◆ 眠りの底から 前◆


 

視界を塞ぐように、どこまでも続く重なり合う枝。
密集した森の見通しの悪さに癇癪を起こした蛇骨は刀を振るった。
派手な音を立てて枝や葉が落ちる。音に驚いた鳥や小動物が木から木へと逃げまどう。自分でたてておきながらもその騒ぎにイライラを募らせ、蛇骨は左の太股に手をやった。そこに根本から折れた矢が突き刺さっている。
鏃を抜いていないので出血自体はさほど多くはないが、傷口に盛り上がった肉が鏃を体の中に包む込むような状態になっている。
これを抜こうと思ったら、肉を切り裂かなければならない。
蛇骨はちっと唾を吐いた。
しくじったものだ――そう腹立たしく思う。

蛇骨はこの森の向こうの平原での戦に出ていた。
いつものように先陣をきり、乱れる前線を気持ちよく駆け進んだ。
そして敵陣深く入り込みすぎたのだ。
撤収の合図のホラ貝を聞き逃し、仲間の姿が見えなくなったことに気がつき轡を返しかけたところで、足に矢をくらった。
かろうじて戦線離脱は果たせたものの馬をやられ、結局徒歩で山の中に逃げ込む羽目になった。追っ手が来る様子はなかった。
(ま、おれを追いかけるどころじゃねぇだろうしな)
と蛇骨はひとりごちる。
そんな余裕はないだろうし、例えあったとしても、蛇骨のあの死に神のような戦いっぷりを見ていたら、好きこのんで追いかけてくる者もいないはずだと思った。

(それはともかく、まずいな…)
蛇骨はしびれて感覚が無くなりつつある太股を見た。
とにかくどこかに落ち着いて、この鏃を抜かなくてはならない。傷を洗う酒、などと贅沢を言う気はない。せめて水が欲しい。
(ちくしょう、ザクロ粉も落としちまった)
帯につけていた小物入れの袋を落としたことが、むやみやたらと腹が立つ。別に対して貴重な物が入っていた訳でもないのに。
嫌な汗をかいているのが判った。思っていたよりも、矢は深く刺さっていたのかも知れない。ふらりとして足が滑った。つんのめるようにして身体が木の間に転がる。
あ、と思った。すぐに止まると思った身体は転がり続けている。
崖を落ちているのだと気が付いた瞬間、なんとか腕を伸ばして斜面から突き出していた木の根を掴んだ。
ほうっとして下を見ると、地面が近い。思ったほど高い崖ではなかったようだ。残り僅かな高さを滑り落ちると、人が踏みしだいたような跡が見つかった。上ほど木も密集しておらず、ひょっとして近くに里があるのではないかと思った。
じきに日が暮れる。夜になる前に、どこか休める場所を見つけたい。
蛇骨は足を引きずりながら跡をたどる。ほどなく小さな小屋が見つかった。

(人がいるのか?)
覗いてみると、中は半分ほどが土間で囲炉裏が切っており、残り半分は板の間で壁や屋根の梁にはたくさんの草が逆さにぶら下げられている。
水瓶を見つけ、杓子ですくって飲んだ。少し落ち着いたところで改めて小屋の中を見回した。壁際に小さな擂り鉢や、臼のような物がある。
薬師か呪い師の住まいなのだろうか。つんと鼻につく臭いから、干されてある草は薬草だろうと見当をつける。
血止めはあるだろうか――蛇骨は足を引きずって板の間に汚れた草履のまま上がり込んだ。普段は感じない蛇骨刀の重さが辛くて手から落とす。
(ちきしょう)と自分を罵倒した。
(この蛇骨様が、雑兵の矢一本でひっくり返ってたまるかっつーの)
がたんと外で何かが落ちる音がした。億劫そうな動作で振り向くと、若い男が背の籠を落としたまま立ちつくしている。

不細工とは言わないが、実直そうな面白みのない顔つきだ。髪をきちっとまとめ、整った着付けの仕方は木こりの類には見えない。男は強ばった顔で誰何してきた。
「お前は誰だ?」
「野盗じゃねえよ」
蛇骨は鬱陶しそうに言って男の方にふらりと近付いた。男はびくりと体を震わせると、後退る。
「てめえ、薬屋か?」
男は、疲れと痺れで目を怒らせている蛇骨に怯えたのか、無言でじりじりと後ろに下がるだけだ。
「追い剥ぎでもねぇよ」
「この山の向こうで戦があったと聞いた……落ち武者か?」
男は声を絞るように言った。
「違う。この国の殿様に雇われたんだよ」
「……本陣は隣の里の寺だと聞いた。どうしてこんなところへ」
「くどくどうるせぇんだよ!戻り損ねちまったんだっつーの!」
怒鳴りつけた瞬間、目の前がくらりとくる感覚があった。蛇骨は重ねて聞いた。

「てめえは薬屋かっての、血止めがあったらよこしやがれ」
「ケガをしているのか?」
怯えていた男が急にはっきりとした顔つきになった。蛇骨は裾をめくって傷口を見せる。
「手当てしたら出てってやるから、薬があるなら早くだせって」
「私は医者だ」
男はまだ怯えた風ではあったが、そう言って蛇骨の側にやってきた。
「周りを切らなければ、鏃が取り出せない」
「判ってるっての」
傷口を見ている男の顔色の悪さに、蛇骨は不審の顔をした。これくらいの傷に怯えているなんて、インチキ医者かと思う。
男は青い顔のままで薬や白布を用意し、盥に水を汲み、灯りをつけ、てきぱきと手当の準備を整えた。だが蛇骨が感心したのもつかの間、いざ、小刀を手に傷口に向かい合うと、男はまた脂汗を流して蛇骨本人よりも具合が悪そうになる。
「あんた、本当に医者?」
ぶしつけな問いに、男は息を飲み込み、掠れ声で呟く。
「……すまぬ…私は血が怖くて…いや、そんな事を言っている場合では」
頭を振り、言い訳するような男から、蛇骨は小刀をひったくった。
「自分でやるから、お医者先生は後ろ向いてな」
そう言って躊躇わずに傷口を一文字に切る。流れ出る血に吐き気を覚えたのか、男はえづきながら口元を抑えて後ろを向く。
蛇骨は顔を顰めたまま、肌の中に食い込んでいる矢の根本を掴むと、一気に抜いた。血が弾けるように流れ出す。痛みに顔を歪め、その血まみれの鏃を放った。足下に落ちた赤い金属に驚いた男が飛び上がる。男がおそるおそる振り向くと、怪我人は血があふれ出す傷口を水で洗い流しているところだった。
床に敷いた筵に血と水が染みこむ。
男は口を押さえて大きく喉を鳴らし、こみ上げてくる吐き気をなんとか押さえ込んだ。
硬い動きで怪我人の側にくると、無言で薬草を取り上げ、白布を巻いて手当の続きを引き受ける。冷ややかな蛇骨の視線が辛いのか、目をそらしながら「すまぬ」と何度も呟いた。

「すまぬ。情けない医者だ」
「別にいいや、その辺のインチキ医者よっか手つきはマシだし」
そういうと蛇骨は立ち上がった。ふらりとした足取りで土間に下り、放り投げたままだった蛇骨刀を拾い上げた。出ていこうとする蛇骨に、男は驚いたようだ。
「おい、どこへ行くんだ」
「帰るっての。薬代払えってんなら、あんたがさっき言った本陣に取りにきな。『蛇骨』ていやー、判るだろうからさ」
「薬代はいい、だが、お前は……」
「俺がなんだっつーの」
引き留められることに苛つき、怒鳴ったとたんに蛇骨は視界が回るのを感じた。

(……あれ?)
男がこちらに駆け寄ってくるのが歪んで見える。
それきり蛇骨は意識を失っていた。



甲高い子供の声で目が覚めた。
連子窓から日が差している。蛇骨はそっと半身を起こした。
見覚えのある小屋の奥で蛇骨は寝かされていた。多分医者の男の物だと思われる小袖が掛けてあった。
体を動かすと、左足が痛んだ。太股から爪先にかけて軽い痺れも残る。
立ち上がって外へ出ようと起き上がりかけたところで、医者が戻ってきた。手には野菜の入った籠がある。
「里の子供が、家人のための薬草を貰いに来たのだ。これはその礼だ」
医者は柔らかく微笑むと、囲炉裏の上の鍋に屈み込んだ。
「粥くらいしかないが、食べないと治りも遅くなるゆえ。お前は丸一日眠ったきりだったのだ」
粥の入った椀を蛇骨に渡しながら、医者は重ねて言う。
「傷を負ってから動き回ったのと、あと森をくる間に汚れたのが悪かったのだろう。だいぶ熱があった。もう少し休まないと、動くのは無理だろう」
薄い雑穀の粥をすすりながら、適当に医者の説明を聞いていた蛇骨は、皮肉っぽく聞いた。
「で、お医者様は俺が治るまで面倒見てくれるって?」
「怪我人を放り出すわけには行かぬ」
「ふーん」
蛇骨はちらりと外に目を向けた。さっきの医者と子供の話の内容はすっかり筒抜けだった。医者は里の子供達の人気者で、おそらく来る度に薬草の見分け方など色々教えていたらしい。いつものように中に入ろうとする子供達を必死で宥め、帰るように言っていた狼狽えた声が笑えるほど滑稽だった。

「なんでさ、ガキ共を小屋に入れなかったんだ?」
「え?」
ぎょっとする医者の顔に、蛇骨は小馬鹿にするような顔で笑った。
「可愛いガキ共をさ、おれみてぇなやつに会わせたくなかったんだろ?」
人の良い医者の顔が、自分を責めるように歪んだ。
「私は戦も、戦をする者も嫌いだ」
「ま、そうだろうさ」
そんな事は最初に蛇骨を見た目で判っていた。まるっきり厄介者を見る目だ。蛇骨はそういう目で見られることに慣れていた。町の真っ当な家に育った世間知らずの坊ちゃん嬢ちゃんはもちろん、世慣れた商人でさえも後ろを向いて厭う顔つきをする者がいる。
『戦で勝利をもたらしてくれるのはありがたい、でも、関わり合いになりたくない。
奴らは金で戦を請け負う人殺しだ。いつ、自分達にも襲いかかってくるか判らない。くわばらくわばら』
その考えは見え見えで、今更腹が立つこともない。

「嫌いな野郎でも、怪我人を放っておけないってか?医者ってのは難儀だな」
揶揄する蛇骨の言葉に、若い医者は傷ついた顔を背けるだけだった。



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ザクロ粉ってのは、生石榴の皮を乾かして粉にして作るもので、江戸時代の陰間さん達が肌を綺麗にするために使っていたという化粧品みたいなもんです。実際に戦国時代に使われていたかどうかは不明です。雰囲気で蛇骨さんに持たせてみました。


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