◆ 流転 1 ◆


激しい陣太鼓の音がする。
戦は味方の大勝利だったようだ――睡骨はそう考えた。
こっちも引き上げ時だ。自分の周りにあるのは、敵兵の血みどろの屍ばかり。
味方からも離れ、見回せば彼は森の入り口付近に1人でいて仲間の姿もない。
戻ろうと引き返しかけた、その時だった。少しはなれた茂みの中を、ひっそりと動く兜の飾りが見え隠れする。
味方武将のものではなかった。

――帰りがけの駄賃だな。

睡骨はそうほくそ笑むと、大股で茂みに近寄りいきなりかぎ爪を振るった。
ぱっと血が飛び散り、低く声があがる。重い音が地に倒れ込む。
睡骨が茂みに踏み込むと、倒れた武者が傷口を手で押さえながら、青ざめた顔を向けた。
まだ12.3才ほどの年頃の少年――真新しい鎧を纏い、腰に差した刀の柄をまいた絹糸は汚れ一つない。
かなり上級武将の子だと判った。しかも初陣で負け戦に当たったうえに供ともはぐれた、幸運に見放された子供だ。睡骨の鉄の爪は少年の左肩を深く抉ったらしく、左腕は血を流したまま動かない。少年はきゅっと唇とかむと、健気にも右手一本で刀を抜き、睡骨に切っ先を向ける。その構えを見て睡骨は鼻で笑った。刀を抜いてはいても少年は怯えきり、完全に逃げ腰になっていたからだ。
睡骨は震えて構えが定まらない少年の刀を易々と跳ねとばした。少年は息を飲み、真っ青な顔で後退る。
悲鳴を上げて命乞いをしないだけでも大した物だ、と睡骨は皮肉に笑った。
無論見逃すつもりなど無い。
笑ったまま睡骨はかぎ爪を構え、一気にその首を掻き斬ろうと突き出す。
その動きに少年は目を閉じ、無意識の叫びを上げた。

「母上!」

その言葉を聞いた瞬間、睡骨の頭を血が逆流するような痛みが襲う。
一瞬大きく目を見開いた睡骨の視界に、涙ぐみ、腕を上げて頭を庇おうとする少年の幼い顔が映る。
それを最後に、睡骨は自分の脳裏が真っ白になって何も見えなくなるのを感じていた。


◆◆◆◆◆◆◆◆


「説明いたせ!」
短く荒らげた声と共に、蛮骨の前にふたつのかぎ爪が投げ出された。
まともな武士ならば戦に使うはずもないその武器は、間違いなく七人隊の一人の物。目を上げた蛮骨の正面に座る大将の傍らには、漆塗りの盆の上に置かれた敵将の兜。
蛮骨に向かってかぎ爪を投げつけた武士はその大将の威光を背に、居丈高に言い立てた。
「野伏(のぶせり)どもがそれらをかすめ取ろうとしていた所を、我が手の者どもが見つけたのじゃ!それと同じく残されたのは、敵大将の兜じゃ!それがなぜ、おぬしの手下の武器と共に落ちていたのか、説明をしてもらうぞ」
蛮骨は苦々しい顔でその侍を見上げた。
その顔には、生意気な傭兵を仕置きできることを純粋に喜んでいる醜い愉悦が浮かんでいる。
蛮骨の背後で蛇骨が殺気を放つのが判った。それを無言で煉骨が制している。もっとも、煉骨からも蛇骨と似たり寄ったりの怒りを感じる。

今回の戦の勝利は、殆どの手柄が七人隊によるものだといってもいい。
それが、譜代の家臣にとっては不愉快だったのだろう。本陣の総大将前に呼びつけられた三人を見据える武将達は、どれもこれも「ざまあみろ」と言いたげな顔つきをしていた。
一人、考えあぐねているような顔をしているのは、正面に座る総大将のみ。
彼こそが、自軍の戦力不足を憂いて七人隊を雇い入れた本人だからだ。
彼が望んだとおり、戦は大勝利を納め、敵軍は城へと敗走していった。
だが、肝心要の総大将の首を取り損ねた上にどうやらその大将を傭兵が逃がしたらしいと言う疑いがわき起こり、彼は心底困惑している状態だった。
大将は一つ息を付き、身を乗り出すようにして蛮骨に話しかけた。

「その爪の持ち主は…なんといったか?そやつは、もしやそなた達をも裏切り、敵と通じていたという事はないのか?」
「それはあり得ない」
蛮骨は簡潔に答える。実際、それ以上答えようがない。蛮骨自身もなぜ睡骨が姿をくらましたのか、なぜ、その爪が敵将の兜と共に落ちていたのか、判らないのだ。
総大将は重ねて言う。
「その兜の持ち主は城主の嫡男で今年12、これが初陣と経験も乏しく、供とはぐれて1人森に落ち延びていくのを見ていた者がいる。すぐに後を追ったが見失い、やがて、それらを手に逃げようとする野伏達を見つけたとのことじゃ。敵の目をくらますために派手な兜を捨てた、という事は考えられるのだが、その爪までが捨てられていたというのはまったく持って解せぬ。何か心当たりはないのか?」
総大将の言葉はせっぱ詰まっている。万が一にも自分が雇い入れた兵が敵と通じていた、などという事になったら、自分の首も危ういからだ。
蛮骨は険しい顔のまま首を振った。
「俺にも心当たりはない。だが、俺の弟分が不始末をしでかしたらしいことは確かだ。この始末は、おれがつける」
「ほう、小童が何をして始末をつける。武士の真似をして、腹でも切るか!」
どっと嘲笑がわき起こる。
憤然となり、刀を手に立ち上がりかけた蛇骨を、煉骨が引き倒すようにして止めた。
だが、馬鹿笑いをする男達を見渡す煉骨の目は、蛇骨と同様に怒りと軽蔑に満ちている。武将達は笑うのを止め、ばつが悪そうに目を泳がせる。
辺りが静かになるのを待ち、蛮骨は不意に蛮竜を掴んだ。
目の前で詰問していた男が、とたんに緊張の色を浮かべて僅かに身体を退く。
その無様な様子ににやりとし、蛮骨は大鉾をとんと地に立てた。

「総大将の首、次の戦で必ずおれがとる」
言い切った蛮骨に、居並ぶ武将達は一瞬惚けたようになった。次の瞬間、目の前にいた男は顔を怒りで真っ赤にし、大声を上げる。
「この小童が何を思い上がっている!大将首、貴様がとるだと?」
「おうよ。敵軍を蹴散らし、このおれが本陣にいる敵将の首、此処へ持ち帰ってみせる」
自信に満ちた蛮骨の言葉を聞いてざわつく陣内に、ついに総大将が言った。

「七人隊、蛮骨。では、次の戦、そなたに先鋒を言いつける」
「御大将、お待ちを!こやつはたかが傭兵!その様な得体の知れぬ者が先鋒など、我が軍の名折れになりますぞ!」
「ならば、太郎左。先鋒隊の指揮はそなたに任せる。共に轡を並べ、思う存分、功を上げるがいい」
「は!」
太郎左とよばれた男、すなわち、蛮骨の眼前で喚いていた男は、その命令に満足そうに頭を下げた。
譜代の家臣の中ではもっとも好戦的で剛力自慢、そしてもっとも七人隊の存在を苦々しく思っていた男は、我が意を得たり、と言いたげな顔でほくそ笑む。
「追って陣触れを出す。明朝までに各々方、陣払いの準備をいたすがいい」
副将の命を合図に、大将はその場を後にした。
ぞろぞろとそれぞれの野営地に戻っていく武将の中、太郎左と呼ばれた男は最後まで後に残される蛮骨達に身分差を思い知らせるように見下ろし、蔑むような笑いを残して去っていった。
「くそったれ!」
その男が幕の向こうに消えてから、蛇骨が悔しげに呟いた。


「ちくしょう、なんだよ、あいつ等!兜捨てて逃げてくような腰抜け大将をあてがわれるほどの、腰抜け連中のくせに!おれ等がいなかったら、城に逃げ帰って震えていたのはあいつ等の方だろうがよ!」
陣の端の方にある自分達の幕屋に戻る道々、蛇骨は我慢ならないといいたげに言い立てる。煉骨も同様の不満があったが、あえて蛇骨を諫める言葉を口にした。
「気持ちは分かるが、黙れ」
「なんでだよ!」
「連中が腰抜けってのは同感だが、今回はこっちの分が悪い。敵を倒すために雇われた傭兵が、敵の大将を逃がしたんだ。なんと言われても仕方ねぇ。使えねぇどころか、敵方に通じてるかもしれねぇ傭兵に金を出す大名がどこにいる?」
蛇骨はむかっ腹で口を尖らせたが、喚き出す前に、煉骨が言う。
「文句をいいたきゃ、結果を出すしかねえんだよ」
そう言ってから煉骨は、むっつりと思案顔のまま一言も言わない蛮骨に声をかけた。
「…大兄貴」
煉骨の声に反応したように、蛮骨は立ち止まった。
怒り顔のまま押し黙っている蛇骨に向かい、無表情に問う。
「なあ、蛇骨。お前、前に睡骨が医者から化けた、とか言ってなかったか?」
「あ?……ああ、そういや、言ったかなぁ」
蛇骨はキョロリと目を動かし、睡骨とはじめて会った時のことを思い出そうとした。
「ああ、そうそう。最初は、いやんなるくらい真面目でお人好しの医者だったのがさ、いきなり化けたんだ。あの根性悪な睡骨に」
「どういう話だ?初めて聞くぞ」
訳が分からない煉骨が顔を顰める。蛮骨は顎に手を当て、考えながら言う。
「睡骨は12のガキとあって、命乞いでもされて、そのお人好しにまた化けちまった、って事はないか?」
「あ……あるかも」
自信無さそうに蛇骨は答える。だが、蛇骨に攻撃されてあの攻撃的な睡骨が現れたのだから、泣いている子供を前にあのお人好しに戻ることもあるかも知れない、という事は十分に考えられた。

「お人好し野郎なら血まみれの武器なんて捨ててくだろうし、ガキを見つけたら安全なところまで送っていこうとするだろうさ。とにかく、蛇骨、それと煉骨。お前ら、睡骨を探しに行ってこい」
その命令に、蛇骨は不満の声を上げた。
「なんでおれが!これから次の戦があるってのに!」
「お前しか、そのお人好しの睡骨を知ってるやつはいねぇだろ」
あっさりというと、蛮骨は煉骨に真面目な顔を向けた。
「お前、こいつ連れて睡骨探しに行ってこい。なんでいなくなったのか、きっちり筋は通しとかなきゃな」
「はぁ…」
不満げな蛇骨にちらりと目を向け、煉骨は懸念するように言った。
「もしも、睡骨が戻りたくないと言ったら?」
「そんときゃ、決まってんだろ」
蛮骨は肩を竦めて言い放つ。
「首だけ持ってきな」
冷ややかな目とその声に、蛇骨と煉骨は無言のまま、ただ頷いた。





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