◆ 流転 2 ◆


陣払いの後、軍団が移動してゆく音を遠くに聞きながら、蛇骨はひとつまみの干し飯を口に入れた。
無責任な顔つきでそれを噛みながら、隣にいる煉骨にこれまた無責任な声で話しかける。

「んでさー、どっから探すって?森の中をどこに行ったかもわかんねーのにさ」
やる気がないのが丸わかりの蛇骨を、煉骨は呆れた目で見やった。
「見当もつけられねぇのか?」
「だって、わかんねーじゃん」
しみじみ呆れたと言いたげながら、煉骨はかみ砕いた説明を始める。
「睡骨がそのお前らの言ういい奴だったとしてだ。戦場でガキを拾ったらどうすると思う」
「おれ、ガキなんて拾わねーから、わかんねーもん」
ふてくされて答える蛇骨の頭を、煉骨は軽くこづいた。
「少しは頭を使え。お人好しなら、まずそのガキを安全な所へ逃がそうとする」
「安全な所ってどこさ」
「一番安全なのは、そのガキを退却中の軍と合流させることだな。さもなきゃ、とりあえずそのガキの領国へ連れて行く」
「えーと……ガキの領国ってどこだっけ?」
本気で聞いているらしい蛇骨に、煉骨は何度目とも知れぬため息を付いた。

「ここから山を越えて南西にある一帯。二日もかからずに国境(くにざかい)を超えられる」
「南西っていうと…森を抜けてったかな」
蛇骨は改めて目前に広がる森を見た。戦場となった平原のすぐ傍らに広がる森で、南方向に連なる山々に続いている。
ただし、森を超えていけば山越えにはかなりの大回りになるに違いない。
「野伏共がうろうろしている場所だ。人目に付きそうな道は避けるだろう。とりあえず、川を探すぞ」
「なんで?」
「川沿いには必ず集落がある。初陣のガキや睡骨にここらの土地勘があるとはおもえん。とにかく、まともそうな連中のいる場所を探しただろうな」
「よくわかんねぇけど、兄貴、頭いいーー」
称賛するように言う蛇骨にうんざりといった顔をしながら、煉骨は短く言いつける。
「とにかく人を見かけたら知らせろ。何か知ってるかもしれん」
「わかった」
どこまで判っているのか不明のまま、蛇骨は耳を澄ませて森の奥へと分け入る。
人の声、気配に気を配りつつ前を行く煉骨の後をついて歩きながら、蛇骨は視界を塞ぐ木々の枝を鬱陶しげに睨んだ。
右を見ても左を見ても、変わらない景色ばかりで、煉骨がどこに向かっているのかもよく分からない。焦れた蛇骨は煉骨の近くに駆け寄った。

「なー、兄貴。おれ達、南に向かってるんだよな」
「そうだ…おい、蛇骨。その辺踏み散らかすな!」
煉骨の前に回り込みかけた蛇骨は、慌てて上げた足を後ろに下ろした。
「なに」
「血の跡だ」
「……へ?」
改めて蛇骨は煉骨が進んでいた先を見た。下草やコケの上に、確かに点々と血の跡が残っている。それから人に踏みしめられた折れた下草や小枝。そしてその傍らに続く小さな丸い穴。槍を杖代わりに縋ったために残った、石突きの跡らしい。睡骨は槍を持っていない。
「睡骨じゃ、ねーじゃん」
「拾ったガキが怪我してたのかも知れねぇ。とにかく、血の跡を追う」
再び先に進み始めた煉骨の後を、蛇骨は無言でついていく。しばらく進むと、身ぐるみ剥がれた男の死体に行き当たった。
「ここまで逃げてきて、野伏に襲われたな」
傷跡を調べた煉骨が言う。
「ちぇ、全然関係ねーやつか」
つまらなそうに蛇骨はぼやく。煉骨はその周囲の足跡を調べ始めた。
周辺は複数の足跡で踏み散らかされているが、その先には血の跡もなければ他の死体もない。この男は一人で逃げてきて、一人で殺されたのだ。
「ち、蛇骨の言うとおり、まったく関係ねぇやつか…」
煉骨が舌打ちしていると、ふらふらと先に進んでいた蛇骨が駆け戻ってきた。
「煉骨の兄貴。この先に川がある。で、川原に野伏が三人、火を熾してる」

「ほう…」
驚いたような声を出す煉骨に、蛇骨はさらに興奮して言った。
「そのうちの一人が、睡骨の鎧着てやがるんだ!」
「…なに?」
蛇骨は煉骨の袖を引っ張ると、その野伏達が見える崖の上まで連れて行った。木の陰から見下ろすと、まだ昼過ぎだというのにもう川原で野宿の用意をしている男三人の、そのうちの1人が確かに睡骨の鎧を身につけている。
男達の近くには、戦場の死体、あるいはさっき見つけたような敗残兵からはぎ取ったとおぼしき具足、武具の類が束ねて置いてある。
「……あいつ等、夕べから夜っぴてこの辺を漁ってやがったな」
そう言って、煉骨はにやりと笑った。
「あいつ等が何か知ってるかもしれんな」
「かもなぁ」
退屈しのぎが出来そうだとでも思ったのか、嬉しそうに蛇骨は目を細めた。



不意に現れた二人に、野伏の男達がそれぞれ得物に手をかけ、警戒の姿勢をとる。それを安心させるように、煉骨は落ち着いた口調で声をかけた。
「あんた等の獲物をかすめ取ろうってんじゃねぇ。ちょいと訳ありで、あんた等の仲間に入れて欲しいんだが」
野伏達は煉骨と蛇骨の全身を穴が開くほどじっと眺め、それから二人がどうあってもまともな素性に見えないと判ったのか、急に横柄になった。
「へへ、さしずめ、暴れすぎて国を追い出された夜盗ってとこか?ここらにはここらの流儀ってもんがある。よそもんに好き勝手な仕事はさせねぇぜ」
「判ってるさ。最初は下っ端からでいい。これは手土産だ」
そう言って煉骨は酒の入った瓢箪を手渡した。その中身の匂いを嗅ぎ、野伏の一人が嬉しそうに言う。
「おい、こりゃ、どぶろくじゃねぇ、酒だ!お殿様が飲むようなやつだぜ」
「ほう、こりゃいい。手土産としては最高だ」
男達が交互に瓢箪を手に取り、中の酒を回し飲みしている。完全にこちらへの警戒心を解いたらしいのを察し、煉骨は蛇骨に目配せをした。心得た蛇骨は立ち上がり、口元ににまりと笑みを浮かべると、睡骨の鎧を身につけている男の傍らに座る。紅を付けた相手に僅かに怖じけるような顔をする男に薄く笑い、蛇骨は柔らかな喉声で言った。
「……変わった鎧だなぁ…どこで手に入れたんだ…?」
「そ、そんな事、てめえの知ったことじゃねぇだろ?」
払いのけようとする手をやんわりと握り、蛇骨は目にとろける艶を乗せた。

「そうだな…どっちかっつーと、鎧の下の方が気になるしな…」
つつっとむき出しの男の首に指を滑らせる。仲間二人に面白い見せ物を見るような目を向けられ、その男は上擦った声を出した。
「おれは男は興味ねぇんだよ」
「ふーん、しけた事言ってるなぁ。殿さん連中がなんで稚児とか侍らせてんのか、判ってる?」
蛇骨は男の拒絶に構わずその太い首に両腕を巻き付け、耳元に吐息と共に囁きかけた。
「……女なんかより、ずーっといいって事…教えてやるって…」
その声音と色香に、男はごくりと唾を飲み込んだ。自制心はあっけなく砕け散り、おたおたとした手つきでせっかちに蛇骨の腰を引き寄せる。
「おい」
苦笑混じりに煉骨が声をかける。蛇骨は慣れた手つきで男の手をほどくと、笑いながら言った。
「ちゃーんと、五月蠅くなんねー所でやるって」
そう言って、顔を赤くしてその気になっている男の手を取り、目線で誘いを掛ける。蛇骨に主導権を握られた男は、ふらふらとその後を追って森へと入っていった。
「やれやれ、あいつの男好きにも困ったもんだ」
さも困ったと言いたげに煉骨がいうと、残った男二人は下卑た笑い声を上げた。
「いんや、あの目はたまらんなぁ」
「ちくしょう、おれもお相手頼みたいぜ」
森をちらちらと見やりながら、また酒をあおる。
その他愛のない様子に、煉骨は薄く冷酷な笑みを浮かべた。



森の奥に入り、川原で上がる笑い声が聞こえなくなった辺りで、男は余裕のない息づかいで蛇骨に抱きついてきた。それを蛇骨はくすくす笑いながらあしらう。
「おい、そんなに焦んなよ。こいつ、邪魔だなぁ」
そう言って男の鎧の紐をいじると、男は「あ、ああ、そうか」と慌てて紐を解き、鎧を脱ぎ捨てて短着と下帯だけの姿になった。蛇骨はさりげなくその鎧を手にすると、矯めつ眇めつして状態を改めた。血の跡はなく、無理矢理剥がされた風ではない。
「なんだよ、気になるのか?」
「そりゃー、こんな変わった鎧、手に入れたら金になりそーじゃん。どこで見つけたんだ?」
「決まってるだろう?ぶっ殺してはぎ取ったんだよ」
男の頭はこれから味わう快感で一杯になっているらしく、まるで話にならない。蛇骨は口元をつり上げておかしそうに笑うと、そんな男を甘えるふりで下草の上に押し倒した。
「なんかもう、辛抱たまらんって感じだなぁ…んじゃ、先に一発抜いとくか」
蛇骨は期待に顔をゆるませている男に笑いかけてやると、自分の着物の裾をたくし上げて仰向けの身体の馬乗りになる。それから下帯越しにも判るいきり立っている一物ににんまりすると、それを掴みだして両の太股で挟み込み、身体を揺すって擦り上げてやった。

しばらく女と無縁だったらしい男はひぃひぃとあえぎ声を上げ、あっけなく果てた。息を荒くし、力が抜けきった男の顔に満足した蛇骨は、ゆったりとした動きでその胸に両手をつき、僅かに膝の位置をずらす。男は蛇骨が何をしているのか、まるで気が付いていないようだった。もっと快感を得ようとして手を伸ばす男の腕をやんわりと押さえつけ、優しく聞く。
「なあ、さっきの鎧さ…ほんとはどこで手に入れたんだ?」
「だから…逃げてきた男をぶっ殺して手に入れたんだって」
男は惚けた返事をした。蛇骨がふざけて甘えているだけだと思っているらしい。
もう一度聞いた。
「だったらさ、…どんな男をぶっ殺したんだ…?」
「どんなって、雑兵だよ、雑兵。それよか、早く続きしようぜ」
蛇骨は不意に男の胸を上から押しつぶすように、膝に力を込めた。
「……ぐっ…」
苦しさに悲鳴を上げかけた男の口に、蛇骨は素早く肩に回していた帯を押し込んだ。全体重を乗せた膝で急所の胸を押さえつけられ、男は痛みと息苦しさに蛇骨を押しのけようと暴れ出すが、すでに拘束されている腕はろくに動かせず、それどころか押しつけられる膝の力がさらに強くなり、息が出来なくなる。

「静かにしろよ。おれの聞くことに答えれば、楽にしてやるからさ。判ったか?」
うんうんと、男が顔を上下に振る。
「ほんとか?もしも大声出したりしたらさ、……もう片方もやっちまうぜ?」
蛇骨は傍らに放り出してあった男の小刀を掴むと、素早い動きで男の片耳を切り跳ばす。血があふれ出し、男は一層激しく泣きながら、頭をふった。
抵抗する気が失せたらしいのを確認し、蛇骨は口に押し込んだ涎まみれの布を取ってやった。
男は涙を流しながら、恐怖に引きつった顔で自分の身体の上の優男を見つめた。
その喉元には小刀が突きつけられている。震えて忙しない瞬きを繰り返す男に、蛇骨は声だけ優しく聞いた。
「あの鎧さぁ、どうやって手に入れたんだ?」
「……あ、…あれは……」
「殺して奪った、なんてフカシこくなよ?もう聞き飽きたからさぁ。あれ着てた男は、身分ありそうなガキ連れてたヤツだよな、うん?」
「……そ、そうだ…怪我をしたガキを連れていた…。おれがそのガキをつかまえようとしたら、自分の持ってる物全部やるから見逃してくれって……鎧や、銭や…全部差しだして土下座したんだ…」
それを聞いて、蛇骨は不快げに舌打ちをした。

どうやら睡骨は本当にあのお人好しの医者に戻ってしまったようだ。見ず知らずのガキのために自分の持ち物差しだして、頭を下げて。そんな馬鹿野郎を捜さなければならないのかと思うと、さらに腹立たしさが増す。
「で、見逃してやったんだな。そいつ等はどこへ行った?」
苛立った蛇骨の声に、男は痛みと恐怖にすくみ上がった。血の気の失せた唇を必死に動かし、振り絞るように声を出す。

「……や、山越えの道を教えて欲しいと…馬鹿かと思ったが、なんか、本当に馬鹿みたいなお人好しだったから…教えてやった…」
「どこをどう教えたのか、洗いざらい話しな」
無感情に蛇骨は言った。





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干し飯→戦場の携帯食。炊いたご飯を水で洗って粘りけをとり、干してつくったご飯。そのまま食べたり、お湯をかけて湯漬けにしたりして食べたそうです。


どぶろく→濁り酒のことで、民間でも作られていた庶民のお酒。煉骨が持ってきたのは澄酒(清酒の前身)。余談ですが、現在の日本酒(清酒)の製法の原型が出来たのが室町時代で、完成するのはもう少し後の時代。





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