◆ 無灯 ◆


 

「ふられた!」
戻ってくるなりの蛇骨の台詞に、煉骨は「またか」という風に顔を顰めた。

「また、いきなりやばい事でも言ったんだろう」
うんざり顔の兄貴分に気づかず、草履を蹴り飛ばすようにして板の間に上がった蛇骨は、ぶんぶんと首を横に振った。
「違うって!向こうも大乗り気でついてきたんだってば!筆下ろし以来ご無沙汰だ〜〜〜なんて可愛いこと言うからさ、上に乗ってがんがんに腰ふってやって喜ばせてやったってのに!」
「そこまで持ち込んで置いて、何を文句を言っているんだ」
煉骨は面倒くさそうにおざなりに話を合わせる。蛇骨はいかにも重大事、と言わんばかりに煉骨に顔を寄せた。
「それがさー、そっちはよくても、おれはちょっとばかし物足りなくてさ。それで、ちょこっとばかし首を絞めたんだよ。おかげでいい感じになったんで、おれももうちょっとでいけそう、ってとこだったのに、あの若侍、死にそうな声上げておれを突き飛ばしたんだぜ?あげくに逃げ出すんだ、これってちょっと酷くねぇか?」
ねえよ――とすかさず心中で答えつつ、煉骨は今までに何度も繰り返した言葉をまた言った。

「存分に楽しみたければ無宿者にしておけ、侍は止めておけと言っただろう」
「だってあの辺むさい野郎ばっかしで、好みの面のヤツなんていねぇもん」
ふてくされたように蛇骨は答える。
「だったら、待て。一応、侍共は雇い主の家臣だ。面倒起こすな」
「面倒なんて起きねぇよ、アイツ、殿様のお手つきだもん。勝手に雇われ兵ふぜいと寝たことがばれたら、やばいのはあっちの方だっての」
「そんな事を言っているわけじゃねえ」
蛇骨の頭の巡りの悪さに苛つきながらも、ふと思いついて聞いた。
「筆下ろし以来ご無沙汰してる相手だと言わなかったか?」
「だから、突っ込む方はご無沙汰――」
聞くんじゃなかった――と悔やみつつ、煉骨は背を向けた。
仏頂面でさっきまで向かい合っていた設計図に視線を戻す。蛇骨が頬をすり寄せるようにしてその手元を覗き込んだ。
行灯の小さな灯りに影が差し、煉骨は見づらくなった紙の位置をずらす。
「邪魔すんな」
「砲筒?」
「もう少し小さく出来ねぇかと思ってな」
「ふーん」
達者な文字が書き込まれた設計図を眺めながら、蛇骨は平坦な声で煉骨に言った。
「なあ、兄貴。おれの蛇骨刀、もう二、三枚、刃増やせないか?」
「この間も増やしたばかりだろう。これ以上長くすると、かえって使いづらいぞ」
「大丈夫。後もう一当て、ってとこで物足りなくてさ」

武器について話すとき、蛇骨は声も表情も神妙になる。もっともっと効率よく敵を倒せるようにと、普段の道化じみた言動からは想像つかないほど真剣に向き合っているようだ。
(確かに、こいつならもう少し長くしても使いこなせるだろうな)と、煉骨は内心で認めた。彼から見た蛇骨は教養はからっきしで男の話しかしないようなバカだが、こと戦いに関しては天賦の才があった。そしてなによりも死や痛みに対する恐怖心が希薄だった。だからこそ、蛮骨から切り込みの先鋒を命じられている。誰よりも先により大きな戦果を、と思っても不思議ではない。少しぐらい扱いが難しくなっても、すぐに使いこなせるようになるだろう。
「いいぜ、ただし、今の仕事が終わったからだ」
「やりい、だから兄貴好きなんだ!」
調子よく言った蛇骨が、甘えたように煉骨にしがみつく。そのはずみで煉骨の持っていた筆が勢いよく滑り、設計図の真ん中に大きな墨のシミを作った。
「……あー…」
しまった、というような顔で、蛇骨は誤魔化し笑いをする。だが、当然そんな笑いで誤魔化されるはずもなく、煉骨は眦をつり上げて怒鳴りつけた。
「いいから、外で遊んでこい!」
「ごめん、兄貴!」
蛇骨が裾をまくって逃げ出していく。うんざり顔の煉骨は、頬ずりのせいでずれた頭巾を直そうとして、むき出しになった側頭部に何かついているのに気が付いた。
煉骨は手に移ったそれを嫌な顔で見る。彼の綺麗に剃り上げた側頭部にべったりと付いていたのは――蛇骨の紅だった。
煉骨はもう怒る気力もなく、ぐったりとため息を付いた。


◆◆◆◆◆◆◆◆


追い出されてブラブラと歩いていると、すぐに雑多な界隈に出た。
彼等が住まいにしているのは、この国の足軽達の住まいが並ぶ一画だった。
蛮骨、蛇骨、煉骨の3人は、使える主君を求めて名を挙げようと集まってきた浪人達と同様に、雇われ兵としてこの国にいた。
ただ他の浪人達と違うのは、彼等は特別な主など求めていなかったこと。
そして、3人だけで一部隊並みの働きをこなしたため、あっという間に破格の扱いになったという事だ。
とくに蛮骨は敵軍の中で一番の豪傑と噂された侍大将を、殆ど一太刀で落としてしまった。その戦いぶりを見て敵が戦意を無くしたため、この国は長い間の同族間の戦いが終結した。蛮骨達に多額の報奨金が支払われたのはもちろん、家臣にとの引き合いも多かった。
蛇骨はその辺の遣り取りには興味がなかったが、この国では当分戦はないだろうと思うと「つまらない」という気分が先に立つ。

(大兄貴はどうするんだろうなぁ)

家族持ちでない足軽や浪人達が住まう場所の所為か、酒や女を商う店が近くには多い。血の気の多い連中が酔っぱらって諍いを起こすこともしばしばだ。
紅を引き、商売女のような結い髪の蛇骨に酔って近付いてくる男も多いが、店の吊り行灯の明かりで顔を確かめると一様にコソコソと逃げていく。
彼等の戦いぶりを知っている連中は、畏怖の目で見るだけで近付いてこない。
平気で近付いてくるのは、それこそ、懐にある報奨金目当ての女ばかりだ。

蛇骨はひときわ賑やかな小屋に目をやった。
格子の向こう側で、蛮骨が両側に女を侍らしてご満悦の顔をしているのが見えた。
蛇骨はその場で足を止めると、むっとした顔つきで店の中を睨んだ。
蛮骨が侍らしているのは、夜の小さな灯りの中だからこそまだ見られる、と言った程度の年増女ばかりだ。国の中心の城下町といっても、元々が小さい領土しか持たない田舎の小国だ。到底、都にいるような洗練された遊女などはお目にかかれない。
それでも女達は零れんばかりに実った胸元を大きくはだけ、年増女の手練手管で息子ほどにも若い蛮骨に甘え、あれやこれやと金を使わせようとしている。
ねっとりとした口調で簪をねだる女に、蛮骨が調子を合わせて買ってやるなどと言っているのが聞こえ、蛇骨はますます不機嫌になって、踵を返した。

(蛮骨兄貴が女買うのなんていつもの事なのに)
判っていても目の当たりにすると腹が立つ。忌々しい女。
でかい乳房と尻を武器に、怖れげもなく男達の間に割って入ってくる。
図々しくて邪魔なだけの女。

蛇骨はイライラして辺りを見回した。
その辺りにいるのは、小汚くてむさ苦しい、ごつい男ばかりだ。
1人くらい――少しは見られるツラの野郎がいてもいいのに。
足早に雑多な横町を突っ切ろうとすると、店の一件から出てきたばかりの男とぶつかりそうになった。
かなり大きな男で、蛇骨が最初に見たのは、右と左で色合いの違う、派手な着物の胸元だった。
ちらりと上目遣いで相手を見ると、相手は赤ら顔で横柄に蛇骨を見下ろしている。吐く息が酒臭い。

「……ほう、これはこれは。なんとかってアレだな」
「なんとかと言われても、わかりませんが」
しらけた口調で返す蛇骨の方は、この男を知っていた。一応家臣の中では譜代の家の当主らしく、同じ戦に出ていた。出遅れて、砦を落とすのも、大将の首を取るのにも間に合わなかった。そのくせ蛮骨を逆恨みして、戦功を評価する場で生意気だのなんだのと声高に主張していた男だ。
当然、同じ戦に出ていた蛇骨の顔もその手練も知っていたはずだが、刀を持っていない蛇骨を侮って惚けたのだろう。実際、まだ少年の域を出ていない蛇骨は体格からして遙かにこの男より小さい。

男は下卑た笑いを浮かべると、蛇骨の前に立ちふさがった。
「すみませんがお侍様、通していただけませんかね」
こんな男でも一応、この国の家臣だ。蛮骨の去就が判らない以上、へたな騒ぎを起こさないように下手に出る知恵が蛇骨にはある。だが男は酔った勢いと大人しい蛇骨の態度にさらに嵩に懸かってきた。蛇骨の顔を覗き込み、ニヤニヤと笑う。
「ほう、別嬪だな。あれだけの働きをするようにはとうていみえんわ」
「はあ、どうも」
「辻に立って男を引いていても、おかしくなさそうなツラだ。いっそその方が似合うわい」
酒臭い息をまともに吹きかけられ、蛇骨は腹が立ってきた。

(この男、いっそどこぞに誘い込んで、一物食いちぎってやろうか、それとも玉を握りつぶしてやろうか)

痛みにのたうち回ったところで、このブサイクなツラを踏みつけてやったら面白いかも知れない。口を引き裂いて血化粧でもしてやったら、もうちっと見られるツラになるだろう。

そう考えているうちに、ぞくぞくと気分が良くなってきた。目が誘いかけるように細められ、唇が赤みを増す。その壮絶な色気に、男の顔が酒酔いとは違う朱色に変わった。
蛇骨はその変化に可笑しくなった。
田舎侍が――腕にしなだれかかり、ちょっと甘い声で暗い場所に誘ってやれば、こいつは迷わずついてくるだろう。そして唇にむしゃぶりつきながら、裾をめくって手を入れてくるんだろう。
最初に――そうだ、舌を食いちぎってやるか。助けも呼べなくなるから、一石二鳥だ。
想像してくすくす笑うたびに、男は何を勘違いしたのか小鼻を膨らませ、鼻息を荒くしていく。

――さあ、男の腕に手を回してやろう。身体をすりつけて笑いかけてやるか。

そう決めて手を伸ばし掛けたところだった。

「おい、帰るぞ」

いつの間にか女達の間から抜け出してきた蛮骨が立っていた。
「大兄貴」
ぽかんとなった蛇骨から、さっきまでの誘いかける色気が消える。舞い上がるだけ舞い上がった田舎侍は、自分から綺麗に意識を逸らしてしまった蛇骨に憤然となった。
「おい、お前!」
無理矢理連れ出そうと蛇骨の腕を掴み掛けた男の腕を、蛮骨が捉えた。
男は、蛇骨同様、自分よりかなり小柄な蛮骨を睨み付けた。
「なんだ、貴様!おれはこの小僧に用が」
「ほう、おれの弟分になんの用で?」
蛮骨が冷ややかに答える。その冷え冷えとした目つきの放つ威圧感に、男はすぐに逃げ腰になった。
「いや、なんでもない」
体裁を整えて早口で答えると、男は逃げていった。蛮骨はちらりと蛇骨を見る。
蛇骨が縮こまると、呆れたように言った。
「お前なぁ、いくら退屈だからって、あれは趣味悪すぎだろ」
「別に、趣味で誘ってた訳じゃねぇもん」
後ろめたそうな蛇骨の言い訳を聞きながら、蛮骨はねぐらに向かって歩き出す。蛇骨もその後を追う。

「だったら、止めとけって。あの手のバカはのぼせるとしつこいぞ」
「だから……」
「暗闇に連れ込んで、遊び倒すってのは、無しだぞ」
蛮骨のいう「遊び倒す」の意味を察し、蛇骨は言い訳するのを諦めた。
「……大兄貴、この国に仕えるのか?」
「なんで」
「だって、……この国に仕えたら、アイツも同僚になるのかなってさ」
「ばーか、おれがあいつの命を心配したとでも思ってんのか?」
「違うの?」
「あんな野郎、いつでもぶった斬れるって言ってるんだ。あんな臭い野郎にわざわざ素手で触る必要はねえだろ」
「……」
真意を測りかねている蛇骨に、蛮骨はにやっと笑った。
「どうせ、明日明後日には出ていく国だ。金も貰ったし。あいつが町の外に出たのを見計らって、好きにすりゃいいさ」
「あ、出てくんだ!」
蛇骨がぱっと明るい顔になった。

「殿様持ちなんて性にあわねえしな。戦も次はいつあるかわかんねぇときたら、いる意味はねえだろ。それにここの女にも飽きたしな」
「女」の言葉を聞いた瞬間、蛇骨はまたむっとなった。それに気がつき、蛮骨は機嫌を取るような口調になる。
「なんかお前、怒ってないか」
「別に」
「怒ってるだろ」
「あれだけ楽しそうに女の胸に顔突っ込んでたくせに、飽きたなんてよく言うなと思っただけだっての」
「なんだ、お前見てたのか?」
悪びれずに蛮骨がいう。胸に顔突っ込んでたというのは当てずっぽうだったが、実際にやっていたと聞いて蛇骨はますます不機嫌になった。
「簪、買ってやるって鼻の下伸ばしてたじゃないか」
「あんなお愛想を真に受ける商売女なんていねぇよ」
つんとそっぽを向く蛇骨に、蛮骨は困り果てた顔になった。
「んーと、じゃ、こうしよう」
「なんだよ」
蛇骨は無愛想にいう。蛮骨は苦笑いしながら提案した。
「簪はお前に買ってやるよ、その辺の女にゃ到底持てないような上物のヤツ」
「兄貴、物やればおれが喜ぶって思ってないか?」
不服そうな蛇骨に、蛮骨はしれっとして言った。
「喜ばねぇの?じゃ、いらねぇか?」
「いる!」
蛇骨は照れくさそうなふくれっ面のまま間髪入れず答える。蛮骨はにっと笑ってその肩に腕を回した。
「最初っから、そう言やいいのに」
「ちぇっ」
なんとなくモヤモヤする気分は残ったが、面白そうに笑っている蛮骨にそれ以上の駄々をこねる気は起きなかった。

とりあえず、兄貴は女達置いておれの所来たんだから――そう自分に言い聞かせる。

我が儘を言っていると思う。
兄貴はその我が儘を面白がって許してくれてるんだと思う。
それ以上、何をしてくれることをおれは望んでいるんだろう。
別に望んでいる事なんて無いのに――。

屈託無い蛮骨に合わせて脳天気な笑顔を見せながら、蛇骨は頭の隅で思った。

不満は外で発散すればいい。
この町の灯りの外で、道ばたの暗闇の中で、楽しめる事なんていくらでもある。
敵を切り刻もう。何人でもまとめて倒そう。
他人の命を自分が握っていると思うのは気持ちがいい。
偉そうな奴らの泣き顔を見るのはもっと気持ちがいい。
さんざんに楽しんで、そして兄貴にはいつも笑っている顔を見せていたい。
一緒に居て面倒くさい相手だと思われたくない。

どうして今こんなにおれは気分が重苦しいんだろう。
兄貴が側にいて笑っているのに。

目の前に立つ連中を全部片づけて、嫌なやつを全部目の前から消して、暗闇の奥に放り出せたら。
おれはいつだって楽しく笑っていられるんだろうか――。





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