◆ 流転 3 ◆


「随分、長いなぁ」
瓢箪の酒を飲み干した男が、物欲しげに煉骨を見ながら言った。「長い」というのは、蛇骨と男が森の中に入ってから、長い時間楽しんでいるという当てつけのつもりらしい。
(こいつら、蛇骨が戻ってきたら本気で相手をさせる気だったのか?)
煉骨は男の酔いと期待で赤く濁った目を見ながら、薄く笑って中断した話の続きを始めた。

「で、この辺で仕事してる連中はあんた等だけなのか?」
「まさか。そっちこっちに散らばってる。ただ、この森周辺はおれ等が一番詳しい」
「隣の国にも行くのか?」
「おうよ、この辺はなんども戦が起きてるんで、国境にはよく部隊が来ている。槍やら刀やら持ってけば、けっこういい値で売れるからな」
「こんな深い森を超えて、大荷物持ってくのは結構大変だろうに」
煉骨は荷馬車が必要なほど大量に集められた荷物を見て、そう言った。
男の一人が自慢げに言う。
「筏で川を下るんだ。山を越えるより、そっちが早い」
「なるほどな」
煉骨は頷く。
「下流に村があるのか?」
「村もあるし、その手前には砦がある。具足も槍も磨いて研ぎ師面で売りに行きゃ、いくらでも売れる」
自慢げな連中の話にもいい加減飽きた頃だった。かさりと草を踏む音がして、森の中から声がした。
「兄貴ー、こっち終わったけど、そっちは?」
二人の野伏は不審気な顔になった。煉骨はすぐに「もう終わった」と答える。
「そりゃ、よかった」
飄々と姿を現した蛇骨を見て、野伏達はひっと声を上げると腰を浮かした。

森からゆっくりと出てきた蛇骨は、片手に丸い物をぶら下げていたのだ。
さっき鼻の下を伸ばした顔で森に入っていった仲間の首――ざんばら髪を無造作に掴まれた首は、片耳を失い、白目を剥いて鼻からも口からも血を流しているという見るも無惨な有様になり果てていた。
「て、てめぇら、何者だ!」
男達は素早く立ち上がった。少なくとも本人達はそのつもりだった。だが、実際には深酒のせいで足下がふらつき、傍らにあるはずの刀すら咄嗟に掴みきれずに手を泳がせている。
焚き火を挟んで岩に腰掛けていた煉骨は、にっと笑うと、腰につけていた瓢箪を持ち上げ、中の油を口に含んで一気に男達に吹き付けた。
霧状の油が焚き火の火でばっと燃え上がる。
男二人は上半身を炎に包まれ、悲鳴を上げて川に飛び込んだ。
男達は水の中で転げ回っていたが、やがて流れに足を取られて水の中に沈み、そのまま下流へと流されて行ってしまった。

「止めささなかったみたいだけど、いいの?」
「別にかまわんだろ」
川岸に来た蛇骨は、自分が手にしていた首も川の中に放り込んだ。それから浅瀬に足を入れて血まみれの手を洗い、男の精がこびりついた脚も洗う。その蛇骨に、煉骨は声をかけた。
「うまくいったのか」
「うーん、素股だけー。もうちょっと面が好みならなー、やっても良かったんだけどなー、今一つ」
「馬鹿、誰がそんな事を聞いてる!」
脳天気な蛇骨の返事に、煉骨は叱りつけた。
「睡骨の話を聞きだしたのか、と聞いてるんだ!」
「あ、そっちの話ー?」
「……他に何の話がある…」
濡れた裾をバサバサさせながら水から上がってくる蛇骨の悪びれない様子に、煉骨は眉間を抑える。
「ちゃんと聞いたってばさ…こいつ等なんか食いもん持ってねーのかな?」
「ほらよ」
煉骨は男達が焼いていた魚を串ごと渡してやる。焚き火の側の適当な岩に座り、魚にかぶりつきながら、面倒くさそうに蛇骨は聞きだしたことを喋り始めた。

「なんかさー、やっぱりお人好しに戻ってたみてー。ガキつれてさ、持ち物こいつ等に渡して見逃してくれって頼んだ後、山越えの道教えてくれって言ったんだとさ」
「で、教えてやったのか?」
「うん、なんか川沿いにそれなりの抜け道があるって教えてやったんだと。そしたら、ガキつれていっちまったって」
蛇骨は食べ終わった魚の骨を放り出すと、不機嫌に顔を顰める。
「なんつーかさ、むかつくー。人に手間かけさせといてさ、睡骨の野郎ときたら、どっかのガキの世話だぜ」
「睡骨は睡骨でも、俺達の知っている睡骨とは別人なんだろ。仕方ねぇな」
醒めた煉骨の物言いに、蛇骨は不満げに唇を尖らせた。
「でもさ、別人でもなんでもむかつかねぇ?」
「むかつかんな。それよりも、川沿いに行ったんだな?」
「そうだよ」
煉骨が同意してくれなかったのが悔しかったのか、蛇骨はむっつりと答える。
そんな蛇骨を無視し、煉骨は川の流れを見ながら言う。
「って事は、睡骨もガキと一緒に砦に入ったか?」
「砦って?」
「川沿いに砦があるらしい。此処をいったんなら、当然ガキをそこへ連れて行ったはずだ。医者なら砦でも重宝されるだろうし」
「あー、それは絶対にないってーの」
妙に確信的に言いきる蛇骨に、煉骨は物問いたげになった。
「あの医者さ。戦も戦をする奴も嫌いだっていってたもん。それにさ、血が嫌いで真っ青になってふらふらするし。侍だらけの砦になっていられるわけねえって」
「詳しいな」
「だってあの医者、やることも喋ることも全部むかつくし」
憮然となった蛇骨の顔に、可笑しそうに笑いながら、睡骨は言った。
「それじゃ、ガキと別れて向こうの領内に入ったな。戦が嫌いなら、軍に出くわしやすい街道沿いや、大きな町は避けたところに行くだろう」
「山ん中とか、人が少ない貧乏くさいとこ?」
「多分な」
蛇骨は肩を竦めると、のびをして立ち上がった。

「んじゃさー、早いとこ追っかけようぜー」
「急にやる気が出たな」
急に態度が変わった蛇骨を揶揄するように煉骨は言った。
けろりとして蛇骨は答える。
「だってさー、ここでぐだぐだしてるうちに遠くに逃げられたら面倒くせぇしさ。早いとことっつかまえて戻んないと、次の戦も始まっちまうし」
「まあ、それもそうだ」
煉骨も立ち上がる。
「夜っぴて歩けば、かなり追いつけるだろう」
それを聞き、蛇骨は思案下になった。
「……やっぱさー、ここで夜明かししてからいかねぇ?」
「てめぇ…」
我が儘な言い分に、煉骨は険のこもった目を細める。
「うそ、じょーだんだってばさ」
慌ててうち消すと、蛇骨はそそくさと前に立って歩きだした。
暗くなりつつある道筋を、足元を見て歩きながら、蛇骨は冗談ではなく腹を立てている。

――知らないガキを助けるために、あいつはおれ達をおっぽって消えちまったんだ。

勝手にしやがれ、という投げやりな気分と、さっさと捕まえて一発ぶん殴ってやりたい、という気分が交互にくる。どっちを優先したいのか判らず、蛇骨はただ苛つくばかりだった。



◆◆◆◆◆


深夜になって、裏戸を遠慮がちに叩く音がする。
寂れた古い山寺を守る老住職は、おっかなびっくりに紙燭を掲げ、立て付けの悪い戸板越しに外へむかって呼びかけた。

「このような夜更けにどなた様でしょう。此方は見てお分かりの通りの、宝物一つ置いていない、愚僧一人が守るだけの古寺でございます」
「怪しい者ではございませぬ。どうぞ、この戸をお開けください」
その礼儀正しい声音に、老僧は細く板戸を開け、外に立つ人物を見た。

立っていたのは、髪を短くし、動きやすそうな小袖に袴をつけた若い男だった。穏やかな優しそうな顔つきに安堵の息を付きかけた老僧は、紙燭の灯りの中に見つけた男の着物の黒ずんだ染みに、瞬時に怯えた顔をする。
男はその顔に、急いで口を開いた。
「先日、戦場近くで怪我人を見つけました。この血の染みはその怪我人の物でございます。縁(ゆかり)のお屋敷までお送りした証に、このようにお礼を頂きました」
そう言って、銀の入った小さな袋を掲げてみせる。
「……では、そなた様は……侍か…?それとも…」
「侍でも落ち武者でもございませぬ。これこの通り、具足一つ身につけてはおりません。私は医者です。戦で住む場所を逐われ、ここまで逃げて参りました。しばらくの滞在をお願いしたい次第でございます」
男の言葉は明確で、その誠実そうな顔つきからも、僧はそれ以上男を疑うことを止めたようだ。少し身体を退き、寺の中へと男を招き入れる。
男は礼儀正しく頭を下げると、礼にもらったという小袋を僧に渡して、改めてしばらく此処において欲しいと頼み込んだ。

僧は少しの間困り顔で考えていたようだが、手に渡された袋の重さに、恥ずかしそうに頷いた。
「あさましいとお思いでしょうが、実はこの寺には親を亡くした子供達が数人くらしております。子供達の糊口を凌ぐには、寺の小さな田畑だけでは到底足りません。この金を役立てたいと存じます」
「どうぞ、ご住職様のよろしいようにお使いください」
頭を下げるその腰の低い態度に老僧は男への警戒を完全に捨て去り、にっこりと笑みを浮かべ、土間から板の間へと上がるように勧めた。

「今、囲炉裏に火を熾します。あいにくと、今は腹を満たす残り物一つございませんが、朝には作りたての雑炊を差し上げることができます。それまでせめて火の側でお休みください」
「お気遣いありがとうございます」
僧が囲炉裏の熾き火をかき立て、焚き木をくべている間、男は土間の片隅にあった盥を外の井戸端に持ち出し、水を汲んで汚れた足を洗っている。
きちんと足を清めてから上がってくるその所作に僧はますます感心して、医者というのも口からでまかせではないと察した。
火の側に畏まって座る男に僧は笑いかけ、そして「お名前をまだお聞きしておりませんでしたな。なんと仰いますか?」と尋ねた。
「名乗りもせず、失礼をいたしました。私の名は――」
素直に名乗ろうとした男は、そこで咄嗟に自分の名が出てこないことに愕然とした。
今までに学んだ作法や知識、医術の技などはいくらでも思い浮かぶのに、自分自身の名や、此処へたどり着くまでの記憶が驚くほどあやふやだ。
気が付けば彼は傷ついた少年武将の側にいて、それまで何をして、いつ医者をしていたはずの自分の家から出てきたのかもよく覚えていない。

顔を強ばらせて俯いてしまった男を、僧は気遣うように覗き込む。
「もし、どうなされた?お加減でも悪いのか?」
「いいえ……そうでは……」
息苦しささえ覚え、男は必死で考える。

(私の名は――なぜ、判らない?私の名は――)

『睡骨!』

不意にそう呼びつける声が頭に響いた。
はっと顔を上げるが、そう呼んだのは目の前にいる僧では当然ない。もっと若い男の、そして乱暴でどやしつけるような声だ。
だが、その声が呼んだのは自分なのだと、男はそう思った。

途切れている記憶のどこかで、自分はその男に「睡骨」と呼ばれていたのだ。

「……睡骨」
男はどこか定まらない目のままで、そう名乗った。
「私の名は、睡骨と申します」




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