◆ 水にまつわる怪異譚 中 ◆


「……あーあ、しつけー雨」
戸板を細く開け、蛇骨は空を見上げた。この数日というもの、雨は途切れることなく降り続いている。
「蛇骨、そこを閉めろ。火が消える」
囲炉裏に木屑を足している睡骨が言う。湿気でただでさえも燃えづらくなっているというのに、吹き込んでくる雨の滴で燃料用の板が濡れかけていた。
睡骨の言い分は至極真っ当なものではあるが、命令口調で言われ、蛇骨は不服気に戸板を閉めかける。
「あ、ちょっと待て。外に出るから」
蛮骨と煉骨が戸口に来た。
「雨が降ってるのに、どこに行くのさ」
「雨が降ってるから行くんだろ。川の様子見と、食い物の調達だ」
蛇骨の問いに答えつつひょいと外に足を踏み出しかけ、その雨足と泥まみれの足場を見て、煉骨は僅かに顔を顰めた。
「このまんま雨が続いて川が渡れねぇとなると、ここにいたって仕方ねぇし。戻って次の戦を探すしかねぇ」
蛮骨も外を見ながら、覇気のない声でそう言う。この長雨はかなり彼等の気分を沈ませていた。

「戻ってくるまで、睡骨。火の番を頼む。これだけ湿気ってくると、新しく火を熾すのも難儀だ」
「わかった」
睡骨にそう言いつけ、煉骨は雨の中にでた。
「暇でも大人しくしてろよ、お前等がケンカでも始めたら、このボロ屋はあっという間にぶっ壊れそうだからな」
「へーい」
蛇骨も蛮骨に言われ、大人しく頷く。
二人が出ていった後、蛇骨は歪む板戸を閉めた。
「兄貴達が戻ってくるまで、暇だなーー」
ため息を付いて火の側に座り込む。
「兄貴達がいたところで、暇なのには変わりねぇだろ」
睡骨はそう言いながら、板を適当な幅に割り、火の中にくべている。
「……てめぇは暇じゃなくて、楽しそうだよな」
睡骨がしきりに手を動かしている様を見て、蛇骨はそんな事を言った。
「うらやましけりゃ、火の番を変わってやるぞ」
「やーだ。つまんねぇ、そんな仕事、飽きる」
「ったく、我が儘ばかり言いやがる」
そう言いながら、また木切れを火に入れる。
火の粉が上がるのを見ながら、蛇骨はぼんやりと言った。

「なーんか、面白い事ないかな…」


◆◆◆◆◆◆◆


「あーあ、だめだな、こりゃ」
増水しきっている川の流れを見て、蛮骨は肩を竦めた。
「戻った方がマシそうだ」
煉骨がそう言うと、「この川向こうの領内で兵を集めてるって聞いたのにな。こりゃ、間にあわねぇかもなぁ」と蛮骨は残念そうに息を付く。
「とりあえず、食い物を調達しねぇと。宿場があるなら、穀物を卸す問屋もあるだろう」
「村に行くか。食い物と、それと酒も欲しいな」
言いながら船着き場から村への道を辿る。その時、川から少し離れたところで、蓑と笠を着た男が数人固まっているのが見えた。
「お、丁度いい。食い物屋に案内させようぜ」
蛮骨は喜色を浮かべて近付いていく。雨の音に遮られ、頭を寄せて話し合う男達には蛮骨達が近付いてくるのが判らなかったようだ。雨音に負けないようにか大声での会話が、とぎれとぎれに聞こえる。
その中の一言に、蛮骨は耳を峙たせた。

「……だから、……あの女の祟りが……あの家も……」

「…祟りって言ったか?」
「え?」
煉骨には、その言葉が聞こえなかったようだ。最初にここに来たときも船頭が祟り云々言っていた事を思いだし、蛮骨は大股で近付く。
男の一人の背に手を伸ばそうとした瞬間、決定的な言葉がはっきりと聞こえた。

「名主様があの女のお宝を売っぱらっちまったから、きっと怒ってるんだ。怒って祟って雨を降らせてるんだ!旅の連中をあの化け物屋敷に捧げても、ちっとも治まらねぇ。きっとあの女は村のもんを生け贄に差し出せと、そう言ってるんだ!」
「誰が誰を捧げたって」
低く凄みのある声を出し、蛮骨は男の肩を引いた。その顔には見覚えがあった。名主と一緒にいた船頭だ。
わあ、っと声を上げ、他の男達が逃げていく。
それを無視し、蛮骨は船頭を締め上げる。
「化け物屋敷って、どういうことだ?」
男は言い訳をしようとしているらしいが、口から漏れるのは支離滅裂な言葉の断片だけだ。煉骨は煩わしげに、船着き場近くの船頭の休み場所である番小屋を指差す。
「大兄貴、番小屋が空いてる。そこで聞いた方がいい。ここでは声が聞きづらい」
「雨に濡れねぇところで、じっくりゆっくり話してもらうとするか」
蛮骨は男の胸ぐらを掴むと、片手で持ち上げた。足が地から浮き、男は怯えた顔になる。抵抗することも出来ず、男はそのまま小屋の中へ連れ込まれてしまった。


◆◆◆◆◆◆◆◆


「そーいやさー、凶骨達何やってるんだっけ?」
同じ家の中にいるというのに訊ねてくる蛇骨に、睡骨はいまさら皮肉を言うのも面倒くさいのか、ぼそりと「寝てる」と答えた。
「寝てる?」
「夜中に妙な音がして目が覚めたんで、寝不足なんだそうだ」
「ネズミとか?」
意外そうな声を蛇骨は出した。それくらいのことで寝不足になるほど、ヤワな仲間達ではない。
「さあ、足がある奴ならとっつかまえて、食い物の足しにしてるだろうがな」
「じゃあ、足がないんだ」
「そう言う話だ」
折った木切れを火に入れながら、睡骨は淡々と言う。好奇心に目を輝かせた蛇骨は、睡骨にすり寄るようにして聞いた。
「なんか面白れーー。どんなのさ、その足のない奴」
「さて、よくは知らん。納屋の中を人影がうろうろしていたんだそうだ」
「人影?」
「荷物を覗いたり、寝ている顔を覗いたりしてると言っていたな」

台所の土間に全員が横になれるわけではないので、とりわけ身体の大きい凶骨や銀骨は荷物や武器と一緒に納屋にいる。霧骨は自分の葛籠を後生大事に抱えながら、やっぱり納屋で寝ている。
最初に気が付いたのは霧骨だったそうだ。
ぼんやりとした影が、自分の荷物をじっと見ていたのだ。
霧骨はむっとなって荷を自分の背後に隠し、そのまままた寝てしまった。
次に目が覚めたのが凶骨なのか銀骨なのかは判らない。
凶骨はぼんやりした影が自分の上を通り抜け、井戸の所で消えるのを目撃し、銀骨は自分の仕掛けの隙間をじっと見ている影を見たのだそうだ。
そんな得体の知れない影を目撃しつつも、三人とも「鬱陶しい、じゃまくさい、寝ているところを起こされて、腹が立つ」と感じただけでまた寝てしまったというのが、彼等らしいと言えば、彼等らしいのだが。

「その影ってさ、おれ達の方も見に来たのかな」
ワクワクした顔で蛇骨が言うと、睡骨は呆れた顔で答えた。
「知るか!」
「えー、つまんねーの。それってお化けかな、妖怪かな」
「どっちでも同じだろう」
「つまんねー、おれも納屋で寝るかな。そうすりゃ、見れるかな」
「…知るか」
相手をするのも面倒になったのか、睡骨は素っ気なく言ったきり、そっぽを向く。
「ちぇ、愛想のねぇやつ」
都合の良いときだけ馴れ馴れしくしてくる蛇骨に、睡骨はもう返事もしない。
完全に退屈した蛇骨は腰を上げると、納屋に行った。
「井戸になんかあるのかなぁ」
凶骨達は、井戸の反対側の壁にへばりつくように寝ている。寝不足なんていうのは、おおかた用事を言いつけられないための言い訳なのだと思う。
食料も足りずに空きっ腹を抱えている以上、寝てるのが一番賢い行動なのは確かだ。
「…蛮竜はともかく、煉骨兄貴の葛籠、潰さなきゃいいけどなぁ」
蛇骨は三人の寝相を見てそう呟いた。雨の中出ていった兄貴分達は、荷物をそのまま納屋に残していったのだ。
僅かに心配顔で巨体に挟まれた葛籠を眺めた後、井戸の前に立って暗い底を覗き込む。
当然何が見えるわけでもないし、何かが出てくるわけでもない。
「あーーつまんね、何か出てくりゃ面白いのに」
蛇骨は井戸の淵に肘をつき、ぼんやりと底を覗いていた。


◆◆◆◆◆◆◆


「さーてと、しっかり話してくれよな。化け物屋敷がどうしたって?」
小屋の中にへたりこんだ男の正面にしゃがみ込み、その顔を見据えながら蛮骨は訊ねた。煉骨は少し離れた場所で壁に寄りかかり、黙って聞いている。
男は仏に祈るときのように、両手のひらを擦り合わせた。そして覚悟を決めたのか、ため息を付いて話し始めた。
「これはじい様から聞いたんだが、じい様が若くて、親父が赤ん坊だった頃の話だそうだ」

「都から来たという姫様とその女中は、最初はとても綺麗で信心深く、村の者はみんな喜んで迎えたんだそうだ。ぼろい河神様の社に宝玉を備え、毎日そこで巫女様みたいにお祈りしていたそうだ。ところが――」
男は汚らわしそうに顔を顰めさせる。
「その巫女様みたいだと思ってた姫様は、実はとんでもない男好きだったそうだ。村の男連中を片っ端から社に引っ張り込んでたんだ。そして、代わりに食い物や道具を運ばせて、まるっきり遊女みたいだったとじい様は言っていた。じい様は親父が生まれたばかりでよその女に興味を持たなかったらしいが、女房や許婚をほったらかしに姫様に骨抜きにされる男連中が後を絶たなかったんだと。それでついに腹を立てた女連中がこぞって押し掛け、その姫様と女中を叩き殺したあげくに、死体を家のどこかに埋めてしまったんだと」
男は、不意に寒気がしたように体を震わせた。
「女共はその後男衆が貢いだ道具やら何やらを全部引き上げ、姫様が都から持ってきたやつまで自分の物にしたんだと。そしたら、それ以来、川は溢れる、長雨は続く、病気が流行って人死にが出る。で、その女の祟りかもしんねぇって言って、その頃の名主様がお社に姫様の持ち物を全部突っ込んで、坊さんに経を上げてもらった。それでも雨が止まねぇって、困り果てて、占いのオババに見てもらったら、姫様が喜ぶような若い男を屋敷に捧げりゃいいっていわれて、そうしたら、雨は止んだんだ」

「で、この長雨も祟りなのか?」
男は一度口をつぐみかけたが、吐き捨てるように言った。
「去年は米の出来が悪かった。年貢を納めるのに難儀して、名主様は、社に納めてあった姫様の玉飾りを商人に売っぱらったんだ。あんた等がここに来る前の日の事だ。その後、急に川の水が増えた」
「ちっ。おれ達に屋敷を使わせたのは、捧げ物にする気だったからか」
渋い顔で押し黙った船頭に、蛮骨は眉根を寄せる。
名主は最初から自分達を化け物屋敷の餌食にするつもりだったのだ。
蛮骨は忌々しげに舌打ちする。
「そんな昔話、おれ達に関係あるか。ったく、どうしようもねぇな」
「道を戻るしかねぇな」
煉骨も顔を顰める。項垂れている男に向かい、皮肉に言った。
「その商人はどうした。祟りから逃げられたのか?」
「……わからねぇ……だが、商人は村々を船で回っていた。水に飲まれちまったのかも…」
何かが引っかかり、煉骨は顔を顰めたまま尋ねる。
「その姫様の玉飾りってのは、翡翠の勾玉のことか?」
「さあ、知らねぇ…ちらっと見たときは、緑色で変な形をしとったが」
何かを思い出すような顔つきで、蛮骨は煉骨をみた。
「……蛇骨が拾った、アレか?」
「かもしれねぇ、ったく、縁起の悪いもん拾いやがって」
「お宝って喜んでたのにな」
「そんなもん捨てさせて、早いところこの村を出よう」
へたりこんだ船頭を残し、蛮骨達は雨の中に走り出た。


◆◆◆◆◆◆◆


「おー化け、出てこい、でーてこい」
蛇骨は古井戸の底に向かって身を乗り出し、歌うようにそう繰り返す。
当然ではあるが、物音一つもしない。蛇骨は両手を井戸の中へと突き出し、何かをつかみ取るような仕草をする。これも当然ではあるが、手に触れる物はない。
「なーにをやってるんだか」
その様子に呆れつつ様子を見にやってきた睡骨は、上半身が井戸に落ちそうな程身を乗り出している蛇骨の恰好に息を付いた。
「てめえ、後ろから押したら井戸の中に落ちるぞ」
「押すなよな〜〜」
頭を井戸の中に突っ込んだまま、蛇骨は気の抜けた声で応じた。
「覗いたって何もねぇだろ」
「ねぇけどさあ、お化け…やっぱ出てこねぇかな」
「ふざけた事を言ってねぇで、いい加減に……」
腕組みをしてそう言いかけ、そこで睡骨は顔を顰めた。
腰から上を井戸に突っ込むようにして底を覗き込んでいる蛇骨の足が、土間から僅かに浮いたのだ。
「おい、てめえ、いい加減にしねぇと本当に落ちるぞ!」
苛立った声を出して睡骨は蛇骨の帯を後ろから掴む。引っ張り上げようとした睡骨は、思わずぎょっとした。蛇骨は井戸の底に向かって伸ばした腕をばたつかせているだけだというのに、その身体はぐいぐいと下に向かって引っ張られているのだ。

「おい、蛇骨!ふざけてんのか!」
「……ちが…」
苦しそうなくぐもった声が返る。
「なんか……ここにいる!おれの腕掴んで…顔に何かくっついてる!」
睡骨は全身の力を込めて蛇骨を井戸から引き剥がした。
よたよたと土間に倒れ込む蛇骨は胸を大きく喘がせ、溺れかけのような忙しなさで息をしている。
「この古井戸がどうしたっていうんだ」
睡骨は慎重に距離をとりながら井戸の中に目をやる。ただ真っ暗な縦穴が見えるだけで、蛇骨を底に向かって引っ張り込めるような生き物が隠れている様子はない。
「……なにもねえっていうのに」
首を捻りながら蛇骨に目を戻した睡骨は、大きな声を出した。
「おめえ、袖に何くっつけてる!」
「袖?」
目を瞑ったままで喘いでいた蛇骨は、その言葉に改めて自分の袖を目にし、そして仰天した声を上げると大きく腕を振った。
「なんだよ、これ!」
腕を振り回した弾みでその袖にくっついていた物が離れ、土間の隅に転がっていく。
それは、長い髪を引きずった髑髏だった。
それが蛇骨の袖に噛みついていたのだ。

「なんだよ!こんなもん、どこにもなかったってーの!」
喚きながら立ち上がった蛇骨は、睡骨を盾代わりにするようにその背後に回る。
「てめえが出てこいって言ったから、出てきたんだろ」
「お化け出てこいって言ったんだよ!誰が骨が見てぇなんて言うかよ!」
口だけは達者に蛇骨は言い返す。その言葉に反応したように、井戸の底からぼこりと水がわき出るような音がする。
蛇骨はびくりとなると、睡骨の袖を引っ張りながら言いつけた。
「おい、なんか音したぞ。てめえ、見てみろよ」
「今度こそお化けが出てくるかもしれねぇぞ。自分で確かめてみたらどうだ」
「……やだ…なんかやーな感じがする…」
「……当たりだな」
睡骨は井戸を見据えながらぽつりと言った。その身体の影から井戸をのぞき見た蛇骨は、顔を顰めて「……でた」と一言だけいう。
ぼこぼこという音が大きくなり、そして――勢いよく涸れ井戸から水がわき上がったのだ。
井戸枠を超えて土間に流れ落ちる水に、睡骨は声を上げた。

「おい!凶骨、銀骨、霧骨!起きろ!水だ!」
声のせいか、それとも水が身体に触れたせいか、寝込んでいた三人が瞬時に跳ね起きた。それでもまだ状況が飲み込めていないのか、床にたまっていく水にあぜんとして天井を見上げている。
「雨漏りじゃねぇよ、井戸だよ!」
蛇骨が喚く。
「あわわわわ」
荷物が濡れそうになったことに慌てた霧骨は、葛籠を背負い上げると凶骨の身体の上によじ登った。
「凶骨!兄貴達の荷物を持って外へ出ろ!」
そう言うと、睡骨は自分の荷物をとりに台所に戻る。慌てて蛇骨もその後を追った。
その間にも水は流れ続け、焚き火はあっという間に消えてしまう。
凶骨は言われるままに蛮骨の大鉾を手にすると、背後の板壁を体当たりで壊し、外へ出た。
続いて煉骨の荷物を担いだ銀骨。霧骨は凶骨の背にへばりついたままだ。
「……いつの間にこんなになったんだ!」
凶骨は周囲を一瞥してそう呟く。
外はまるで泥の川のような有様になり果てていたのだ。




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