう煉骨が言う。
「翡翠ってお宝?」
蛇骨はもうけた、といった顔で勢い込んで訊いた。
「お宝だ。町で売れば結構な値になるぞ」
「えーーー?気に入ったもん、おれが持ってちゃだめ?」
両手に隠すように玉を持つ蛇骨に、蛮骨はしかめっ面を保てず吹き出すように言う。
「お前が拾ったんだ、持ってたきゃ持ってろ」
「やりぃ、おれのお宝」
さっそく懐に入れ、蛇骨はホクホク顔である。

「調子のいい奴だな」
息を付きつつそう言うと、煉骨は二人を急かした。
「先に行った連中に、渡し船を手配するように言っておきましたが、どうなるんだか」
「水が多いよなぁ」
蛮骨は改めて川の流れを見た。
濁流がかなりの勢いで流れている。殆ど水に沈んでいる川岸の葦や灌木を見る限り、普段はこれほどの水量はないと思われた。
「上流で大雨でも降ったんだろうな」
ぽつんと煉骨が言う。
不思議そうに蛇骨が訊いた。
「雨なんか降ってないだろ」
「おれ達が今までいたところはな」
よく判らなそうに顔を顰める蛇骨に説明するのも面倒だと思ったのか、煉骨はさっさと先へ進む。
「とりあえず行こうぜ」
蛮骨にもそう言われ、蛇骨は急ぎ足で歩き出した。


しばらく歩くと、渡し船の番小屋が見えてきた。
だが、様子がおかしい。
数人の旅支度らしい男女が固まって何事か話し合い、その先には及び腰で凶骨達相手に何か説明している船頭。ちょうど身なりのいい老人が駆けつけてきたところで、船頭と一緒になってペコペコと頭を下げている。
「どうしたんだ」
「大兄貴」
駆け寄ってくる蛮骨に睡骨が呼びかけると、船頭と老人は一層びくついた顔になった。
「船が出せないって言うんだ。この数日、流れが速すぎて、ずっと川止めになっているんだと」
それを聞いて、蛮骨はやれやれと言いたげな顔になる。
予想していたとはいえ、やはり足止めされるのは痛い。
「どのくらいで船を出せるようになるんだ?」
そう蛮骨が問うと、老人の方が答える。
「それが、わからんのです。なんでまた、こんなに水が増えたのか、それすら見当がつかんです」
おろおろと言う老人の耳元に、船頭が耳打ちする。
「名主様、これはやっぱりあれだ、やっぱりあの女の祟り――」
「バカいうでねぇ!そんな事あるか!」
老人が低くそう叱咤した瞬間だった。
突然天候が代わり、雲が厚く空を覆ったかと思うと、いきなり激しい雨が降り出したのだ。船を待っていたらしい旅人達が、悲鳴じみた声を上げて宿場へと駆け戻っていく。

「名主様、どうしたらいいんじゃ」
泣き言を言う船頭に、名主の老人は腕を上げて頭を雨から庇いながら、言い捨てるように指図する。
「ええい、わめくでねぇ!いつも通り水神様の社に捧げ物をしにいけばいい!わしもすぐに行くから、先にわしの家に行って、捧げ物を用意しろと言っておけ!」
「へ、へい」
泥を跳ね上げながら走っていく船頭の後から老人も戻りかける。その背に、状況が判らずに立ちっぱなしになっていた蛮骨が呼びかけた。
「おい、じじぃ!川止めならそれでいい!この界隈の宿は空いてるのか!」
「宿場はありますが、足止めされてる旅人でもう一杯でございます。それに、それそのように――」
ちらりと凶骨や銀骨を見て、言葉を濁す。
「体の大きなお人を何人もお泊めできるような宿は、あいにくとございませんし……」
老人は、明らかに蛮骨達を警戒していた。
もっと真っ当な、善良そうな旅人ならば、村の誰かの家なり、せめて納屋とかでも案内するところだが、見るからに剣呑な集団など、危なくて村にも近づけたくないのだろう。
だが、あまり素っ気ない態度をとれば、逆に力尽くで村を襲われそうだとでも思ったのか老人は僅かに思案の様子をみせ、そしてひらめき顔で言った。

「おお、そう言えば。ここの川岸をもう少し先に行けば、古い空き家がございます。むかし都から落ちてきたという姫様のために建てられた家で、古くはありますが、まだ屋根もありますし、それなりの広さもあります。少し奥まっておりますが、背後に裏山の社に続く石段がございますから、近くに行けばすぐに分かりますよ」
「そこを提供してくれるって?宿代は?」
「空き家ですから、宿代はご無用です。では」
そそくさと老人は小走りで去っていってしまった。
胡散臭い話だとは思うが、雨足は強くなる一方で、仲間達はすっかりぐしょぬれになっている。
「大兄貴、とにかく雨を凌がないと」
煉骨は火薬が濡れてしまうのを心配しているのか、焦った声を出した。
「ちぇっ、仕方ねぇなあ。その空き屋とやらを探すか」
そう言って教えられた方向へと歩きながら、蛮骨はさっきちらりと耳にした言葉を思い出した。

――女の祟り――

「ま、おれ達には関係ねぇ話だけどな」

誰もがそう思っていたのだ――その時は。


◆◆◆◆◆◆


泥を跳ね上げながら教えられた道を走ると、最初に林の木々の間を縫うような石段が見えた。
名主の言う空き家はそのすぐ近くにあったが、雑木林に遮られ、道からは判りづらい。とりあえずは、朽ちた板戸を蹴破って中に入る。 意外と広い土間と、囲炉裏が目に入った。

「雨を凌ぐくらいは、何とかなりそうだ」
やれやれ、といった風に蛮骨は言う。
「火、起こせるか?煉骨」
「火口は無事だが、燃やす物が――」
無い、と言いかけたところで、はでに物が壊れる音がした。
家の中を見回っていた凶骨の重みで、腐りかけの床の一部が壊れたのだ。

「なーにやってんだよ!」
床下に下半身が落ち込んで狼狽えている凶骨の背中を、面倒くさそうに蛇骨が蹴る。
「おれだって、好きで踏み抜いたわけじゃねぇ!」
そう言いながら振りむきかけた動きで、さらに穴が広がった。
そろそろと慎重に床上に戻ったものの、凶骨の足下では動く度にみしみしと音がする。
「ばーか、床が全部抜けちまうじゃねぇか!厩にでも行ってろよ!」
蛇骨の遠慮のない言葉に舌打ちしながら土間におり、それでも素直に凶骨は台所から続く納屋に行った。さすがに自分が室内を歩くのはまずいと思ったらしい。
後には床の大穴と、壊れた床板の残骸。
「焚き木が見つかったぜ」
蛮骨はその木切れを一つ拾い上げて煉骨に放ってやった。
煉骨が囲炉裏に火を熾している間、全員がてんでに家の中を覗き回った。
所々雨漏りはしているが、とりあえず、何とか全員が横になれるだけの場所はありそうだった。

「あー、井戸がある」
いじけて凶骨が丸くなっている納屋に行った蛇骨は、その土間の隅に井戸があることに気が付いた。
「水、あるのかな」
そう言いながら覗き込んでも何も見えない。適当な小石を投げ入れると、乾いた音がする。
「ちぇ、涸れ井戸だ」
「水なんて、外に行って口あけてりゃいくらでも飲めるだろ」
凶骨が皮肉を言うと、蛇骨は鼻を鳴らす。
「これ以上濡れるのはごめんだ」
そう言い、冷えた両手を擦りながら火の側に行く。その近くでは、雨が土間に吹き込んでこないように、睡骨が板戸をはめ直している。
それを見たままぼうっとつっ立っている蛇骨に、煉骨が言う。
「暇なら、ボロ布か何か探してこい」
「なんで?」
「鎧から何からびしょぬれで、持ち物は全部湿ってる。乾いていて、水を拭える物がいるんだ」
「あ、そっか」
呑気な蛇骨に、煉骨は苛立った声を出す。それを聞いて、蛇骨はそそくさと家の中を探し始めた。
といっても、中に転がっているのは、壊れて使い物にならないような土器や木箱程度。後は蜘蛛の巣やら埃やらで、乾いた藁一本も無い。

「ちぇー、洗いざらいかっぱらっていった後…って感じかなー」
ぼやきながら火の側へ戻りかけたところで、蛇骨は凶骨が開けた大穴から床下を覗き込んだ。奥の方にボロ布が落ちているのが目に入り、にやりと笑う。
「まー、乾いてればいいかな…」
そう言って穴の底におり、身をかがめて布を引っ張った。意外と重い。蛇骨は唇を尖らせると、両手で布を引き寄せた。
「あれ?」
手元に来た布の下から転がりでた物を見て、蛇骨は目を丸くした。
それは、人骨だったのだ。
よくよく見れば、ボロ布は捨てられて朽ちかけた女物の着物だ。とすれば、女の死体ごと床下に捨てられていた、という事だろうか。

「兄貴ーーー、ここに骨が落ちてる」
蛇骨は立ち上がると、のんびりとした声でそう呼びかけた。
興味を持ったらしい蛮骨がやってきて覗き込み、おかしそうにくすりと笑う。
「ここってさ、よそから来た姫さんの住まいだったっけ?自分とこの村のもんはちゃんと弔うだろうから、これは姫さんかお付きの誰かだろうな。よそもんには薄情な真似するよなぁ」
「ふーん、そっかー、よそもんか。どーでもいいけどさー」
蛇骨は床の上に上がると、土で汚れている布を広げて蛮骨に尋ねる。
「ちょっと汚れてるけどさー濡れたの拭く分には使えるよな」
「ま、いいんじゃねぇの?とりあえずなんだからさ」

不意に屋根に当たる雨の音が強くなった。
「ち、またふってきやがった」
舌打ちをしながら戸板をしっかりと閉める睡骨の声が、雨音に遮られて切れ切れに聞こえる。雨戸や壁板の隙間から雨が吹き込み、あちこちの床が水浸しになっていく。
「火の周りに集まってるしかねぇなあ」
「その前に、乾いてる板を根こそぎ集めてきてくれ。この雨は長引きそうだ」
蛮骨のぼやき声を聞いて、眉を潜めた煉骨がそう要求した。
霧骨は荷物の中から鉄鍋を取り出し、銀骨が外で集めてきた水を注いで火にかけ、雑炊の用意を始めている。
「それってさぁ、お前の毒を煮出す鍋じゃねぇの?」
「げひひひひ、飯だって炊けるさ」
忍び笑いをする霧骨の横で、蛇骨は鍋を見ながらいやな顔をしている。
「どうせ出来上がれば食うんだろ?気にしすぎると、頭悪くなるぞ、げへへ」
「頭の問題かよ」
「よた話ばかりしてねぇで、お前も燃やす物集めてこい」
煉骨に言われ、蛇骨はまた家の中をうろうろとし始める。
「食い物はあとどれだけ残ってるんだっけ?」
はぎ取った床板を火の側に置き、蛮骨はそう聞く。煉骨は穀類を入れてある袋を確かめ、「明日中に出発できないんなら、村に行って調達するしかねぇな」と答えた。
「仕方ねぇなあ、凶骨。加減して食えよ」
それを聞いて大食漢の凶骨は大きく肩を落とした。 普段は物に動じないはずの面子なのだが、表情はなんとも暗い。
「しんきくせぇ村」
雨に閉じこめられた恰好のあばら屋に、蛇骨は忌々しげに言う。
翌日も雨は降り続け、止む気配を見せなかった。



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