◆ 名前も知らず 前 ◆


 
入り組んだ海岸線と小島の多い海域に、その島はあった。
もともとは船を造るための材木を切り出すため、地元の罪人を送り込んでいた島なのだという。山の半分は禿げ山で、茶色い地肌が蛮骨達の乗る代官の船からもよく見えた。


「何でも、瀬戸の方から逃げてきた海賊連中とかが住み着いたらしく、強盗を働いてはすぐに船で逃げるんで、手の打ちようがなくて…」
「ちんけな島だなぁ、で、どれだけの人数がいるんだ?」
その問題のある島を含む土地一帯を治めている代官の泣き言を途中で遮り、蛮骨は事務的な口調で言った。
「はあ、かれこれ、200人くらいかと…」
汗をふきながら答える代官の声に、大きくえづく声が重なった。
蛮骨は困ったように頭をかくと、船尾にいる煉骨に声をかける。
「おい、そいつが落ちないように見張ってろよ」
「わかってる」
答える煉骨の声はうんざりしているようだ。その目の前では、船から半分身を乗り出すようにして、ぐったりと荒い息をしている男が1人。
船酔いでさっきから吐きっぱなしの蛇骨がいた。

「うええええー、気持ち悪りぃ…」
面倒くさそうにその背を撫でながら、煉骨が息を付きつつ言う。
「最初から乗らなきゃ良かったんだ」
「だってー、船なんて乗ったこと無かったもん…」
言い訳する声にも勢いがない。蛇骨は完全に参っていた。


彼等は、海賊討伐隊に雇われていた。
昔は船造りで賑わっていた土地だが、材木の主な伐採地であった島が殆ど禿げ山になったのと、大規模な造船所が交通の便のいい別の港に作られこの辺りに住んでいた職人達がこぞって移住してしまった事などが原因で、すっかり寂れてしまっていた。その代わり、戦もめったに起きないような田舎だというので富豪の商人達が景観のいい場所に館を建て、隠居所や別荘地として利用されていた。そういう屋敷や、彼等のために通ってくる行商人達が狙われ出したのである。
普段、もめ事と言えば、飼っていた鶏が逃げて隣家のと混じってしまったとか、作っていた干物をノラ猫が食い散らかしたとか、そういうのどかな事件しか扱ったことしか無かった代官は焦った。焦って手蔓を辿り、七人隊にたどりついたのだった。

いかにも人のいい役人と言った風貌の、豪農出身の初老の代官は、しきりに吐いている蛇骨を見て不安そうに尋ねた。
「あのー、この程度で船酔いとは、……大丈夫なんですかね?」
「あー、まあ、大丈夫だろ?」
蛮骨は頭をかきかき頼りにならない事を言う。
「で、代官所からの手勢はどれだけ出せるんだ?」
「……気骨のある者はとっくに大きな町に出てますし、まあ、捕り方が50人くらい出せれば精一杯かと…」
「そんなとこか、まあ、いいや。船さえちゃんと出してくれればこっちは文句もねえ。200人くらいなら、俺達も雁首揃えて全員出るほどでもねぇなあ。なあ、煉骨?」
「岸で待ってる連中に確かめて、船酔いしない連中だけで出ても、問題にならないだろうな。……蛇骨、お前は今回は引っ込んでろよ?」
「……わぁった…」
いつもなら先陣を切りたがる蛇骨も今回は素直に頷いた。肩に引っかけていた蛇骨刀を外し、後ろ手で煉骨に向かって差し出す。
「……なんか邪魔くせぇ…兄貴、あずかっといて…」
「こりゃまた、相当重症だな」
蛇骨刀を受け取りながら、煉骨は肩を竦めた。偵察の船に珍しがって乗り込んだのはいいが、さほど進みもしないうちに気分が悪くなり、それからはずっとこの有様だ。とくに、例の海賊達が立てこもっている島周辺は流れが複雑らしく、こぎ手が右に左にと方向を変えるたびに船は小刻みに揺れ、蛇骨の顔色は悪くなる一方だ。

「さて、とりあえずは引き上げるか」
そう蛮骨が言ったときだった。
前方から船が現れた。
「海賊の船じゃ。こちらを見つけて、様子見に来たのじゃ!」
代官はいきなり狼狽えだした。自分達が乗っているのは軍船とは程遠い、人や荷を運ぶためだけの船で、攻撃を防ぐような楯も何もついていない。
対する向こう側は舳先に武装した男達が数人立ち、石弓や投石器を構えている。
「焦るなって」
蛮骨は呆れてあたふたする代官の肩を押さえた。水先案内を努めていた男も、冷や汗をかきながらではあるが、「攻撃する気があるなら、もっと船を寄せるだろう。あそこで止まっておるわい」と告げる。
「んじゃ、やっても威嚇程度だろ。落ち着いて船を戻させろ」
蛮骨の言葉に、彼等の船は舳先を岸に向けるために海面に弧を描く。一定の距離を保ったままの海賊船の前を横切るような形になった。
「蛇骨、頭を引っ込めとけ」
「あーー…」

船尾にいた蛇骨は、煉骨の声を聞いて顔を上げた。代官達の話を聞いていなかったので、今の今まで敵船が現れたことに気が付いていなかったのだ。
もう一艘の船は静かだった。自船もやり合う様子がなく、岸へと向かっている。蛇骨はぼうっとその船を眺めていた。
同じく船後方にいた煉骨が、急に声を上げた。

「大兄貴!」
蛮骨と代官が振り向く。海賊船のうえで歓声が上がり射手の1人が焙烙火矢を飛ばしてきたのだ。舷側を掠めた焙烙が破裂しながら海に落ち、上がったしぶきと波が彼等の船をゆらす。
「早く船を戻せ!」
代官の叫びに、漕ぎ手の動きが早まる。もう一度焙烙が飛んだ。今度は、直接船体に当たって爆発した。炎が飛び散り船が大きく傾ぐ。
まったく警戒していなかった蛇骨は、咄嗟に身体を支えきれなかった。
声を上げる間もなく、海へと投げ出される。

「大兄貴、蛇骨の馬鹿が落ちた!」
「お代官さま!船に穴が!」
ふたつの声が重なり、そして、
「おい、船を止めろ!」「火を消せ!早く岸へ戻せ!」というふたつの指示が重なる。
「仲間が落ちたんだぞ!」
蛮骨が怒鳴りつけると、縮み上がりながらも代官が反論する。
「もう一撃受けたら、船が沈む!」
それは間違いなく正論だった。蛮骨は怒りの形相のまま、鎧に手を掛けた。
自分で海に飛び込もうというのだろうが、その前に再び煉骨が叫ぶ。
「大兄貴!あそこだ!」

波の間に派手な色の布地が浮かぶ。蛇骨の着物だった。
それに向かって敵船が長い竿のついた熊手を伸ばし、自船に引き寄せている。
向こうの船に引き上げられているのを見て、蛮骨は歯がみした。
「大兄貴!」
「ちくしょう」
蛇骨を拾った敵船は島へと戻っていく。そして、蛮骨達の乗った船は、燻る煙を上げながら沈まぬうちにと全速力で岸へ。見る見るうちに離れる距離に、蛮骨は無表情になった。
「おい、代官!」
不機嫌な声音で呼ばれ、代官は怯えた顔で「…なんでしょう」と小声で答えた。
「出撃がいつだって言ってた?」
「……夜半には、岸から島に向かって潮の流れが変わりますから。その時に…」
ビクビクと答える代官を無視して、蛮骨は煉骨に言う。
「全員で殴り込みだ」
「応」と煉骨は短く答える。
「ガキ共がなめた事しやがって。皆殺しにしてやる」
蛮骨は軋むような声で告げた。


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「何だ、女かと思ったのに」
蛇骨を引き上げた男達が、拍子抜けしたように言った。蛇骨は気を失ったまま、船底にぐったりと横たわっている。
「派手な恰好だな」
「土地のもんじゃあるまいに」
「芸人じゃないのか?」
「俺達の討伐に、傭兵を雇ったって聞いたぜ?」
男達がてんでに知った風なことを言う。
「傭兵?この優男が?」
1人の男が嘲笑った。
「どっかのじいさんが退屈しのぎに連れ込んだんじゃねえのか?」
「じゃ、代官の爺だろ。あの船に乗ってたんだから」
「イロに恰好つけたとこ見せようと思ったんだろうぜ」
また笑い声が上がった。

彼等はあまりにも荒っぽく長の命令さえ聞かず、扱いきれない無法者として瀬戸の海賊内から追い出された連中だった。若くて勢いがあり、自分達は誰にも負けないと、根拠もなく信じていた。
元々島にあった小屋に手を入れて住まいにし、戦利品をごっそり貯め込んで、時には離れた場所の遊里に遊びに行き、口うるさい年長者の下から離れたことを純粋に楽しんでいた。
「なあ、頭。こいつ、人質にしたら、あの代官の爺、身代金よこすんじゃないのか?」
「そうかもなぁ」
頭と呼ばれた男が、意識のない蛇骨を見下ろしながら、ニヤニヤと言った。
「身代金はともかく、もしも俺達を討伐するなんて言ったらこいつを殺すと言ってやろうか。そうしたらどうするかね、こいつを見捨てると思うか?」
「さあな、色子の代わりなんているだろうし」
女ではないため、海賊達は蛇骨に関心を失ったようだった。
ただ、物珍しい恰好をした、芸人か何かだと思った。
「まあ、いい。繋いでおけ」
気を失ったまま、掘っ建て小屋に放り込まれた蛇骨の右足首に、鉄の鎖がつけられた。


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焙烙火矢←今風に言えば手榴弾みたいなもの?火薬を詰めた容器に点火して敵に投げつけ、火災を起こす武器


 
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