◆ 名前も知らず 後 ◆


 
「篝火がすげえな」
小舟に乗り込んだ蛮骨が、真昼のように明るくなった浜を見て感心したように言った。
「人質に逃げられたんで、警戒してるんだろうよ」
そう答えつつ、煉骨が大筒の具合を確認している。上陸する前に撃ち込んで、敵の度肝を抜こうという戦法だ。
その後に続くのは、やはり小舟に乗り込んだ代官所の捕り方達。そっちには霧骨と睡骨が乗っていた。
蛮骨は、代官の船を見上げた。そこには浜の見張り役として凶骨と銀骨、そして後に残されることになったふくれっ面の蛇骨がいる。
蛮骨はきつい声音で言った。
「凶骨、蛇骨が勝手なことをしないようによく見張ってろよ」
「判った、大兄貴」
答える凶骨の隣で、蛇骨は蛮骨に向かって思いっきり舌をだした。そしてぷいと背を向ける。
煉骨が「ったく、ガキみたいな事を」と呆れている。まったく気にした風もなく、蛮骨は漕ぎ手に合図を送った。
船は音もなく夜の海を進み始めた。
浜では篝火の明かりを頼りに見張り番が海を見ている。彼等の視界に海流にのって殆ど一直線に島に向かってくる小舟が入った。
動きが忙しくなる島の連中に、蛮骨は口の端だけで笑いながら手を挙げた。
煉骨が肩に担ぎ上げた大筒が火を噴き、繋がれていた海賊の船で大きな火柱が上がる。
慌てふためく男達の間に、準備してあったもう一つの砲筒が撃ち込まれる。
小舟が砂浜に乗り上げると同時に飛び出した蛮骨は、右往左往する男達のど真ん中で蛮竜を振るった。血煙が砂浜を赤く染めた。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


浜から聞こえる轟音と鬨の声に、海賊達が一斉に小屋から飛び出してきた。
だが、殆ど斬り結ぶ間もなく海賊達は引き裂かれ、または毒の煙に息を詰まらせ、次々と倒れていく。
蛮骨は霧骨に言った。
「あんまりきついやつは使うなよ、捕り手もやられちまう」
「はあ、面倒くさい」
霧骨は集落の端の方に向けて毒煙の詰まった玉を放り投げた。
弓で狙いを付けていた男達が、ふらふらと倒れる。
蛮骨は浜から高台へと続く登り口の付近まで進むと、飛びかかってきた男共を蹴散らし、捕り手を先に進ませた。この先には首領の住まいがあるのだと言う。
「あの連中だけを行かして、いいのか?」
「代官さんが、首領を捕らえるのは自分の手勢にやらせたいって言うんだから、いいんでないか?」
「……それにしても、代官の話よりも人数が少ない」
「おっかながって、勝手に話をでかくした、ってとこだろうな」
煉骨の疑問に、蛮骨は面倒くさそうに答えた。彼等から見たら、どれだけ危険で粗暴な海賊連中も、しょせん田舎の暴れん坊だった。
とはいえ、実戦経験を殆ど持たないこの辺りの武士もどきなら、恐ろしい武装大集団に思えたのだろう。怖れて怯えて、実像以上の敵だと思い込んだ善良な代官が七人隊を雇い入れたのが、ここの海賊連中の不幸だった。周辺の不格好な捕り手の姿を眺めている蛮骨の背後から、太刀を持った海賊が奇声を上げて討ちかかってくる。それを鉾の柄で無造作に叩きのめし、蛮骨はぼそっと言った。
「ガキのおイタにしちゃあ、きついお仕置きになっちまったな。ま、仕方ねえか」


小屋から外に出た頭とその取り巻き達は、侮っていた代官達の攻撃のすさまじさに足を竦ませた。
船の殆どは燃え上がり、浜に下りて迎え撃つ間もなく倒れている部下達の姿が坂に点々と浮き上がる。
槍を持った代官所の役人達が、こちらに向かって駆け上ってくるのを見て、男達は刀を抜いた。
戦いながら坂の下を覗いた頭は、そこで戦っている男達を見て背筋がぞっとするのを感じた。無敵だと思っていた自分の手下達が、虫が踏みつぶされるよりもあっさりと倒されていく。
海賊達が自分達の浅はかさを思い知るのに、そう時間は掛からなかった。
思い知ったところで、もう取り返しはつかなかったのだが。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「あーあ、つまんねぇの」
船の舳先で蛇骨は呟いた。流れ矢を防ぐための板を前に立て、その後ろでゴロゴロしながら、蛇骨はぶつぶつと愚痴る。
「せっかく、戦に間に合うように戻ってきたのに、結局出られねぇって、どういうことよ…ったく、大兄貴のいけず!」
他の面々は今頃気分良くやってるんだろうなと思い、蛇骨は情けない顔つきになった。船の周りには生け捕りにされた海賊達が繋がれ、水夫が死体を集めて、その間を代官が走り回って顔を調べている。まだ首領は見つかっていないらしい。蛇骨は退屈を紛らすように、浜の端までぐるりと視界を巡らした。ふと、篝火の影を走る男の姿が目に入った。一瞬見かけた髪の赤茶色。間違いなく、自分が出会った男だった。
「おい、凶骨!」
蛇骨は船から身を乗り出すと、弟分にあたる大男を呼んだ。男は膝まで海に浸かりながら、蛇骨の処へやってきた。
「おい、手をかせ!あっち、逃げたヤツがいる!」
「どっちだって?」
愚鈍な風に問う凶骨にイライラしながら、蛇骨は浜の端を指差した。そっちには彼が連れ込まれた掘っ建て小屋、そして船が隠してある洞穴がある。
「逃げる気だ、おい、手をかせって」
「蛮骨兄貴に、うろうろさせるなと言われてる。おれが行くから――」
蛮骨の命令を盾に1人で行こうとする凶骨を、蛇骨は一喝した。
「うるせぇ、ウスラバカ!つべこべ抜かしてると、おれがてめえの首を叩き落とすぞ!」
蛇骨の剣幕に言い争う気をなくしたのか、凶骨は大人しく手を伸ばした。大男の右肩にどっかりと偉そうに座り込み、蛇骨は行き先を指差す。
「あっちだ」
凶骨は水を掻いて歩き出した。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

男は焦っていた。まさか、ここの代官が此処まで徹底的に自分達を殲滅させる気だったとは思っていなかった。あの妙な形の男を捕まえた意趣返しだろうか?あの男はどこへ隠れたのだろう。島の外に逃げ出したとは思えないから、早めに見つけだしておけば盾代わりに仕えたのに、と今更ではあるが対応の遅さを後悔する。今まではなんでもなかったのに。全部上手くいっていたのに、どうしてこんな事になってしまったのだろう――そう、男は胃の賦がきりきりと締め付けられるのを感じながら思った。
洞窟の中に隠していた松明に火をつけ、持ってきた銛を小舟に投げ入れると、とも綱を外して船を海に押し出そうと力を込める。その時だった。男は声を上げて後ろに跳びすさった。突然横合いから伸びてきた物が、小舟を真っ二つに叩き割ったからだ。

「よう、色男。1人で逃げる気か?」
男は声にびくりとし、そっちを見る。星明かりに浮かんだのは、見上げるほどの巨大な男と、その肩にのって大きな刀を肩に担いでいる人物の影。
男はその刀を持っているのが、さっきまで考えていた逃げられた相手だと知って声を無くした。
「……何だ、てめえ…その得物は…お前いったい…?」
蛇骨は答えずに、にやりと笑った。その顔に恐怖を感じたのか、男は咄嗟に手にした銛を投げつけ、同時に海に向かって逃げ出した。
「逃がさねえって」
蛇骨は笑いながら蛇骨刀を振るった。銛がたたき落とされ、さらに伸びた刃は男の両足にからまる。前のめりに倒れ込む男から、蛇骨は僅かに捻りを入れながら蛇骨刀を引き戻した。甲高い悲鳴が上がった。
男の右足首から先が切り落とされたのだ。
傷を抱えて逃げる術を失い砂浜を転げ回る男を見て、蛇骨は凶骨の肩から滑り降りる。そして、「お前、邪魔が入らないように見張ってな」と大男に告げた。凶骨は蛇骨にまた怒鳴りつけられるのが嫌だったのか、すぐに洞窟の外に消えた。

蛇骨は足を引きずりながら男の元へ行った。傷口を押さえ、脂汗を流した男は涙を流しながら後退る。
「よう、痛そうだな。でも、俺も右足痛いんだ。お互い様だよな」
笑いながら蛇骨は白布で固められた右足を見せた。
「てめえがつけてくれた足枷から抜ける時にやっちまってよう。ま、これはいいさ、捕まっちまったのは、おれがドジ踏んだ所為だから、それはしょうがねえよな」
そう言いながら、洞窟の際まで逃げた男の前にしゃがみ込む。
「でもさあ、てめえ、おれのこと、『つまんねぇ』って言ったよな。勝手に乗っかってきてさ、さんざん1人で楽しんでたくせに、つまんねぇって、それはちょっと聞き捨てならねぇと思わないか?ん?」
にやりとしながら、蛇骨は同意を求めるような口調で言った。男は無言で何度も頷く。蛇骨は不服そうに赤い唇を歪ませた。
「思ってる?思ってるのに、ただ頷くだけってのはさ、ちょっと誠意が足りないよな」
蛇骨刀が僅かに動き、男の鼻先が切り跳ばされ、男はまた悲鳴を上げた。
「どうすれば…いいんだ」
男の小生意気な顔の下半分が血と涙でぐしゃぐしゃになっている。蛇骨は満足げに目を細めつつ、考える顔をした。
「そうだなぁ、おれの事、様付けで呼んで土下座したら、見逃してやっても良いかなぁ」
「……名、名前をしらん!」
男がせっぱ詰まった口調で叫ぶ。初めてその事に気が付いたような顔つきを蛇骨はした。

「そういえば、そうだったけ?おれ、名乗ってなかったっけ」
「し、知らない。だから、教えてくれたら…」
「てめえ、名前も聞かなかったくせに、人の身体だけ楽しみやがったな?」
蛇骨の口調が一変する。面白がっていた風なのが、急に冷ややかになり抑揚もなくなる。その凄みに、男は足の痛みも忘れて頭を砂にこすりつけた。
「悪かった!だから、謝る!気が済むまで謝るから!」
「名前を様付けで呼べって言ったろ?十数えるまでに、俺の名前を呼びな?まずはひとーつ」
「だから、教えてくれ!名前を教えてくれ!」
男は必死になり、半ば狂ったように喚いた。
「ふたーつ、みーっつ」
蛇骨は淡々と数を数え続ける。
「よーっつ、いつーっつ」
「頼む、教えてくれ!教えてくれ!」
「むーっつ、ななーっつ」
ここでぴたりと蛇骨は数えるのを止めた。思案げに海の方に目を向ける顔に、男は蛇骨が気を変えてくれたのかと僅かに希望を込める。
男は固唾を飲んで、蛇骨が次に何を言うのかと耳を澄ませた。
蛇骨は男に顔を向け、そして、けろりと言った。
「次、何だったっけ?忘れちまった。でも、まあいいや」
静かに立ち上がり、舌なめずりして自分を見下ろす蛇骨に、男は死人の顔付きになる。それを見ながら、蛇骨は赤みを増した唇を開いた。
「もういいや、お前と遊ぶのも飽きたし。だって、お前、つまんねぇからさ」
そう言ってにっこりと笑う顔は、無邪気で、そして優しげだった。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


海賊達の掃討は殆ど終わっていた。船は全て燃やされ、山の方に逃げようとした連中も凄まじい追撃に殆ど戦意を失い、気の回る者達だけが役人に縋って命を長らえた。捕り手側からも数人の負傷者が出たが、敵方の被害を考えたら無いに等しいほどだ。代官は、生存者や死者の顔を改めながら、混乱したように呟いた。
「頭がおらん…に、逃げられたのか?」
「そっち担当は、あんたの手下だろ?おれ等は自分の仕事はこなしたぜ?」
「頭がおらん、これでは、わしはお殿様に顔向けがたたん、ああ、どうしたら」
頭を抱える代官に、蛮骨はげんなりしながら船に目をやった。「待っていろ」と言って置いたはずの蛇骨の姿がない。砂浜にいた水夫の話によると、急に大男を呼び寄せてどこかに行ってしまったらしい。
(まったく、勝手なことばっかりしやがって)
蛮骨は小さく息を吐いた。まあ、凶骨も一緒なら、その辺で流れ矢に当たってくたばってる事もないだろう、と考える。

意気揚々とした声が聞こえた。
「おーい」
凶骨の肩に乗った蛇骨が、機嫌良さそうに手を振りながら戻ってくる所だった。
「おい、おれは大人しくしてろって言ったはずだがな」
むっつりと蛮骨が言うと、凶骨は怯えた風になったが、蛇骨はにこにこしながら手にぶら下げた包みを差しだした。着物の袖とおぼしき布地から、黒っぽい血が滴り落ちている。
「逃げようとしてたのを見つけたんでさ、追いかけてたんだ」
蛮骨が包みを開けると、その中を覗き込んだ代官が歓声を上げた。
「こ、これは、頭じゃ!見間違いようもない、この赤茶の髪!間違いなく、これが首領の首じゃ!」
「こいつ、首領だったの?」
蛇骨はきょとんとして聞いた。
「そうじゃそうじゃ、こいつが頭じゃ!」
小躍りせんばかりに喜ぶ代官に、蛮骨は蛇骨を咎める気がなくなったようだ。包みを抱えた代官がその場を去ると、呆れ顔でじろりと見上げる。蛇骨は僅かに後ろめたそうな顔になった。

「……命令違反じゃないよな?誰も逃がしちゃいけなかったんだろ」
「誰かに言って捕まえさせりゃ、それですんだだろ?」
ぴしゃりと言われた蛇骨は肩を竦ませる。
「……だって…」
もごもごと言い訳する相手に、蛮骨は苦い顔で言った。
「煉骨が言ってた。骨は一度やると、癖になりやすいってな。きっちり治しとかねぇとまずいから、動くなっていったのに」
「あ……」
自分の身体を心配した上での言葉だったのかと、蛇骨は初めて思い当たったようだ。
「ごめん、おれが馬鹿曝して捕まったりしたから、それで怒ってたんだと思った…」
「まったく、ばーかだな」
「ごめん」
蛇骨は凶骨の肩の上で小さくなる。椅子代わりになりながら一連の遣り取りを聞いていた凶骨は、目のやり場に困ったような顔つきで、なぜか頬が赤い。
「ま、いいや。もう引き上げだ。先に船に乗ってな」
蛮骨に言われ、凶骨はそそくさと海にはいると、舷側に手を掛けた。その手を足場代わりにして、蛇骨は船に乗り込みかける。
「おい、あの首だけの男と何か因縁でもあったのか?」
ふと思いついたように蛮骨は聞いた。男の顔につけられた不自然な傷に、蛇骨が戦に出ることに拘ったのは、あの男に何か返さなくてはならない借りでもあったのかと思ったのだ。
よっこらしょ、と船に乗り込み、手すりに腕をかけた蛇骨は蛮骨を見ながら答えた。
「別に、何もねえよ。だって、おれ」
蛇骨はにんまりと笑った。

「あいつの名前も知らねぇもん」


 
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