◆ 願い事 前◆


 
梅雨の季節、久々の晴れ間だった。田んぼは苗が青々とし、林も瑞々しい色に輝いている。
その日、蛇骨は浮かれていた。
真新しい着物を纏い、それこそ踊るような足取りで歩いていた。
町から城内の住まいまではけっこう距離があるが、それも気にならない。
鮮やかな藍の綿の着物。麻ではこの色はでない、お客様は買い物上手だと褒めちぎる仕立屋主人のお世辞を真に受け、代金の他に大枚の心づくしを置いてくるほど機嫌が良かった。浮かれながらも、ぬかるみを避けて、泥が跳ね上がらないように気を遣うほどに良い出来上がりだ。

(さーてと…煉骨の兄貴にでも自慢してみるか…っても、どうせ、うるせーって怒鳴られて終わりだろうな)
気分がいいから、この所ずっと誘いをかけてた家老につきあってやるか。色ボケじじぃもたまになら味があっていいかも知れない、などと浮かれきって歩いてる蛇骨の横を、やたらと跳ばした馬が駆け抜ける。
当然、ぬかるみを避けるなどということはない。機嫌良く鼻歌交じりだった蛇骨は、いきなり右半身に泥を被る羽目になったのだ。
一瞬、何が起きたのか判らなかった。数瞬後、蛇骨は泥の飛沫だらけになった着物を見て、烈火のごとく怒り出した。

「てめえ、まちやがれ!」

馬を追いかけようとして、裾をからげた蛇骨だが、その必要が無いのはすぐに分かった。馬を暴走させていた騎手は道の少し先で振り落とされ、頭を抑えて地面にへたばっていたからだ。
「てめえ、この野郎!逃げようとはふてえヤツだ」
蛇骨はその男の首根っこをひっつかんで引き起こした。笠を被り、いかにも育ちの良さそうな顔の若い男は顔を顰め、いきなり怒鳴りつけてくる蛇骨の顔をぼんやり見ている。
少しの間自分に起きたことを確かめるように黙っていた男は、急に蛇骨の手を払うと大きな声を出した。
「わしに構ってはいけない!速く逃げるんだ!」
「はあ?」
「お前の身にも危険が及ぶ!わしに近付いてはいけない」
男は引きつった顔で叫びながら、蛇骨の背後を凝視している。林が揺れた。木々の間に伸びる細道から、数頭の馬に乗った男達が現れたのだ。

男達は蛇骨と笠を被った男の前に来ると、2人を見下ろしながら口早に何かを言い合っている。
「……なんだぁ?こいつら」
緊張感無く蛇骨が呟く。馬に乗った男のひとりが、横柄に蛇骨に言った。
「おい、そこの小僧」
「はあ、おれの事か?」
自分を指差しながら蛇骨がきくと、男は横柄な口調のままで言った。
「お前だ、今すぐここから立ち去れば命だけは助けてやる」
「はあ?」
蛇骨は顔を顰めた。すぐに不快感がわき上がった。
「てめえらが何だか知らねーけどよ、こいつには俺の方が先に用があるんだよ」
怖れげもなく言い返すと、笠を被った男の方が驚いたようだった。後を追ってきた男達がそれぞれ刀を抜くのを目の当たりにし、蛇骨を庇うように前に出る。
「お前達、この者はわしとは関係ない!黙って行かせてやれ」
「……人を無視して、何を恰好つけてるんだ、お前…」

蛇骨はポカンとした。馬に乗った男たちの方は、そんな男の言い分に感心する様子もなく、鼻で笑う。
「かまわん、2人ともやってしまえ」
言うなり男達は馬から下り、2人に突進してきた。呆れたことに笠を被った男はまだ蛇骨を逃がそうというのか、その男達の前に両手を広げて立ちふさがる。心底呆れた蛇骨は乱暴にその男を横に突き飛ばした。
「お前、本当にアホかっての」
鋭く蛇骨刀を抜くと、殺到してくる男達に向かって振り下ろす。蛇のように撓る刃が、一気に男達の身体を薙ぎ祓い、血煙が噴き上がった。
最後尾にいた男1人だけが最初の一刀を逃れた。そいつは蛇骨の刀に度肝を抜かれたらしく、さっきまでの人を侮った態度はどこへやらで、暴れる馬の背に乗って逃げようとしている。
「逃がさねぇっての」
蛇骨は笑いながらもう一度刀を振るった。狙い澄まして投じられた先端の刃が、あっさりと男の首だけを切り落とした。
「ザマアミロって。このおれ様を小僧っ子呼ばわりするからだよ」
気分良く蛇骨は笑った。気分が良すぎて、なぜ自分が連中とやり合うことになったのか理由を忘れかけるところだった。一連の様子を尻餅を付いたまま見ていた男は、蛇骨の手際によほど感銘を受けたのか、それこそ感動の面もちで言う。
「なんとまあ、素晴らしい。これほどの手練れを見たのは、初めてだ」
「え、そうか?」
誉められて、にへらっと相好を崩しかけ、そこでようやく蛇骨は事の発端を思い出した。袖を引く手を払い、改めて胸ぐらを掴むと、顔を近づけて怒鳴った。

「てめえ、この着物どうしてくれる!麻じゃねえぞ、木綿だぞ、綿!古着じゃねえぞ、新品のおろし立てだぞ!わかってんのか?心付けまで置いてきたんだぞ!」
がんがん頭を前後にふられ、早口でまくし立てられ、男は目を白黒させた。
「き、着物?わしがどうしたと?」
「寝ぼけた事いってんじゃねえ!さっき、てめえが馬で泥を跳ね上げたんだよ!」
「……ああ、それはすまなかった」
男はあっさりと納得すると、これまたあっさりと謝罪の言葉を口にした。
「あいにくと今は金子の持ち合わせがない。わしの館へ来てくれれば、新品は無理かも知れないが、代わりの着物を用意できるだろう」
「はあ?てめえの屋敷?」

相手の察しの良さに、逆に蛇骨はうさん臭げになった。あまりに物分かりがいい相手はとりあえず疑ってみる事にしている。だがどれだけ相手の顔をじろじろ見ても、どうしても人のいいおぼっちゃんにしか見えない。蛇骨はとりあえず男の申し出を了承した。
「じゃあ、お前の屋敷とやらに行ってみようじゃないか。ただし、人を騙しやがったら、ただじゃあ、おかないからな」
「そなたの腕の冴えを見ていて、その上で騙そうなどという愚か者はおらぬよ」
男はにこりと笑って立ち上がった。転んだ時についた着物の埃を払いながら、城の方向にむかって指差しし、「わしの住まいは城のすぐ近くだ」と言う。
どういう素性なのだろうと怪しみつつ、蛇骨は並んで歩きだした。少し進んだところで前方から馬蹄の響きが近付いてきた。

「若さまーー!」
いちばん前の馬に乗っていた老人がそう呼び掛ける。すると男が手を振って「じい、ここだ」と合図した。
「お前、若様なのか?」
「一応、そう呼ばれておる」
その男の屈託のない顔に蛇骨は唖然となる。似合っているようで似合っていないようで何とも微妙な雰囲気だ。こんなぽやんとした面つきの当主なんて者がいたら、仕えている方はさぞかし気が抜けないだろう。常に気を配って見張っていなくては、いつ誰に騙されるかわかったものではない。
にこにこしている男の顔を眺めていると、「蛇骨!」と呼ぶ声がした。
「大兄貴、煉骨の兄貴も」
老人の後から、蛮骨と煉骨も現われた。
「お前、なんでここに居るんだ?」
蛮骨が不思議そうに言う。蛇骨が答えるより早く、男が答えた。
「わしが不審な者共に襲われているのを助けてくれたのだ。命の恩人ゆえ、礼をしたいと、屋敷に案内する途中であった」
「命の恩人?」
今にも吹き出しそうな顔つきで蛮骨が繰り返した。何だか気恥ずかしい気分になった蛇骨はぶっきらぼうに答える。
「たまたまだよ」
「ま、いいか。お手柄だったな、蛇骨。そいつらはどこだ、逃げた奴はいるのか?」
「あー、襲ってきた奴は全員片付けた。隠れて様子を伺ってたのがいたら判んねえけど」
蛇骨は背後をふりかえって指差しをした。その場からでも数人の男が倒れているのが見て取れる。
「煉骨、連中の死体を検めておいてくれ」
頷いて煉骨は数人の供侍をつれて死体の方へといった。いつになく物々しい雰囲気の蛮骨に、少し蛇骨は不安そうになる。
「おれ、まずい事した?」
「いや、お手柄だって言ったろ?おれたちは先に戻ってようぜ」
「戻るって」
「わしの館だ」
用意された馬にまたがった男が、人なつっこい顔で笑いながら言った。


男の屋敷は城門の手前、別れ道から広がる竹林を切り開いた一画にあった。さほど大きくはないが贅沢な作りで、なかなかに風情がある。
男は客人を招いたようにいそいそと蛇骨達を中に案内すると、さっそく下男に命じて着物の入った長持ちを出してこさせた。
「そなたの気に入るものがあるかどうか判らぬが、ゆっくりと選ぶがいい。何枚でもかまわないゆえ」
長持ちに入っていたのは、絹物ばかりだった。気前のいい男に驚きながらも、蛇骨は着物にさっそく夢中になる。いちいち歓声を上げながら長持ちの中をあさる蛇骨に蛮骨や老臣が呆れていると、男がこっそり蛮骨を手真似いた。
そして、内緒話をするような顔つきで、一つの提案を持ち出したのだ。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「蛇骨。お前、明日から、今日会った若様付きだ」
「はあ?」
城内に用意された住まいに戻ったところで蛮骨にそう言いだされ、蛇骨は頓狂な声を出した。
「あの若様はここの殿さんが昔世話になった主君筋の庶子なんだそうだ。で、ごたごたがあってここで庇護してるって事だ」
「それとおれが若様付きになるのと、どういう関係があるんだ?」
「若様、お前のことが気に入ったんだと。することもなく無聊を囲ってるから、話相手が欲しいんだと」
「話相手ぇ?だったら、煉骨の兄貴とかの方が適役じゃん」
「お前、着物を柳行李(やなぎこうり)一つ分貰ってきただろ」
不満たらたらで嫌そうな顔の蛇骨に、蛮骨はずばりと言った。
「あれ、報酬の前渡しだとさ」
「前渡しって、あれは、あいつが駄目にした着物の代わりじゃん」
「綿物一枚と、絹物山盛りじゃ、どう考えって釣り合いがとれねぇな。差の分だけ、仕事してもらうって事だろ」
「きったねー、あいつ、好きなだけ持ってけって言ったくせに」
そんな下心があったのかと喚いたところで後の祭りだった。蛮骨は嫌がる蛇骨に余計におかしそうになった。
「別にいいじゃん、話によると、相当大人しい若さんだって言うし、面倒臭くなったら昼寝のふりでもしてりゃいいだろ」
「んなこと言ったって」
あんないかにも育ちのよさそうな男と何の話をしろというのだろう。想像もつかない。
「んじゃ、着物返すか?」
「それは、いやだ!」
ぶーっと膨れっ面になる蛇骨に、蛮骨は言った。
「そんな面するなって。そうだ、一ついいこと教えてやろう」
「いい事ってなんだよ」
「あの若さんは名前が『春信』ってんだそうだ。遠慮なく名前で呼んでくれとさ」
蛇骨は一瞬きょとんとした。ついで盛大に喚いた。
「そんなの、ちっともいい事なんかじゃないっての!」

いくら喚いても、どうしようもなかった。 こうして蛇骨は着物と引き替えに、貸し出されることになったのだった。


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